魔術師エレンの修業【一】


 翌朝。

 豪奢ごうしゃな一室で目を覚ましたエレンは、顔を洗って歯を磨き――手早く朝支度を済ませた。


(ヘルメスさんの部屋は、確か三階だったよな……?)


 昨晩、大聖堂から屋敷へ帰った後、「今日はもう遅いし、今後のことは明日に話そうか。朝起きたら、三階にあるボクの部屋へ来ておくれ」、ヘルメスはそう言って、エレンと別れたのだった。


(よし、行ってみよう)


 エレンが部屋から出るとそこには、お世話係のリンが立っていた。


「――エレン様、おはようございます」


「お、おはようございます」


「ヘルメス様がお呼びです。どうぞこちらへ」


 そのまましばらく歩くと、ヘルメスの私室に到着。

 リンはコホンと咳払いをし、大きな木製の扉をコンコンとノックする。


「――ヘルメス様、エレン様をお連れしました」


「あぁ、ありがとう。入っておくれ」


「失礼します」


 リンがゆっくり扉を開けるとそこには、座椅子に腰掛けるヘルメスがいた。

 彼はコーヒーカップを片手に揺らしながら、机に広げられた朝刊に目を通している。


「おはよう、エレン。昨夜はよく眠れたかい?」


「はい、ありがとうございます」


「そっか、それはよかった」


 柔らかく微笑んだヘルメスは、空になったカップをソーサーの上に置く。


「さて、それじゃ早速だけど、例の話の続きをしようか」


 彼は新聞を折り畳み、机の引き出しに直した。


「昨晩、ボクはベッドの中でじっくりと考えたんだ。『最も効率的に魔術を学ぶには、どうすればいいだろうか』ってね。そうして熟考じゅっこうに熟考を重ねた結果、一つの答えに辿り着いた。――ねぇエレン、学校に行ってみるのはどうかな?」


「学校、ですか……?」


「うん。魔術師として成長するには、やっぱり学校に通うのが一番いい。それに何より、君のような若人わこうどには、同年代の友達が必要だと思うんだ。時に笑い、時に泣き、時に怒り――お互いに切磋琢磨しながら過ごす、甘くて酸っぱい青い春。嗚呼ああ、懐かしいなぁ……。ボクにもそういう時代があったんだよ? 今頃みんな、どうしているんだろう」


 ヘルメスは遠い目をしながら、かつての青春に想いをせる。


「っと、少し話がれてしまったね。それでどうかな? ボク的には、王立第三魔術学園とかおススメなんだけど」


「お、王立第三魔術学園!?」


 グランレイ王国には、五つの王立魔術学園がある。

 王立というだけあって、その五学園はいずれも超がつくほどの名門校。

 無事に卒業できれば、歴史と伝統ある魔術教会・終身雇用の宮廷術師・金払いのいい大手魔具商店などなど……その進路は無限に広がり、福利厚生の充実した好待遇が約束される。


「『第一』は戦闘に尖り過ぎだし、『第五』はあまりにも研究一辺倒。王立魔術学園の中で、最もバランスの取れているのが『第三』なんだ」


「でも俺、魔術のことは本当に何も知らなくて……」


 エレンは五歳まで貴族としての礼儀作法を厳しくしつけられ、その後の十年間は物置小屋に押し込まれていた。

 そのため、魔術的な教養はほとんど全くと言っていいほどない。

 そんな自分が、王立魔術学園の入学試験を突破できるとは、とても思えなかったのだ。


「それについては大丈夫。王立魔術学園の入学試験は、実技偏重の傾斜配点になっているからね。確か……『実技九割・筆記一割』だったかな? 筆記での足切りもないから、実力のある魔術師は結構簡単に入れるんだよ」


