23・お見舞いⅡ
「あ、棗君。おはよう」
「おはよう。北沢さん。これ、北沢さんが頼んだ奴。私立探偵”ポール・フィリップ”シリーズの最新巻だ」
「ありがと。前回は教会を隠れ蓑にした組織ぐるみでの大量殺人事件を解決した探偵のポールは、次にどんな事件に巻き込まれるのかな?」
修助から受け取った一冊の文庫本。本屋が開店した直後に買った推理小説シリーズの最新巻だ。その一冊を受け取った雪江の表情は恍惚としていて、本当に本を読むのが好きなんだなと感心させられる。
歩道橋からの転落事故。あれから半月が経ち、お互いまだ名字呼びではあるものの、適度な距離感が掴めていた。趣味の話、特に彼女は読書と小説を書く事が生き甲斐である事を修助に教えた。
正直、読書ならまだしも、小説を書いている事を趣味だと公言するのはかなり勇気の要る行為な筈だ。大抵の人間は趣味で小説を書いていると言えば、それは将来金になるのかと現金の話になったり、せっかく勇気を振り絞って見せたところで、こんな怪文書を書いていて恥ずかしくないの? と冷やかしたりバカにしたりとろくな事にならない。
当然というか、一人の人間として。他人の趣味を尊重する程度のモラルは持ち合わせている修助は、彼女の勇気に驚き、何故自分に話すのかを聞いた時の返事が、未だ頭の中で木霊している。
――棗君なら、真剣に読んでくれると思ったから……まだ出来てないから見せられないけど、完成したら、読んでくれる?
(落ち着け俺。相手は勇気を振り絞ったんだ。それを否定するような行動は取るな)
修助はいつの間にか雪江を意識し始め、顔を合わせる度に赤くしていないか、変な顔をしていないかと緊張し続けている。
彼は気づかない内に恋に落ちてしまったのだ。
その恋心に気づいていない故に、遼平へ報告した事は彼女の趣味や好きな本程度。半月も経てば揺りかごの力を借りて顔写真をアップロードなんて悪趣味な手を使ったりした。これで恋心に気づいていたら、もっと別のアプローチをかけていただろう。
その時の遼平の反応はとても動揺していて、余計気持ちの整理が出来なくなってしまった様子だったが、話せるようになったら必ず話すと、雪江の事を深く知っている素振りを見せた。
何故兄が、自分の目の前で読書に更けている雪江の事を知っているのか、そして何故その事について訊ねるとはぐらかすのか。疑問や不満は募るばかりだ。
だが修助は遼平を信じ、話してくれるようになるまで待つ事にした。さっさと話せば終わる事だろうと思うかもしれないが、そう簡単に事は進まない。
心の整理が付いていない。それしか修助は思い当たる節が無いからだ。
・・・
(今日も今日とて天然物のショートボブ貧乳ボクっ娘を摂取する為に病院へ行くぜ! 別件もあるけどな!)
