感動


 ゼノには今のこの現状が、まったく理解できなかった。


 魔術とは、すなわち『力』。

 戦いは当然、より力の強い術師が勝つ。


 これが彼の魔術観まじゅつかんであり、自身の打ち立てた『絶対の法則』。

 しかしどういうわけか、目の前の相手には、この絶対の法則が通用しないのだ。


 この見るからに弱そうな謎の魔術師は、こちらの圧倒的な黒道を摩訶不思議まかふしぎな方法でいなし――創意工夫の凝らされた独特な魔術で、確実に削りを入れてくる。


 一度は『無能』と嘲笑った魔術師に、『弱者の戦い方』と切り捨てた戦術に、自分が押されているという現実。


 それがどうしても、受け入れられなかった。


(何故だ……っ。魔術も魔力も知識も、基礎スペックでは、俺の方が全て上回っているはず……。それなのに、どうして勝てねぇんだ……ッ)


 窮地に追いやられたゼノは激昂げきこうし、禍々まがまがしい魔力を解き放つ


「く、そがぁあああああ゛あ゛あ゛あ゛! ――黒道の五十・黒凰こくおう天墜てんつい!」


 彼が左手を振り下ろすと同時――遥か天空より、漆黒の大結晶が振り落ちる。


「漆黒の波動と落下の衝撃波による『広域殲滅魔術』……! どうだエレン、てめぇの貧弱な魔術じゃ、こいつはさばけねぇだろ!?」


 ゼノは勝利を確信し、邪悪な笑みを張り付けるが……。


(こういうときは――眼を凝らす・・・・・!)


 エレンの魔眼は、ありとあらゆる魔力を『色』で見分ける。


 荒れ狂う魔力の流れから、黒凰天墜の落下地点を正確に予測。

 未来予知に近い精度で安地あんちを――『青色』に染まった地点を割り出し、必要最小限の動きで、吹き荒れる漆黒の波動とそれに続く衝撃波を回避した。


「へ、へへ……っ。勝った、勝ったぞ……この勝負、俺の勝ちだ……!」


 ゼノが勝利の余韻よいんに浸る中、


「――いいえ、まだですよ」


 土煙から、無傷のエレンが飛び出した。


「こ、こいつ……!?」


 仕留め損なったうえ、ここに来ての接近戦。

 虚を突かれたゼノは、わずかに反応が遅れてしまう。


「ハッ!」


 エレンの繰り出した鋭い中段蹴りが、隙だらけの脇腹を正確に射貫く。


「ぁ、が……っ」


 ゼノは体を『く』の字に曲げ、荒れた校庭に何度もその体を打ち付けながら、遥か遠方まで転がっていった。


「はぁはぁ……っ。くそ、が……なんでだ……ッ。どうして俺の魔術だけが、当たらねぇんだ!?」


 彼はゆっくりと立ち上がり、心の声を叫び散らす。


 たとえどれほど強力な攻撃でも、当たらなければ、どうということはない。

 まるで未来でも視ているかのようなエレンの動きに、ゼノは大きな苛立ちと未知の恐怖を感じていた。


 激情と混迷――その狭間に生まれた僅かな隙を、魔眼は決して見逃さない。


「――黄道おうどうの二・雷鳴らいめい


「~~ッ」


 意識の間隙かんげき、完全な死角を打ち抜かれたゼノは、静かにその場で膝を突く。

 これまでジワリジワリと与えられたダメージが、体の芯まで到達してしまったのだ。


 戦いの趨勢すうせいは明らかであり、エレンの勝利はもはや確実に思われた。


「あの……ゼノさん、このあたりで引き分けにしませんか? これ以上やると、明日の授業に響いちゃうと思うので……」


 エレンのそんな優しい提案は、


「く、くくくく……っ。はーはっはっはっは……ッ」


 不気味な笑い声によって掻き消された。


「ぜ、ゼノさん……?」


「……いいぜ、認めてやるよ……。魔術師エレン、てめぇは確かに強ぇ。それも、今まで見たことのねぇ『唯一無二の強さ』だ」


「えーっと……ありがとう、ございます?」


 突然褒められた彼は、困惑しながらもお礼を返した。


「だがよぉ……俺は絶対に諦めるわけにはいかねぇんだ。たとえどんな手を使ってでも、『交渉権』を手に入れる……!」


 ゼノは胸に秘めた願いをたぎらせ、静かに呼吸を整える。


「――見せてやるよ。『呪われた蛇の力』を……!」


 瞬間、『呪蛇じゅじゃの刻印』が妖しく輝き、漆黒の大魔力が吹き荒れた。


「――我は夜を紡ぐ者、黒天を編み、からの座を継ぎ、くらき誓いを此処ここに記す」


 おごりとあなどりを捨てた彼は、この戦いで初めて『完全詠唱』を行う。


「おいおい、待て待て待て……っ。いくらなんでも、その魔力量はやば過ぎんだろ!?」


「と、とにかく、逃げろ……! 今すぐこの場を離れるんだ……!」


 死の危険を感じたクラスメイトたちは、蜘蛛の子を散らしたように逃げ出した。


崩玉ほうぎょくの龍、偽聖ぎせいの果実、あま庭代にわしろが罪に染まる――黒道の六十・死龍しりゅう天征てんせい!」


 刹那、巨大な闇の龍が、凄まじい速度で解き放たれる。


 それはかつて死の秘宝を呑み込んだ邪龍。

 天地鳴動すその大魔術は、触れたもの全てを呪い殺す『必殺の一撃』。

 ゼノの使用可能な『最強の黒道魔術』である。


「か、完全詠唱の六十番台……!?」


「ゼノの野郎、この学園を吹き飛ばすつもりか!?」


「馬鹿、振り返るな! とにかく、死ぬ気で走れぇええええ……!」


 生徒たちが顔を青く染め、我先にと逃げ出す中――エレンはその場から動かなかった。

 否、動けなかった。


(あぁ、なんて『綺麗』なんだ……っ)


