鉄壁【二】


 今より三十年ほど前――。

 グランレイ王国に、一人の魔術師がいた。


 男の名前はダール・オーガスト。

 弱冠じゃっかん二十歳にして、魔術教会直属『殲滅部隊』の隊長を務める、若き天才魔術師だ。


『憤怒のダール』の名は、魔術界において恐怖と憧憬どうけいの象徴だった。

 ひとたび彼が戦場に踊り出れば、まさに『一騎当千』。


灼道しゃくどうよん焦熱浄土しょうねつじょうど!」


 生来せいらいの固有魔術――灼道しゃくどうという圧倒的な破壊の力で、幾多の魔人を葬り去っていく。


「お、おい、ダール……! いくらなんでも、今のはやり過ぎだぞ!」


「さっきの魔人たちとは、まだ交渉の余地があっただろう!?」


「……行き過ぎた殺しは、すなわち『悪』だよ?」


 年上の部下たちの忠告、彼はそれを笑い飛ばした。


「がっはっはっはっ、そんなものは知らん! こいつらは人間をむさぼり食った悪しき魔人だ! 情状酌量じょうじょうしゃくりょうはもとより、交渉の余地など微塵もない! それに何より、俺の灼熱の魔力こそが、この絶対的な力こそが『正義』! 大魔たいま滅殺めっさつするのが、魔術師としての責務だろうが!」


