解呪


 エレンとゼノは秘密の階段を登りながら、解呪の詳細を詰めていく。


「さっきも言った通り、史上最悪の魔眼は、『最強・最古の呪い』だ。エレンにはこの猛毒を使って、呪蛇の刻印を解いてもらいたい」


「『より上位の呪いを以って、下位の呪いを殺す』、ですよね?」


「あぁ、そうだ。呪蛇の刻印の『核』となる部分を見つけ出し、そこに『魔眼の呪い』を打ち込んでくれ。理論上、それで解呪は成立するはずだ」


「魔眼の呪いを打ち込む……。それって、どうすればいいんですか?」


「難しく考える必要はねぇ。その特殊なレンズを外し、史上最悪の魔眼を解放しているとき、エレンの魔力はそれ自体が『最上級の呪い』になっている。呪蛇の核とお前の魔力が触れるだけで、呪いの格付けは完了――シルフィの体から、蛇の紋様は消え去る」


「なる、ほど……」


 自分の体を流れるこの魔力が、最上級の呪い。

 それを聞いたエレンは、少し複雑な気持ちだった。


 その後、階段を登り切った二人は、すすだらけの暖炉を出て、シルフィの眠る寝室へ移動。


「はぁはぁ……っ」


 ベッドに横たわる彼女は、苦悶くもんの表情を浮かべ、荒々しい呼吸を繰り返している。


「シルフィ……つらいよな、しんどいよな……。だけど、もう大丈夫だ。呪いの苦しみは、今日で終わる」


 ゼノはそう言って、彼女の頬を優しく撫ぜた。


 エレンはその間、左目に魔力を集中して魔眼を解放――シルフィの現在の状態を素早く確認していく。


(……全身に巻き付く、蛇のような黒いモヤ……。大聖堂で視たものとそっくりだ。多分この呪いを掛けたのは同一人物、メギドという術師で間違いないだろう)


 エレンは一度そこで両眼を閉じ、小さく長く息を吐いた。


「――ゼノさん、そろそろ始めますね?」


「あぁ、頼む……っ」


 そうしてついに解呪が始まった。


 エレンは左眼を凝らし、呪蛇の刻印――その内部へ向ける。


 すると次の瞬間、彼の視界一面を埋めたのは、数千万節からなる膨大な術式。


(これ、は……ッ)


 確かに外見そとみの上では、大聖堂で解いた呪いと大きく変わらなかった。


 しかし、その構造つくりはまったくの別物。


 千年前の大魔術師メギドが、心血を注いで練り上げた呪蛇の刻印それは、凄まじい魔力とおぞましい悪意の集合体――前人未解ぜんじんみかいの呪いだった。


 そして何より、


(……深い・・……っ)


 シルフィの体に刻印が打たれて十年、呪いはその間に細胞の奥深くへ染み込み、今や彼女の肉体とほとんど同化していた。


 つまりこの呪蛇の刻印を解くには、人体を構成する三十七兆個の細胞から、その核となる部分を見つけ出さなくてはならない。

 これは広大な砂漠の中から、米粒を見つけるが如き難業だ。


(…………無理、だ……っ)


 脳裏をよぎったのは、失敗の二文字。


 だが――。


(……俺がここで諦めたら、シルフィはどうなる? ゼノさんのこれまでの努力は? ――そうだ。無理じゃない、できるかじゃない……やるしかないだろ……ッ)


 弱った気持ちに鞭を入れ、大きく息を吐き出す。


(集中しろ。眼を凝らせ。魔術の深奥を覗くんだ……!)


 エレンが集中力を高めていくと同時、彼の体から濃密な魔力が立ち昇り始めた。


 それは普段の優しくて温かいエレンの魔力とは、似ても似つかぬ邪悪。

 この世の全ての不吉を煮詰めたような、どうしようもない『黒』を放つ。


(こいつ、なんて魔力をしていやがる……っ。決闘時あのとき見せた最後のアレは、まだ全力じゃなかったのか……ッ)


 ゼノが絶句する中、とある異変が起こった。


「「「キシャーッ!」」」


 シルフィの体を覆う黒いモヤが、数多の黒蛇こくじゃに形を変え、エレンの全身に食らい付いたのだ。


 これは呪いの防衛反応。

 魔眼という異物の侵入を検知し、自動迎撃に入ったのである。


「おい、大丈夫か……!?」


 しかし、返事はない。


(ここは……違う。こっちも……違う。これも……違う)


 尋常ならざる集中力を発揮したエレンは、全身を黒蛇に噛まれながらも、解呪の手を止めなかった。


 まさに忘我ぼうがの境地。

 彼は今、視覚以外のあらゆる感覚を遮断し、ただただ目の前のことに――核の発見に全神経を注いでいるのだ。


(……エレン、すまねぇ……っ)


 ゼノは奥歯を噛み締め、自身の無力を詫びながら。

 今ここで黒蛇を薙ぎ払う、それ自体は造作もないことだ。


 しかし、呪いの自動迎撃を妨害すれば、術式構成が大きく乱れる。

 そうなれば核の発見はより難しくなり、エレンを助けるどころか、むしろその足を引っ張ってしまいかねない。


 だから、ゼノは耐えた。

 何もできない無力な時間を忍び続けた。


 それからどれぐらいの時が経っただろうか。

 息苦しい沈黙が降り、時計の秒針だけが音を刻む中――ついに『そのとき』は訪れる。


(……見つけた……ッ)


 史上最悪の魔眼は、全ての魔力を『色』で見分ける。


 赤は――致死点。


 そこを突けば、展開された術式は確実に死ぬ。


(間違いなく、これが呪蛇の核だ! 他の細胞を傷付けないよう、俺の魔力をここに打ち込めば……!)


 彼は指先に極小の魔力を集中させ、シルフィの心臓に浮かんだ致死点、その中心を正確に射貫いぬいた。


 すると次の瞬間、彼女の体を蝕む黒いモヤは、光る粒子となって消えていく。


「ふぅー……やった……成功だ……っ」


「……解呪、できた、のか……? は、はは、ははは……っ。エレン、お前ってやつは!」


 歓喜の直後――消えかかった黒いモヤは再結集し、極大の呪蛇となってエレンに牙を剥いた。


「「なっ!?」」


 これは大魔族メギドの罠、『呪詛返し』。

 なんらかの外的手段により、呪蛇の刻印が破られた場合、当該解呪を行った術師をり殺す。

 呪いの強制破棄による『ペナルティ』が、こっそりと仕込まれてあったのだ。


「ま、ず……っ」


「エレン、逃げろ……!」


 史上最悪の魔眼を長時間にわたって使用し、ありったけの集中力を燃やした今のエレンには、呪詛返しを回避する余力など残されていなかった。


 呪いの大蛇が悪意を撒き散らし、彼を憑り殺さんとしたその瞬間――僅かな怒気をはらんだ声が、静かに響きわたる。


【――失せろ、虫螻むしけらが】


 刹那せつな、魔眼に映る万象、そのことごとくが死んだ。

 否、抹殺ころされた。


「……え……?」


「今……何が、起きた……?」


 破滅ほろびは一瞬、残ったのは静寂のみ。

 エレンの正面――ローゼス家の外壁には巨大な風穴が空き、その先にあった草・木・山、ありとあらゆるものが死滅していた。

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