「いえ、その……俺には魔術師としての実力が、全くないんですが……」


「大丈夫大丈夫。エレンには魔術の才能があるし、ボクもできる限りの協力はする。だから、ちょっとだけ頑張ってみないかい?」


 ヘルメスの優しくて真っ直ぐな言葉を受け、エレンは前向きな決意を固める。


「……わかりました。あまり自信はありませんが、自分なりに精一杯頑張ってみようと思います」


「よし、決まりだね! それじゃ、入ってきてもらえるかな?」


 ヘルメスが手を打ち鳴らすと同時、部屋の扉がキィと開き、新たに二人の使用人が入ってきた。


 赤髪と青髪の美少女は、エレンのお世話係であるリンの両隣にスッと立ち並ぶ。


「紹介するね。向かって左からティッタ、リン、シャル。彼女たちがエレンの先生になって、体術・剣術・魔術の指導をしてくれる。第三の入学試験まで後一か月……あんまり時間の余裕もないから、駆け足で行くよ」


「「「エレン様、よろしくお願いします」」」


「え、えっと……よろしくお願いします」


 こうしてエレンの魔術師としての修業が始まるのだった。



 その後、動きやすい服に着替えたエレンは、ティッタという赤髪の使用人に連れられ、屋敷の中庭へ移動する。


「――ごっほん。それでは改めまして……あたしはティッタ・ルールー。エレン様、よろしくお願いするっす!」


「は、はい、よろしくお願いします」


 体術の講師を担当するのは、ティッタ・ルールー。


 その身に狼の血を宿す『獣人』だ。

 肩に掛かる長さの燃えるような赤い髪、身長は百六十五センチ、年齢は十七歳。

 頭にぴょこんと生えた犬耳・人懐っこい温かな笑顔・大きくて豊かな胸が特徴の美少女だ。

 白と黒の純正メイド服を着用し、深いスリットの入ったロングスカートを穿いている。


「さぁエレン様、『健全な魔力は健全な肉体に』っす! あの太陽に向かって走れー!」


「は、はぃ……っ」


 そうして小一時間ほど中庭を走らされた後は、腕立て伏せ・腹筋・スクワットをそれぞれ百回ずつこなしていく。


「――九十八、九十九、ひゃーく! エレン様、お疲れ様っす! ナイスファイトでした!」


「はぁはぁ……っ。や、やっと終わった……」


 基礎的な鍛錬が終了したところで、ようやく体術の指導へ移行する。


 今回は修業初日ということもあり、白打はくだ蹴撃しゅうげき・受け身――基本技能三種の習得に重点が置かれた。


「いいっすか、エレン様。白打は、右腕をこうやって……こうっす!」


「な、なるほど……?」


「蹴撃で大切なのは、ギューンと腰を捻って、シュバッと足を振ることっすね!」


「『ギューン』とやって『シュバッ』……?」


「受け身のやり方は……んー、そうっすねぇ……。口で説明するのは難しいので、実際に体験してもらいましょう。それじゃいきますよ? そーれっ!」


「え、ちょ……待っ……ぅ、うわぁああああ……!?」


 ティッタの指導法は、あまりにも感覚的過ぎた。


 それからしばらくして、エレンの体にいくつもの擦り傷と打撲痕だぼくこんが見え始めた頃――。


「いやぁ、お疲れ様でした! ここまでよく頑張ったっすね!」


「は、はぃ……ありがとうございまし――」


「――それじゃ最後に摸擬戦をやりましょう!」


「摸擬戦!?」


 まさか初日から実戦形式の修業をするとは予想だにしておらず、思わず聞き返してしまった。


「大丈夫っす。ちゃんと手加減しますから、エレン様が怪我をすることはありませんよ! ……多分」


「た、多分って……っ」


「心配無用っす! この屋敷には優秀な回復術師もいますので、万が一ポッキリとかポロリがあっても、すぐに治してもらえるっす!」


 自分の体から、いったい何がポロリすると言うのだろうか……。 

 あまり余計なことを聞くと、かえって怖くなりそうだったので、えて聞くような真似はしなかった。


