魔眼の副作用
一時間後、
「……う、うぅん……っ」
強烈な精神汚染を受け、意識を失っていたアリアが、ゆっくりと目を覚ます。
(あ、れ……ここは……? 私は、いったい……?)
ひとまず上体を起こした彼女は、ぼんやりと冴えない頭のまま、現状を確認していく。
辺りは真っ暗、場所は河原、随分と重たい
(これ……
自分の体からずり落ちたのは、男子用のブレザー。
(んー……?)
アリアが不思議そうに小首を傾げていると、
「――あっ、目を覚ましたんだな」
今しがた河原の
「エレ、ン……?」
脳裏をよぎったのは、苦々しい敗北の記憶。
「……ッ」
アリアはすぐさまバックステップを踏み、大きく距離を取った。
最低限の安全距離を確保した彼女は、すぐさま自分の
(聖眼解放の後遺症はあるけど、割合に体は動く。思考はクリア、精神支配は受けていない。一応……着衣の乱れもないわね)
そこで一つ、違和感に気付いた。
(……傷が、塞がっている?)
手足の裂傷、脇腹の太刀傷。
戦闘中に負ったいくつもの傷が、綺麗さっぱりなくなっていた。
「……もしかして、キミが治してくれたの?」
「あぁ、俺の適性は白道だからな。こう見えても、回復系統の術式はけっこう得意なんだよ」
「……そう、似合わないわね。でも…………ありがと」
「あはは、どういたしまして」
時は
アリアが意識を失った後、エレンは頭を悩ませていた。
「あ゛ー、どうしよう……。このまま放置して帰るのは……さすがに駄目だよなぁ……」
夜も更けて久しい河原、意識を失った純白の美少女。
もしも
(戦う前に『魔術教会所属』とかなんとか言っていたし、大聖堂にでも運んでみるか? ……いや、それは駄目だな)
その場合、間違いなく詳しい事情を聞かれ、確実に面倒なことになってしまう。
「うーん、何か他にいい案は……」
そうしてエレンが考え込んでいると、視界の端にダラリと流れる赤黒い血を捉えた。
「……傷、けっこう深かったんだな」
先の戦闘中、気丈なアリアは、自身が弱っている姿を決して見せなかった。
奥歯を食い縛り、鋭い痛みを噛み殺しながら、必死に戦っていたのだ。
「とりあえず、先に治すか」
エレンは右手を前方に伸ばし、素早く術式を組み上げる。
「――白道の八・
次の瞬間、柔らかい光が溢れ出し、アリアの全身を優しく包み込んだ。
これは白道における最も基礎的な回復魔術であり、本来は軽い
エレンのように莫大な魔力を持つ者が使えば、多少の時間こそ掛かってしまうものの、大抵の傷は完治させることができる。
「――これでよしっと」
アリアの傷が完璧に治ったところで、天光を終了。
(呼吸もちゃんとしているし、魔力の流れも落ち着いている……。うん、もう大丈夫そうだな)
治療を終えたエレンは、自分のブレザーを脱ぎ、アリアの体にそっとかぶせてあげた。
(夜風に吹かれて、風邪でも引いたら大変だからな)
そうしてアリアへの処置を済ませたところで、次の作業へ移行する。
「さて、と……この荒れに荒れた河原をどうにかしないとな。――緑道の四・
緑道の土魔術と白道の補強魔術を使い、大規模な修繕工事を開始――それから一時間ほど経過し、全ての作業が終わったところで、アリアが意識を取り戻したというわけだ。
「ねぇ……どうして、私を殺さなかったの?」
「いや、普通同級生の女の子は殺さないでしょ……」
エレンは苦笑いを浮かべながら、土だらけの手をパンパンと払う。
一方のアリアは、「わけがわからない」という表情で、ポカンと口を開けていた。
「………キミ、本当に頭、大丈夫? なんか魔眼使いとして、いろいろと破綻しているよ?」
「いや、そんなこと言われてもなぁ……」
