26話 静寂の城

 馬車を降りたのはトネリコが多く生えた森の坂道。ゼノとヒュドラは「この道を下れば着く」と言い残して俺達と別れた。

 いや、俺にはもう一つ言っていたか。「その時まで魔法は使うな」と。

 お陰で赤い目を使うことができなくなってしまった。

 僅かな風にも大げさな葉擦れの音を立てるトネリコは黄昏時の不気味さをより鮮明なものに変える。

 歩きながらも体中に響く心音に意識を奪われ、俺はしばらくの間口を引き結んでいたが、静寂を取り払ったのはキャンディッドの低すぎず良く通る涼やかな声だった。


「本当の招待客はゴーネルの貴族でしたよね。ゴーネル語を話した方が良いのでしょうか」

「お前……ゴーネル語まで喋れるのか?」

「あなただって少なくとも三か国語は話せるのでしょう」

「俺はそういう教育を施されたからで……いや、これは別にいい。とにかくやめといた方がいいぜ。

 ジュブワ領は確かここより東、ラピスゴーネルブルートの三国国境の近くだから訛りが独特なんだ。出身がゴーネルの人間でも難しい。

 短い言葉なら良いが基本はラピス語で話す」

「わかりました」


 他にも作戦の確認の話やこの事件の話をした。

 ゼノの目的は何か。隠蔽の理由は何か。

 この可能性もある、あの可能性もあるとか言いながら歩いていると、葉擦れの音も心音も気にならなくなり、煩雑としていた心の中は一切をきれいに削ぎ落され、ただ一つビアンカを助けるという絶対の決意だけが浮かび灯った。

 程なくして並木道が途切れる。一気に視界が開けた。

 眼前に広がるは丈の低い草に山風が吹きつける緩やかな下り坂。

 その中腹程、ついに姿を現した。

 ……ここが件のパーティ会場。


「白レンガの高い城壁から覗くそそり立つ二つの塔。十数年前に名を馳せた武門フェルナンド男爵の居城カルマ城と見て間違いありません」

「ところが違うみたいだな」


 ここからでもはっきりと見えた。影を纏い立ちはだかる塔の先端で、月の光を受けはためくその旗。

 金色の背景を背負い描かれた……あれは


「大陸一の大帝国ハーヴィツの国旗……それが何でラピスに」

「なるほど。そういえば男爵は十数年前に戦でこの世を去ったと聞きました……となると今の城主は男爵の妻」

「まさかそいつが帝国と」

「はい。確か……エリザベス・ヴルュハーズィという人物だったはずです」

「ヴルュハーズィ…………って言ったら、帝国領邦ヴァルドング公国。公爵家の名だ」


 明らかになった新たな情報を加えてまた歩きながら再考する。


「……隠蔽の理由は名門への配慮?

 いや……でもそれだけであそこまで隠すか?ラピスにとっては所詮他国の貴族。自国よりも守る手は抜くはずだろ?」

「……どうでしょうね。他国だからということもあるのではありませんか。

 誰も手を出していないのですから……それ相応の大きな理由が隠れているはずです」


 その名を聞いた時に、何か、思い出さないといけないことを忘れているような気がしてならない。喉元までせせりあがってくるような感覚はあるのにその決定的なピースがはまらない。