朝から元気なのは丑三つ時から早朝まで起きていて、仮眠程度の睡眠時間しか確保できていない生活が長く続いた為、おかしなテンションになっているからなのかもしれない。
それよりも重要なのは、丑三つ時での兄とのやり取りを終えた後、茜に頼まれた”おつかい”を済ませる事だ。
内容はシンプル。茜の代表作である”ならず者のシルバーバレット”を、どんな手を使ってでも雪江に触れさせる事だった。
以前雪江に趣味を聞いた時、読書と答えたが、マンガは殆ど読まないそうだ。待合室にあるマンガにも興味を示さなかったようで、修助は最初、彼女の細かい情報を精査する為に茜の力を利用しようと考えたが、マンガを読まないと言った手前、無理に勧めて嫌な思いはさせたくない。
しかし今の雪江は修助に心を開いている。これなら勧めるぐらい平気だろうし、本気で嫌がっているのであれば、やめれば良いだけの話。
本音を言うと、こんなこそ泥みたいな真似はしたくはなかったが、茜の能力が便利で、何故彼女に両親が居ないのか、さっさと知る事が出来るし、今後彼女にはどういった支援が必要なのかもわかってくる。
だから修助は茜と結託して雪江の詮索を行うのだ。というのもあるが、一番の問題は、雪江の話をする度にはぐらかす態度を取る遼平の不審さであり、一体遼平にとって彼女は何なのか、気になって仕方がない。それをハッキリさせる目的もある。
そうして茜から手渡された”ならず者のシルバーバレット”の単行本一〇冊を、トートバッグに提げて歩く。念には念を入れて、一番最初に読むであろう一巻の表紙裏には茜のサインが書いてある。
これは茜の異能のトリガーである”彼女が書いたモノに触れる”という条件を達成する為である。命令を書き込んだり出来るのだが、それでは不自然になってしまう。
尤も、雪江はハッキリとマンガには興味が無いと言い切った手前、素直に本に触ってくれるかは疑問だったが、最悪話題を広げる手段として使うのが良いだろうと、修助は頭の中で起こり得る色んな事態を想定しつつ、病院を、そして雪江が入院している病室を目指す。
「あ、棗君。おはよう」
病室に優しく響く、嬉しそうな声。
その声を聞いただけで、修助の鼓動は早鐘を打つようになる。
前世で異性とここまで接点を持った事が無い。異性と打ち解ける事がこんなにも幸せな事なのかと思うと同時に、自分の暴れる心臓がいくら鎮めるように意識しても言う事を聞いてくれそうにない。
「おはよう、北沢さん。今日は俺のおすすめの本を持ってきた」
「そのトートバッグね。どんな本?」
「マンガ。前興味無いって言っていたけど、これは絶対におすすめだから、騙されたと思って読んでみて」
言って修助はトートバッグをサイドテーブルに置いて、茜のサイン本を取り出す。
「ならず者のシルバーバレット……?」
タイトルだけつぶやいて首を傾げる雪江。無理も無い、マンガは生まれてから一度も読んだ事が無いのだ。興味のない分野なら、タイトルがどんなに有名になろうと、知らないモノは知らないのである。
「アニメ化もしているすごいマンガだ。だが内容はあえて教えない。手にとって、自分で読まなければ、自然な感想は出ないからな」
修助は単行本を差し出すと、雪江はそれを不思議なものでも見るような目で受け取り、表紙をめくり出す。
食わず嫌いというわけではないようだ。どうやら本当に興味が無く、触れる事自体が初めてなのだろう。
それよりも修助は心の中でガッツポーズを取っていた。後は茜から精査された情報を受け取るだけ。
(かかった!)
事前に茜と打ち合わせた作戦では、本に触れて情報がわかった段階で修助のスマートフォンに連絡が入る。病室ではスマートフォンは使えないので、連絡が届き次第専用のラウンジへ向かうと雪江に伝えて、茜から情報を受け取り、今後の事を考える。
それが修助と茜の狙いだった。だが待てと暮らせど、報せは来ず、病室に響くのはページをめくる、紙が擦れる音と、時計の秒針が進む音だけ。
それに雪江の表情も今一つだ。兄の書いた世界の話とは言え、兄よりも売れている作家の描く世界に、彼女は難色を示しているようにも思える。
沈黙が耐えられなくなった修助は、一巻を読み終えた段階で感想を尋ねてみる事にした。
「どうだった?」
