鉄壁【一】


 ダールの濃密な存在感が戦場を支配する中、前方の土煙つちけむりが勢いよく弾け飛んだ。


「くははっ! こりゃ・・・なんの・・・因果・・だァ・・? いいぜ、いいぜぇ……最高に面白くなって来やがった!」


 仮面は瞳に憎悪をたぎらせ、莫大な魔力を解き放つ。


緑道りょくどうの八十一・轟龍樹誕ごうりゅうじゅたん!」


 次の瞬間、彼の背後にある大地が、うなり声をあげてせり上がり――超巨大な轟龍ごうりゅうと化した。


「で、デカいッ!?」


「なんて規模の魔術だ……っ」


「この仮面、本当に何者なの!?」


 エレン・ゼノ・アリアが目を見開く中、


「白道の八十四・金剛阿修羅こんごうあしゅら


 ダールの背後に巨大な金剛阿修羅が浮かび上がり――慈愛じあいの高速剛打ごうだを以って、迫り来る轟龍を木端微塵こっぱみじんに叩き潰した。


 まるで天変地異のような魔術合戦は、遥か遠方からも視認される。


「お、おいおい、いったい何が起きてんだ……!?」


「あっち! ダール先生が戦っているわ!」


「鉄壁のダールとやり合うなんて、いったいどこの馬鹿野郎だ!?」


 千年樹林の各所に散っていた他の生徒たちが、ぞろぞろと集まってきた。


 轟龍と金剛阿修羅が消え、激しい衝撃波が吹き荒れる中


「――そぉらァ゛!」


 仮面が持ち前の機動力を活かし、接近戦を仕掛けた。


「むっ!?」


「内臓、いただきィ……!」


 輝く一対の双刃が、ダールの腹部に突き立てられた瞬間――白銀は粉々に砕け散る。


「な、ぜ……!?」


「吾輩が本気で固めた魔力障壁、そのようななまくらでは通らぬ」


 次の瞬間、分厚い魔力に包まれた掌底が、仮面のはなぱしらを撃ち抜く。


「ぱラッ!? ぁ、ゴ、が……っ」


 彼は何度も地面に体をバウンドさせながら、遥か後方へ吹き飛んでいく。


「す、凄い……。あれだけ強かった仮面が、手も足も出ていないなんて……っ」


「けっ……。ムカつくが、噂通りの化物っぷりだな……」


「これがグランレイ王国の『鉄壁』ダール・オーガスト……」


 エレン・ゼノ・アリアは、ダールの絶対的な強さに舌を巻く。


 そんな中、


「はぁはぁ、やっぱてめぇは強ぇなァ……っ。この絶望的な力の差……あの頃から全く埋まらねぇ……。ほんと、虚しくなるぜ……ッ」


 仮面は荒々しい息を吐きながら、ゆっくりと戦場に戻ってきた。


「貴様……吾輩のことを知っているのであるか?」


「『知っている』? おいおい、悲しいことを言うじゃねぇか……。かつて共に魔術を学んだ『大親友』のこと、まさかもう忘れちまったのか?」


 白い仮面が音を立てて砕けていき、その素顔があらわになる。


 ハイライトのないにごった瞳に綺麗にスッと通った鼻筋。

 口の端の斬り傷と右の目元の古い火傷痕やけどあとが、よく目立っていた。


「そん、な……馬鹿な……ッ」


 仮面の正体を目にしたダールは、驚愕に言葉を失う。


「先生、この男のことを知っているんですか……?」


 エレンの問い掛けに対し、ダールは深く重く頷いた。


「……こやつの名はグリオラ・ゲーテス。吾輩のかつての親友ともであり、三十年前、この手で焼き殺した元A級魔術師である……ッ」


「や、焼き殺したって……っ」


 アリアが息を呑む中、


「……かつてグリオラは魔術教会の禁書庫を漁り、『最重要機密』を持ち出したうえ、ばんをしていた十人の魔術師なかま惨殺ざんさつ。とある魔族が治める国へ亡命を試みた。当時『殲滅部隊』を率いていた吾輩は、教会上層部の命を受け――こやつを処分したのである」


 ダールは事件のあらましを端的に語り、それ以上のことは深く話そうとしなかった。


「……グリオラよ。貴様はあのとき、確かに吾輩が焼き殺したはず……。いったい何故、生きているのだ……?」


「確かにあのとき、俺はこっぴどく負けた。てめぇの『灼熱』に焼かれ、骨の髄まで焦がされた。そうして命の水が尽きようかというそのとき、どうせ死ぬならばと思って、一か八かでこいつ・・・を食ったんだ」