 ダールは魔術師として正しかった。

 彼の考え方は決して間違っていなかった。

 実際そのお陰で、大勢の人たちは助かった。

 確かに多くの血は流れたが、それよりもたくさんの命が救われてきた。


 しかし、彼の正しさは、苛烈に・・・過ぎた・・・


 深くしずんだ鳥は、大きく飛び上がるが如く、強過ぎる力は、やがて大きな反発を生む。


 それは月明かりの綺麗な夜のことだった。


 魔人の大群が、ダールの屋敷を襲撃した。


「姫様のかたきぃいいいいいいいい……!」


「魔術師ダールを殺せぇええええええええ!」


 かつてダールが滅ぼした、とある魔人の残党たちが、忠義の心と憎悪のともしびを燃やし、決死の夜討やうちを仕掛けてきたのだ。


「はっ、害虫ごみどもめが……。まとめて返り討ちにしてくれる!」


 寝込みを襲ったところで、ダールの強さに変わりはない。


「灼道のろく閃熱地獄せんねつじごく!」


「「「ぐぁあああああああああ!?」」」


 灼熱の大魔力がほとばり、多くの魔人が燃えていく。


 しかし――ここは戦場ではない。

 この屋敷には、ダールの守るべきものがいた。


「きゃぁ!?」


 ダールが灼熱と時を同じくして、女性の悲鳴があがる。


「す、すまん……大丈夫か!?」


「は、はい……っ」


 この家には今、ダールの最愛の妻ローレット・オーガストがいるのだ。

 彼女はそれなりに優秀な魔術師だが、今は妊娠八か月目――激しい戦闘など、もってのほかだ。


「し、しばしの間、奥の隠し部屋に隠れていろ! この俺が、すぐに終わらせてくる……!」


 ダールはそう言って、彼女を送り出した。


 灼熱の力は、守りに向かない。

 これまで守る力を磨いてこなかった彼は、最愛の妻の隠れる部屋に、結界の一つも掛けてやれなかった。


 その後、どれぐらいの時間が経っただろうか。


「こ、の……化物、が……ッ」


 閃熱せんねつの刃が肉を断ち、最後の魔人が燃え尽きた。


「はぁはぁはぁ……っ。さすがに百体は……多いである、な……ッ」


 ダールは重たい体を引きずり、大急ぎで妻の元へ向かう。


「ローレット、ローレット! 無事、か……?」


 扉を開けるとそこには――腹部を貫かれた、ローレット・オーガストの姿があった。


「……嘘、だろ……?」


 ダールが激しい戦闘に身を投じている最中、とある魔人がこの隠し部屋を発見し、ローレットを襲撃。

 彼女は必死に応戦するも、同士討ちとなってしまったのだ。


「こ、こんなこと、あるわけが……ッ」


 眼を疑った。

 まるで時が止まったかのような錯覚を覚えた。


 そんな中、


「……ダー、る……?」


 ローレットのかすれた小声が響いた。


「……!」


 ダールはすぐさま駆け寄り、優しく声を掛ける。


「よくぞ、生きていた、ローレット! だ、大丈夫だ! 俺は超天才魔術師だからな! こんな傷、すぐに治してやるぞ!」


 彼は言うが早いか、すぐさま回復魔術を展開。


「――白道の三十五・快癒かいゆひかり!」


 しかし――せっかく構築した術式は、すぐに論理破綻を起こし、霧のように消えていく。


「ぐ……っ」


 ダールの魔術適性は赤道と灼道。

 白道は最も苦手とするところであるうえ、彼はその基礎的な修業をおこたっていた。


「……ごめんな、さぃ……。お腹の子ども、守れなかっ……た……ッ」


 ローレットの朧気おぼろげな瞳から、一筋の涙が流れ落ちる。


「な、何を言っているんだ! 大丈夫、二人とも助けるって言っただろう? 俺の知り合いに、凄腕の医者がいる! 天才的な白道使いだ! ただでさえ扱いの難しいとされる回復魔術、その六十番台をなんと無詠唱で使えるんだぞ!?」


 なんとか元気付けようと、明るい話を絞り出すが……現実は何一つとして変わらない。


 彼女の腹部からは、鮮血が止めなく溢れ出し、その瞳からは生気が抜けていく。


(……血が、止まらない……。くそっ、いったいどうすれば……!?)