「主人公が短気すぎる。しかも一巻まるまる使っているのに、話が全く進んでない。二巻も読ませて」
「あ、あぁ……」
その短気さ、そして豪快に銃を乱射する所が、シルバーバレットの最大の売りなのだが、どうやらそういったバイオレンスさは雪江には合わなかったようだ。
だが面白くないという訳ではなく、話がどのように進むのか気になっているようで、読み終えた一巻を受け取った後、二巻を手渡す。
そうして訪れる再びの静寂。集中すると周りが見えなくなるのかと思わせるほど、マンガを食い入るように読んでいるが、その表情は小説を読んでいる時のような、先を楽しみにしている様子は無く、コマに描かれている絵に対して睨むように見つめている。
「あの、読んでるところ悪いんだけど。何でそんな難しい顔して読んでいるんだ? もしかして気に入らなかった?」
あまりにも難しい顔をしているものだから、修助は思わず彼女に聞いてしまう。
「いや、だんだん面白くなってきた。ただ、僕はマンガを読むのが下手って言うのがわかったの。一コマ一コマに対して、僕なりに文章にしてしまっている」
自分なりの文章にしてしまっている。確かにマンガ原作の小説が売られるケースがあるが、どうも彼女はマンガの内容を頭の中で小説にして読むクセがあるようだ。
それはすごい才能であると同時に、途方もない労力を使う事だが、あまり疲れていない様子を見ると、そんなに苦では無いようだ。
「マンガを文章か……文章をマンガにしているのは沢山見てきたけど、逆ってあまり見かけないな」
「活字離れって言葉を知っているでしょ? 言葉に触れ、文章から何を伝えたいのかを考える楽しみ。娯楽で溢れかえった今の世の中では、あえてそれをする意味を見いだす人は少なくなっていく一方なんだ。僕みたいな奴をきっと、一昔前の古い人間だと笑うんだろう」
修助は目の前の少女が自分とは同学年の同い年とは思えないほど、きちんとした考えを持っている事に驚いた。修助も前世では様々な作家の本を読んできたが、意識して文章から何を伝えたいのかを考えた事は無い。
ただ、文章の方が教えてくれる為、修助は読んでいるだけでその作家の伝えたい展開を理解出来てしまうのだ。だから雪江の言っている事は理解出来るが、それを古い人間だと笑うほどバカでは無い。
「本の読み方に古いも新しいも無いだろ。読み方は人それぞれだし、北沢さんのように作家に寄り添った読み方をする奴もいる。そう自分を卑下するな」
「本の読み方に正解は無いって言いたいんだ。嬉しいよ、棗君ほど真摯に本や作家と向き合える人が居るって」
何とも回りくどい持論を振りかざすも、かろうじて自分の意見を言えた修助に嬉しさを感じている様子の雪江。その嬉しさからくる微笑みにまた、胸を打たれる修助を余所に、雪江は再びマンガを読み始める。
その直後、昼食が出来たとアナウンスが入る。時計を見ると、正午を指しており、二冊読むのに二時間近くかけて読んでいるのがわかった。
昼を受け取りに行ってくると雪江に伝えると、足と手がギプスで固定されて身動きが取れない雪江に代わって昼食を受け取りに病室を一旦出る。
(茜先生からの連絡が来ないな……そんなに複雑なのか?)
看護婦に雪江のお見舞いで来ている事を伝えると、彼女の昼食を受け取り、それを持ちながら、なかなか連絡が来ない茜の事を考える。
連絡が来ない以上、何も出来ないし、こちらから連絡しても彼女の仕事を邪魔するだけ。焦ってはダメだと修助はこらえて、再び病室へ訪れる。そこで彼女はようやく読み終えた二巻を修助へ返し、テーブルに置かれた昼食をもそもそと食べ始める。
再び訪れる静寂。小動物のように食事をする雪江を微笑ましく眺めていると、その箸を止めて、修助を見つめる。
「そんなに僕を見て、楽しい?」
「楽しい。嫌か?」
「嫌じゃないけど……恥ずかしい。それに、棗君はお昼どうするの」
「あ、すっかり忘れてた」
まさか雪江と一緒に居る事に舞い上がって昼食を採る事も忘れてしまうのはさすがにどうにかしている。それを意識したからか、誰にでも聞こえるような音が、修助の腹から響く。
「お腹空かせてるじゃん」
「悪い。病院出て直ぐの食堂で済ませてくる」
「うん。気をつけてね」
「ありがと。また戻ってくるよ」
二人はそう挨拶を交わし、修助は病室を後にし、病院近くにある大衆食堂に足を運ぶ。
