盲目の少女【二】
「なんだぁ、てめぇ……? このガキの連れか?」
「いえ、別にそういうわけじゃありませんが……。ただ、ちょっとやり過ぎですよ。彼女、ちゃんと謝っているじゃないですか」
「あ゛ーあ゛ー、はいはい……たまにいるんだよなぁ。こういう正義のヒーローぶった『勘違い野郎』が、よッ!」
嘲笑を浮かべた男は、突然、右ストレートを放った。
それは卑怯な不意打ちだったが……。
(……ティッタさんより、遥かに遅いな)
日々の修業で『獣人の速度』に慣れたエレンからすれば、まるで止まっているかのように見えた。
彼は半歩だけ左に身を寄せ、鈍重な一撃を避ける。
「ほぉ。俺の拳を
次の瞬間、男は「シュシュシュッ」と軽やかに口ずさみながら、右・左・右と交互に白打を繰り出し――エレンはそれを必要最小限の動きで回避した。
「おいおい、ちゃんとよく狙えや!」
「どこ見て拳を振ってんだぁ? なんなら代わってやろうか?」
「うぃー、ひっく……ん゛ー? あの制服、どっかで見たことがあるような……?」
仲間から冷やかしを受けたことで、男のボルテージはどんどん上がっていく。
「このもやし野郎が、ちょこまか避けてんじゃねぇぞ……!」
顔を真っ赤にした彼は、素人めいた大ぶりの上段蹴りを放つ。
エレンは深くしゃがむことで、その一撃を簡単に回避――続けざまに、隙だらけの軸足を軽く払った。
その結果、男はものの見事にひっくり返り、後頭部を地面で強打する。
「あっ、が……ッ。このクソガキ、大人を舐めくさりやがってェ……!」
彼はまさに怒髪天を突く勢いで叫び、懐からダガーナイフを取り出した。
するとその直後――仲間の一人が、泡を食って止めに入った。
「お、おいやめとけ! よく見りゃあの制服、『第三』のものだぞ……っ」
「『だいさん』……? なんだそりゃ!?」
「王立第三魔術学園! 鬼強ぇ魔術師たちの
その瞬間、男の顔から一気に血の気が引いた。
「ぇ、あ……マジ、か……?」
「……手帳でも確認しますか?」
エレンはそう言って、懐のポケットから、生徒手帳を取り出す。
そこにはもちろん、王立第三魔術学園の校章が刻まれている。
「へ、へへへ……っ。なんだよ、あんたも人が悪ぃな……。そんなに凄ぇ魔術師なら、先に言ってくれてもいいじゃねぇか……なぁ?」
さっきまでの勢いはどこへやら……。
男はニヘラと微笑みながら、媚びるように手を擦り合わせた。
「と、とにかくあれだ……すまなかったな……っ。ちょっとばかし、悪酔いしちまってたみたいだ。この通り――すまんかった、許してくれ……っ」
彼は地べたに這いつくばり、エレンと少女に深々と頭を下げる。
「はぁ……わかりました。さっきのような悪趣味な真似は、金輪際しないでくださいね? 後それから、誰彼構わず喧嘩を吹っ掛けていたら、いつか本当に危ない目に遭いますよ? このあたりには、
エレンは『とある黒道使い』を頭に浮かべながら、親切な忠告をしてあげた。
「わ、わかった、ちゃんと肝に銘じておく。それじゃ、俺たちは失敬するぜ……っ」
男はそう言うと、逃げるようにして、街の雑踏に消えていった。
無事に酔っ払いを撃退したエレンは、道の端で怯える少女に優しく声を掛ける。
「もう大丈夫だよ。怪我はない?」
「は、はい……危ないところを助けていただき、本当にありがとうございました」
「偶然通り掛かっただけだから、気にしないでくれ。それよりも、今は一人なの?」
「実は、そうなんです……。普段は一人で出歩かないのですが、今日は『特別な日』なので、こっそりと外出を……」
彼女はそう言いながら、大事そうにプレゼントを抱き締めた。
「なるほど、そうだったのか……。もしあれだったら、家族や知り合いのいるところまで送り届けるよ?」
「えっ? いやでも、さすがにそこまでしていただくわけには……っ」
「こっちのことは気にしないで、ちょうど時間を持て余していたところなんだ。それより……もしかしたらさっきの奴等が、まだどこかで息を潜めているかもしれない。君さえ迷惑じゃなかったら、安全なところまで送らせてくれないか?」
エレンの優しい提案を受け、少女は小さくコクリと頷いた。
「何から何まで、本当にありがとうございます。それじゃお言葉に甘えて、私の家までお願いしてもいいですか?」
「あぁ、もちろん」
その後、二人はお互いに自己紹介を交わした。
少女の名前はシルフィ、十歳。
絹のように艶やかな黒いロングヘア。
身長は百三十センチ、年齢相応の可愛らしい顔をしている。
「へぇ、シルフィにはお兄さんがいるのか」
「はい。私のお兄ちゃん、とっても凄いんですよ? お勉強が得意で、運動神経も抜群で、お料理が上手で、お裁縫やお絵描きも凄くて……それに何より、本当に優しい。寝る前なんかは、いつも本を読んでくれるんです」
「へぇ、いいお兄さんなんだね」
「えへへ。エレンさんとお兄ちゃんは、どことなく雰囲気が似ているので、きっといいお友達になれると思います」
「あはは、それは楽しみだな」
話が一段落したところで、エレンはさっきから気になっていたことを聞いてみることにした。
「ところで、その左手に抱えているの……もしかして、お兄さんへのプレゼント?」
「……お兄ちゃん、いつも私のために頑張ってくれているから、少しでもそのお返しがしたくて……。それで今日は、こっそりとお家を抜け出して来ちゃいました」
「なるほど、そういうことだったのか……。それじゃ早く帰って、お兄さんを安心させてあげないとね」
「はい」
エレンとシルフィがそんな会話をしていると――前方から荒々しい息を吐く男が駆け付け、二人の前でピタリと足を止めた。
「はぁはぁ……っ。シルフィ……お前、一人で勝手に家を出るなって言っただ……ッ!?」
次の瞬間、彼の顔は憎悪に染まっていく。
「ぜ、ゼノさん……!? もしかして……あなたがシルフィのお兄さんなんですか!?」
「エレン……そうか。てめぇが、妹を連れ出したのか……ッ」
大きな勘違いしたゼノが、凄まじい怒気を放つ中、シルフィが「待った」を掛けた。
「お兄ちゃん、違うの! エレンさんはとても優しい人よ! さっきだって、私のことを助けてくれ……た……っ」
直後、彼女は突然その場にうずくまり、苦しそうに胸元を抑えた。
「し、シルフィ!?」
「くそっ、こんなときに発作か……ッ」
ゼノはすぐにシルフィのもとへ駆け寄り、彼女のことを優しくおんぶする。
一方のエレンは、
「――赤道の三・
赤道と白道の混合魔術を展開。
温かく柔らかい空気の膜を生み出し、シルフィの全身を優しく包み込んだ。
「てめぇ、何を……!?」
「赤道と白道の形態変化で、保護膜を張りました。この中にいれば、走ったときの衝撃や冷たい風が緩和されます」
「ちっ、相変わらずのやり口だが……よくやった! 薬はこっちだ、付いて来い! そのヘンテコな魔術、死んでも切らすんじゃねぇぞ!?」
「はい!」
ゼノはシルフィをおぶったまま駆け出し、エレンもその後に続いた。
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