「さぁエレン様、いつでも掛かって来いっす!」


「はぁ……わかりました(ティッタさんは人の話を聞くタイプじゃなさそうだし、やるしかない、よなぁ……)」


 そう結論付けたエレンは、静かに呼吸を整え――真っ直ぐ最短距離を駆け抜ける。


「フッ!」


 先ほど習った白打と蹴撃を主体に攻めるが……。


「なんのなんの!」


 ティッタはそれを容易くいなしつつ、ときたま軽いカウンターを挟んだ。


 そうして実戦的な摸擬戦が行われる中、この日初となる、まともなアドバイスが飛び出す。


「エレン様、戦闘中に目をつぶっちゃ駄目っすよ? しっかりと相手の動きを見て、常に次善の手を考えるんす!」


「な、なるほど……」


 真面目で素直なエレンは、早速言われたことを実行。


(目を凝らして、相手の動きをよく見る……!)


 すると――彼の漆黒の瞳に煌々こうこうくれないが宿った。


(……視える)


 次の瞬間、ティッタの繰り出した鋭い拳を、エレンは完璧に回避した。


(あれ、急に動きがよくなった……?)


 彼女が『違和感』を覚えたそのとき、


「そこだ……!」


 エレンの鋭い中段蹴りが、ティッタの意識の間隙かんげきに滑り込む。


「……っ(速い!? だけど、これぐらいなら……!)」


 ティッタは獣人。その反応速度は、人間のそれを遥かに凌駕する。


「甘いっすよ!」


 右腕を素早く引き込むことで、一拍以上も遅れた状態から、完璧に防御してみせた。


 しかし、


(う、そっ!? 何これ、重過ぎ!?)


 エレンの蹴りには、その小柄な体躯たいくからは、考えられないほどの凄まじい重みが載っていた。


「~~ッ」


 骨のきしむ音が響き、鈍い痛みが腕を走る。


「こ、の……!」


 強烈な痛みに耐えかねたティッタは、反射的に掌底を繰り出してしまい……。


「か、は……っ」


 鋭いカウンターをモロに食らったエレンは、床と平行に吹き飛び――屋敷の外壁に全身を打ち付ける。


(し、しまった……ッ)


 獣人である彼女の打ち込みは、分厚い鉄板さえも容易く穿うがつ。


「エレン様、大丈夫っすか!?」


 顔を真っ青にしたティッタが、大慌てで駆け寄ると、


っつつつ……」


 彼は後頭部をさすりながら、まるで何事もなかったかのように、スッと起き上がった。


「すみません、吹っ飛んじゃいました」


「ふ、吹っ飛んじゃいましたって……」


 先の掌底は、確実に病院コース。

 最低でも数日は目を覚ますことのないレベルの一撃だった。


(あ、あり得ないっす……)


 ティッタは己が失態を恥じると共に、エレンの異常なタフさに絶句する。


「エレン様、その頑丈さは人間の域を――」


 そこまで口を開いたところで、彼女はすぐに口を閉ざした。


(っと、危ない危ない。またみんなに怒られるところっした……っ)


 いつも細かいミスが多く、同僚からは『駄犬』と揶揄やゆされることの多いティッタだが……。

 今回は寸でのところで主人の言い付け・・・・・・・を思い出し、喉元まで出掛かっていた禁句を呑み込んだ。


「あ、あんな軽い一撃で飛ぶようじゃ、全然駄目駄目っすね! 一流の魔術師への道のりは、果てしなく遠いっす!」


「はい。まだまだ未熟ですが、毎日コツコツ頑張っていこうと思います。ティッタさん、これからもよろしくお願いしますね」


 エレンの純粋さに救われたティッタは、ホッと胸を撫で下ろし――パシンと手を打った。


「それじゃ、今日はここまでにしておきましょう。お疲れさまっした!」


「――ありがとうございました」


 体術の修業が終わった後は、軽い昼食を挟み、剣術の修業が実施される。

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