魔眼と聖眼


(今の感じ、十年前の・・・・あのときの・・・・・……!?)


(史上最悪の魔眼・異常な魔力量・呪詛返じゅそがえしを殺した謎の力、そして何より十五歳まで・・・・・普通に生存・・・・・しているという・・・・・・・異常な事実・・・・・……。もしかして、エレンの奴は……っ)


 二人がそれぞれ思考を巡らせる中、


「……ん……っ」


 ベッドの上から、小さなうめき声が聞こえた。


「「シルフィ……!?」」


 エレンとゼノは即座に頭を切り替え、彼女のもとへ駆け寄る。


 するとその直後、


「う、うぅん……」


 昏睡こんすい状態にあったシルフィは、徐々に意識を取り戻し――ゆっくりとその眼を開いた。


「あ、れ……? お兄、ちゃん……?」


「お、お前……もしかして……視えているのか?」


 呪蛇の刻印により、彼女の眼は生まれながらに閉ざされた。

 それがなくなれば必然、視力も全て元に戻る。


「あはは……お兄ちゃんの顔、ちょっぴり怖いね」


「……馬鹿野郎、初めての感想がそれかよ……っ」


 ゼノとシルフィはボロボロと大粒の涙を流し、ギュッと強く抱き締め合った。


 それと同時、


(あぁ、よか……った……)


 エレンの体がグラリと揺れ、そのまま後ろへバタンと倒れ込む。


「お、おい、大丈夫か!?」


「エレンさん、どうしたんですか……!?」


「あ、あはは……すみません。こんなに長く魔眼を使ったのは、生まれて初めてだったので、ちょっと疲れちゃいました」


 エレンは仰向けになったまま、大きな問題がないことを伝えた。


 その言葉を耳にしたゼノは、思わず言葉を失う。


(魔王の眼をあれだけ使い倒して、『ちょっと疲れた』? そんなこと、絶対に・・・あり得ねぇ・・・・・……っ)


 魔術の原則は等価交換。

 大いなる力には、それに見合った代償が必要となる。

 もしもあのとき――ゼノが魔王降臨を起動させ、肉体・魔力・寿命の全てを魔王に捧げていたとして、史上最悪の魔眼を『一分間』でも借り受けられれば、それは『世紀の大成功』と言えるだろう。


 魔王の力というのは、それほどまでに規格外なのだ。


 しかしエレンは、その超常の力を一時間以上も使い続けながら、ただの『疲労感』で収まっている。

 リスクとリターンの天秤てんびんが、まるで釣り合っていない。


 これが意味するところはすなわち――。


(……もはや疑いの余地はねぇ、エレンは間違いなく『適合者』だ。それも信じられねぇことに史上最悪の魔眼――最強・最古の猛毒をほとんど完璧に無害化している。……断言できる。こんな化物は、長い魔術の歴史の中でもこいつが初めてだ……ッ)


 ローゼスというくら背景バックボーンを持ち、魔術の暗部についても少なからずの知識を持つゼノは、『エレンの異常さ』を正しく認識した。


「あー……。ちょっとまだくらみがあるようなので、少しだけ風に当たって来ますね」


 その後しばらくの間、エレンは家の外で夜風に当たり、肉体と精神を休ませた。

 魔術師は周囲の自然から魔力を吸収することで、疲労回復を早めることができるのだ。


(それにしても、シルフィの呪いが解けて、本当によかったなぁ……)


