魔術師エレンの戦い方


「……やっぱりこれ、ちょっと散らかし過ぎるよなぁ……っ」


 土煙が舞い上がり、黒く染まった河原の中心――困り顔のエレンが、ポリポリと頬を掻く。


 眼前に広がるのは、ふくろうに呑み荒らされ、ぐちゃぐちゃにゆがんだ大地。

 その周囲を埋め尽くすのは、一面の黒い呪いよごれ


 彼はこうなることを嫌って、ギリギリまでふくろうを出さなかったのだ。


(どうやって河原を掃除するかは、後でゆっくり考えるとして……アリアはどこだ?)


 ザッと辺りを見回していると――前方の土煙が大きく揺れ、荒々しい息を吐く彼女が飛び出してきた。


「……はぁはぁ……っ」


 臙脂えんじのブレザーには穴が空き、チェック柄のミニスカートはボロボロ。

 顔に掠傷すりきず・手に裂傷・足に打撲、体の節々に傷を負っているが、必死クリティカルとなるものはない。


(……危なかった。あのまま防御していたら、間違いなく死んでいた……っ)


 あのとき――エレンの暴力的な大魔力を垣間見たアリアは、防御という愚行ぐこうをすぐにやめ、全速力で逃げ出した。

 ありったけの魔力を両足に集め、凄まじい速度で後ろへ跳躍ちょうやく


 その結果、多少の傷を負う羽目はめになったが、即死という最悪の事態だけはまぬがれることができた。


(それにしても、なんておぞましい力なの……っ)


 視界のあちこちに散在する闇は、まるで生き物のようにうごめき、しかもそこには回復阻害・思考破壊・五感麻痺などなど……多種多様な呪いが内包されている。


 まるで地獄かと見紛うこの状況下で、最も目を引くのが、その中心に立つエレンだ。

 彼は常人なら発狂する濃度ののろいをかぶりながら、むしろそれを全身にまといながら、至って平然とした顔つきで極々普通に立っている。


 その普通さが、ありふれた日常さが、彼の異常さを際立たせていた。


「……キミ、おかしいよ。絶対に普通じゃない」


「えっと……どこが?」


 エレンは不思議そうに、コテンと小首を傾げる。


 一般的に『魔術師の常識』というものは、最初に魔術の学習を始めてから、およそ一か月の間に形成されると言われている。

 世にいる大半の魔術師は、六歳から魔術学校に通い、そこで魔術技能を磨く。

 魔術教会の定めたカリキュラム、既存の枠組みをく教師、ほとんど同じ知識レベルの同級生。

 その果てに生まれるのが、世界標準――画一化された魔術師の常識だ。


 しかしエレンには、これが全く当てはまらない。


 彼が魔術を習い始めたのは十五歳、そのまなはヘルメスの屋敷。

 エレンはそこで、自由奔放に伸び伸びと育った。

 定められたカリキュラムも、理論的枠組みを押し付けられることも、誰かと比較することもされることもない。

 常識・普通・一般――あらゆる固定観念から解放された『自由な学び』を行ってきたのだ。


 そんな彼からすれば、自分のどこが普通じゃないのか、まったく理解できなかった。


「……呆れた。その反応、本当に自覚がないんだ。そんな低い防衛意識で、よくもまぁ教会の眼から逃れられたものね」


 アリアは信じられないと目を丸くした後、ちょっとした質問を投げ掛ける。


「ねぇ、教えてよ。キミはこれまで、どこで何をしてきたの? どうやったら、そんないびつな魔術師に育つの?」


「えーっとそれは、その……あまり言いたくない、かな……」


 この十年間、ずっと物置小屋に収納されていました。

 さすがにそんなこと、同級生の女の子に知られたくはない。


「……そう。やっぱり人には言えない『裏』があるのね」


 何か大きな勘違いをしたアリアは、再び戦闘体勢に入り――そこへエレンがストップを掛ける。


「ちょっ、ちょっと待った……!」


「……なに?」


「あのさ、もうやめにしないか? そもそも俺には、アリアと戦う理由がないん――」


「――残念ながら、それは無理な相談よ。私が聖眼使いで、エレンが魔眼使いである限りは……ねッ!」


 言うが早いか、彼女は凄まじい速度で、漆黒の大地を駆け抜けた。


「ハァアアアアアアアア!」


 大上段から振り下ろされる渾身の斬撃。

 エレンはそれを梟で受け止め、鍔迫つばぜいの状況が生まれる。


「アリア……本当にやるしかないのか?」


「何度も同じことを言わせないでもらえる?」


「……そうか、わかった」


 ため息と同時――エレンは白桜しろざくらを押し返し、反撃に打って出た。


「――ふっ! はッ! セィ゛!」


「……っ」


 激しい斬撃と飛び散るのろい、アリアはそれらを紙一重で凌いでいく。


(……ほんと、人は見かけによらないわね……っ)


