魔術師エレンの修業【二】
「
「よろしくお願いします」
礼儀正しくお辞儀をするリンへ、エレンも同じように頭を下げる。
剣術の講師は、エレンのお世話係でもあるリン・ヒメミヤ。
ポニーテールにした
大きな漆黒の瞳・雪のように白い肌・大きくて豊かな胸・スラッと伸びた肢体、可愛いというよりは、美しいという言葉がよく似合う美少女だ。
きっちりとした性格をしており、白と黒の超正統派メイド服を完璧に着こなしている。
「早速ですが、エレン様は剣を握られたことがありますか?」
「いえ、一度もないです」
「かしこまりました。それではまず、剣の持ち方から始めましょう」
リンはそう言って、二本の木刀を床に並べた。
「利き手を前に突き出し、こうして握手をするように
「えっと、こう……ですか?」
「はい、とてもお上手です。可能ならば、もう少し右手を上へ、
リンはエレンの背後に立ち、彼を抱きしめるような形で指導する。
「……っ」
背中に柔らかいものが――リンの豊かな胸が押し当てられ、自然と鼓動が速くなった。
「それでは次に、剣術において最も基本的な型である、『正眼の構え』を練習しましょう」
彼女はそう言って、自身のおへその前に木刀を構えた。
「『学ぶ』という言葉の由来は、『
「はい」
エレンはコクリと頷き、目の前のお手本を注意深く観察する。
(えーっと……剣先の角度は四十五度、重心の位置は真下で、呼吸はこんな感じかな……?)
剣の持ち方・重心の位置・呼吸のリズム――まるで鏡写しのように、リンの構えを完璧に模倣した。
それを見た彼女は、思わず言葉を失った。
(……信じられません)
堂に
エレンの
「え、えっと……どうでしょうか?」
「……さすがはエレン様、素晴らしい正眼でございます」
「本当ですか? ありがとうございます」
この十年、
「さて、お次は剣術の基礎となる動きを学んでいきましょうか」
「はい!」
その後、
(……覚えがいい。それに何より、眼がいい)
(リンさんの教え方、本当にわかりやすいなぁ……)
感覚的に過ぎるティッタとは異なり、きちんとした理論に基づいたリンの指導は理解しやすく、エレンはその教えをスポンジのように吸収していった。
「では最後に、我が流派の技をお教えましょう」
「お願いします」
「私の流派は
「リンさんだけ……?」
「はい。次元流を開いたヒメミヤの一族は、とある事情により滅ぼされてしまいました。私は一族最後の生き残り。……この剣はいずれ消えゆく運命にあるのです」
もの悲しそうに
それを見たエレンは、どうにかして彼女の力になりたいと思った。
「……だったら、俺がリンさんの剣を引き継ぎます。そして次元流をもう一度、」
純粋無垢――あまりにも真っ直ぐな言葉を受けたリンは、一瞬呆けたように固まってしまう。
「あ、いえ、その……す、すみません……っ。俺なんかが、出過ぎたことを言ってしまいました」
「いえ、ありがとうございます。エレン様は本当に優しいお方ですね」
その後およそ一時間、エレンはリンの指導の下、次元流の基礎をしっかりと丁寧に学んだ。
「――今日は初日ですので、このあたりにしておきましょうか」
「ありがとうございました」
「はい、とてもよくできました。さすがはエレン様でございます」
優しくギュッと抱き締め、よしよしと頭を撫ぜた。
女の子特有の甘い香りが
「り、リンさん、近いですよ……っ」
「ふふっ。家族ですから、これぐらいのスキンシップは普通です」
「そ、そういうものなんですか……?」
「そういうものです」
剣術の指導が終わり、ヘルメスや使用人たちと夕食を食べた後は、いよいよ魔術の修業が始まる。
「ふっふっふっ、ようやくこの時が来ましたね……。魔術の講師はこの私――シャル・エインズワースが担当します!」
「よろしくお願いします」
シャル・エインズワース。
両サイドの肩口あたりで纏められた美しい青髪、身長は百五十センチ、年齢は十五歳。
自信に満ちた
背丈こそ小さいものの、大きな胸とくびれた腰付きが特徴の魅力的なプロポーションを備えている。
趣味は裁縫。支給されたメイド服を魔女ルックに大改造し、頭からすっぽりと被った大きな魔女帽子は、彼女が夜なべして編んだ手作りだ。
「いいですか、エレン様? 魔術の基本は『
「なるほど……。ちなみになんですが、六道の中で優劣とかはあるんですか? 例えば○○道が強かったり、××道が弱かったりとか」
「いい質問ですね。その問いに対する答えはずばり――我が『青道』こそが最強であり、他の系統は『糞雑魚ゴミ
「え、えー……っ」
明らかな偏見を押し付けられたエレンは、曖昧な苦笑いを浮かべる。
「さて、それでは早速、エレン様の魔術適性を調べましょうか」
シャルはそう言うと、戸棚の奥から透明な水晶を取り出し、机の上にそっと置いた。
「この水晶は『魔晶石』と呼ばれる、特殊な魔石から削り出されたもの。魔晶石は周囲の魔力に反応し、様々な変化を示します。この性質を利用することで、魔術師は自身の魔術適性を知ることができるのです」
「なるほど……」
「術師の適性が赤道ならば、魔水晶の内部にちんけな
「はい、わかりました」
エレンは言われ通り、魔晶石に両手を添え、静かに魔力を込める。
