22・お見舞い
学校が未だ休校なのを良い事に、本来ならばとっくに遅刻している時間まで眠り、爽やかな朝を迎える。
真琴も同じく、通っている中学校が休校になっている為、双葉に会えるようになるまでの時間は空手の稽古に時間を費やしていた。
前世の自分の師匠が教えてくれた全てを覚えている真琴は、ジャージ姿でキレのある素早い動きで空手の演舞を一通り行うと、今度はおもむろに圭一郎が飲んだビールの空き瓶を一本取り出し、露出させたすねや拳に一番固い部分である底部分でコンコンと一〇分ほど軽く叩き続けていた。
「母さん。おはよう。それ、何してるの?」
母親の行動を不審に思った修助は、ためらわず訊ねる。
「これ? これをやると、すねの骨とかが堅くなって蹴りのレパートリーが増える練習みたいなものよ。前世で先生に教わったの。木の廃材を何本すねで折れるか、競争もしたっけ。本当はもっとちゃんとした砂袋を蹴るのが効果的なんだけど、しばらくはビール瓶なり、メタトロンにあるトレーニングルームの砂袋を蹴って地道にやっていくしかないわね」
言いながら彼女はずっとコンコンとすねを叩き続ける。修助はにわかに信じられないと言った表情で真琴を見つめるが、こういうコツコツとした積み重ねを大事にするように教えられた記憶もある修助は、前世での母親の教育方針と似たような部分を感じる。
コツコツと、どんなに小さい事でも、積み重ねることで大きな成果をあげる事が出来る。それが棗 真琴の人生観だ。
「近道は別に悪い事じゃないわ。それがきっかけで助かったりする事もあるし。でも、最終的には場合によるわよね。生兵法大けがの元って言うでしょ? そうならないように、普段の稽古も大事にしているの」
「転生してすぐにビール瓶を手刀で切った人間の言う事か?」
「あれは……まぁ感覚が残ってたっていうのはあるかも。あの後指痛めちゃったし、はぁ……これじゃ圭君や修助を守れないわ」
言いながら真琴は反対側のすねをコンコンと叩き始める。真琴なりにこの世界を生きる為にやれる事をやっているのだろう。それを否定する事は出来ない。
「真琴、修助。朝ご飯が出来たから、食べましょう」
そこへそれまで朝食を作っていたエレナが二人に声をかける。彼女は彼女で料理の楽しさを覚えたようで、分からない事は真琴に教わりながら、着実に料理の腕を上げている。
今まで敵を切る為に使っていたレーザーブレードを、食材を切る為の包丁に持ち替えてから、その勝手の違いに最初こそ戸惑っていたが、今はそうでも無いようだ。
「分かった。母さんもその辺にして、朝飯にしよう」
「ええ。続きは朝ご飯と家の掃除の後で」
真琴はそう言うと、縁側から立ち上がり、ビール瓶をベンチの下へしまっていく。
二人はその後、仕事へ向かう圭一郎を見送り、サラダと食パンを中心としたシンプルな朝食を食べた後、エレナへの家事指導を名目とした掃除で家中の埃を取り除くと、出かけるのに丁度良い時間になっていた。
「母さん、エレナ母さん。病院行ってくるよ」
「ええ、行ってらっしゃい」
「気をつけてね。最近物騒だから」
「それは肌で感じている。気をつけるよ」
ついこの間自宅をロケットランチャーで吹き飛ばされてから、治安の悪さに警戒していたが、何でもありな揺りかごが手を尽くしてくれたのか、そこらじゅうに警官が見張り、パトカーが待機している。
これなら息子を一人で出かけさせても大丈夫だろうと、真琴は安心した様子で見送るが、エレナは元々警察を敵に回していた身、息子に何かあったらと心配していた。
「大丈夫よエレナ。ただほっつき歩いているだけの修助が、いきなり捕まる事なんて無いでしょ。さ、少し休んだら買い物に行きましょ。アンタの好きな紅茶、淹れてあげるから」
そんな心配を余所に、真琴はエレナの腰を優しく叩きながら、エレナをテーブル席に座らせ、真琴は台所で紅茶を淹れる準備をしていた。
・・・
一方の修助は、雪江を腹で受け止めた時の診察を受けていた。医者は驚いた様子で、歩道橋からバランスを崩し、体重が軽いとは言え女の子一人を抱えて落ちたにも関わらず健康そのものな容態の修助に、もう来なくても大丈夫だと言われ、診療費を払った後、売店で買い物を済ませ、総合受付に足を運んでいた。
