11話 きせきの追憶~芽吹き~

 薬屋が繁忙期に入った。

 木こりに農家に運び屋に、痛み止めの薬が飛ぶように売れ、売っては作るの繰り返し。

 いつもの年と違うところはディディエがそばにいること。

 客が来るまでは俺が薬のことを教えたり、薬を一緒に作ったりして、客が来たらあいつを寝屋に隠す。

 無愛想な客の相手をしているときでも、左の方ではディディエの視線を感じていて体がくすぐったい。


(不思議だ)


 ディディエに意識が引っ張られて、体が温かい。

 視線を感じてる表皮がピリピリして、こっそり目を合わせると全身が痺れるような感覚に陥る。

 何度も何度もその感覚に浸っていたくてディディエの顔に目を向ける。

 忙しさで体調を崩したのかと考えるが、いつもより調子がいい。

 鏡を見ても顔色がよかった。


 俺の体に起こった不可解なことはこれだけではない。


 店を閉めてコインをズボンに突っ込み、ディディエに「待ってろ」と声をかけ、いつものパン屋へ駆けていく。

 いやでも目に入ってきた村の連中のことなんて忘れて二人分のパンを買う。

 変わらない茶色の紙袋を抱えて、息が切れるくらい早く走った。


「ただいま…!」


 肩で荒く息をしながら紡いだ言葉は部屋の中を響き渡り、寝屋につながる扉からいたずらっ子のような笑みを浮かべたディディエが顔を出す。


「どうした?」


 そう声をかけると背中に隠した絵を手渡してくれるのだ。

 一日一枚、違う絵をくれた。

 題材は俺か自分。

 出会った日のこと、夜の川で遊んだ日のこと。

 ディディエは思い出を形にしてくれた。

 いつか別れたときに、これがあれば思い出せる。

 そんなことを考えて目線を落とした俺に差し出された今日の一枚は、薬屋にいる俺の絵だった。

 去っていく客の後ろでディディエに目を向けている俺の顔は、自分の知らない顔をしていた。


 これは、なんだ。


 ディディエには俺がこう見えてるの。それとも、ディディエを見る俺がこんな表情をしてるの。

 絵を持ったまま動けずにいる俺のことなんて知らないで、ディディエはパンをほおばる。

 パッと表情が明るくなる彼女を見ていると、息ができなくなるくらい胸が締め付けられた。


 

 


数着残っていた母さんのワンピースを着せ、ディディエを寝床で寝かせた後、夜通し薬草を挽き朝が明ける。

仮眠はとっているが、そろそろ限界だ。薬草自体、底をつきかけている。


(今日が終わったら、あそこへ行くか)


 起きてきたディディエに挨拶をして店を開けた。


「柳の皮です。煎じて飲んでください」

「ノコギリソウの汁の瓶詰です。傷口に塗ったりお茶に入れたりしてお使いください」

「フェンネルの粉です。魚にふりかけて摂取してください」


 幸い今日は痛み止めの薬ではないものが売れた。


(なんとか乗り切れるな)


 日が傾き、あたりが橙色に染まり始めるころ。

 痛み止めは売り切れ、店を閉めようとしたその時、一人の男が訪ねてきた。

 ほつれた服の上にぼろぼろのローブを羽織り、隈が深い顔を億劫そうにこちらへ向ける。


「…いたみどめはあるか」

「申し訳ございません。売り切れてしまいました」


 俺がそういったその瞬間、男は目の色を変え、眉は吊り上がり眉間に血管が浮かび上がる。

 しまったと心の中でつぶやいた瞬間、両肩に冷たさと痛みが走り体がグワングワン揺さぶられた。


「おれは…!ニジェルのくろかみのくすりやがまほうのくすりをつくれるというからリンディンからわざわざここまできたんだぞ!」


 血走った目が大きく開かれ、怒りに震える呼気を頬に感じる。

 両肩をつかむ骨ばった手が今にも首にかかりそうで、唇が震えだす。

 だけど、頭の片隅にかろうじて冷静な自分が確かにいて…おぼつかない言葉遣い、深く刻まれた隈、不安定な感情の動き、要素を拾い集めこの男に必要なものに気づくことができた。

