魔力


 エレンと仮面の視線がぶつかり――両者の姿が煙のように消えた。


「フッ!」


「はっはァ゛!」


 交錯こうさくは一瞬。

 黒と白銀が幾多のせんを描き、その軌跡きせきに沿って、あかい火花が咲き乱れる。


「いいぞいいぞォ! 近接もこなせる探知型! そういう常道から外れた型イレギュラータイプ、嫌いじゃねぇ、ぜッ!」


 繰り出されるは鋭い上段蹴り。


「お気に召して何よりだ、よッ!」


 エレンはそれをバックスウェイで回避、戻りの勢いを利用して、黒剣こっけんを大地に突き立てた。


「――え、ふくろう!」


 瞬間、仮面の足元から、大口を開けた汚泥おでいが噴出。


「おーおー。癖の強い梟をよくもまぁそこまで手懐てなずけたもんだ」


 彼は二度三度と跳び下がりながら、両手をパンと打ち合わせる。


「緑道の七十四・亜樹林あじゅりん解根かいこん!」


 先端の尖った巨大な木の根が地面から立ち昇り、エレン目掛けて一斉に殺到する。


「くっ、白道の十八・天蜘蛛糸あまのくもいと!」


 彼は周囲に粘着性の白糸しらいとを飛ばし、そびえ立つ大木に接着――それらを一気に手繰たぐり寄せ、迫り来る木の根と相殺そうさいさせた。


「ほぉ、この自然環境を利用したか! 面白ぇことを考えんなァ!」


 仮面は感心したように笑いながらも、攻撃の手を緩めない。


「さてさて、そんじゃこいつはどう凌ぐ? 青道の七十九・瀑雹天臨ばくひょうてんりん!」


 次の瞬間、頭上を覆い尽くすは、岩のような大量の氷塊。


「そぉら、踊れェ!」


 仮面が指を弾くと同時――遥か上空で風の爆発が起こり、砕け散った大量の氷塊が、凄まじい速度で降り注ぐ。


「これ、は……ッ」


 史上最悪の魔眼は、魔力を『色』で見分ける。


 エレンの瞳が捉えたのは、視界一面に広がる『黄色』。

 黄色は危険地帯。

 すなわち現状――逃げ場なし。


「青道の十九・水衣みずごろも!」


 エレンは全身に水の衣をまとった後、吹きすさぶ氷塊を迎撃。

 ときに斬り、ときにかわし、ときに受け流し――研ぎ澄まされた体術と唯一無二の瞳力どうりょくを以って、なんとか凌いでいく。


 だが、


(さすがに数が多過ぎるぞ……っ)


 高速かつ不規則に降り注ぐ氷塊。

 それら全てを完璧に回避することは難しく……。


「……ッ」


 手や足・肩口や頬にいくつかの裂傷を負ってしまう。

 ただそれでも、致命に至るものはなく、七十番台後半の青道をほとんどその身一つで凌ぎ切った。


(魔術の規模が違い過ぎる……っ。このままじゃジリ貧だ……ッ)


 仮面の繰り出す魔術はどれも七十番台、一つ一つが文字通りの『必殺』。

 ほんのわずかな気の緩みが、まばたき一つが死に直結してしまう。


 しかも、それだけじゃない。


「――余所見よそみしてんじゃねぇぞォ!」


 大魔術を行使した後、次の攻撃までに生まれるはずの『溜めの時間』。

 仮面はその隙間すきまを埋めるように、白銀の剣閃を詰めてくるのだ。


 強力な魔術が雨のように飛び、激しい剣戟が火花を散らす中、


(くそが、戦闘の展開が速過ぎんだろ……っ)


(これじゃ、補助魔術で援護することもできない……ッ)


 ゼノとアリアは、ひたすら歯痒はがゆい思いをしていた。


 今ここで援護魔術を放てば、エレンの神懸かみがかった回避の邪魔になるかもしれない。

『全てを見切る魔眼』を持たない二人は、ジワリジワリと削られていく仲間エレンの姿を、ただ眺めていることしかできなかった。


 その後も激しい戦いは続くが……。


 攻め立てる仮面と防御一辺倒のエレン、その構図に変わりはない。


「はっはァ! いい感じに温まって来たぜェ……!」


 仮面の速度はさらに増していき、エレンの鮮血が大地をいろどる中、


(……十二万三千八百二十一、十四万七千九百八十三、十八万二千六百五十四……)


 彼の左眼は、『別の次元』を見つめていた。


「――黄道の十四・雷閃らいせん


「おいおい、どこ撃ってんだ? そろそろ限界かァ!?」


 仮面は稲光いなびかりを容易く回避し、お返しに鋭い蹴撃しゅうげきを見舞う。


 エレンはそれをギリギリで避けながら、先ほど放った『雷閃の結果』を分析していく。


(うん、やっぱりあそこは違うな。……二十万飛んで、三十万千二百三十九、三十四万五千七百二十一……)


 激しい戦闘の最中にもかかわらず、どこか上の空――超然とした雰囲気を放つ彼に対し、仮面は苛立ちを募らせていく。


「……ガキが……舐めてんじゃねぇぞォ!」


 目にも留まらぬ剣閃が空を断ち、エレンの肩口にくれないが咲いた。


 しかしそれでも、彼の表情は微塵も揺るがない。


 その後、幾多の死線を潜り抜け、白銀の剣閃を超えた先――。


「――視つけた」


 複雑怪奇の術式の中、赤く輝く『致死点』を発見した。

 これを魔力で貫けば、術式破却じゅつしきはきゃくが成立し、不知御領しらずごりょうは崩壊。

 異変を感知したダールが、すぐにこの場へ駆け付けることだろう。


 そう、この戦いには『特殊勝利条件』があったのだ。


 ここに来てようやく、エレンの狙いに気付いたゼノとアリアは、思わず体を震わせる。


(あ、あの野郎……っ。一つでも判断をミスれば即死の状況で、術式の矛盾点を探していたのか!? どれだけ図太ずぶてぇ神経をしていやがんだ……ッ) 


(……凄い。私と戦ったときよりも、遥かに魔眼を使いこなしている……!)