 グリオラはそう言いながら、ローブのジッパーを下ろし、上半身をさらけ出す。


 そこには――ドクンドクンと強い鼓動を刻む、紫色の心臓があった。


「それはまさか……『魔人細胞』!? グリオラ、そこまで堕ちたのであるか……ッ」


 魔人細胞を食し、その因子と適合できれば――魔術師は魔人になれる。

 これは魔人化と呼ばれる現象であり、魔術師にとって最大の禁忌きんきの一つだ。


「ははっ、これも成り行きさ。俺が魔人細胞を選び、魔人細胞が俺を選んだ。ただ、それだけの話だ」


 グリオラはローブを着直きなおした後、懐からとある『ブツ』を取り出した。


「――なぁダール、お前も『魔人』にならないか?」


 投げ出されたのは、紫色のうごめく果実。


「これを食えば、魔人になれるんだ。もちろん、因子に適合できなければ、ただ無駄死にするだけだが……。お前の強靭な肉体ならば、なんの問題もないだろう」


 グリオラは晴れやかな笑みを称えながら、嬉々として話を続ける。


「魔人はいいぞ? 老化もなければ、寿命もない! 永遠に強く若いままでいられるんだ! さぁダール、魔人になれ! そしてもう一度、俺と一緒にやり直そう! 今までのことは、全て水に流してやる! またあの頃のように、俺と共に『新たな秩序』を作ろう!」


「……道はたがった、もはや元の鞘には納まらぬ。それに何より――貴様の理想とする世界には、あまりにも『死』が多過ぎる。吾輩はもう血の道を抜けたのだ」


「はっ。『憤怒』のダールが、今更綺麗ごと抜かすんじゃねぇよ」


「その二つ名は、とうの昔に捨てたのである」


 かたくなに考えを変えようとしないダールに対し、グリオラは怒りをにじませる。


「馬鹿が、人のごうは、そう簡単に変わらねぇよ! お前の腹の底には、今も憤怒が渦巻いている! どうしようもねぇ破壊衝動がなァ!」


「……」


「いいぜ。今から俺が、てめぇの本性を解き放ってやるよォ!」


 グリオラの全身から、不気味な魔力がき上がる。


「よぉく見ておけよォ? これが魔人となり、生まれ変わった俺の力だ……! 刃道じんどういち羅生斬らしょうざん!」


 白銀の斬撃が凄まじい勢いで空を駆け、


「これ、は……!? 白道の七十三・皇城塞門おうじょうさいもん!」


 そびえ立つ巨大な城塞がそれを防御する。


 しかし、


「はっ、甘ぇぞォ!」


「ぬぉっ!?」


 グリオラの放った斬撃は、ダールの防御魔術を打ち破り、彼の肩口に深い太刀傷を刻み付けた。


刃道じんどう、『固有魔術』……っ。なるほど、それが魔人化の恩恵であるか……ッ)