 執拗な隠蔽の理由。修道騎士に逮捕させるその意味。

 その全てにつながる情報。

 数ある領邦とは違う絶対的な何か。

 確かに教わったことなのに今この瞬間、使う時まで覚えていられない自分の頭が憎たらしい。

 ……こんな時スフェーンがいたら。それが脳裏を過ぎるが、無いものねだりしても現状は変わらない。

 わからないのなら自分の目で確かめるだけ。そして、先で待つあいつに会いに行くだけだ。

 正門を視界に捉えた。

 門兵はそっぽ向いて佇んでいて、まだ近づいている俺達に気がついていない。

 俺はキャンディッドの一歩前に進み出て手を差し出した。

 細い指が掌に滑り込む。肩越しに見遣ると刹那、視線が交わり理解する。

 前を見据えたその時、俺達は執事と令嬢になった。

 互いを思い遣るかのように歩み、ゆったりとした微笑を浮かべる。

 ようやく気がついたらしい門兵が誰かを呼ぶ。門の内側から俺と同じような燕尾服を着た初老の男がやって来た。


「招待状を」


 懐から取り出し、笑顔の裏で俺達を訝しんでいるであろう男に手渡すと、サッと目を通した後、曖昧な笑みを貼り付け口を開く。


「カルマ城へようこそおいでくださいました。皆様がお待ちです。ですが……」

「……お招きいただきありがとうございます。行きましょうリオン」


 続く言葉を遮り俺を呼ぶキャンディッドを男は慌ててやんわりと制した。


「お待ちくださいエリオント様……執事は連れてきては」

「いけないのですか……どうして?」

「いえ、その……」


 男が強い態度で拒絶しないのはキャンディッドがどうもぐったりした様子で話しているからなのだ。

 なるほど。キャンディッドの狙いが分かった。確かに駄々をこねるよりもいい方法だ。

 足場がおぼつかずふらつくふりをするあいつを大げさに抱き留めると、俺はそのまま男を見上げた。


「お嬢様は長旅でお疲れなのです。途中馬車に不都合があり、ここまで歩いて参りましたが……もし私の見ていないところで倒れてしまったらと思うと我が主になんと申し上げれば……どうしてもいけないのでしょうか」


 6割方本当のことを言っているからか演技面に関しては騙すのに十分なクオリティを実現できたが……仕方ないこととはわかっている。わかっているがキザったらしい台詞と行動で体が痒い!(気がする)

 だが、どうだ。

 ここで拒否をするのは不自然すぎる。

 それともまだ問答を続けるか?

 そんなわけがない。数々の秘密を封じ込めてきた静寂の城だと言うのならば、これくらいのイレギュラーは経験済みのはず。

 ならば答えは一つ……


「…………いえ、言葉が過ぎました。どうぞお入りくださいませ」

「ありがとうございます」


 両者共に上部だけの礼をしてその場は収まったが、すれ違いざま、男の目がギョロリと俺を追うのが見えてやはりそうするかと一人納得する。

 邪魔者は焦らず、一度自分のテリトリーに引き込んでから始末するのが定石なのだと。




 ────────────────────



 門の男と別れてすぐに別の使用人が近づいてきた。

 案内に従い、白鳥のレリーフがあしらわれた波打つ木目の玄関扉を通り過ぎると、吹き抜けのホールの奥に構えていたのは三又の廊下。

 その中央へ進むように促され、足を踏み入れる。すると、城内の雰囲気がガラリと変わった。

 乳白色のライムストーンで作られた開放感のあるアーチ。

 装飾の色は金からシックな艶のある黒に。

 レリーフは武具や馬具をモチーフにしている。恐らく前の持ち主の特徴が強く出ているのだろう。

 突き当たりの部屋の一際大きな扉が開かれ、使いの者が先客達へ新たな来訪者を知らせる。


「エリオント・ジュブワ様がいらっしゃいました」

「……ごきげんよう」


 探るような視線が集まるのを感じつつ俺とキャンディッドはいつも以上に深々と礼をし、ゆったりとした動作で顔を上げた。

 中央にクロスの敷かれた大きなリフェクトリーテーブル。その机上には指紋一つついていないカトラリーが人数分きっちりと並べられている。しかし、誰一人席についている者がいない。場は整っているものの、晩餐会はまだ始まっていないらしい。

 笑みを浮かべながらあたりの様子をうかがいつつ、一先ず部屋の隅へ移動した。

 着飾った令嬢達の身なりからゼノがこのドレスを送った理由を察する。恐らくジュブワ家はこの中で1番身分が低いのだろう。

 だが、控えめなデザインが逆に良い方向に作用しているように思える。頭からつま先まで己の裕福な育ちを示そうと手を加えた女たちの中で、スッと背筋が伸びたキャンディッドの王女(のふり)由来の上品さは浮き出て、より直接的に見る者の目に飛び込んでくる。

 ゼノからの要求である誰よりも美しく振る舞え、は問題なく達成している。が、他に何も言われていない以上、臨機応変に行動するにあたってとりあえず目立たない方が良いだろう。

 そう考えていた時……3人組の令嬢がヒソヒソと耳打ちしながらこちらに近づいてくるのが見えた。

 気づいてすぐにキャンディッドを背に匿った。それなのに令嬢たちは歩みを止めない。

 やはり目立ち過ぎたか。一歩遅い対応を悔やみつつ、俺は近づいてくる奴らを前に見据えた。

 視線を受けて口の端を持ち上げそのまま、とうとう彼女らは話しかけた。


「あなたお名前は?」


 ……キャンディッドの前にいる俺に。


(……は?)


