魔王の寵愛と史上最悪の魔眼【二】
「さっ、こっちだよ。足元に気を付けてね」
ヘルメスに手を引かれながら、エレンはゆっくりと馬車を降りる。
手入れの行き届いた庭を抜け、黒塗りの大きな扉を開けると――玄関口に整列した使用人たちが、一斉に腰を折って頭を下げた。
「「「――おかえりなさいませ、ヘルメス様」」」
「うん、ただいま」
ぱたぱたと手を振り、使用人たちの挨拶に応えるヘルメス。
とびきり上機嫌な彼は、鼻歌交じりにエレンの手を引いてホールの中央へ移動し――バッと大きく両腕を広げた。
「みんな、聞いておくれ! 今日はとても素晴らしい一日だよ! なんとうちに、新しい家族を迎えることになったんだ! この子の名前は、エレン・ヘルメス! 魔王の寵愛を授かり、史上最悪の魔眼を宿した少年だ!」
「え、えっと……よろしく、お願いします」
いきなり自身の秘密を暴露されたうえ、大勢の注目を浴びたエレンは、わけもわからないままにペコリと頭を下げる。
一方、
「「「……っ」」」
まるで雷に打たれたかのように固まっていた。
(……やっぱり、
魔眼は嫌悪の対象であり、決して受容されるものではない。
使用人のこの反応こそ正しく、ヘルメスが異常なのだ。
エレンが深く気落ちする中、黒髪の使用人が恐る恐る口を開く。
「あ、あの……ヘルメス様? 私の聞き間違いでなければ、今エレン・
「あぁ、何度でも言おう。この子は、エレン・ヘルメス。ボクらの新しい家族だ!」
刹那の沈黙の後、歓喜の大爆発が巻き起こる。
「ぃやったー! ヘルメス様、ついにお世継ぎを見つけられたんっすね!」
「こうしてはいられません。すぐに
「ま、まさかこんな日が来るなんて……本当におめでたいですね……!」
使用人たちが狂喜乱舞する一方、
「……え?」
事情を知らないエレンは、ただただ呆然としていた。
「ふふっ、驚いたかい? ここにいるみんなは、エレンと同じようにいろいろと訳アリでね。彼女たちにとっては、史上最悪の魔眼も『個性』の一つなんだよ」
ヘルメスは優しく微笑んだ後、大騒ぎする使用人たちへ目を向ける。
「はいはい、みんなストップストップ。嬉しい気持ちはわかるけど、ちょっと落ち着いておくれ。ここにいるエレンは、魔眼持ちということもあって、これまでいろいろと苦労してきたんだ。今日はとても疲れているだろうから、歓迎会はまた別の日にしよう」
「「「承知しました」」」
使用人たちの切り替えは素早く、一瞬で仕事モードの顔となる。
「それじゃ、当面のエレンのお世話は……リン、お願いできるかな?」
「もちろんでございます」
ヘルメスの視線を受けた使用人――リンという名の黒髪の美少女は、
「ボクは残った仕事を終わらせてくるから、その間にエレンの身だしなみを整えてあげてちょうだい」
「かしこまりました」
「ありがとう。――それじゃエレン、また後でね」
ヘルメスは器用に片目でウインクをし、軽やかな足取りで階段を登っていった。
「エレン様、まずは大浴場へご案内いたします。どうぞこちらへ」
「えっ、あ、はい」
リンの案内を受けて大浴場へ移動したエレンは、頭と体を綺麗に洗い、温かいお湯で筋肉をほぐす。
ほどほどに時間が経過したところで脱衣所に戻ると、自分の脱いだボロボロの服がなくなっており、その代わりに男ものの衣服が置かれてあった。
(……これを着ろってことなのかな?)
湯冷めしてはいけないので、体の水気をサッとタオルで拭き取り、用意された服に袖を通す。
そうして脱衣所から出るとそこには、エレンを待つリンの姿があった。
「さっぱりとなされましたね。それでは、こちらへどうぞ」
次に案内されたのは、大きな姿見の置かれた一室だ。
「髪の毛が少々傷んでおられるようなので、散髪をさせていただければと思います。エレン様、お好みのスタイルや長さなどはございますか?」
「いえ、特にありません。だいたいで結構です」
「かしこまりました。それでは、絶対に動かないでくださいね?」
「……? はい、わかりました」
エレンが頷くと同時、リンはメイド服の下に収めていた剣を抜いた。
「――フッ!」
凄まじい
「……っ」
あまりにも斬新なカット法に息を呑んでいると、
「後ろはこのようになっております。……いかがでしょうか?」
バックミラーを持ったリンが、後頭部を写しながら問い掛ける。
伸び切ってボサボサだった髪は今や昔の話、鏡に映るエレンは清潔感のある今風のミドルヘアになっていた。
「あ、ありがとうございます……っ」
「ふふっ、どういたしまして」
そんな会話を交わしていると、部屋の外からハンドベルの音が聞こえてきた。
「どうやら、御夕飯の支度が整ったようですね。メインホールへ案内いたします」
「はい、お願いします」
二人がメインホールへ移動すると、
「――おぉエレン、さっぱりしたじゃないか! ちょっと見ないうちに、とてもかっこよくなったね!」
既に食卓に着いていたヘルメスはそう言って、自身の右隣の椅子をスッと引いた。
「あ、ありがとうございます」
エレンはお礼を言いながら、静かにそこへ腰を下ろす。
(……それにしても、凄い部屋だな)
名画の雰囲気を
大きな食卓にズラリと並ぶのは、霜降りのお肉に艶のいい野菜に新鮮な
しかし、エレンを最も驚かせたのは、高級な調度品でもなければ、豪華な料理でもない。
眼前に広がる、
(どうして使用人の人たちが、同じ食卓についているんだろう……?)