 自分は白道の回復魔術をろくに使えない。

 このまま病院へ運んだとして、到底間に合うはずもない。


 ダールが答えのない問題に頭を悩ませていると、


「……ありが、とう……。あなたのこと、ずっと、ずっと……愛していまし……た……」


 ローレットは最後に一度だけ柔らかく微笑み、それっきり動かなくなってしまった。


「ろー、れっと……?」


 名前を呼ぶが、返事はない。


「お、おい、ローレット! 意識をしっかりと持て! 大丈夫、助かるから! 絶対に俺がなんとしてやるから!」


 肩を揺すれども、返事はない。


 彼女の心臓はもう、鼓動を止めていた。


「……ぉ、お……ぉおおおおお゛お゛お゛お゛……ッ」


 夜の闇に男の悲痛な慟哭どうこくが響く。


「……何故、だ……何故なんだ……っ」


 どれだけ魔力をたぎらせようとも、出てくるのは灼熱の業火――無意味で空虚な破壊の力のみ。


 時間はあった。

 白道を学び、回復魔術を修めるだけの時間など、いくらでもあった。


 しかし、それをしなかった。

 この灼熱の力があれば、全てそれで事足りると胡坐あぐらを掻いてしまったのだ。


 彼は自身の怠慢を悔い、自身の驕りを憎み、自身の無力を呪った。


「……神よ、お願いだ。もうこんな破壊の力などいらん。この命だってくれてやる! だから、頼む……頼むよ……。最愛の家族なんだ……ッ」


 膝を折り、こうべを垂れ、生まれて初めて神に祈った。

 大粒の涙をボロボロと流し、ひたすら天に願いうた。


 そのとき――屋敷の裏手にある森から、若い男女が歩いてきた。


「あ゛ー……くそっ、なんでこんな金にならねぇ仕事、このあたしが引き受けなきゃならんのか……」


「あはは。金の亡者っぷりは、相も変わらずだねぇ」


 見るからに気の強そうな女とクラウンメイクを施した道化師の男。

 どこか浮世離れした雰囲気を放つ二人組は、泣き崩れるダールと血塗ちまみれのローレットを発見した。


「んー……? おやおや、これは酷い状態だねぇ」


「……魔族の襲撃に遭ったのか」


「ねぇレメ。なんか可哀想だし、治してあげたら?」


「はぁ……お前のその無駄な博愛主義はなんなんだ? 中は腐り尽くしているくせに……」


「あはぁ、誉め言葉として受け取っておくよ」


 二人の会話の中、ダールの耳に届いたのは、『望外ぼうがいの可能性』。


「な、治せるのか!? 妻を……この状態を治せるというのか!?」


「うん、任せておくれ。彼女なら朝飯前だ」


「おいこら糞ピエロ、てめぇ何勝手に安請やすうけ合いしてんだ?」


「そう怒らないでよ。お金なら、後でちゃんとボクが全額支払うからさ。……でも、そんなことを言いながらも、どうせ治してあげるつもりだったんでしょ?」


 旧友きゅうゆうの見透かしたような口ぶりに苛立ちつつも、図星を突かれただけに言い返すことができない。


「うっせぇボケが! 深夜料金だ、三割増しで請求すっからな! ――白道の九十七・天巣回帰てんそうかいき


 乱雑に唱えられたその魔術は、奇跡の九十番台。

 本来これは、神殿で大儀式を構え、優秀な魔術師を多数揃え、年単位の長い時間を掛けて、ようやくなんとか行使する神の奇跡。


 彼女はそれを気軽に無詠唱で発動してみせた。

 天より舞い落ちる幾億の術式、それらは複雑に絡み合い、神秘的な回復魔術がりなされていく。


(な、なんという、魔術技能だ……ッ)


 ダールが息を呑んでいる間にも、ローレットの顔色はみるみるうちに生気を取り戻していき、すーっすーっという規則的な呼吸音が聞こえてきた。


「ほれ、治療終わり。まだ意識は戻っちゃねぇが、そのうち目を覚ますだろ。あ゛ー……後あれだ。腹ん中のガキも、ついでに治しといたぞ」


「お、おぉ……おぉおおおお……ッ」


 もはや言葉にならなかった。


「――ありがとう、本当にありがとう……ッ」


 何度も何度も床に頭をぶつけ、ひたすらに感謝の言葉を繰り返す。


「気にすんな。サービス料も含めて、金はこの腹黒ピエロから、たんまりとふんだくるからな」


 女がそう言って、視線をチラリと横へ向けると、


「ん゛ーっ。やっぱり君の白道は、いつ見ても本当に美しいねぇ……ッ」


 道化師の男は、恍惚こうこつとした表情を浮かべていた。


「お前……可哀想だなんだと抜かしていたけど……。実際はただ、あたしの魔術が見たかっただけだろ?」


「うん」


「……はぁ、もういい。何百年経っても、そういうところだけは、なんにも変わらねぇな……」


 女は大きくため息をついた後、クルリと振り返った。


「――あんた、『憤怒のダール』だろ?」


「お、俺のことを知っているのか……?」


「風の噂でな。……まぁ、あんたは確かに強い。これだけの魔人を一人でり切るなんざ、中々そうできることじゃねぇ。――だがな、ただ強ぇだけじゃ救えねぇぜ? 大切なものを守りたかったら、『守る強さ』を身に付けろ」


「守る強さ……。ど、どうすればいい? 俺はどうすれば、あんたのような『本物の魔術師』になれる!?」


「知るか馬鹿。自分で考えろ」


 容赦なく斬り捨てた直後、道化師の男がうなり声をあげる。


「んー、そうだなぁ……。まず君は雰囲気がとても怖いから、もっと体を丸くすべきだね。後は……言葉遣いも柔らかくしてみたらどうかな? 『である』口調とか、けっこういいと思うよ?」


「てめぇは黙っとけ! ちっ……あれだ、白道を学べ。最低限、自分の大切なものを守れるだけの力を身に付けろ。まずはそっからだ」


「……白道……」


 ダールがポツリと呟いた後、謎の男女はクリルときびすを返す。


「――そんで話を戻すが、『例の眼』はどこにあんだ?」


「さぁ? それを今から探すんだよ」


「てめっ、このペテン師野郎! 『見つけた』っつって、呼び出したよなぁ!?」


「あれぇ、そうだったっけ?」


 二人は何やら奇妙な会話を交わしながら、夜闇の中に消えていった。


 ダールの人生において、最も壮絶で過酷な一夜が明けた次の日――魔術教会に激震が走った。


「お、おい……待てよ、ダール! 殲滅部隊を辞めるって、本気で言っているのか!?」


「一から白道を学び直すぅ!? そりゃいったいなんの冗談だ!?」


「だ、『第三の教師』ぃ!? お前が!? なんでまた!?」


 灼熱という破壊の力におぼれ、本当の強さを見失った、愚かな魔術師は死んだ。


「俺は……否。吾輩は全てを守る白魔術師――『鉄壁』のダールである!」


 そして新たに、おの憤怒ふんぬを捨て去った、心優しい魔術師が生まれたのだった。



 グリオラとダールの大魔術が激突し、凄まじい破壊が辺り一帯を蹂躙じゅうりんする中、


「……え?」


「何が、起こった……?」


「……私、生きて、る……?」


 いくつもの声が上がり、土煙が晴れるとそこには――背中に幾多の白刃を突き立てた、血染めのダールの姿があった。


「……なんで、だよ……っ。どうして攻撃をやめた、ダールゥウウウウ!?」


 グリオラの慟哭が、千年樹林に木霊する。


「せ、先生……っ」


「俺たちを、守って……ッ」


 死を覚悟していた生徒たちは、ボロボロと大粒の涙を零した。


「……皆、無事のようで……何よりで、ある……っ」


 ダールは口の端から血を垂らし、ニコリと笑ってみせる。


(ダール先生……っ)


