魔剣


 鋭い殺気を放つアリアへ、エレンはすぐに『待った』を掛ける。


「ちょ、ちょっと待ってくれ! どうして俺たちが戦わなきゃ――」


「問答無用!」


 彼女は短くそう告げると、一足で間合いをゼロにした。


(速い!?)


 爆発的な加速と完璧な踏み込み。

 そこから繰り出されるのは、研ぎ澄まされた『桜の斬撃』。


白桜はくおう流・二の太刀――百桜閃びゃくおうせん!」


 息もつかせぬ苛烈かれつな連撃が、凄まじい勢いで襲い掛かる。


(右・左・上・下・斬り上げ・逆袈裟ぎゃくけさ・正面……!)


 エレンはその優れた瞳力どうりょくを以って、百桜閃を完璧に回避。

 そして――剣撃けんげきいだ一瞬の隙間、展開速度に優れた黄道おうどう魔術を差し込む。


「黄道の一・稲光いなびかり


 瞬間、まばゆい閃光が夜闇に弾け、視界が真白ましろに染まる。


 本来この魔術は、鋭い雷撃を前方に放つ、貫通力に優れた攻撃なのだが……。

 エレンはその貫通性を拡散性に形態変化、相手のきょを突く『目くらまし』としたのだ。


(よし、ひとまずこの隙に距離を稼ぐ)


 バックステップを踏み、大きく後ろへ跳び下がった次の瞬間、


「――キミのような遠距離タイプは、間合いを取りたくなるよね?」


 それを先読みしていたアリアが、エレンの真横を並走する。


「っ!?」


 きらめく白刃が空を駆け、鮮血が地面に飛び散った。


「んー、今のは完璧に仕留めたと思ったんだけど……。キミ、とんでもない反応速度だね」


 アリアは刀に付着した血を振り払いながら、賞賛の言葉を口にする。


 あの瞬間――逃げ場のない空中にいたエレンは、咄嗟とっさの判断で大きく体を捻り、致命の一撃を回避。

 脇腹の浅い裂傷のみで、難を逃れたのだ。


「……驚いたな。どうして俺の動きが読めたんだ?」


「エレンの戦い方は、ゼノ・ローゼスとの決闘で、じっくり観察させてもらったからね。キミが戦闘中に考えていることは、全部手に取るようにわかるよ」


「なるほど、そういうことか……」


 魔術師の戦いには、『情報戦』の側面がある。


 相手の得意とする戦法・無意識に重用する魔術・緊急時の回避手段、これらの情報をしっかりと分析し、『次の一手』を正確に読み解く。

 こうすることで、各盤面における最適な行動が取れるようになり、常に有利なポジションを確保できるというわけだ。


 つまり現状――昼の決闘で手の内を明かしたエレンは、その戦術思考と自分の持ち札を晒しながら、ポーカーをプレイしているようなもの。


 彼は圧倒的に不利な条件で、この場に立たされていた。


「さて、答え合わせも済んだところで、次はこっちの質問ね」


 アリアはいつもの調子でそう言った後、これまで見せたことのない真剣な表情を浮かべる。


「キミのその眼、なんの冗談かな?」


「……質問の意味がわからないんだが……」


それ・・。左眼に妙なレンズをめているよね? 魔眼の力を文字通り『完璧』に封印している。この聖眼でも見抜けないなんて、さすがにちょっと驚いたよ。相当高位の封印術式が組み込まれているんだろうね」


 彼女はそう言って、エレンの瞳をジッと見つめた。


「だけど、そのレンズのせいで、魔眼本来の力が全く出し切れてない。今のキミは両手両足を縛ったまま、戦っているようなものだね。いくらなんでもその手抜き具合は……さすがにちょっと不愉快。外してもらえないかな?」


「あー……悪いけど、今は無理だ」


 いくらここが人気ひとけのない河原で、既に夜も更けて久しい時間帯とはいえ、実際どこで誰が見ているかわからない。

 こんな状況下で、おいそれと魔眼を披露するわけにはいかなかった。


「……私程度の聖眼使いなら、魔眼の力を使わずとも勝てる、と? キミ……見かけによらず、『いい性格』をしているね。さすがの私も、今のは少しカチンときたよ」


「はっ? い、いやいや待て待て、誰もそんなことは言ってないぞ!?」


 エレンの弁解の言葉は、アリアには届かなかった。


「――千の泉にかすみを浮かべ、虚実のおぼろうつつで満たせ。おいで、白桜しろざくら


 次の瞬間、何もない空間が割れ、そこから純白の刀が出現する。


『武装展開』――簡単な省略詠唱+めいを呼ぶことで、いつでもどこでも武装の出し入れを可能にする、魔剣使いの基本かつ必須技能だ。


「キミが本気を出さないのなら、別にそれでも構わないけれど――死ぬよ?」


 言葉が結ばれると同時、エレンの背後に純白の剣士が立っていた。


(……嘘、だろ……!?)


