盲目の少女【一】

 エレンとゼノの激闘が中断された後は、特にこれといった問題も起こらず、平穏無事に三限の自習時間が終わった。

 今日は入学式+登校初日ということもあり、授業があるのは午前中のみ。

 一年A組の生徒たちは教室に戻り、帰りのホームルームを受けていた。


「――皆の衆、今日は大変申し訳なかった。学園長の話が思いの他に長く……いやしかし、まさか三限の授業内に戻れないとは、思ってもいなかったのである。そのお詫びと言っては難であるが、自習課題に付した『ペナルティ』――放課後の外周十周はなかったものとする」


 その発表を受けて、敗北していた生徒たちは喜び、勝利していた者は不満気に口をとがらせる。


「さて……特に連絡事項もないようなので、帰りのホームルームはこれにておしまい。みな、気を付けて帰るのであるぞ」


 ダールが解散を告げると、教室になごやかな空気が流れ出す。


「よーよー、売店覗いていかね?」


「おっ、いいね! ここの焼きそばパン、激ウマらしいぞ!」


「ねぇねぇ。せっかくの午前授業だし、ちょっと街に遊びに行かない?」


「オッケー。私もちょうど行ってみたかったところがあるんだー」


 クラスメイトたちが楽しそうにお喋りをして、食事や買い物の予定を立てる中――エレンはササッと手荷物を纏めて、自身の寮に直帰ちょっきする。


(えーっと、待ち合わせは十五時だから……うん、まだ時間はあるな)


 彼にはこの後、シャルと一緒に『魔具屋まぐやアーノルド』の本店へ行き、本日発売予定の『青道魔具』を見に行く約束があるのだ。


 本当のことを言えば、入学式の日にあまり予定を入れたくなかったのだが……。


 今よりさかのぼること一週間ほど前――。


「――見てください、エレン様! この素晴らしい青道魔具の数々を……!」


 キラキラと目を輝かせたシャルが、とあるお店のチラシをエレンに手渡した。


「魔具屋アーノルド……? ここって確か、有名な魔具屋さんだっけか?」


「はい、老舗しにせ中の老舗です! このお店は、季節ごとに各属性の新商品を発表していましてね! 今回はなんとそれが『青道魔具』なんですよ! ほらほらぁ、この剣とか見てくださいよ! うわぁ、いいなぁ~。かっこいいなぁ~っ」


 彼女はそう言って、まるで小さな子どものようにぴょんぴょんと跳びはねた。


「へぇ、どれどれ……。なるほど、『聖水秘剣』か……。結構な値段がするみたいだけど、どんな魔術的機能が備わっているんだ?」


「ふっふっふっ、よくぞ聞いてくれました! この剣のつかには、小さなボタンがありまして、それを押せばなんと……!」


「なんと……?」


「剣の切っ先から、冷や水が飛び出します!」


「……は?」


「目潰しですよ、目潰し! いやぁ、さすがは魔具作りの大家たいかアーノルド……。『まさかそう来たか!?』という、素晴らしい発想の商品ですね!」


「……そ、そうかなぁ……?」


 なんとも言えない微妙な機能に、エレンは苦笑いを浮かべる。


「ねぇねぇエレン様、来週のこの日、一緒にアーノルドの本店へ行きませんか!? 青道を知り、青道魔具を知れば、向かうところ敵なし! これも修業の一環ですよ!」


 シャルはそう言って、エレンの服の袖をグイグイと引っ張った。


(うーん……。その日は入学式と初授業があるから、できれば空けておきたかったんだけど……まぁいいか)


 彼女が本当に嬉しそうな顔をしていたため、エレンは一緒に買い物へ行くことを決めたのだった。


 そんな昔のやり取りを思い返していると、気付けば目の前に魔具アーノルドの本店があった。


(シャルは……さすがにまだ来てないか)


 周囲を軽く見回してみたが、彼女の姿は見当たらない。


 それもそのはず、現在の時刻は十三時半。

 待ち合わせの十五時には、まだ後一時間以上も時間があった。


(ちょっと早く着き過ぎちゃったみたいだな。……せっかくだし、軽く街をぶらついてみるか)


 それからしばらくの間、特に行く当てもなく、街中をぼんやりと練り歩いた。


 人間、何かするべきことや考えることがある間は、存外クリアな思考を保てるのだが……。

 それが何かの拍子でふっとなくなり、手持無沙汰になった時、過去の過ちや失敗といったネガティブな経験を思い起こしてしまう。


 当然それは、エレンにも当てはまった。


(……はぁ、やっちゃったな……)


 脳裏をよぎるのは、三限に起きたゼノとの決闘。

 お互いがヒートアップした結果、副学長のリーザス・マクレガーに減点処分+反省文の提出を言い渡された。


(……反省文って、何を書いたらいいんだろう……)


 意気消沈したエレンが、大通りをトボトボと歩いていると――両目をつぶった十歳ぐらいの少女が、前方からゆっくりとこちらへ歩いてくるのが目に入った。


(……あの子、眼が悪いのかな……?)


 彼女は左手でプレゼントらしきものを大事そうに抱えながら、右に持った白杖はくじょうで地面をカンカンと突きながら歩いている。


(ぶつかったら危ないし、ちょっと端の方を歩くか)


 エレンがそんなことを考えていると――タイミングの悪いことに、街道沿いの居酒屋から、四人組の男たちが出てきた。


 その直後、少女の突いた白杖が、酔っ払いの足に当たってしまう。


ってぇな、お゛い……っ。てめぇ、どこ見て歩いてんだ!?」


「きゃぁ!?」


 突然、大きな罵声を浴びせられた彼女は、たたらを踏み――その場で尻餅しりもちをつく。


「す、すみません……。私、眼が視えなくて……それで、その……本当にすみません……っ」


 うっかり手放しそうになった白杖と大切なプレゼントを抱き締めながら、少女はひたすらに謝罪の言葉を繰り返した。


 一方、彼女が盲目であることを知った男たちは、ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべる。


「あーあ、こりゃ酷ぇや。脚の骨が折れてやがる!」


「こいつは損害賠償ものだなぁ」


「治療費、どんぐらいだ?」


「へへっ、ざっと見積もって三千万はいくんじゃねぇか?」


「さ、三千万って……そんな……っ」


 男たちが下卑た笑い声をあげ、少女が絶望に暮れる中――周囲の通行人たちは、それを見て見ぬふり、むしろ足早に過ぎ去っていく。


 真っ昼間から酒を貪った挙句、小さな女の子にたかるような性質たちの悪い連中とは、誰も関わり合いになりたくないのだ。


(……お兄ちゃん……助けて……っ)


 少女の目元にじわりと涙が浮かんだそのとき、


「――女の子一人に寄ってたかって、ちょっと悪趣味じゃないですか?」


 魔術師エレンが、彼女のもとへ駆け付けた。

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