「すみません、北沢 雪江さんの友人ですが、病室を教えてもらえますか? お見舞いに来たのですが」
売店で買った花束を持って、修助は受付の女性に尋ねる。怪訝そうな表情を一瞬浮かべられたが、無理もない。家族ではなく友人、しかも女子高校生の病室に男が一人で入ろうとするのだ。不審に思われても無理はない。
少々お待ちください、と事務的に対応されると、電話で誰かと話を始める。だが修助には勝算があった。今訪ねているこの病院は揺りかごが経営しているのだ。
そして雪江の事は昨晩の丑三つ時、メタトロンの艦橋に居る全員と兄に話してある。どんな手を使ってでも雪江に会って正体を探り兄に報告する義務がある修助を、無関係な方だからと追い返せば、今対応に当たっている受付の女性の将来は破綻するだろう。
だから修助はその長電話が終わるのをぼんやりと立って待っていた。すると、電話を終えた女性はまた事務的に雪江の病室を教えてくれた。
(三階の三〇五号室か。個室ねぇ……親は居ないのに金はあるようだ)
と、勝手な推測をしながら、修助はエレベーターで三階まであがり、ナースステーションから花瓶を受け取ると、目的地である三〇五号室へと到着する。
病室の扉は開けっ放しで、簡単に入る事が出来た。遠慮なく入ると、そこには腕と足をギプスで固定され、不自由な体で退屈そうにしていた少女が目に入る。
「初めまして。はちょっと遅いか? 歩道橋から突き落とされた君を助けた、棗 修助だ。今日はお見舞いに来たけど、邪魔だったかな?」
ちょっとこの話し方は距離が近すぎるか? と、あまり他人とのコミュニケーションが得意ではない修助は、探るように少女に話しかける。
その少女は、うっすらとではあるが修助の事を覚えていたようで、あの時助けてくれた、と前置きして、彼女も自己紹介をする。
「あの時はありがとう。僕は北沢 雪江。同じクラスだよね。女子達の間でスケベ大魔王として有名だから」
「それは光栄だ」
修助は作品内での宗佐のあだ名を呼ばれ、複雑な気持ちになりながら、持ってきた花束を花瓶にいけた後、近くにあるイスを引っ張ってきてそれに座る。
あまり大きな声で会話は出来ないが、個室で他の患者が居ない為、遠慮なく話せる。これを機会に彼女の事を知ろうと考えた修助は、同じクラスである事を利用して色々と話題を広げようと画策する。
「腕と足の具合はどうだ? 折れてるみたいだけど」
「全治一ヶ月。その間学校は全部休み。只でさえ授業についてこれないのに、これじゃ留年か退学になっちゃうよ」
容態を伝えた雪江は、小さく笑う。結構洒落にならない事を言っているが、その様子では現在学校は休校中である事を知らないようだ。
「その学校だけど、ニュースか何かで見たか? 実は俺の家、こんな事言うの馬鹿らしいんだけどさ、放火で焼け崩れちゃって、しかも連続放火魔がかなり暴れた影響でしばらく休校になってる。連絡を受けた時は一ヶ月ぐらいって言ってたな」
「僕がちょうど完治した時に学校が再開するんだね。うーん、休校期間中なら、好きな事が結構出来たと思うんだけど、この身体じゃなー」
言いながら左腕を固定しているギプスを、空いている無傷の右手でそっと撫でる。
「ちょっと踏み込んだ質問するけど、好きな事って?」
「いきなり好きな事を聞く辺り、女子達が言うように、スケベ大魔王の異名は間違っていないみたいだ」
「趣味を聞いただけなのにひどい言われようだ」
「ごめんごめん、読書だよ。でも腕はまだしも、足も折れちゃってるから、本を取りに行けなくて、その為に看護婦さん呼ぶのも、申し訳なくて」
「だったら俺をこき使えば良いだろ、どんな本を読む? てか片手で読めるのか?」
「利き手は右だから、片手でも読めるよ。談話室に本棚があるみたいだから、小説があれば三冊ぐらい持ってきて欲しいな。無かったらマンガ辺り」
「わかった」
修助は立ち上がり、談話室へ向かうと、目的の本棚はすぐに見つかった。病室に持ち込む目的なら持ち出しても大丈夫なようなので、遠慮なくライトノベル、推理小説、時代劇の三冊を持ち出し、再び病室に戻る。
(しかし兄貴もひでぇあだ名を宗佐に付けたな。何がスケベ大魔王だよ。確かにあれだけスケベ働いてたら、つけられそうなあだ名だけどさ)