 しかし――。


「ほぉ……なるほどなァ、ようやく合点がてんがいったぜ。――術式破却だろ? 確かにお前なら、やりかねないな」


 仮面は見透かしたように笑い、空中に人差し指を走らせた。


「でも残念、そいつは通らんぜ」


 次の瞬間、魔術の起点はそのままに、術式構成が目まぐるしい速度で組み替えられていく。


「「なっ!?」」


 これではとてもじゃないが、術式破却を成立させることはできない。


「いやしかし……お前、マジで凄ぇよ。純粋に尊敬する。あの高速戦闘の最中、よく不知御領しらずごりょうの中心部――その矛盾点を見つけ出した。ここまで探知を極めた術師は、うちの組織にもいねェな」


 仮面からこぼれたのは、心の底からの賞賛。


「それはどうも。ただ……勝ちを確信するには、ちょっと早いんじゃないか?」


「……あ? どういう意味だ」


「だって俺の『本命』は――こっち・・・だからな!」


 彼は大きく息を吐き、とある魔術を発動する。


「――黒道の三十・崩珠ほうじゅ!」


 次の瞬間、エレンの大魔力が、不知御領の中心部分へ注ぎ込まれていく。


 これは大聖堂でヘルメスから学んだ術式。

 魔術の中心部分に膨大な魔力いぶつを注ぎ込み、内部崩壊を起こさせるという只々ただただ純粋な『力業』だ。


「……ぷっ、くははははっ! この俺と『魔力勝負』? 正気かァ?」


 仮面は嘲笑わらった。


 崩珠とは詰まるところ、『術式破壊』と『術式保護』――両者の魔力の押し相撲。

 これに勝った方が、自らの意を為すことができるのだ。


 そして――仮面の特異な体には、異なる・・・二種類の魔力・・・・・・が流れている。


 すなわちこの勝負、最初から一対二という不条理。


(『二つの魔力タンク』を持つ俺と……魔力勝負だァ?)


 そのあまりにも愚かな判断を、彼は高らかにわらいあげたのだ。


「いいぜェ、相手になってやるよ……!」 


 仮面は赤子の手を捻るような気持ちで、エレンの最後の希望を握り潰すつもりで、不知御領しらずごりょうに莫大な魔力を送り込んだ。


 その直後、仮面が幻視したものは――深淵。


「……あ゛?」


 黒く、くらく、深く――まるで底の見えない、エレンのおぞましい大魔力。


(なん、だ……これ・・は……ッ!?)


 心臓を鷲掴みされたような恐怖が、全身を駆け抜けた次の瞬間――不知御領しらずごりょうは完全崩壊。

 不可知ふかち領域は、音を立てて砕け散った。


「……おいおぃ、さすがに笑えねぇよ」


 刹那せつな、仮面の奥から、本気の殺気が溢れ出す。


 先ほどまでは、ちょっとした『興味』だった。

 面白い術師を見つけたから、適当に遊んで、なぶり殺しにしてやろう。

 そんな軽い悪戯心だった。


 しかし、今は違う。


 エレンという魔術師を、魔術の道を進みて二か月やそこらの赤子を、自身を脅かす『敵』と正しく認識したのだ。


「――てめぇは、今、ここで死ね」


 崩珠を成功させ、疲弊したエレンのもとへ、悪意に満ちた白銀が迫る。


 それと同時――耳をつんざく轟音が大気を打ち鳴らし、凄まじい衝撃波が千年樹林を駆け抜けた。


 まるで爆発音かと錯覚するほどのそれは、大地を踏み砕くそれは――足音。


「あぁ゛?」


 仮面が怪訝けげんな声をあげた次の瞬間、


「――ぬぅううううお゛お゛お゛お゛!」


 肉々にくにくしい巨体が、進路上のありとあらゆるものを蹴散らし、茂みの奥から飛び出した。


「白道の八十八・極星きょくせい慈雨じう!」


 降り注ぐは極星の輝き。

 絶大な魔力の込められた『単体殲滅魔術』。


「おいおい、マジか……!?」


 仮面の男はこの日初めて、必死の回避を試みた。

 直後、絶大な破壊が辺り一帯を蹂躙じゅうりんし、激しい土煙が巻き上がる。


「うぅむ、なるほど……。何やら妙な気配を感じると思えば、不知御領しらずごりょうが張られていたのであるか。――エレン、よくぞやってくれた。七十番台の結界を破壊し、吾輩に異常を知らせてくれた。その働き、まこと天晴あっぱれ極まる!」


「こちらこそ、助かりました。……それにしても、本当に足が速いんですね」


 途轍もない大破壊をもたらした男は、ニッと微笑み、丸々としたお腹をバシンと叩く。


「さっ、選手交代である。――謎の仮面よ、これより先は、吾輩が相手になろうぞ!」


 グランレイ王国の『鉄壁』――ダール・オーガストが戦場に降り立った。

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