魔王の寵愛と史上最悪の魔眼【三】


 外行きの服に着替えたヘルメスとエレンは、魔術教会のカーラが用意した魔具<異空鏡いくうきょう>に入り、街の中央部に位置する大聖堂前へ転移する。


「――どうぞ、こちらです」


 カーラが聖堂の扉を開けるとそこには、大勢の魔術師たちが床に寝かされていた。


「はぁはぁ……っ」


「う、うぅ……」


「ぁ、ぐ……ッ」


 荒々しく肩で息をする者、沈痛なうめき声をあげる者、苦しそうに胸を抑える者――彼らは全員、瀕死の重傷を負っている。


「……っ」


 悲惨な光景を前に、エレンはゴクリと唾を呑んだ。


「おやおや、これはまた随分と酷いねぇ。いったい何があったんだい?」


 ヘルメスの問いに対し、カーラは苦々しい顔で返事をする。


「とある任務中、敵の魔術師から未知の攻撃を受けてしまい……この有様です」


「『とある任務』、ねぇ……。腕利きの術師をこんなにたくさん引き連れて、どこへ行こうとしていたのかなぁ?」


「……極秘作戦につき、詳細は伏せさせてください」


「あはは、君たちは本当に秘密が好きだねぇ」


 ヘルメスは肩を竦めながら、倒れ伏した男性魔術師のもとへ進み、その紺碧こんぺきの瞳を鋭く尖らせる。


「この特徴的な術式構成は……『呪い』だね。被呪者の魔力をウイルスに変換し、体細胞を壊死ころさせているようだ」


「はい。教会の回復術師では解呪することはできず、このままだと後一時間もしないうちに――」


「――全員死ぬだろうね」


「……仰る通りです」


 重苦しい空気が流れる中、ヘルメスはキラキラと目を輝かせる。


「いやぁしかし、この呪いは本当によくできているね! 対象人数・持続時間・殺傷性、どれを取っても申し分ない!」


「へ、ヘルメス卿! いくらなんでも不謹慎で――」


「――ただ、こんなに強力な呪いを使える術師を、ボクは一人しか知らないなぁ。ねぇこれ、再三にわたる忠告を無視して、『メギドの冥穴めいけつ』へ行ったんじゃないの?」


「……っ」


 カーラは下唇を噛み、視線を逸らした。

 教会の上層部から口止めされているため、ついぞ口を割ることはなかったが……。

 その苦々しい表情が、何よりの答えだった。


「ヘルメス卿、伏してお願いいたします。どうか彼らをお助けください」


「うーん、正直いろいろと思うところはあるんだけれど……。まず第一にどうしてボクなのかな? この手のことは、レメの方が向いていると思うよ?」


 追憶の魔女レメ・グリステン。

 回復や解呪の類は、彼女の得意とするところだ。


「実は、現在レメ様と連絡が取れない状況でして……」


「なるほど、それでこっちにお鉢が回ってきたというわけか」


「……申し訳ございません」 


 ヘルメスはため息をついた後、顎に人差し指を添えながら考え込む。


「まぁ教会に貸しを作るのも悪くないし、今回は助けてあげるよ」


「あ、ありがとうございま――」


「――でもまぁ、今から大急ぎで準備を始めたとして、助けられるのは五人ってところかな」


「たったの五人ですか……!?」


 カーラは思わず、聞き返してしまった。

 この場に倒れ伏す魔術師は優に百人を越えており、その中から五人だけというのは、いささか以上に少なく思えたのだ。


「『たったの五人』って言うけど、これでもけっこう大変なんだよ? 正しい手順を踏まない解呪は、本当にただの力業ちからわざだからね」


 正しく解呪を為すには、『呪いの本体である根本術式の特定』→『それに適合した相殺術式の生成』という手順を踏む必要があり、この作業には膨大な時間を要する。

 僅か一時間でこれを実行するのは、たとえヘルメス級の大魔術師といえども、決して容易なことではなかった。


「そ、それは承知しております。ただ五人というのは、あまりにも……っ」


「せめて後三時間あれば、ちゃんとした解呪をしてみせるんだけど……。そんなにまったりしていたら、みんな死んじゃうだろうからね」


「……っ」


 三時間――その時間を耳にしたカーラは、キュッと下唇を噛み締める。


(最初からヘルメス卿を頼っていれば、みんな救えたじゃない……っ)