すると次の瞬間、魔晶石の内部に灼熱の
「ほぅほぅ、エレン様の適性は『赤道』のよう――」
しかしその直後、眩い迅雷が駆け抜け、
「あ、あれ……? この反応は『黄道』の――」
そうかと思えば、邪悪な闇が湧きあがる。
「なんと禍々しい……っ。これは間違いなく、『黒道』の――」
それからしばしの間、魔晶石内部の『異常』は留まる試しを知らず、まるで嵐のように目まぐるしく変わり続けた。
「えっと、これは……?」
エレンはコテンと小首を傾げ、シャルの意見を仰ぐ。
「え、エレン様は……白道に適性があるようですね!」
「白道ですか」
「はい、この優柔不断かつ不細工な反応は間違いありません。ちなみに白道は、糞雑魚ゴミ道の一つ。調和を司る、生温くて半端な力となります。……残念でしたね」
「
ここまでのやり取りから、シャルの取り扱いを理解したエレンは、とても嬉しそうに微笑んだ。
「まぁ、そのような解釈もできなくはないですね。――とにもかくにも、エレン様の魔術適性は、糞雑魚ゴミ道の一つである『白道』。まぁこれは生まれつきのものなので、文句を言っても仕方がありません。そうがっかりしないでください」
シャルはそう言いながら、魔水晶を戸棚の奥へ収納し、コホンと咳払いをする。
「さっ、それでは気を取り直して、青道の授業を始めましょう!」
「はい、お願いしま……えっ?」
「……? どうかしましたか?」
不思議そうにキョトンと小首を傾げるシャルへ、エレンはゆっくりと問い掛ける。
「えっと……俺の適性は白道なんですよね?」
「えぇ、それがどうかしましたか?」
「だとしたら普通、白道から習うのでは……?」
至極真っ当な質問に対し、シャルはやれやれと肩を竦める。
「まったく、これだから素人は……。いいですか、エレン様? 遥か
「……ちなみにその言葉は、どなたが
「無論、私です」
「あ、あはは……やっぱり……」
予想通りの回答に、エレンは苦笑いを浮かべる。
「とにかく、六道の中で最強の青道を学べば、
「わ、わかりました……っ(シャルさんは青道に御執心だし、ここで反発しても、話が進まなさそうだな……)」
そう判断したエレンは、青道を習うことに決めたのだった。
それからおよそ一時間、術式構成・魔力循環・詠唱理論といった、座学を中心とした指導が行われ――いよいよ実践の時を迎える。
「これより、青道における最も初歩的な魔術『青道の一・
「わかりました」
エレンがコクリと頷いた後、シャルは静かに目を閉じる。
「白日の冬、
詠唱が結ばれると同時、彼女の周囲にたくさんの水球が浮かび上がった。
「お、おぉ……!」
「ふっふっふっ。どうですか、美しいでしょう? 綺麗でしょう? これが青道魔術なのです!」
エレンの反応に気をよくしたシャルは、得意気な顔で胸を張る。
「ではエレン様、青道の一・蒼球を発動してみてください」
「はい!」
座学で習った蒼球の術式を構築し、そこへ自身の魔力を流し込む。
そうして発動準備を完了させたエレンは、いよいよ詠唱を開始する。
「白日の冬、
次の瞬間、彼の周囲に蒼い水の球がふわふわと浮かび上がる。
「うわぁ、凄い……!」
自分の意思で、初めて行使した魔術。
エレンの心の内は、純粋な感動と喜びとでいっぱいになった。
「ほ、ほぉ……。一発で成功させるとは、中々やりますね。……実はどこかで、コソ
「いえ、今回が初めてです」
「ふーん、そうですか……。でも、あまり調子に乗ってはいけませんよ? 青道の真髄は、変幻自在の展開力! すなわち『属性変化』と『形態変化』にあります! これをマスターせずに青道を語るなど、片腹痛いとしか言えません!」
「属性変化と形態変化……こういうのですか?」
エレンは人差し指をサッと走らせ、展開中の術式に軽微な修正を加えた。
すると次の瞬間、周囲に浮かぶ水の球は
「こ、これは……属性変化!? しかも、一番難易度の高い
「なるほど、やっぱりここをいじれば属性が変わるみたいですね。それなら、こっちをいじれば……?」
エレンがさらに別の場所へ手を加えると同時、水の球は
「け、形態変化まで……っ」
魔術師の上級技能、属性変化と形態変化。
エレンはそのやり方を誰に教わるまでもなく、自身の直感だけで容易くやってのけたのだ。
(ずば抜けた魔術センス、常識に囚われない自由な発想……ヘルメス様の言う通り、エレン様には天賦の才能があるようですね。……ちょっと
シャルは大きく深呼吸をし、コホンと咳払いをする。
「ま、まぁまぁですね! 世紀の大魔術師であるこの私から見れば、ミジンコレベルの青道魔術ですが……。『初学者にしてはよくできた』、と言ってあげてもよいでしょう!」
「本当ですか? ありがとうございます!」
既にシャルの人となりを理解しているエレンは、彼女らしい誉め言葉を素直に受け取った。
「さて、と……今日はこのあたりでお開きにしましょうか。明日は青道魔術の奥深さとその神秘性について、ばっちりみっちりお話しするつもりなので、楽しみにしておいてください」
「はい、わかりました」
こうしてエレンの魔術師修行、その一日目が終わったのだった。
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