 彼女は下唇を甘く噛み、自身の浅慮せんりょを反省する。


 大人しい顔つきと少し細めの肉体からだ、さらにはゼノとの決闘を見て、エレンは魔術師に最も多い『遠距離攻撃タイプ』だと思っていたのだが……。


 実際の彼は、その対極――超が付くほどの『近距離パワータイプ』だった。


「――そこだッ!」


「く……っ」


 エレンの力強い斬撃を受け、アリアの体は大きく後ろへ吹き飛ばされる。


(なんて馬鹿力……っ。こんなのとまともに斬り合っていたら、白桜が叩き折られちゃう……ッ)


 呪われた魔剣『梟』を展開したことで、エレンの基礎魔力と身体能力は大幅に強化されており、純粋な膂力りょりょくではもはや勝負にならなかった。


(よし、このまま一気に詰めるぞ……!)


 戦いの流れを掴んだエレンは、さらに攻勢を強めていく。


「――青道せいどうの一・蒼球そうきゅう


 次の瞬間、河原のあちらこちらに、黒い水の球がフワリと浮かび上がった。


(これは……せんの乱反射!? それとも粉塵爆発!?)


 既に予習を済ませたアリアは、二つの攻撃パターンに備えたが……。


 結果は、どちらもハズレ。


「……えっ……?」


 アリアの目の前では、まったく予想だにしないことが起こっていた。


(いったい、何をするつもりなの……?)


 エレンは近くにあった球体へ跳び乗ると、それを足蹴あしげにして別の球体へ、そしてまた次の球体へと移っていく。

 同じ動きを何度か繰り返すうち、彼のスピードは加速度的に速くなっていき、ついには空中を高速で駆け回り始めた。


(こ、これは……!?)


 エレンは蒼球に一定の硬度と弾性を持たせることで、空に浮かぶ大量の足場を作り出したのだ。


(まさか、蒼球にこんな使い方が……!? というか、速過ぎでしょ……!?)


 ただでさえ素早いエレンに、弾性バネという加速が加わることで、彼の速度は限界を超えて速くなっていく。


(右、上、左、後ろ……前……っ。くっ、追いきれな――)


 刹那、


「――こっちだ」


「……ッ!?」


 鋭い斬撃が走り、アリアの肩口に浅い太刀傷が刻まれた。


(これ、思ったよりもマズい……っ。早く、蒼球の範囲外へ出ないと……ッ)


 彼女はすぐさま術式を構築、空いた左手を空に掲げる。


黄道おうどうの三十四・白雷はくらい!」


 瞬間、眩い雷が迸り、辺り一帯が白光に包まれた。


(よし、この隙に……!)


 アリアがバックステップを踏もうとしたそのとき、


「――悪いけど、全部視えているよ」


 彼女の背後に、エレンが立っていた。


 史上最悪の魔眼は、光の像を捉えているのではなく、世界にる魔力を視ている。

 そのため、目くらましのたぐいは一切効かないのだ。


「しま……っ!?」


「――遅い」


 漆黒の斬撃が空を駆け、多量の鮮血が飛び散った。


「今ので終わりかと思ったけど……上手くかわしたな」


 エレンはふくろうに付着した血を払いながら、賞賛の言葉を口にする。


 一方のアリアは、しくも最初とは・・・・真逆の展開・・・・・をやり返された形となり、悔しそうな表情で奥歯を噛み締める。


「はぁはぁ……っ。私だって、キミと同じように『特別な眼』を持っているんだよ? あれぐらいの斬撃、軽く避けられるさ」


 口ではそうやって、強い言葉を言っているものの……。

 彼女が負った脇腹の傷は、決して浅くなかった。


(……やば、血、止まんない……。ちょっとマズいかも……っ)


 エレンから見えないよう、左手で脇腹を押さえながら、冷静に敵の戦力を分析する。


(距離を放せば、変幻自在の遠距離魔術。間合いを詰めれば、脳筋のうきんゴリ押しの剣術。つまりエレンは全射程適応型オールレンジタイプの魔術師というわけね。……困ったな。キミ、さすがにちょっと強過ぎるよ……っ)


 魔術師エレンの圧倒的な実力を前にして、アリアは顔を青く染めるのだった。

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