 魔術教会の上層部は、ヘルメスに借りを作るのを嫌がり、膝元ひざもとの術師で解呪を試みた。

 しかし、結果は大失敗。

 相殺術式の生成はおろか、根本術式の特定にさえ至らず、悪戯いたずらに時間を浪費しただけだった。


 このままでは百人もの魔術師を失い、教会の維持運営に支障をきたす。

 これほど追い詰められてようやく、ヘルメスに助力をおうという運びになったのだ。


 上層部のあまりに遅過ぎる判断に対し、カーラが強い苛立ちを覚えていると、


「それじゃボクは解呪の準備に入るから、その間に『命の選別』をしておいてね」


 ヘルメスは軽い調子でそう言い、クルリときびすを返した。


「――さてエレン、ボクはこれから崩珠ほうじゅという魔術を行使する。君にはそれを、その眼でよく視ていてほしいんだ」


 ヘルメスはそう言いながら、凄まじい速度で術式を構築していく。


 そんな中、エレンは純粋な質問を口にした。


「あの……ヘルメスさん。この呪いって、そんなに恐ろしい魔術なんですか?」


「うん。この術式を組んだのは、メギドという邪悪な魔術師でね。ボクの――いや、今はそんなことどうでもいいか。それよりもエレン、君の眼にはこの呪いがどう映っているんだい? もしよかったら、教えてくれないかな」


「そう、ですね……」


 エレンはジッと目を凝らし、被呪者ひじゅしゃの体を注意深く観察する。


「なんと言うか……蛇のような黒いモヤモヤが、ゆっくりと体を締め上げているように見えます」


「へぇ、蛇ね……(実に興味深い。展開中の術式をそこまではっきりと視覚化できるのか)」


 ヘルメスが目を丸くする中、エレンは言葉を続ける。


「とても強い魔力の籠った魔術なんですけど、一か所だけ変なところがあるような……」


「『変なところ』……? それはどこかな?」


「えっと、ちょうどこのあたりです」


 エレンは恐る恐る右手を伸ばし、蛇のうなじにそっと触れる。

 すると次の瞬間、蛇の体はビクンと跳ね、光る粒子となって消滅した。


 それと同時、


「う゛……っ。ぁ、あれ……。俺は確か……?」


 さっきまで苦しそうにうめき声をあげていた魔術師が、まるで何事もなかったかのようにスッと上体を起こした。


「これは、『術式破却』……!」


 魔術の根源を為す術式、その原則は等価交換。

 魔術が強力であればあるほど、術式は煩雑化していき、構造的な矛盾をはらみやすい。

 術式破却は、術式の矛盾箇所に衝撃を加えることで、術式効果を破却するというものである。


(魔術の教養がない十五歳の少年が、無意識のうちにあの・・メギドの術式を破却した……っ。嗚呼、やっぱり君は凄いよ。ボクの眼に狂いはなかった……!)