 魔眼を持つエレンだけが、この中で唯一、ダールの断固たる覚悟を――魔術師としての矜持きょうじを全てはっきりと見ていた。


 彼は絶死ぜっしの白銀が迫る中、日輪轟来にちりんごうらいを解除。

 自身の最も苦手とする広域防御魔術――『白道の八十五・円環障壁えんかんしょうへき』を展開。

 その命をして、生徒たちを守り抜いたのだ。


「はぁ……そうか、結局お前もそう・・なのか……。失望したぞ、ダール。お前という男は、最後の最後で本当に……弱い・・。『真の強さ』というものを、どうしようもなく履き違えている。哀れ、救いようがないほどの半端者だ」


 侮蔑と呆れ――グリオラの瞳は、どこまでも冷め切っていた。


「こ、この卑怯者め……!」


「一対一の勝負なら、ダール先生が絶対に勝っていた!」


「弱いのは、お前の方だ!」


 生徒たちの口撃こうげきに対し、グリオラは呆れたように肩を竦める。


「ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー、うるせぇ烏合うごうだな……。いいか、その節穴をかっぽじってよぅく聴け。てめぇらのような弱者がいるから、ダールはこんな弱ぇ男になっちまったんだ。……やっぱりこの世界はおかしい。『正しい秩序』に欠けている……っ。『真の強さ』とはなんなのか、誰もわかっていない……ッ。そうだ、弱者は……間引まびかなくてはいけないんだ」


 グリオラはそう言うと、懐から紫色の果実を取り出し――むさぼり食い始めた。

 それと同時、彼の全身に凄まじい魔力が溢れ出す。

 大量の魔人細胞を取り込むことで、完全回復を果たしたうえ、さらに広大な力を身に付けたのだ。 


 そして――。


「――刃道じんどうろく王銀おうぎん


 超巨大な白銀のつるぎが一振り、フワリと空中に浮かび上がった。

 それは万象一切を貫く、単体殲滅魔術。

 その内部には、街一つ消し去るほどの大魔力が秘められている。


「よく見ておけよ、ダール。これがお前の弱さが生み出した、くだらねぇ結末だ」


「……皆、逃げるので、ある……っ」


 そうは言うものの、逃げ場などもう、どこにもない。


「――さらばだ、弱き親友ともよ」


 グリオラが腕を振ると同時、極大の長剣ちょうけんが解き放たれた。


「……終わっ、た……」


「こんなのどう足掻いても無理よ……」


 ゼノとアリアが――否、この場にいる全員が絶望に暮れる中、


「……すみません、ヘルメスさん。約束、守れませんでした」


 特殊なレンズが空を舞い、紅の瞳があらわになる。


「――白道の一・せん


 次の瞬間、漆黒の大閃光は、グリオラの王銀おうぎんを蹴散らし、彼の胴体に風穴を穿うがった。


「……ぁ……?」


 困惑は一瞬、


「ぐ、がぁああああああああ……!?」


 焼け焦げるような痛みが、彼の胸部を駆け巡る。


「ば、馬鹿……エレン、お前……っ」


「キミ、こんな大衆面前で……正気なの!?」


 ゼノとアリアが混乱する中、エレンは大きく前に踏み出す。


「――ダール先生は弱くない」


 その一歩は猛毒となりて、大地を殺し尽くす。


「自分の命をかえりみず、俺たちを守ってくれたんだ」


 その魔力は呪いとなりて、天空を殺し尽くす。


「お前の掲げる『真の強さ』なんか、ダールさんの『本当の強さ』の足元にも及ばない……!」


 その瞳は絶対の死となりて、あまねく一切を殺し尽くす。


 千年前、世界中を恐怖のどん底に陥れた『史上最悪の魔眼』が、遥か悠久の時を超えて今再び、その『真の力』を解き放つ。

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