本気で心配そうなアリアに対し、エレンは困り顔で頬を掻く。
「私のような聖眼使いは、魔眼使いを殺す。その逆もまた然り、キミのような魔眼使いは、聖眼使いを殺すことが至上の目的なの。その魔眼から命令を受けているでしょ?」
「魔眼から命令……? なんのことだ?」
「……は?」
「……ん?」
二人の間には、何か致命的な食い違いがあった。
「ま、『魔眼の副作用』だよ! 魔眼はそれが強力であればあるほど、宿主に対して強力な呪いを掛けるの。聖眼使いを殺せ、人類を滅ぼせ、世界を破壊しろ、ってね。その
「こ、怖い話だなぁ……っ」
当の本人であるはずのエレンは、その話をまるで他人事のように聞いていた。
「これまでの歴史上、史上最悪の魔眼を発現した人間は全員、一年ともたずに死んでいるわ。キミ、初めて魔眼を発現してから何日目?」
「えっと……十年目、かな」
「十、『年』……!?」
十年戦士という驚愕の事実。
アリアは思わず絶句した。
「十年間、本当になんの症状もないの……?」
「いや、そう言えば……」
「そう言えば!?」
「寝てるとき、たまに変な夢を見る」
「……それはただの悪夢、普通の人もみんな見るよ」
「そうか。じゃあ特に何もないな」
あっけらかんとするエレンに対し、アリアは小さく首を横へ振る。
「……おかしい、絶対におかしい。こんなの普通じゃあり得ない……」
エレンというあまりにも異常過ぎる存在を前にして、アリアの脳内はかつてないほど混乱していた。
「まぁ……あれだ。アリアの言う通り、確かに俺は魔眼持ちだ。それも史上最悪の魔眼。……あんまり言いたくないけど、この十年は本当に『
「夢……?」
「あぁ、俺は魔術を極める。そしてその力を使って、世界を幸せでいっぱいにする!」
「世界を幸せでいっぱいにするって……。魔眼使いのキミが?」
「あぁ、いつかきっとな」
エレンは無邪気に微笑み、クルリと
「ちょ、ちょっと待って、いったいどこへ行くつもり!?」
「帰る。俺にはまだやらなくちゃならないことがあるからな」
とても格好いいことを言っているが、その内容はただの反省文である。
「……エレンが史上最悪の魔眼使いだってこと、私が魔術教会に報告するとか、考えないの?」
「えっ!? あっ、いやそれは……勘弁してくれないか?」
エレンはそう言って、控えめな姿勢でお願いした。
「……どうしてそんな風に頼むの? それだけの力があるんだから、力尽くで言うことを聞かせたり、魂の誓約で無理矢理に縛り付けたり、なんならこの場で殺したり……私を黙らせる方法なんて、いくらでもあると思うけど?」
「いや、人としてそんな酷いことはできないでしょ……」
アリアの物騒な発言に、エレンはかなり引いていた。
「まぁとにかく、俺にはまだやるべきことがあるから――またな」
エレンはそう言うと、夜闇に紛れて消えていった。
「…………変な
誰もいなくなった河原で、アリアはポツリと呟くのだった。
■
とにもかくにも、聖眼使いアリアとの戦いに勝利したエレンは、大急ぎで自分の寮へ戻り――壁掛け時計を確認。
(も、もう二十三時!? 急がないと本当にマズイぞ……っ)
彼は大急ぎ手洗いとうがいをした後、すぐに行動を開始する。
(とりあえず、お風呂にお湯を張って……。うわっ最悪だ、制服に泥がこびりついている……。これは青道魔術でしっかり洗い流さないと、後々シミになっちゃうぞ……っ。そう言えば、お昼から何も食べてないな……。晩ごはん、なんでもいいから作らないと……)
エレンが大量の家事に追われていると、部屋の扉がコンコンコンとノックされた。
(こんな時間に……誰だろう?)