 ヘルメスが至極の感動に打ち震えていると、


「き、君……今、何をやったの!?」


 目の色を変えたカーラが、大慌てでやってきた。


「えっ、あの……すみません……っ」


 これまでずっと酷い扱いを受けていたエレンは、咄嗟に謝る癖がついていた。


「大丈夫だよ、エレン。この人は怒っているわけじゃない。君が今何をしたのか、知りたがっているんだ。もしよかったら、わかりやすく教えてあげてくれないかな?」


「は、はい、わかりました」


 エレンはコクリと頷き、ゆっくりと説明を始める。


「えっと……。この黒い蛇のうなじのあたりが――」


「……『黒い蛇』?」


「エレン、君の視覚イメージを伝えるよりも、術式の第何節に矛盾があるのか、それを教えてあげた方がわかりやすいと思うよ」


「す、すみません。えーっと……第二万三千八百五十一節、ここがちょっとおかしく見えます」


 彼の説明は非常に曖昧なものだったが……。


「……た、確かに……!」


 カーラは厳しい修練を積んできたD級魔術師。

 術式の矛盾箇所さえ教えてもらえれば、おのずから答えを導き出せる。


「へ、ヘルメス卿! この方法ならば……!」


「うん、ここにいる全員を治し切れるだろうねぇ。ただ、もうちょっとばかし人手が欲しいかな?」


「……!」


 ヘルメスから太鼓判と助言をもらったカーラは、大聖堂の中央部へ走り出し、連絡用の魔道具『水晶』を起動する。


「大聖堂より、教会本部へ緊急連絡! 呪いの解呪方法が判明しました! ……えぇ、はい! ヘルメス卿のお弟子さんが、術式の矛盾を発見したんです! とにかく、時間がありません! 大至急、応援を送ってください!」


 応援要請を終えたカーラは、休む間もなく、ヘルメスのもとへ戻った。


「ヘルメス卿、ちょっとこの少年をお借りしてもよろしいですか!?」


「それはボクじゃなくて、エレン本人に聞いておくれ」


 するとカーラは、すぐにエレンへ向き直る。


「エレンくん……いえ、魔術師エレン殿。『魔術の秘匿は術師の基本』――それは百も承知の上で、お願いいたします。どうか貴方の叡智えいちをお授けください……!」


「は、はい……っ」


 凄まじい熱意と迫力に押されたエレンは、コクコクと何度も頷いた。


 数分後、魔術教会から派遣された大勢の術師が大聖堂に到着。


 エレンは彼らに、呪いの構造的矛盾を簡単に説明する。


「な、なるほど……っ。確かにここをけば、術式破却が成立する……!」


「しかし、全五万節で構成される術式のほんのわずかな構成破綻を看破するとは……さすがはヘルメス卿のお弟子さんだ」


 応援に駆け付けた魔術師たちは、感心しきった様子で膝を打つ。


 その後、迅速な治療が施された結果、一人の死者を出すこともなく、無事全員の解呪が完了した。


「はぁはぁ……。た、助かった……っ」


「……ありがとうな、坊主。お前のおかげで、なんとか命拾いできたぜ」


 呪いの苦しみから解放された魔術師たちは、口々に感謝の言葉を述べる。


「い、いえ、俺は当然のことをしただけですから……っ」


 この十年間、ろくに感謝されたことのなかったエレンは、どう返答すればいいのかわからず、ただただ謙遜しっぱなしだった。


 それからしばらくして――。


「ふぅ……」


 エレンがようやく一息ついたところへ、温かいココアを手にしたヘルメスがやってきた。


「お疲れ様、大活躍だったね」


「あ、ありがとうございます」


 湯立つカップを受け取り、お礼を言うエレン。


「ほら、見てごらん。ここにいる大勢の人たちはみんな、君が救ったんだよ」


「俺が……」


「エレンには魔術の才能がある。それを活かすも殺すも、全ては君次第だ。史上最悪と呼ばれたその魔眼は、史上最高の天眼てんがんになれるかもしれない」


 天眼。それは千年前に大魔王を打ち滅ぼしたとされる、伝説の大魔術師が宿す至高の瞳である。


「その全てを見通す神の如き眼があれば、エレンはきっと誰よりも『魔の深淵』に迫れる。そうすれば、もっとたくさんの人を助けてあげられる、君の周りは幸せでいっぱいになる。――どうだいエレン、ボクと一緒に魔術を極めてみないか?」


 ヘルメスは真剣な表情で、スッと右手を差し出した。


(魔術を……極める……)


 エレンはもう一度、ゆっくりと大聖堂を見回す。


 先ほどまで苦痛に満ちていた大聖堂が、今では幸せで満たされている。

 もしも自分が魔術を極めることで、多くの人たちを助けてあげられるのならば、この世界に幸せを作ることができるのならば――それはとても素晴らしいことに思えた。


「――はい、よろしくお願いします」


 生きる目的を得たエレンは、ヘルメスと固い握手を交わす。


 こうして魔術師エレンの新たな人生が始まるのだった。

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