9話 きせきの追憶~邂逅~
俺にとってこれは、忌々しい呪いだった。
これさえなければよかったのに。何度そう思ったかわからない。
だけど今は何にも代えがたい奇跡だと思うんだ。
そうでなければ、きっと君にはたどり着けなかったから。
今でも俺は、変わってない。
君もきっと変わってない。
この黒髪を携えて、今君はどこにいるのだろう。
10年前
~ゴーネル王国 国境の村ニジェル~
1年前、薬師の母親が死んだ。
幸い母親は死ぬ前に俺に薬のすべてを教えてくれたので、俺は薬屋をやって生計を立てることができた。
「のどに効く薬です。食後に飲んでください」
手渡された布袋を年老いた女性は恐る恐る受け取った。
向けられた嫌悪に、同じもので返してはいけない。
「ありがとうございました」
足早に去ってゆく老婆に俺は笑顔でそう言った。
石の机に広げられたコインを掌に握りしめ裏戸から外へ出る。
母が死んでから、出入り口に簡易的な押し上げ式の扉を作った。ついでにカギをつけた。
自分が留守の間、何も起こらないように。いつもそう願いながらこの村の道を歩く。
「ジュリアスの息子だ」
「エスティーだ目を合わせるな」
大人たちは表向き笑みを浮かべ、遠巻きに冷たい視線を送る。
薬が欲しい時だけ近寄って金を渡す。
「おい見ろよ黒髪エスティーだ」
「きたねぇ死んだ烏みてぇだ」
「親父の次は母親殺しかよ死神エスティー!」
子供はまだ扱い方も知らない言葉をぶつけて、血を流す俺を見て満たされた気になっている。
石を投げたり、家を荒らしたり、だまになって殴りかかってきたり、奴らの行動はその日どれだけ大人にこき使われたかで変わる。
いじめられたから、誰かをいじめる。
この世の理不尽をごった煮したような村だった。
いつものパン屋で買い物を済ませ、無事に家に着いたと思ったら……横と縦に広がった子供がひょろがりの子供を侍らせて薬屋の看板を踏みつぶしていた。
「住民から苦情が来たんだよ。父親を殺して次は母親、その次は誰かを殺そうとしてる黒髪がいるってな」
確か、男爵のせがれだったか。ろくに算術もできない馬鹿だったはずだが、位の違いというものか、飯には困ってなさそうだ。
「俺が討伐してやるよ!行くぞお前ら!」
降りかかる火の粉は、自分で払わなければいけない。
誰も守ってなどくれないのだから。
男爵の息子には手を出さず、取り巻きの男どもをまとめて制圧した。
ビビりの貴族様は男どものくたばりようを目にし、恐れをなして逃げ出した。
「看板、またつくりなおすか」
土ぼこりを払って、割れた看板を抱え家の中に入った。
薬屋の受付の先の炉に壊れた看板をそっと置いて火を起こす。
針葉樹で作った看板はいつもの薪よりもよく燃えた。
陽が傾いてきたらしい。俺の目がじんわりと熱を帯びる。
(今日は満月か)
パンを飲み込んだ後、薬棚の中身を確認する。
痛み止めの薬草がきれている。
この季節は木こりの男たちが腰を痛めるから、痛み止めの薬がよく出る。
調達が必要だ。
もっと夜が深くなったら、この村中が眠りについたら、川向こうの森へ出かけよう。
それまでは息をひそめて、誰にも見つからないように、じっとしていよう。
炉の中の弾ける火を見ていると、つい眠気に身をゆだねてしまいそうになり怖くなった。
母さんが死んでから、まともに眠っていないような気がする。寝屋に足を踏み入れたの、いつだっけ。
燃え朽ちてゆく木を見て、あのせがれの言葉を思い出す。
『父親を殺して次は母親』
赤毛の母は病だった。気がついた時にはもうどうしようもなくて、何もできずに死んでしまった。
グレーの髪の父親は俺が生まれた時に死んだ。宝石商だった父は悪い貴族の奴とろくでもない取引をしたのだ。その呪いが子供にかかってあいつは命を取られたんだ。
村の人間はそう噂していた。
あんな奴らの言うことだ、どうせ嘘に決まってる。
父はきっと優しい人間だったはずだ。俺たちのために好みのカバンにわずかな宝石を残していた。
母親によると貴族にも売らなかった貴重なものばかりらしい。
もしもの時はこれをもってどこかへ逃げろ。それが最期の言葉だった。
「誰も殺してなんかいない」
かすれた声の独り言は誰にも届かず地に落ちた。
夜中になって、俺は腰に籠を縛り付け、音を立てないように村を抜け出した。
川近くの砂利道に来たところで、ズボンをたくし上げ膝ぐらいの深さの川を渡る。
目当ての薬草は、とある木の近くにしか生息していない。
よく見えるこの赤い目を頼りに俺は山の中へ深く深く入っていった。
籠いっぱいに摘み取り終え、俺はまた川の近くへやってきた。水に足を入れたその瞬間、奇妙なものを目にして立ち止まる。
水面に茶色の線が通っている。
それは俺の足に絡みつくように、不自然に進路を変えて、何事もなかったかのようにほどけて消える。
上流から流れてくるこの奇妙な線が何なのか、正体を突き止めるため川から足を上げ、砂利道を進んでいった。
上へ上がれば上がるほど、目が熱くなり、心臓がどくどくと音を立てた。
もうすぐだよ、そう教えているのか、早く来てと言っているのかわからなかったけれど鼓動と同じリズムで駆け上がった。
もう長いこと上り、あたりの岩が大きくとがったものになっていた。足が自然とひときわ大きな岩のもとへむいた。
その岩陰に隠れていたのは倒れていた同い年くらいの女の子だった。茶色の髪をそっとあげて、彼女の口元に指先を近づける。
(息はある)
そのことにとりあえず安堵したが、この子は意識を失ってる。処置が必要だ。
一人では運べないから大人を呼ばないと、そう思ったが川に浸かった女の子の毛先を見てその考えは消えうせた。
水に溶けだしてゆく茶色が隠していたのは、黒い髪だった。
ハッとして彼女の体をもう一度よく見る。
ぼろぼろのくすんだ赤いワンピースから覗く細い足首には、刃物の切り傷と打撲痕が刻まれていた。
新しいものと古いものが両方。
それだけで何があったかは軽く想像がついた。
傷に触れないようにそっと抱きかかえて家まで無我夢中で走った。
使ってなかった寝所に寝かせて、薬草の在庫なんて意にも介さず、一晩中彼女の傷口に処置を施していた。
(頼む……もどってこい)
一晩中、心の中でそう唱えていた。
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