 女から男に?いやそれ以前に貴族が使用人に?

 マナー違反なんてものじゃない。

 予定外のトラブルのそのまた予定外の出来事に頭が真っ白になりそうなくらい動揺してはいたものの、表向きはあくまで礼儀正しく対応する。


「執事のリオンと申します」

「まぁ……!お若いのにすごいわね」

「それでリオン様、よろしければダンスのお相手になってくださらない?晩餐の用意が終わるころまででいいんですの」

「あら、では私の相手も」

「~っ…………申し訳ございません。私は一執事としてお手を取るわけには参りません」

「つれないですわね~ちょっとだけ!ね?よろしいでしょう?」


 さっさと切り上げようとする雰囲気を出しているはずなのに令嬢たちからは諦める気配が感じられない。そもそも使用人相手に何故食い下がる!?

 返事に詰まり、いざとなったら逃げるかと扉の方へさり気なく後退を試みたが、三人の内一人に進路を塞がれる。間髪入れずに残りの二人が迫り、俺は着々と壁際に追い詰められる……

 キャンディッドに助けを、と一瞬考えたがダメだ。

 この場では身分に差がある。

 絶対的な上下関係に逆らうことはタブー。


(……どうする。執事という立場上、威嚇も露骨な態度もできない。どうする……っ)


 王手は早い方がいいと見たか、一人の令嬢が僅かな隙に俺の右腕にしがみついた。


「思ったとおり逞しい腕をお持ちだわ」

「……っ」


 まずい……!

 令嬢の手が上腕から前腕へと伸びる。今右前腕にはダガーを仕込んでいる。バレるわけにはいかない。

 やむを得ず手を払いのけようとしたその時…………


 バチンッ!


 乾いた音が部屋中に響くほど大きく鳴り、令嬢の手は俺が除ける前に離れていた。

 部屋中の話し声がピシャリと止む。

 皆の視線は部屋の隅、俺の腕を掴んだ令嬢……の手を思いっきり引っ叩いたキャンディッドに注がれる。


「お、お嬢様……?」


 ダガーに気づいての対応だろう。


(やりすぎだが…………正直助かった)


 今度はあいつが俺を庇うように位置づけ、令嬢たちの前に仁王立ちした。

 よほど痛かったのか叩かれた令嬢は目じりに涙を浮かべながらうずくまっている。代わりに残された二人の令嬢が憎々し気な表情を浮かべ反撃を開始した。


「……あなた、パーティは初めてだって聞いたわ。ジュブワ男爵令嬢様だったかしら?」

「お初にお目にかかります。誰の手を叩いたのかお分かりかしら?子爵令嬢の彼女のものよ。

 貴女の家くらい簡単に潰してやるんだからせいぜいそれまで……」


 まくしたてていた令嬢たちは時がたつにつれ勢いがしぼんでいく。どうやらキャンディッドの顔を見てそうなっているようだ。微笑からいつもの仏頂面になったのが不気味なのだろう……だが、それにしては不自然な反応だ。

 気味悪がっているようにも見えるが、それよりも…………


「おやめなさい」


 静まり返った会場に鋭く刺さる高い声。

 判決を下すようにカツカツと床をたたく杖。

 令嬢達はそれを聞いた途端、一斉に罰が悪そうな表情を浮かべ、ぎこちない動作で扉の方向を向いた。

 そこにいたのは淡いピンクのラインに縁取られた白のドレスを纏い、杖をついて歩く、白い長髪の令嬢。


「フィオーレ伯爵令嬢様……」


 会場内の誰かがそう口にした。

 伯爵令嬢フィオーレは令嬢たちをクリアモーブの瞳でキッと睨みつけたのち、キャンディッドへ向き直り、大きく鮮やかな花のような笑みを浮かべる。


「Je suis heureux de vous rencontrer.Hélianthe.