彼の生まれ育ったフィール家は、
自身も五歳までは貴族教育を受けていたため、上流階級の礼儀作法は知っている。
その知識から言って――貴族とその使用人が、同じ食卓を囲むことは絶対にない。
「あの……ヘルメス様?」
「ヘルメスでいいよ。堅苦しいのは、あまり好きじゃないからね」
「えっと、それじゃ……ヘルメスさん、ここでの食事はいつも
「ん……? あぁ、そういうことか」
質問の意図を理解したヘルメスは、両手を広げて柔らかく微笑む。
「ボクらはみんな、『家族』だからね。ごはんのときは、こうして一緒に食卓を囲むんだ」
「……家族……」
その言葉は、傷付いたエレンの心に深く沁み込んだ。
「さて、みんな席に着いたね? それじゃ、手を合わせて――」
ヘルメスが
「「「――いただきます」」」
使用人たちがそれに応じる。
「うめぇええええっす! シィちゃんの料理は、やっぱり最高っすね!」
「お野菜……苦手です」
「こーら! 好き嫌いせず、ちゃんと食べなさい!」
「あら、その髪留め可愛いわね。どこで買ったのかしら?」
「ふふっ、お洒落でしょ? 教会近くの雑貨屋さんに売っていたの」
ヘルメス家の夕食は、とても自由で開放的なものだった。
そこに形式張った作法や堅苦しい空気はなく、みんなが純粋に食事を楽しんでいる。
「エレン、ちゃんと食べているかい?」
「ぁ、はい、ありがとうございます」
ヘルメスの心遣いに、エレンがお礼を述べると、
「――ヘルメス様、隙ありぃ!」
赤髪の使用人が、ヘルメスの皿から大きな海老を奪い取った。
「ちょっとティッタ、それボクの大好物だよ!?」
「しししっ! 早いもの勝ちっす!」
そんな二人のやり取りに、エレンは思わずクスリと笑ってしまう。
すると――それを見たヘルメスは、今日一番の優しい笑みを浮かべる。
「あはは、やっと笑ってくれたね」
「えっ、あの……すみません」
「謝る必要はないさ。見ての通り、うちはちょっと賑やかだからね。ゆっくりとエレンのリズムで慣らしていくといい」
「…………はい、ありがとうございます」
十年ぶりに掛けられた、思いやりのある優しい言葉。
エレンの枯れた瞳から、一筋の涙が流れた。
「あーっ!? ヘルメス様が、エレン様を泣かせてるっす!」
「ヘルメス様……これはいったいどういうことですか?」
「大変ゆゆしき事態ですね。使用人一同、詳細な説明を求めます」
「い、いやいやいや、ボクは何も悪いことをしてないよ!? ほら、エレンもなんとか言っておくれ!」
楽しく温かく幸せな時間が流れる中――突然、屋敷の扉が「ドンドンドンッ」と荒々しく叩かれた。
「っと、こんな夜遅くに誰だろう?」
ヘルメスが首を傾げると同時、リンが音もなくスッと立ち上がる。
「ここは私が――」
「――いや、ボクが出よう。万が一、ということもあるからね」
ヘルメスはそう言って、スタスタと玄関口へ向かい、その後を大勢の使用人たちが付き従う。所在なく一人ポツンと取り残されたエレンも、そそくさとそれに続く。
「はいはい。どなたですか……っと」
ヘルメスが玄関の扉を開けるとそこには――黒い
「ヘルメス卿、夜分遅くに失礼いたします。私は魔術教会より派遣されました、D級魔術師カーラ・フェルメールです」
カーラは深々と頭を下げ、教会所属であることを示す銀時計を提示した。
特別な魔術刻印の打たれたそれは、魔術師が身分を証明する際に用いるものである。
「おやおや、魔術教会の方がこんな時間にどうしたのかな?」
「ヘルメス卿の力をお借りしたく、訪問させていただきました。緊急を要する事態です。どうか大聖堂へいらしてください」
「大聖堂にぃ? どうして?」
「一分一秒を争う状況なので、詳しい事情は現地でお話しさせていただければ幸いです」
「はぁ……。教会には『招集権』があるし、行かざるを得ないねぇ」
「御協力、感謝いたします」
ヘルメスは魔術教会の一員であり、その招集には可能な限り応じなければならない。
「っと、そうだ。ねぇエレン、いい機会だから、君も一緒に来てくれないかな?」
「えっ……はい、わかりました」
何が「いい機会」なのかわからなかったけれど、断る理由もなかったので、エレンはコクリと頷くのだった。
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