魔法の一票


「はっ、くだらぬ戯言ざれごとを……。一票は一票、そこに貴賤きせんはない!」


 ルークが強く断じた次の瞬間――恐る恐ると言った風に手があげられる。


「あ、あのぉ……。私……やっぱりエレンくんの死刑には反対かなぁ……なんちゃって……っ」


「カステラ!? いったい何を言い出すんだ!?」


「だ、だって……相手はあの・・ヘルメスなんですよ!? 面と向かって逆らったりしたら、どんな陰湿な嫌がらせを受けるか、わからないじゃないですか……っ。下手をしたら、一族皆殺しにされるかも……ッ」


 根っからのおばあちゃんっ子である彼女は、故郷に残してきた祖母のことを思い出し、小さくカタカタと震え出す。


「あはは、ボクはそんな酷いことしないよぉ」


 ヘルメスは柔らかく微笑みながら、パタパタと手を振るが……それを見たカステラは、さらに怯えてしまう。


下種げすめ……っ。私怨しえんで国一つ滅ぼした男が、よくもまぁそんなことが言えるものだな」


「いつまでも昔を引きらず、前を向いて生きていこうよ。それにあの事件は『不慮ふりょの事故』ということで、結審が付いたじゃないか」


 ルークの鋭い視線をものともせず、ヘルメスはパンと手を打った。


「とにもかくにも、これで賛成三票・反対三票。振り出しに戻ったねぇ」


「く……っ」


 盤面が硬直したところで、今度はダウナーな雰囲気の少女が動き出す。


「ねぇヘルメス、いくら出せる?」


「んー? いくら欲しいのかな?」


「三億から考慮する」


 三本指を立てる彼女に対し、


「そうか、じゃあ五億出そう」


 ヘルメスは五本指で応えた。


「わぉ、乗った」


 少女は眼を輝かせ、華麗な転身を見せる。


「やっぱり私は反対。人道的観点から、エレンの極刑には賛成できない」


「なっ!?」


 目の前で堂々とやってのけられた買収劇、ルークはたまらず憤激ふんげきする。


「ピノ、君に魔術師としての信念はないのか!?」


「お金こそ信念」


 彼女は悪びれる様子もなく、はっきりとそう断言した。


「さて、これで賛成二票・反対四票。おやおや、いつの間にか逆転してしまったねぇ……?」


 魔術界に轟く悪名と莫大な資金により、あっという間に盤面をひっくり返したヘルメス。


 彼が老紳士に目を向け、判決を促すと同時、


「――ふざけるな!」


 ルークの怒声が、天凰てんおうに響き渡る。


「手前勝手な評価軸におぼれる根性馬鹿、保身に走り意見を翻意ほんいする臆病者、挙句の果てには自ら裏取引を持ち掛ける金の亡者……っ。魔術師のはんを示す、殲滅部隊の隊長として、恥ずかしいとは思わないのか!?」


 彼は拳を握り締め、熱く語り始める。


「冷静になって、もう一度よく考えてみろ! エレン・ヘルメスは、史上最悪の魔眼を宿しているんだぞ!? あれが街中で暴走すれば、途轍とてつもない被害が出る……っ。君たちの浅はかな判断で、多くの人々が命を落とすんだぞ! その責任をどうやって取るつもりだ!?」


 正義感に強いルークが気を吐き、話の主導権を握ろうとしたそのとき――ヘルメスがパチパチパチと乾いた拍手を送る。


「なるほどなるほど、確かにキミの言うことも一理ある。もしもエレンが暴走すれば、凄まじい大破壊が起こるだろう」


「そうだ! だから奴は、ここで確実に殺しておかねば――」


「――でも逆に、エレンが魔眼を制御し、魔王を討ち取ったら?」


「……は?」


 あまりにも突拍子もない意見に、ルークの口から間の抜けた声が漏れた。


「みんなも知っての通り、魔王はまだ滅びちゃいない。千年前の戦いで傷付き、酷く弱っているけれど……。この世界のどこかで今も息を潜めている。『復活の時』を、今か今かと待ち続けてね」


 ヘルメスはカツカツと歩きながら、まるで講義でもするかのように語る。


「『魔王の完全消滅』は、魔術師の――いや、全人類の悲願だ。そしてエレンは、魔王にとどめを刺せる唯一無二の力を秘めている。史上最悪の魔眼を以って、史上最悪の魔王を討つんだよ! ……しかし今、ルークくんの浅はかな判断で、誰もが望む最高の未来が潰れてしまうかもしれない。その責任、キミはどうやって取るのかな?」


「そ、そんなものは詭弁きべんだ……!」


「詭弁じゃないよ? だって実際にエレンは、グリオラ・ゲーテスという『魔人モドキ』を討った。報告によれば、グリオラは多量の魔人細胞を摂取し、暴走状態にあったそうだ。知っての通り、暴走状態の魔人は、只々ただただ大きな魔力の塊。エレンはそれを強引に捻じ伏せた! なんて素晴らしい! まさに魔王の喉元に届き得る力だね!」


「馬鹿を言うな! あんなものは、力と言わん! ただの暴走だ!」


「あれを暴走というには、いささか無理があるんじゃないかな? 引率の教師ダール・オーガストおよび第三魔術学園の一年生、全員の無事が確認されている。もしもエレンが本当に暴走していたのなら、こんなことは絶対に起こり得ないよね?」


 魔王の固有魔術『魔道』は、滅びに特化した力。

 それが制御なしに放たれれば、あの場にいた全員は間違いなく全滅していた。


 エレンは天才的な魔術センスを以って、初めて行使する魔王の固有魔術を完璧に制御していた――これは紛れもない事実だ。


「し、しかし……っ。奴は魔道を行使した後、気絶していたそうじゃないか! これぞまさに、自らの力をぎょし切れなかった、何よりの証拠だ!」


「それは単なる魔力欠乏症。エレンは魔術を学び始めて、まだ三か月なんだよ? 自分の限界魔力量・効率的な魔力の運用法・無駄のない術式構成、多くの魔術師にとっての当たり前を何も知らない、文字通り赤子のような状態だ。それなのに彼は、魔道を――魔王の固有魔術を完璧にコントロールしてみせた! 嗚呼ああ、凄い、本当に凄いよ……伸びしろの塊だね!」


「……っ」


 ルークが押し黙ったところで、ヘルメスは止めを刺しにいく。


「エレンを処分して、一時いちじ安寧あんねいを取るか。エレンを活かして、恒久的な平和を掴むか。ボク個人の意見を言わせてもらえば、期待値的に見ても、後者の方が大きくプラスだと思うけど?」


「ぐ……っ」


 一つ言えば、三つ返り。

 二つ言えば、五つ返る。


 ヘルメスの口は、無限に回り続けた。


「……(ルークくん、気持ちはわかるけれど、ここは退いた方がいい。奴は口から生まれてきたような男だ。弁論術で勝てる相手じゃない)」


「……ッ」


 フォレスタの忠告を受け、ルークは悔しそうに口をつぐんだ。


 それを見た老紳士は、静かに結審を下す。


「賛成二票・反対四票――被告エレン・ヘルメスを無罪といたします」


 こうして長い魔術師の歴史上初となる『終審裁判・無罪判決』が確定したのだった。

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