動き出す運命

 すべてのものが眠りにつく丑三つ時。

 死の気配にも似た静寂を切り裂いて飛んで行く一匹の大鷲グリシャは、かすかに見える南の一等星を頼りにひたすら翼をはばたかせる。

 薄くはあるが、グリシャにも古代の血が混じっているため闇を行くのに必要最低限の視力を有している。

 夜のうちに血の国ブルートへたどり着くのができる生き物なんて早馬かグリシャかしかいないだろう。

 どんどんスピードを上げるグリシャは何かを察知して急旋回すると、あたりを探るように円を描きながら舞う。

 すると、暗い大地にポツンと明かりが浮かび上がり甲高い笛の音が夜空のグリシャまで届いた。

 スフェーンが自分を呼んでいる。いつもの合図に承知したグリシャは浮かび上がっている明かりだけを頼りに闇の中へ急降下した。

 だが、明かりまで数メートルというところでグリシャはホバリングをしてその人のもとではなくほど近い枯れ木の上にとまった。

 上から見下ろすようにその人物に鋭い眼光を向けると、その人は肩を震わせながら優雅に笑って言う。


「何から何まであなたの主人にそっくりですよ」


 主人と同じ笛を使いわざわざ自分を呼び寄せた。その怒りを隠さずグリシャは威嚇の声を思い切り浴びせた後、その人物の要求を暗に悟り、自分の足についた手紙を取り外して木の下に雑に放り投げた。

 手紙はひらひらと宙を舞い地に落ちる直前、一匹の黒蛇に捕まえられた。


「おかえり、ミラ」


 その人は慣れた様子で黒蛇を自分の左手に絡ませ、くわえられていた手紙を開くとそっとランタンのもとへ


「…現王のグリチネの青石が贋物、ですか」


 少し考えた後、その人はふっと唇に弧を描き黒蛇の頭を人差し指で撫でた。


「なんだかまぁ…ずいぶんと下手なお手紙ですが、ここだけは本当のことでしょうね。

 から見て、宝石の知識は完璧でしょうし、で魔女の石がかぎ分けられるとも考えられますし」


 ランタンのもとに色あせた書類が近づけられた。

 分厚いその見出しにはエメラダと書かれている。

 サイファーの幹部のみが持つことを許される血のブルート兵の詳細が記された書類。

 今一度目を通しつつ、彼と彼の相方にしかわからない言葉でとっておきの情報を記してゆく。


「やはり彼は面白いですね…特異体質に加え、古代の血が入っていないのに魔法が使えることも、あの姫の懐に潜り込めたというところも唯一の存在です。

 お二方とスフェーンが気にかけるのもわかりますね。

 でももっと面白いことがあります。ミラ、なんだかわかりますか?」


 黒蛇は人のように頷いてエスティーの手紙に首を向ける。


「そう、贋物の青石にすり替わったのはいつでしょうね…ラピス王宮であれが贋物だとわかってる人がいったい何人いるんでしょうね…エメラダは誰に教えてもらったんでしょうね?

 わたしが推察してもよろしいのですが、あの姫についての記述は塗りつぶされてます。

 …あぁ、残念ですエメラダ。が読みたかった」


 惜しむようにつぶやいた後に手に取ったのは真っ白の紙。

 グリシャが寄越した本国への手紙である。

 その人はペンを取り出して何も書かれていなかった手紙にさらさらと偽りを書き連ねる。


「任務は続行させていただきます。恨まないでくださいね、陛下。

 …やはり最後の内乱ですよ」


 それは10年前の惨劇。

 ラピスの王子たちが内乱に消えた。

 生き残ったのは妹であるあの姫一人。

 あの事件以来誰も寄せ付けなかったあの姫の懐にエスティーは入り込んだ、このチャンスを決してふいにしないのがこの人だった。

 蛇のように静かで強か、狙った情報は逃さない。

 また何か感じ取ったのか静観していたグリシャは突然その人が手にさげていたランタンを蹴飛ばして攻撃した。

 その意味が分かったのか、またくつくつと笑いながら怒ったグリシャに話しかける。


「危ないことはしませんよ。ちゃんと見てますから。

 ただ、エスティーの行動もあの姫の行動も何か違和感を感じます。

 そもそもなぜあの子が、王族殺しを任されたのか。

 ブルートは何をする気なのか…

 最近は考え事が尽きることがなくてとても愉快です。

 まだまだ楽しみたい、だからあの子には傷がつかないように…あなたの主人の代わりに守って差し上げますよ」


 そう言って手紙を手渡したが、グリシャはプイっとそっぽ向いて高く高く舞い上がる。


「お行き。生きていたらまた会いましょう」


 その人は慣れていたらしく、空にいるグリシャに向けて手紙を投げた。

 放物線を描いた手紙をキャッチして、灰の大鷲は再び空を行く………












 夜が明けたブルート公国では無事に手紙が届いたが、城内の空気は妙な緊張感が漂っていた。

 他のブルート兵は外で待たせ、限られた者しか知らない部屋に二人の男が入っていく。

 動きに合わせ揺れる紅いマント、軍服の胸ポケットには輝くブルート公爵家の徽章、ブーツの固い足音を鳴らして歩みゆく二人の男は、中で待っていたブルート公ルチルと机を挟んで向かい合った。

 息つく間もなくルチルは微笑を浮かべながら、手に持っていた手紙を男たちの目の前に突き付ける。


「わたしはスフェーンにエメラダの手紙を持って来いって言ったはずなのに、どうしてゴッシェが書いているんだい?」


 ルチルの言葉に男の一人は困ったように苦笑いし、また一人は眉間にしわを寄せてため息をつくなりぼそりと呟いた。


「…あの男の考えなどわかりたくもない」


 その一言だけ言うなり男は口を閉ざしたがルチルにとってはそれだけで彼の心を知るのに事足りた。

 琥珀の瞳は何を写すか…男は手紙をじっと見つめていた。

 もう一人の男はというと、懐から別の手紙をとりだして困ったように首をかしげ、ルチルと隣の男にも見えるように手紙を机の上に置く。


「どうやらスフェーンも難航中みたいです。あの国での仕事が全部うまくいってない」


 手紙には一言、まだ見つからないとだけ書いてあった。

 眼鏡をカチリと直して何かを思うように宙を仰ぎ、そのあとルチルの瞳をまっすぐ見つめる。


「何が起こってるかわからないね。ゴッシェに全部煙に巻かれたな…」


 ルチルは二人の視線を受けて、次の最善手を考える。

 赤の瞳は落ち着きなく揺れ動き、指で机をコツコツと叩く。

 男の一人が彼を見て何か気が付いたのか、固く閉ざしていた口を開いた。


「…ルチル、落ち着きなさい」


 荒れた水面もぴしゃりと鎮めるような、ある種神々しくもある低い声にルチルは一切の動きを止めて、その男の言葉に耳を傾けた。


「スフェーンに多くを任せすぎだ。私たちは手が空いている。どちらかを二人のもとへやるのがよいだろう」

「…そうだね、ありがとう」


 深呼吸して心を落ち着けると、イスに深く背を預けて、いつもの優しげな笑みを浮かべ男の一人に言った。


「じゃあ…頼めるかな?」

「はい、陛下。僕にお任せください」


 公爵様の仰せのままに。

 鼈甲シルトパットと呼ばれた男は、短い赤毛を揺らして無邪気に笑った。

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