 喉の奥から声を絞り出す。


「痛み止めを、ご用意できず…申し訳ありません…お代は結構ですので、右の薬瓶をお持ち帰りください…少しづつ飲めば症状が大幅に緩和されるはずです」


 そう聞くや否や男は荒っぽく俺の体を放り、薬瓶を我が子のようにひしと抱きしめる。

 炉の灰を頭から被った俺のことなど意にも介さず、呪いが晴れたようにはつらつと走り去っていった。

 背を丸めせき込む俺のもとにディディエが駆け寄り、灰を払う。


「大丈夫…大丈夫だ」


 まだひりつく両肩に手を当てた。


(うちで一番高いバレリアンだったんだけどな)


 おそらくあの人、ラピスの商人だ。

 困窮の末、精神を病んだのだろう。

 付きまとう痛みに募る焦燥、この痛みをどうにかできるなら魔法でも毒薬でも欲しい。

 そんな目をしていた。


 なんとなく気持ちがわかる。だから、責める気は起きないが失ったものは大きい。


 苦い思いを抱きながらも呼吸が落ち着いた俺は、店を閉め、準備ののち籠を縛り付け、ディディエを連れて外へ出た。

 夕暮れ時といっても子供は夜目が効くから、村の奴らには見つからないように藪の中の獣道を行く。

 繋いだ手が離れないように注意して、背の高い草木や枯草からディディエの庇うように藪を抜けた。

 ズボンをまくってデディエを背負い川を渡り、山に入った。

 仲間を呼ぶ鳥の声が響く中、痛み止めの薬草をかごに入れつつ朽ち落ちた葉の大地を踏みしめ進む。

 そうして籠がいっぱいなって、お互いの姿もぼんやりとしか見えないほど暗くなったころ、俺たちは洞窟へたどり着いた。

 腰を落とし背の低い入り口を通り過ぎると中は急に天井が高くなる。

 丸めていた背をただし、真っ暗な洞窟内を感覚に頼り突き進む。

 俺の耳に水の音がかすかに聞こえてきたところで道中拾った木々を組んで火をつけた。

 炎の光で、何も見えなかったはずのまわりが隅々まで照らし出される。


「ここは、俺の隠れ家なんだ。眠りたいときはここにきて一夜を明かす。

奥には湧き水もある」


 焚火のそば、隣り合って座り俺たちはパンをほおばった。

 カップに汲んだ水を温め茶葉を浸すと、爽やかなミントの匂いが立ち込める。


「連れまわしてごめんな。今日はご馳走作ってやるから」


 焚火で肉を焼いたり卵を焼いたりして、俺たちは初めて腹がいっぱいになるほどの食事をとった。

 一人に慣れていた俺は飢え死にしない程度のものしか食べなかった。

 母さんが病気に臥せった頃からもう、ろくな食事をとってなかった気がする。


(おいしい)


 当たり前のことを、久方ぶりに思い出す。

 ああ、やっぱりそうだ。ディディエが隣にいるだけでいつの間にか亡くしてた言葉が、心が、自分が甦る。


「ごちそうさまでした」


 心から言えたその言葉に涙が出そうだった。


 


 食後は焚火を消して手を繋ぎ、互いの体重を互いにゆだねて眠りに落ちるのを待った。

 ディディエが眠れないと言うように肩に体重をかけてじゃれてきたので、俺の話を語り聞かせた。


 俺の親はもういないこと。

 村の連中が俺を利用するから生活ができていること。

 薬のことも文字も計算も母さんが教えてくれたこと。

 父さんとディディエの名にもなった残された宝石たちのこと。

 そして


「本当はいつ死ぬかわからなくて、怖かった。

 俺はこの世にいる限り、黒髪って言う十字架を背負わなくちゃいけなくて、それが重くて、どこにもいけなくて

 いつ押しつぶされて死んでしまうかわからなかった」


 誰にも言えなかった俺のこと。

 根拠のない夢の話。


「お前はどう思う…遠くに行けば、俺たちみたいなのが普通の国ってあるのかな」


 すべてを聞き終えたころには夜遅くなっていた、だけどディディエはうつらうつらとしながらも俺にこたえるように手をぎゅっと握ってくれた。

 肯定してくれたんだろうか。

 それとも、大丈夫と言ってくれたんだろうか。

 俺は少し、欲張りになってしまったのかもしれない。もちろん無理なんてしないでくれと思う気持ちもあるけれど、どうしても声が聞きたくなった。


「ディディエのことも、聞かせてほしい」


 すやすやと寝息を立てる隣の女の子を起こさないように囁く。

 無理に言わなくてもいいという気持ちは嘘じゃない。だからこれはただの知りたいっていう俺の気持ち。


「いつかでいいんだ…いつか君の話を聞かせて」


 ありのままの言葉が今度はどうしようもなくこそばゆかった。





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