 魔術の基本は『六道ろくどう』。

 しかし、その外に位置する番外の力――固有魔術というものがある。

 これは血統・地縁・才覚といった先天的な要素が大きく、努力や根性で身に付くものではない。

 ただし、極一部の例外事項――例えば魔人化などによる生まれ変わりを経て、後天的に会得することも可能であり、グリオラの場合はまさにこれだ。


「さぁ、早く本気を出せ、ダール! あの頃のてめぇを呼び起こせ! その腑抜ふぬけた白道を見ていると、吐き気がするんだよ!」


「ふぅー……。この力は好かぬが……やむを得まい」


 ダールは長く息を吐き、その白髪はくはつきあげた。


「――灼道しゃくどういち煉獄憑依れんごくひょうえ


 次の瞬間、彼の固有魔術が展開――灼熱の獄炎が噴き上がり、その全身を紅く包み込んだ。

 目が痛くなるほどの熱量、肌を突き刺すような大魔力、文字通り桁違いの存在感を放っている。


「さて……これより先は、地獄であるぞ?」


「そんなもん、今まで何度も見てきたぜ」


 その後の戦いは、真実熾烈しれつを極めた。


「ぬぉおおおおお゛お゛お゛お゛……!」


「ハァアアアアア゛ア゛ア゛ア゛……!」


 互いの魔術を尽くした、激しくも美しい殺し合い。


灼道しゃくどうさん下下焦炎刃かかしょうえんじん!」


刃道じんどう銀零斬ぎんれいざん!」


 灼熱と白銀が幾度となく衝突し、鮮血と魔力が千年樹林を彩っていく。


 それからどれぐらいの時間が経っただろうか。


「はぁはぁ……。さすがだ、ダール……っ。魔人の力を以ってしても、まだ届かねぇ……ッ。は、ははは……やっぱりお前は凄ぇよ……」


 満身創痍のグリオラは、どこか清々しい顔をしていた。


「ふぅー……っ」


 一方のダールは数多の太刀傷を負っているが、どれも命には至らぬ軽傷、『肉の宮』はいまだに健在。


 戦いの趨勢すうせいは、既に決した。


 三十年前に置いてきた課題を、彼は今、ようやく終わらせる。


「……さらばだ、我が親友ともよ。せめて痛みなくめっしよう。――灼道しゃくどうじゅう日輪轟来にちりんごうらい


 凄まじい魔力が吹き荒び、天空に大炎球が浮かび上がる。

 それは万象を焼き焦がす灼熱の一撃。

 まともに食らえば、細胞のひとかけらさえ残らないだろう。


「は、はは……。さすがにそいつはやべぇな……ッ」


 グリオラの背中に冷たいものが走った。


「はぁー……長かったなァ……ここが終着点、か。……そんじゃ俺も、最後に手向たむけを送ってやるよ。――刃道じんどうしち天千銀掃てんせんぎんそう


 天に浮かぶは、白銀の千刃せんじん


 その一本一本に極大の魔力が込められた、『超広域殲滅魔術』。


 彼はその照準を――静かにこの戦いを見守る、王立第三魔術学園の生徒たちへ向けた。


「な、何を……!? これは吾輩と貴様の戦いである! 生徒たちは関係ない!」


「よく聞け、ダール。『鉄壁』という腑抜けたを捨て、『憤怒』という生来のしんを取れ。これは餞別せんべつ、古い友人からの最後の忠告だ」


「き、貴様ァ゛……ッ」


 己が憤怒を以って、グリオラを殺すか。

 己が鉄壁を以って、生徒を守り抜くか。


 究極の選択を強いられたダールは、かつてないほどに思考を巡らせていく。


 今ここで日輪轟来にちりんごうらいを解き放てば、確実にグリオラをほふれる。

 しかしその場合、愛する生徒たちは、間違いなく皆殺しにされてしまう。


 今ここで広域防御魔術を展開したとして、天千銀掃てんせんぎんそうを防ぐことはできない。

 しかもこの場合、自分は戦闘不能になるほどの大ダメージを負い、生徒を守り切れる保証もなく、グリオラの脅威は健在。


 ダールの魔術適性は赤道と灼道――この二属性は、白道との相性が最も悪い。

 実際に彼が一番苦手とする魔術は、何を隠そう白道である。


(どう、する……ッ)


 リスクとリターン。

 魔術師としての自分と教師としての自分。

 ありとあらゆることを噛み締め――重い決断を下す。


「……万死ばんしもって、大魔たいまめっす。学生とはいえ魔術師、この道を選んだ覚悟はあろう。……許せ」


 ダールは短くび――憤怒の道を選んだ。


 魔術師としては、それこそが正解ただしい

 彼が責められる道理は、どこにもない。


「ははっ、そうだ! それでいい! 結局、お前の本質は破壊だ! 親友も生徒も妻も息子も、全てを焼き尽くす! それでこそ、お前だ! 俺たち殲滅部隊の憧れた『憤怒のダール』だァ!」


 グリオラは叫び、己が魔力を研ぎ澄ませていく。


「さぁ、俺を燃やし尽くせ! 愛すべき者を全て失え! そしてあの頃のお前に戻るんだ! 刃道じんどうしち天千銀掃てんせんぎんそうッ!」


 超広域殲滅魔術が展開され、『死の白銀』が一斉に生徒たちへ牙をく。


 その直後、


「――灼道しゃくどうじゅう日輪轟来にちりんごうらい!」


 全てを焼き尽くす大炎球が、途轍もない輝きを放つ。


(皆の衆、すまぬ……っ。だが、グリオラだけは、ここで確実に仕留める……!)


 瞬間、ダールの脳裏をよぎったのは、生涯忘れることのない『あの記憶』――。

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