 彼の心を満たしているのは――只々ただただ、純粋な感動。


 長い歴史の中で編み出された美しい術式構成・生命の萌芽ほうがとも呼べる輝かしい魔力・厳しい修業経てこの大魔術を成し遂げた術師の執念。


 死龍しりゅう天征てんせいに込められた、目一杯の情熱――それら全てに、強く心を打たれたのだ。


(嗚呼……凄い。魔術って、本当に凄い……っ)


 エレンが感動の渦に包まれる中、特殊なレンズの奥底――史上最悪の魔眼が、煌々と紅い輝きを放つ。


 それと同時、彼の体からまるで汚泥おでいのような漆黒の大魔力が溢れ出し、王立第三魔術学園を黒く染め上げていった。


「白道の十――」


 エレンが迎撃魔術を展開しようとした次の瞬間、


「――そこまでです」


 天空より激しい迅雷じんらいが振り注ぎ、生成途中にあったエレンの魔術とゼノの解き放った死龍天征を消し去る。


 周囲に焼け焦げた臭いが充満する中、


「……り、リーザス・・・・副学長・・・……っ」


 とある男子生徒がポツリと呟き、辺り一帯がシンと静まり返る。


 そこに立っていたのは、この学園のナンバーツー。

『雷神』リーザス・マクレガーだった。


「ミスター・ゼノ、今のは明らかにやり過ぎです。私闘で六十番台の魔術を使用するなど、決してあってはなりません。私が止めに入らなければ、エレンを殺していましたよ?」


「……ちっ」


 注意を受けたゼノは、不機嫌さを隠そうともせず、大きな舌打ちを鳴らす。


「ミスター・エレン、あなたもです。勇敢と蛮勇を履き違えてはなりません。魔術師たる者、彼我の実力差をしかと見極め、格上の魔術師との戦いは避けなさい」


「す、すみません……っ」


 至極もっともな注意を受けたエレンは、申し訳なさそうに謝罪する。


「とにかく今回は、喧嘩両成敗。それぞれの成績に『減点一』を付します。ミスター・ゼノとミスター・エレンは、明日の放課後までに反省文を書き、職員室まで持参すること――いいですね?」


「はい、わかりました……」


 エレンが肩を落とす一方、


「くそが……っ」


 全てを・・・理解した・・・・ゼノ・・は、悪態をつきながら、きびすを返した。


「はぁ、まったく……」


 リーザスは小さくため息をついた後、パンパンと手を打ち鳴らす。


「――さてみなさん、いったいいつまで油を売っているつもりですか? 立派な魔術師になるには、日々の研鑽が必要不可欠。さぁ、早く自習を再開なさい」


「「「は、はい……っ」」」


 リーザスの鋭い視線を受けた生徒たちは、大慌てでダールに課された自習課題を再開させるのだった。



 エレンとゼノの決闘を止めたリーザスは、周囲に誰もいない旧校舎へ移動し、何もない虚空へ話し掛ける。


「――どうせどこかで視ているのでしょう? 返事をなさい、ヘルメス」


 すると次の瞬間、


「んー、どうしたのかな?」


 周囲に霧のようなものが立ち込め、そこからヘルメスの声だけが響いた。


「あなたが推薦したエレンという少年……彼はいったい何者なんですか?」


「ボクの大切な家族さ」


「はぁ……まともに答える気はないようですね」


「まぁね」


 相も変わらずといったヘルメスの態度に、リーザスは小さくため息を零す。


「それにしても……さっきの出力、あれは明らかに異常です。私があそこで止めに入らなければ、間違いなくゼノは・・・殺されて・・・・いましたよ・・・・・?」


「あはは。相変わらず、リザは心配性だなぁ。エレンは優しい子だから大丈夫だよ。さっきの魔術だって、無意識のうちにかなり手加減していたみたいだし、君の恐れるような事態にはならなかったさ……多分ね」


「もしも万が一ということがあったら、いったいどうするつもりなんですか?」


「そうなったとき、また考えるさ」


 しばしの沈黙。


「……あなたのそういう適当なところ、反吐へどが出るほど嫌いです」


「君のそういう生真面目なところ、ボクはけっこう好きだけどなぁ」


「黙りなさい!」


「おー、怖い怖い」


 直後、薄い霧が晴れていき、ヘルメスの声は消えた。


「魔術師エレン……。彼のことは、学園長に報告する必要がありそうですね……」


 こうしてエレンは、当人のあずかり知らぬところで、学園の上層部に目を付けられることになったのだった。

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