チグハグな評価と交渉権


 記念すべき第一回目の授業で、担当教師を病院送りにしてしまったエレンは、がっくりと肩を落とす。


(あぁ、やってしまった……)


 新入生代表の挨拶で思いのほか悪目立ちしてしまったため、当面の間は静かな学園生活を、と考えていたのだが……。

 その目論見もくろみは、開幕早々に崩壊した。


「しっかし、わかんねぇな。結局エレンは、凄ぇ奴なのか?」


「んー、まだなんとも言えないわね。単純にケインズ先生が、無能過ぎただけかも……」


「いやでもよぉ、『第三』の教師を圧倒する魔力量って……正直、ヤバくね?」


「うーん……彼の評価は、ひとまず保留ね」


 クラスメイトたちは、遠目からエレンの様子を窺い、何事かをヒソヒソと話している。


 とにもかくにも、担当教員が不在になってしまったため、一限の授業は自習となったのだった。


 それからしばらくして、二限の授業が始まる。


「――みなさん、まずは当学園への御入学、おめでとうございます。私はミレーユ・アンダーソン。担当教科は黄道おうどう、その中でも特に高速移動系統の術式を専門にしております」


 ミレーユ・アンダーソン、三十歳。


 茶色の髪を後ろに流したロングヘア、身長は百七十センチ。

 かなり独特なファッションセンスをしており、派手な黄色のドレスと首元に巻かれた螺旋らせんのストールが、遠目からでも非常によく目立つ。


「これから一年間、みなさんには『実戦的な魔術』をみっちりと学んでいただきます。私の授業は、基本的に実戦を想定したものなので、ほとんど教室内での講義はありません。今後特に連絡のない場合は、必ず校庭に集合するようにしてください」


 連絡事項を伝えた彼女は、早速授業を開始する。


「近代魔術戦において『機動力』は、非常に重要な役割を担っております。ここで言う機動力とはすなわち、空中浮遊・高速移動・緊急回避の基本三技能。これらを抜きにして、実戦を語ることはできません」


 ハキハキとしたいい声が、校庭に響き渡る。


「本日はこのうちの一つ、空中浮遊について学びを深めていきましょう。それではみなさん、私の後に続いてください。――黄道の十二・天昇てんしょう


 ミレーユが魔術を発動させると同時、彼女の体が大空へ浮かび上がった。


 その直後、


「「「――黄道の十二・天昇」」」


 A組の生徒が、当たり前のように天高く飛び上がっていく中、


「……えっ……?」


 まだ黄道の十二番を習っていないエレンは、一人地上に取り残されてしまった。


「さて、今から私が『白道の一・閃』を大量に放ちます。みなさんはそれを空中に浮かんだ状態で、回避してくださ……って、そこのあなた、いったい何をやっているのですか? 早くこちらへ上がって来なさい」


 ポカンと空を見上げるエレンに対し、ミレーユが注意を飛ばす。


「す、すみません……っ。ですが俺、飛べないんです……」


「飛べない? どうしてですか?」


「それはその、黄道の十二番をまだ習っていないので……」


「…………は?」


 ミレーユは、思わず頓狂とんきょうな声をあげてしまう。


 王立第三魔術学園は、超が付くほどの名門校。

 その難関極まる入学試験を突破してきた学生が――それも新入生代表を勝ち取った最優秀生徒が、まさか黄道の十番台という低級魔術を使えないとは、夢にも思っていなかったのだ。


 エレンの申告に驚いたのは、何もミレーユだけではない。


「おいおい、どういうことだ?」

「こんな簡単な魔術も使えないなんて……ちょっとおかしくない?」


「あぁ、そんな魔術技能じゃ、首席合格なんて絶対無理だ。つーかそもそも、合格すら難しくね?」


「やっぱり不正入学の噂は、本当だったんじゃ……」


「いやでも、さっきはケインズ先生を一方的にボコってたし……あー、もうわからん」


 圧倒的な魔力量でケインズを打ち負かしたかと思えば、基礎的な黄道さえ使えないという、チグハグ具合。

 クラスメイトの間で、エレンに対する様々な憶測が飛び交った。 


「まさか空中浮遊さえできない生徒がいるとは……。まぁ、嘆いていても仕方がないですね。あなたはこの時間、こちらの教科書に目を通し、黄道の十二番の術式構成を勉強してください。いいですね?」


「は、はい、わかりました……」


 それからエレンは、校庭の隅へ移動し、一人寂しく教科書を読む。


(……楽しそうだな……)


 ふと顔を上げれば、クラスメイトたちが、大空を自由に飛び回っていた。


(……とにかく、早くみんなに追いつけるように頑張らなきゃな)