 聖眼による基礎魔力の大幅な向上、魔剣白桜による身体能力の絶大な強化。

 二つの相乗効果を得たアリアは、まるでいかづちの如き速度を誇る。


「白桜流・三の太刀――桜麒おうき!」


 ほとぼしる白は、横薙ぎの一閃。

 エレンはその場に深くしゃがみ込み、紙一重でそれを躱した。


「よく避けた、ねッ!」


 続けざまに放たれたのは、思い切りのいい蹴撃しゅうげき

 長い脚をしっかりと振り抜いたその一撃は、


「……っ」


 確かに両腕で防御したはずのエレンを、遥か後方へ吹き飛ばすほどの威力があった。


(くっ、なんて重い蹴りだ……ッ)


 空中でうまく勢いを殺しつつ、素早く地面に着地。


「――さて、今度はどう凌ぐのかな?」


 眼前にはもう、アリアの姿があった。


「白桜流・六の太刀――天桜閃てんおうせん!」


 左右から挟み込むように繰り出されたのは、八つの桜の刃。

 すなわち、逃げ場のない広域斬撃。


(ま、ず……っ)


 徒手としゅのまま、これをさばくことは不可能。

 即座にそう判断したエレンは、すぐさま迎撃魔術を展開。


「白道の八・閃烈光せんれつこう!」


 聖なる光を剣の形へ変化させ、喉元に迫る数多の斬撃を撃ち落としていく。

 硬質な音が鳴り響き、赤い火花が夜を彩る中、アリアは感心したように目を見開いた。


「それだけの魔術の腕がありながら、剣術の心得もあるなんて……ちょっとビックリしちゃった、よッ!」


「そりゃどうも。まだまだどっちも修行中なんだけど、なッ!」


 その後、二人の激しい剣戟は、何度も何度も繰り広げられた。


(……よしよし、いい感じだ。この速さにも、そろそろ慣れてきたぞ)


 エレンが相も変わらずの驚異的な学習速度で、超高速戦闘に適応しはじめた頃――アリアの足がピタリと止まった。


「はぁ……キミは凄いよ。魔眼や魔剣の補助もなしに、私とここまで斬り合えるだなんて……正直、想定外だった」


 彼女の言葉に含まれた想いは尊敬と敬意、そして――『とある確信』。


「だけど残念。そんな急ごしらえのなまくらじゃ、白桜まけんには勝てない」


 彼女が軽く白刃を振るうと同時、エレンの剣は粉々に砕け散った。


「なっ!?」


 両者の決定的な違い、それは――『武装の差』。


 アリアの振るう白桜しろざくらは、遥か古来より白桜はくおう流に伝わる、由緒正しき一振り。そのに莫大な魔力を秘めた、真実正しい魔剣。


 その一方、エレンの振るう光剣こうけんは、白道の八番を無理矢理に剣の形へ落とし込んだだけのまがい物。その実に何も宿らぬ、偽りの剣。


 長きにわたる剣戟けんげきの末、エレンが即興で作り出したは、アリアの振るうしんによって、打ち砕かれてしまったのだ。


「あっけない幕引きだけど……これでおしまい」


 容赦ようしゃなく振り下ろされるは、純白の桜刃おうじん

 月下のもとに血の花が咲いた。


「か、は……っ」


 エレンの胸部に致命の一撃が走り、彼はその場で膝を突く。


「……勝負あり、だね。大人しくその魔眼を渡すなら、命だけは助けてあげ……っ!?」


 刹那、異常な気配を察知したアリアは、大きく後ろへ跳び下がる。

 その直後、先ほどまで彼女が立っていたところに、ボトボトと汚泥おでいのような闇が垂れ落ちた。


(な、何よ……この邪悪な魔力は……ッ)


 アリアが絶句する中――醜く汚れた闇の奥、シュルルという衣擦きぬずれの音が響く。


「ふぅー……っ。さすがに今のは、ちょっと効いたな」


 瀕死の重傷を負ったはずのエレンが、ゆっくりと立ち上がった。

 それと同時、その腹部に刻まれていた致命傷が、みるみるうちに塞がっていく。


 あっという間に完全回復を果たし、おどろおどろしい漆黒を纏った彼は、静かにその名を告げる。


「――め、ふくろう


 次の瞬間、空間を引き裂くようにして零れ落ちたのは――つかつば・刀身、全てが漆黒に染まった魔剣。

 ヘルメスから譲り受けたこの一振りは、『最上級の呪刀じゅとう』である。


アレ・・はヤバイ……っ。明らかに『永久封印』クラスの魔剣。一介の学生が、何故あんなものを持っているの……!? いやそれよりも、あの忌物を握りながら、どうしてあそこまで平然としていられるの!?)


 アリアの反応と混乱は、魔術師として非常に正しい。


『梟』という魔剣は、魔術全盛の時代に打たれた呪いの一振り。

 存在それ自体が厄災やくさいそのものであり、梟の周囲数千キロは生物の棲めない汚染区域に指定される。

 当然この呪いは所有者にも牙を剥き、生半可な術師が持てば、即座に呪殺じゅさつされてしまうのだが……。


 その瞳に史上最悪の魔眼という最強の呪いを宿す例外エレンは、魔王未満の呪いを一切受け付けず、所有者としてぴったりと納まったのだ。


「……エレンも魔剣を使えたのね。でもまさか、こんなギリギリまで隠し持つだなんて……やっぱりキミは、『いい性格』をしているよ」


「別に隠していたわけじゃないさ。ただ、これを使うと少し・・周りが・・・汚れちゃう・・・・・から、ちょっと出すのを躊躇ためらっていたんだ」


 エレンはそう言って、静かに魔剣を構える。


「それじゃ、今度はこっちから行くぞ」


「えぇ、望むとこ……ッ!?」


 首肯しゅこうと同時、目と鼻の先に『黒』があった。


 いとも容易く必殺の間合いに踏み込んだエレンは、既に梟を振りかぶっている。


(速い!? だけど、ギリギリ間に合う……!)


 アリアは白桜を水平に構え、完璧な防御体勢を取った。


 しかしその直後、背筋に冷たいものが走る。


(……あっ……これ、防げないやつだ……)


 刹那、凄まじい轟音が鳴り響き、無人の河原は漆黒に呑まれた。

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