(壁一面に並ぶ膨大なメニュー、タバコのヤニで黄ばんだ壁、瓶ビールとグラスジョッキが入った冷蔵庫。前世で営業やってた時よく通ってた定食屋にそっくりだ)
まさか高校生として転生した身で、サラリーマンが胃袋を満たす食堂に入るとは思わなかった修助だったが、病院から近い食事所がここしか無かったから入ったのもある。
病院の受付や事務の人と及ぼしき女性らが、ストレスを発散するかのごとくカツ丼をかっこんでるのを見て、気づけば彼は注文を取ろうとしていた気さくなおばちゃんにカツ丼一つ、とオーダーしていた。
・・・
「意外と量が多い上においしい。あれであの値段、やってけるのか? あの店」
つまようじで歯に挟まった豚肉を掻きだした後に店を出た修助。私服のセンスの無さもあって、その見た目や所作は少々オヤジくさく見える。
改めて考えると、こんなナリでも雪江は見舞いに来てくれる事を喜んでくれた。それだけ入院生活が退屈なのかもしれない。
考えてみれば、全治一ヶ月ほどの軽度の骨折とはいえ、安静にせざるを得ず、ベッドから身動きが取れないのであれば、時々やってくる尿意の為にナースコールを押すか、果報は寝て待てとばかりに惰眠を貪るぐらいしかやることがない。
自分が雪江の支えになっているだなんて傲るつもりはないが、治療の為に好きな事が出来ない人生ほど無駄な事は無い。修助の好みの女の子という下心もあるが、助けたいという気持ちの方がずっと強かった。
一方で、茜の本を触ったにも関わらず、連絡の一本も寄越さない茜にとうとうしびれを切らした修助は、病院の手前で安全を確認してからスマートフォンを取り出し、茜に電話をかける。
彼女の声は二コール目でスピーカーから響きだした。
『もしもし? 修助君だよね? ごめん』
謝罪から入った茜。原作ではギャグだったりシリアスだったりと何かと忙しい女性であるが、今はシリアスを貫いているようだ。
「ごめんって、まだ何も聞いていないんだけど」
『北沢ちゃんの事だよ。修助君の事だから、さっさと本を手渡したと思うんだけど、彼女の事、何もわからないんだ。それともう一つ聞きたいんだけど』
「何だ?」
『修助君も私の本を触ったよね? 君の事も北沢ちゃんと同じで、何もわからないんだ。双葉ちゃんや真琴ちゃんは、君の事を無敵の人って言ってて、大火災のど真ん中で深呼吸しても死なない人って聞いていたけど……』
「もしかして俺、茜先生の足引っ張ってる?」
『別に君を責めてる訳じゃないの、ただ、こんな事今まで無かったから、動揺しちゃって』
「俺も驚いている。まさか茜先生の能力が俺に効かない。もしかして”無敵の人”って兄貴が言ってたの。本当にそのままの意味なんじゃないか?」
修助は自分が何をされても無傷でいられる事は、前に歩実の手下が自分を原付ではねた事や、ロケットランチャーを撃ち込まれた事による大火災の中を平然と歩いて行けた事で十分理解していた。
物理的な方法や異能で怪我をしないのはわかる。だが茜のように精神に作用する異能の影響を受けないというのは、修助も引っかかるものがあるし、心当たりもあった。
『無敵の人……諸刃の剣だね。何の影響も受けないけど、こっちの支援も受けられない』
「それはもう諦めるしかないな。俺の事は前世で俺を産んだ母さん……真琴から聞いてくれ。問題は北沢さんだ。何で彼女は茜先生の異能の影響を受けないんだ?」
『それがわかったら、こんな苦労してないよ』
「それもそうだ。忙しいのに電話して悪かった」
『こっちこそ、何の成果も上げられなくて。おあいこって事で一つ』
「ああ。また何かあったら連絡する」
『こっちもそうするよ。じゃ』
茜はそう言うと、通話を切る。
(茜先生の能力は例外なんて無いはずだ。なぜ北沢さんにだけ干渉できないんだ? 兄貴がいつも濁しているのと、なんか関係あるのか? とにかく今は北沢さんと心の距離を詰める必要がある。せめて名字じゃなくて名前呼びぐらいには近づきたいかな)
増え続ける謎に修助は一旦逃避するように再び病院へと足を向けた。その行き先は、親どころか親戚や友人も見舞いに来ない北沢 雪江という孤独な少女の病室だった。
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