 彼はぶんぶんと頭を振り、しっかりと気持ちを切り替え、黄道の基礎術式を学んだ。


 そうして迎えた三限目。

 本来この時間は、ダールが教鞭を取り、白道の授業を実施する予定だったのだが……。


「皆の衆、大変申し訳ない。何故か吾輩、つい先ほど急に学園長から呼び出しを受けてしまったのである。今日の授業は自習――というのは、さすがに無責任なので、簡単な課題を出しておく」


 彼は頭を素早く回転させ、一年生に適した自習内容を捻り出す。


「近くのクラスメイトとペアを組み、白道の一番から十番を無詠唱で発動、その展開速度を競う。ルールとペナルティは……そうであるなぁ。制限時間は一時間、負けた生徒は放課後に外周十周……こんなところか。では、失礼するのである」


 最低限の指示を出したダールは、足早に学園長のもとへ向かった。


「あーあ、ダール先生の授業、楽しみにしてたのになぁ……」


「しゃーねーべ。それよかほれ、さっさと課題をやろうぜ! 負けた方は外周十周に追加して、昼飯おごりな!」


「へっ。その勝負、乗ったぜ!」


「ねぇねぇ、私とペアになってくれない?」


「えぇ、もちろん」


 周りのクラスメイトたちが、次々にペアを作っていく中――エレンはポツンと取り残されてしまう。


(は、早く……誰か組んでくれる人を探さないと……っ)


 焦燥感に駆られた彼が、キョロキョロと周囲を見回していると、


「――エレン」


 背後から、自分を呼ぶ声が聞こえた。


「あっ、もしかして君も余っちゃ――」


 エレンが元気よく振り返った次の瞬間――漆黒の球体が顔の真横を通り過ぎ、頬の薄皮を浅く斬り裂く。


(…………攻撃、された?)


 その事実を理解するのに、少しばかりの時間が必要だった。


「えっと……あの……?」


 眼前に立つのは、強い敵意を放つゼノ・ローゼス。

 入学試験の成績は、エレンに次ぐ第二位。

 辛くも首席の座を逃してしまった男だ。


「なぁエレン……てめぇみたいな無能が、どうして新入生代表なんだ?」


「それは……何故でしょう?」


 むしろ自分が聞きたいぐらいだった。


「俺はよぉ、どうしても新入生代表にならなきゃなかったんだ。……わかんだろ? 『交渉権』が必要なんだよ」


「……?」


 新入生代表に与えられる権利――『学園長との交渉権』。

 当該権利を有する生徒は、所属する学園の長たる者と折衝せっしょうし、なんでも一つお願いを聞いてもらえるのだ。

 王立魔術学園の学園長は、広大な社会的影響力と途轍もない権力を有しており、大抵の希望は一両日中に実現してしまう。


 一応、『魔術教会の定める倫理規定に反しないもの』という条件事項が設定されているものの……。

 魔術師の倫理観はガバガバであり、よほど悪質なものでなければ、まずもって拒否されることはない。


 ゼノは喉から手が出るほど、この交渉権を欲していたのだが……。

 ただ純粋に友達との楽しい学園生活を送りたいだけのエレンは、そんな権利のことなど、ほとんど気にも留めていなかった。


「王立第三魔術学園総則、第二十一条三項――『交渉権を有する同学年の生徒と魔術戦を行い、それに勝利すれば、当該権利を奪い取ることができる』。ここまで言えば、わかるよなぁ?」


「それってもしかして……」


「『決闘』だ。てめぇを半殺しにして、交渉権を奪い取る!」


 力強い宣言と同時、ゼノの体から邪悪な魔力が湧きあがる。


「ちょっ、待ってください! 別にそんなことをしなくても、交渉権が欲しいのなら、ゼノさんにあげま――」


「つべこべ言わず、さっさと構えろ! ――黒道の三十三・黒扇こくせん!」


 刹那、漆黒の扇が凄まじい速度で殺到。


「……ッ!?」


 エレンは大きくバックステップを踏み、なんとかそれを回避した。


「ひゅーっ! 新入生代表とローゼス家の末裔がやり合うぞ!」


「これはかなりの好カードね……必見だわ」


「ゼノは同学年の中でもトップクラスの実力を持つ……。これでようやく、エレンの本当の力がわかるな」


 クラスメイトたちは、二人の決闘を止めるどころか、楽しそうに観戦し始めてしまった。


 しかし、これは別に彼らが悪いわけではない。


 魔術師の常識に照らせば、術師同士の決闘は一般的なものであり、両者の間に絶対的な力量差がない限り――それが一方的な私刑リンチになり得ない限り、止める必要はないとされているのだ。


(はぁ……やるしかない、か……)


 敵意に満ちたゼノ、盛り上がるクラスメイト――もはや説得は不可能と判断したエレンは、仕方なく戦う意思を固めるのだった。

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