不思議に思いながら、扉をガチャリと開けるとそこには――。
「――こんばんは」
大きな荷物を抱えた、アリア・フォルティアが立っていた。
「こ、こんばんは……。じゃなくて、どうしてアリアが!? なんで俺の部屋を知っているんだ……!?」
大慌てのエレンに対し、アリアはクスリと微笑む。
「キミって
彼女が取り出したのは、エレンのブレザーとその胸ポケットに仕舞われていた『生徒手帳』。
「あっ……忘れてた」
アリアに貸した後、うっかり回収し損ねたものだ。
(そう言えば、うちの生徒手帳には、寮の部屋番号が載っているんだったな……。なるほど、彼女はこれを見て、この場所を知ったのか……)
エレンが一人納得していると、アリアがコホンと咳払いをした。
「私は聖眼使いとして、魔眼使いを見逃すわけにはいかない。だけど、今ここでキミを魔術教会に報告するのは……違う。人として間違っている。だから……今回の件については、全て黙殺しようと思う」
「ありがとう、助かるよ」
エレンがホッと胸を撫で下ろすと同時、アリアは素早く言葉を続けた。
「でも、史上最悪の魔眼を市中に泳がすわけにはいかない。キミは何故か完璧に制御できているみたいだけれど……それは元来、人の手に余るものなの。ほんの少しでも使い方を誤れば、国一つ消し飛ばしかねない厄災の忌物。間違いなく、この世界で最も危険な瞳よ」
「それじゃ、どうするつもりなんだ?」
「魔術教会には報告できない。黙って泳がすわけにもいかない。だから、その
「二十四時間って……本気か?」
「本気も本気よ。だからこうして、荷物も纏めてきた」
「それって、もしかして……?」
「えぇ、ここに二人で住むの」
エレンは一瞬、固まってしまった。
「ま、待て待て待て……!? それは……若い男女が一つ屋根の下に暮らすのは、いろいろとマズイだろ!?」
「どうして? この方法なら、お互いに
「そういうことじゃなくてだな……」
「むぅ、私と一緒に暮らすの……嫌?」
「嫌というか、常識的にマズイというか……っ」
「……まぁ、そうね。キミの言いたいことも、確かに理解できるわ。それじゃ、こうしましょう」
アリアはそう言って、空中にサササッと指を走らせた。
次の瞬間、そこに
『エレンとアリア・フォルティアは、王立第三魔樹学園の学生寮において、一切の
それは魂の契約書、僅か一文で構成された非常にシンプルなものだ。
「ねっ? これなら寝首を
「……違う。俺が心配しているのは、そういうことじゃないんだよ……」
何をどういう風に伝えるべきか、エレンが頭を悩ませていると――アリアが一際真剣な表情を浮かべた。
「悪いけど、この件について、キミに拒否権はないわよ。もしも私の監視を拒むと言うのなら――」
「拒むと言うのなら?」
「ここで大声を出すわ。キミにエッチなことをされそうになったってね」
「それだけは勘弁してくれ……っ」
現在アリアが着ている服は、ブレザーもミニスカートもボロボロ。
そのうえ彼女の体や衣服には、さっきの戦闘のせいで、エレンの魔力がべったりとこびり付いている。
そしてさらに二人が今いる場所は、エレンの寮の玄関口。
これだけ大量の状況証拠が揃えば、男の彼に勝ち目はないだろう。
「はぁ……わかった。いいよ、一緒に住もう」
エレンは小さくため息をつき、魂の契約書に同意のサインを記した。
「よし、これで契約成立ね!」
アリアはそう言って、何故かとても嬉しそうに微笑んだ。
「それじゃ、よろしくね、エレン」
「あぁ、よろしくな、アリア」
こうしてエレンは、アリアとの共同生活を営むことになったのだった。
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