 どうかしら。私練習してみたのだけれど」


 口ずさんだのは実に流暢なゴーネル語……


「Perfait……流石でございます」

「我が国の令嬢が無礼を働いてしまい申し訳ありません。後で厳しく罰しておきますわ。

 本日は招待客として共に楽しんで参りましょう」

「もったいないお言葉。感謝いたします」


 自分の客ではないとはいえ、もてなす姿勢と、端々からにじみ出る教養。

 まわりの反応もそう言っている……この令嬢は恐らくこの中で一番の身分なのだろう。

 他を圧倒する高位の貴族の風格はキャンディッドから令嬢たちへと視線を変えた途端に色を変えた。

 前者が咲き誇る百合のような白だとしたら、後者は悪魔の炎のような赤黒い何かに見えてくる…………気のせいだろうか。どっかのホワイト伯爵令嬢に似ている気がしないでもない。


「さてあなた……また似たようなことをしてたのでしょうね。近頃目に余りますわよ。

 一体何人の殿方と関係を持っているのかしら?」

「人聞きの悪い事言わないでください!?お友達がいると言うだけよ!!」

「……未婚の貴族令嬢であれば殿方との交友は慎むべきよ。

 そもそも使用人相手に女性のあなたから声をかけるなんて叩かれて当然だと」

「分かりました。分かりましたわよ!」


 静かに詰め寄る伯爵令嬢に恐れをなしたのか、令嬢三人組は会話を早々に切り上げてそそくさと逃げ出す。

 思わぬ出来事が続いたが、何とか事なきを得た……そう安堵することができたのは次の瞬間までだった。


「皆様、御着席ください」


 扉が再び開き、燕尾服の使用人が告げる。


「…………ご用意ができました。城主エリザベス様が参ります」


 皆が序列ごとに腰かける。身分の高い者から奥の方へ座り、キャンディッドは一番手前の席に腰かけた。その後ろに俺は使用人らしく佇む。

 誰からということもなく拍手が沸き起こった。


「ごきげんよう」


 喝采の中でもその声は会場中に聞こえた。ストロベリーブロンドの髪を揺らしながら深紅のベルラインドレスを身に纏うそいつは赤い唇の端を持ち上げて皆に手を振る。


「私はエリザベス。この会のホストを務めます」


 ホスト、エリザベスが歩き出すと同時に拍手が止んだ。そして奴の視線は自然とキャンディッドに吸い込まれる。

 歩く足はそのままにエリザベスは口を開いた。


「あなたは確か……エリオント。隣の方は?」

「私の執事のリオンです」


 奴の傍らにメイドが近づいてきた。事情を知っているのだろう。

 ぼそぼそと囁く声が聞こえなくなると、承知したように頷いて一番奥の席に着く。


「……そう、具合が優れないのね。でもエリオント、このパーティは私共が用意した晩餐を楽しむことともう一つ、婚前の乙女の為の勉強会でもあるの。

 ……食事の場故、明言は控えさせていただくけれど、どうか考え直して」


 その言葉に会場中が騒めいた。刺すような視線を感じつつ俺は心の中で舌打ちする。

 自然と男を追い出す流れにするために、会場内の使用人がいつの間にかメイドだけになっている。

 いやしかし、これも計算済みだったのか?

 俺はゼノからの指示を思い出す。

 という指示を………

 だとしたら俺は流れに逆らうことなく今ここを去るべきだ。

 キャンディッドも承知したのだろう。俺を肩越しに見遣りただ一言。


「リオン……下がっていなさい」

「では後ほど」


 話がまとまったのを察したのだろう。エリザベスは近くにいたメイドを呼びつけこういった。


「……南の塔に連れて行きなさい。任せるわ」


 瞬間、メイドの顔がわずかに強張る。

 横目で一瞥していた俺はその言葉の意味を正しく理解した。そして、ゼノの指示の内容も……

 南の塔にあいつがいるんだ。

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