自分のあだ名や設定を考えた兄に、心の中でそんなどうでもいい抗議を抱えながら、再び病室へ戻る。それと同時に昼食の時間が来たのか、看護婦さんが動けない患者の元へ昼食を配膳し始める。
雪江もその一人で、テーブルの上には質素な食事が並んだプレートが置かれていた。
「あ、棗君。おかえり」
右手で箸を持って、いただきますと言った直後に修助が戻ってきた為、食べる前に彼に声をかける。
「老人の患者も考えているのか、シブい内容の小説しか無かった。ライトノベルはこれだけ」
言って修助はサイドテーブルに持ってきた三冊の小説を置いて、再びイスに腰掛ける。
「いいよ別に、読めれば何でも楽しいし。でも今はご飯が先かな。あまり遅いと看護婦さんに迷惑かけちゃうから」
言って彼女はもくもくと昼食を採り始める。だが退屈なようで、時々箸を休めては修助に他愛のない話を振ってくる。
「そう言えば、棗君はお昼食べないの?」
「朝飯を食べるのが遅かったから、今は食べなくても良いかなって。喉が渇いたら適当に自販機で買ってくるし」
「あ、じゃあ僕もその時に便乗しちゃおうかな。なんせこの身体だし、動く事もままならないから」
「ああ、どんどん便乗してくれ。何だったら何でもするぞ」
「ちょっと下心が見えたのは、僕の気のせいかな?」
昼食をもくもく食べながら、ジト目で修助を見つめる。きっとあわよくばシモの世話をしようとたくらんでいると勘違いされているようだ。
いくら修助の好みドストレートな貧乳ショートボブといえ、そこまで節操無しではない。
「気のせいだ。それに俺に出来るのは買い物と本を持ってくるぐらいだ。それ以上の事はしないし、それは看護婦さんの仕事だ」
修助は同じようにジト目で見つめ返し、至極真っ当な事を言い返す。
言われた雪江は、納得した表情でうなずくと、残ったデザートも平らげて、少し腹をさする。どうやら満腹のようだ。
「それもそうだね。着替えとかお手洗いとか、男の子の君には出来ないもんね。同じ男の子だったらまだしも、僕は女の子だし」
「ああ、そういう事だ。食器片づけるよ」
「ありがとう。優しいね、君は」
空になったプレートを持って、修助は病室を出ようとした直後、これぐらいの事は当然だろと考えていた為、優しいと言われた事に違和感を覚える。
だが、それに対し特に何も言わず、修助はキャスター付きの食器返却棚にプレートを戻すと、病室へ戻る途中にある自販機で麦茶を二本購入し、病室へ戻る。
戻った直後のベッドを見ると、雪江は利き手である右手で器用に小説を読んでいた。前世でブラック企業に勤めていた彼が通勤電車で良く見かけた光景の一つだ。
あの中年男性は今でもあの満員電車の中で器用に時代小説でも読んでいるのだろうか? と少し未練のあるような事を考えながら、再びイスに座る。
「ペットボトルのキャップ。あけてあるから持つ時気をつけろよ」
「あ、麦茶。開けてくれたんだ。ありがと」
小指と薬指で挟んでいた栞を本に挟むと、修助から麦茶を受け取り、食後のお茶とばかりに少しだけ飲む。
修助も後を追うように麦茶を飲むが、自分が思っている以上に喉が乾いていたようで、六〇〇ミリ入っている麦茶の半分を一気に飲んでしまう。
「すごい飲みっぷり。やっぱり男の子だから?」
その光景に驚いた様子の雪江は、修助に訊ねる。
「いや、普通に喉が乾いてて、無意識に飲んじゃった」
「でも、一気飲みするぐらいの勢いだったね」
「まぁこれぐらいの量なら一気のみも出来るかもな」
雪江にとっては驚きの事でも、修助にとっては大した事ではない。これが男女の違いなのか? とあまり関係なさそうな事を考えながらも、退屈そうにしている雪江の相手を続ける。
その間、雪江の両親らしき人物は一向に来る気配は無く、結局面会時間を過ぎて修助が家へ帰るまで、親はおろか親族や友人さえ来る事も無かった。
(ちょっとお節介かもしれないし、怖がらせちゃうかもしれないけど、休校中の間は、時間があれば毎日行く必要があるかもな)
救急車での隊員のやり取り、彼女の親族にあたる人物が居ない事を思い出した修助は、それが余計なお節介な事を承知の上で、可能な限り彼女の元へ足を向けようと決意した。
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