 そんなことを考えながら、夜空に浮かぶ星をぼんやり眺めていると――背後の扉がキィと開いた。


「――よぉ、具合はどうだ?」


「あっ、ゼノさん。ちょっと休めたので、だいぶよくなってきました」


「そうか、そりゃ何よりだ。ほれ、シルフィの淹れてくれたコーヒーだ。死ぬほどうめぇぞ」


「ありがとうございます」


 エレンは白い湯気の立ち昇るコーヒーカップを受け取り、風味豊かなそれをありがたくいただいた。


「あっ……これ、本当においしいですね」


「ったりめぇだ。誰が淹れたと思っている」


「あはは、そうでしたね」


 それからしばしの沈黙の後、ゼノは頭をボリボリと掻き、どこか気恥ずかしそうに切り出した。


「あ゛ー……あれだ。…………ゼノでいいぞ」


「え……?」


「もう友達ダチだろうが。敬語なんか使ってんじゃねぇよ」


「そ、そっか……そうだな。わかったよ、ゼノ」


「おぅ」


 話の取っ掛かりを掴んだゼノは、この勢いのままに感謝の言葉を口にする。


「エレン、お前のおかげで、シルフィの命は救われた。――この恩は、一生忘れねぇ。本当にありがとう」


「気にしないでくれ。俺は人として、当然のことをしただけだ」


「……ったく、どこまでも控えめな奴だな。ちょっとぐらい恩着せがましく言ったらどうなんだ?」


「あはは。ゼノじゃないんだから、さすがにそんな図々しいことは言えないかな?」


「くく……っ。てめぇ、けっこう言うじゃねぇか……!」


 お互いに冗談を交わし合い、穏やかで柔らかい空気が流れる。


 それから一言二言、他愛もないやり取りを重ねたところで――エレンは真剣な表情を浮かべた。


「なぁゼノ、この左眼のことなんだけど――」


「言うな。野暮なことは聞かねぇ。当然、教会にチクりもしねぇ。なんなら今ここで、魂の誓約書でもなんでも書こうか?」


 ゼノの瞳はどこまでも真っ直ぐであり、そこにはほんの僅かな嘘・偽りの色さえなかった。


「……ありがとう、助かるよ」


「馬鹿、そりゃこっちの台詞だ」


 そうしてお互いが微笑み合っていると、背後からトタタタという可愛らしい足音が響き、扉が再び開かれた。


「――お兄ちゃん、エレンさん。もうけっこう長いけど……こんなところで何をしているの?」


 心配したシルフィが、様子を見に来てくれたのだ。


「悪い悪い。男同士、いろいろと積もる話があったんだ。それよりもほら、冷たい夜風は体に毒だぞ? 兄ちゃんも一緒に行くから、温かい部屋へ戻ろう」


「はーい」


 二人の微笑ましいやり取りを見たエレンは、心の奥が温かくなるのを感じた。


「――ゼノ、シルフィ。もう夜も遅いし、俺はそろそろ寮に帰るよ」


「おぅ、そうか。また明日な」


「エレンさん、今日は本当にありがとうございました。またいつでも遊びに来てくださいね!」


「あぁ」


 そうしてエレンはゼノとシルフィに手を振りながら、ローゼスの家を後にした。


「――んーっ、いいことをすると気持ちがいいな」


 しばらく夜風にあたったことで、気怠けだるかった体も完全復活。

 エレンは大きな充実感を感じながら、自分の寮へ向かっていた。


(……だけど、この妙な違和感はなんだ……? 何か『大切なこと』を忘れているような……)


 頭を捻って思考を巡らせてみるが、明確な答えは見つからない。


(……まぁいっか。これだけ考えても思い出せないってことは、多分そんなに重要なことじゃないだろう)


 そう結論付けたエレンが、人気ひとけのない河原を真っ直ぐに歩いていると――王立第三魔術学園の制服を纏う、白髪の美少女と出くわした。


「あれ、アリアさん? こんなところで何を――」


 次の瞬間、彼女の姿はかすみに消え――目と鼻の先に鋭い白刃はくじんがあった。


「ちょ、なっ!?」


 勢いよく振り下ろされる斬撃、エレンはそれを半身になって回避。


 そのまま大きく後ろへ跳び下がり、十分な間合いを確保する。


「あ、アリアさん……いったい何を……!?」


「――エレン、やっぱりキミは『魔眼使い』だったのね」


「えっ!? いやそれは……その……なんのことでしょう?」


 魔眼については秘密にすること。

 ヘルメスとの約束があるため、エレンは咄嗟に知らんふりをした。


「とぼけないでもらえるかしら? お昼の戦闘で見せた莫大な魔力。そしてさっきローゼス家で解き放った大魔術。凡百ぼんぴゃくの魔術師は騙せても、この眼・・・を欺くことはできないわ」


 アリアが左目に魔力を込めると同時、彼女の瞳に淡い紺碧こんぺきが浮かび上がった。


「それはまさか……『聖眼』!?」


「当然、知っているわよね」


 聖眼は、主神の加護を受けた聖なる瞳。

 魔眼の対極に位置するそれには、邪悪なる魔を討ち滅ぼす特別な力が宿っており、魔術師にとって永遠の憧れである。


「――魔術教会所属・B級魔術師アリア・フォルティア。キミに個人的な恨みはないけれど、世界の恒久平和のため、その眼を閉じさせてもらうわ!」


 月明かりに照らされた河原のもとで、エレンとアリアの死闘が、静かに幕を開けるのだった。

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