19・偶然の再会
丑三つ時のやり取りを終えた後、新作の企画書作成や登場人物の設定を考えた後に就寝し、朝の八時に設定した目覚ましのアラームで目を覚ます。
よく晴れた平日。本来で在れば、本業であるサラリーマンとして出社するのだが、今日は有給を使い、担当編集者と新企画について話し合い、方向性を固める為に出版社へと出向く。
「自分を優先しろ、か……」
昨晩の最後に言われた、父親の言葉が何度も木霊する。丑三つ時は勿論、どんな時も忘れた事の無い三人の家族。何を思って圭一郎はそんな言葉を言ったのか。それを確かめる術はあるが、時間を待たなければならない。
もどかしい気持ちを抱えたまま、仏壇に線香をあげて、手を合わせてどうにか心を鎮めると、朝食を採る為にキッチンへと向かった。
(父さんの言った事を俺が勘違いしていなければ……俺が優先したいのは、早く担当編集に会って話がしたいぐらいだ。もし修助が生きてくれていれば、俺の新作を楽しみにしていたんだろうな。それも目を輝かせて)
冷蔵庫からヨーグルトと牛乳。そして常温保存の為に棚に置かれている一房のバナナから一本千切り、それを朝食にする。
こんな小食では、もし母親の真琴が生きていたら、そんな少しじゃ栄養足らないよと、白米をドカ盛りで出してくるに違いない。
(無理だ父さん。どうしても父さん達の事が頭から離れない。生活の一部を、そう簡単に忘れるなんて……)
もくもくとヨーグルトとバナナを食べ、牛乳を飲み干すと、どうしても頭から離れない家族の事を思いながら、今度は歯磨きと身だしなみを整える。
もしあのチャットソフトで修助達と再会出来なければ、荒んだ心のままで担当編集者と会う事になるだろう。それでは気づかない内に失礼な態度を取ってしまい、印象を悪くしてしまう。
いくら売れているからと言っても、担当編集者は何人もの作家を掛け持ちで面倒を見ているのだ。当然人を見る目はあるし、何も遼平だけが特別という訳ではない。
とは言え、デビュー時に比べれば、その態度はだいぶ変わっている。デビューしたばかりの頃は、自分の作品の打ち合わせの最中、突然鳴り出した携帯電話に出て取引先相手の顔色を伺う事を優先される有様だった。
あの時は思わず失礼な奴だなと感じてしまったが、担当編集者とはそもそも、一人の作家を特別扱いできるほど単純な仕事ではないのだ。
それがだんだんわかってくると、心のつっかえが取れたような気分になり、遼平の作品が軌道に乗ってくると、よほど急用でも無い限りは、突然電話が鳴っても遼平を無視して電話を取るような事はしなくなった。
新人というのはどの業界においても常にナメられるものなのである。
そして新人には、どんなにナメられ見下されようとも、それに耐えて認められる作品を書けるようにする為の忍耐と、時に担当が提示したアイデアに意見を出してさらに面白くさせる為の度胸が必要になるのだ。
・・・
「さて、担当との話もスムーズに終わった事だし。ちったぁ贅沢でもするか」
遼平の担当編集者が働く職場であるビルを出ると、綺麗なオフィス街へとつながる。
遼平がサラリーマンとして勤めている会社とは違い、行き交う人々は皆笑顔で歩き、今日の昼食は何処にしようかと、二人組の女性が遼平とすれ違う。
ここは王手企業のビルが建ち並ぶ、生まれた環境が恵まれた者達が働くオフィス街。わずかな才能と努力と運に加え、奨学金に頼らなくても進学する事が出来る金持ち達が集い、日本の未来を担っている。
だが先ほど遼平とすれ違った二人の女性には、その自覚は感じられなかった。生きてきたその環境が当たり前となると、何の悪意も無く世間知らずな面が出てしまうし、それを恥じる事も無い。そして、そんな態度に苛立ちを覚えると、何故そんな些細な事でと無自覚に神経を逆なでする。
(遊びに来てるんじゃなくて稼ぎに来てるってのに、あの二人があんなに笑ってるって事は、仕事に余裕があるのか、あるいは出来る人間のフリがうまいかのどっちかだな。ここの立ち並ぶビル群にある王手企業の尻拭いを、俺みたいな中小企業のサラリーマンが安月給でするって考えると、なんか納得行かないな)
遼平の目から見えた、すれ違った二人の女性から漂う雰囲気から、すぐに仕事が出来ないタイプの人間だと見抜く。
長い事働いていると、色んな人間と関わる事になるのだが、その経験の中で、共に働く人間の態度や技量が感覚でわかってくる。
やる気があるが実力が伴っていないので在れば、フォローしつつ同じ失敗をしないようアドバイスをするし、実力はあってもやる気が無いので在れば、どうすればやる気になってくれるかを考える。
一番最悪なのが、実力が伴っていないのを認めず、何の確認も質問も行わずに作業を行い失敗し、アドバイスもメモを取らず聞き流してしまうタイプの人間だ。このタイプはどんなにわかりやすく説明しても無駄に終わる事が多い為、つい怒鳴ったり追い詰めるような口調になりがちだが、ちょっとした事でもパワハラだと叫べば、慰謝料が発生してしまう世の中、そうならないよう慎重に指導するのが、遼平のサラリーマンとしての仕事だ。
もっと作品が売れるようになったら、今勤めている会社なんて絶対にやめてやる。と心の中で思いながら、昼食を採る為の店を探す。
(今は無性にハンバーガーが食べたい。特にハワイ出身のお店が良い。オアフ島を半周してでも食べたいハンバーガー。たしかこのオフィス街にも店を構えていた筈だ)
遼平は一端ベンチに座ると、周囲に目的の店が無いか探し始める。すると歩いてすぐ五〇〇メートルほどの場所にその店が在った。
彼はベンチから立ち上がると、スマートフォンに映し出されたルート案内に従って目的地へと歩き出す。
(今日はここで腹一杯食ってから帰るとするか。今日はパンケーキフェアでシロップかけ放題みたいだし、デザートはパンケーキで決まりだな)
遼平は待ちきれないとばかりに店の外にまで伸びている列の最後尾へ並び、今の内に何を食べるかを決める為にメニューを眺める。
こうして彼は肉厚でジューシーなビーフパティの挟まったチーズバーガーにありつき、デザートでパンケーキを心行くまで堪能するのだった。
・・・
ハンバーガーとパンケーキを堪能した後、遼平は家へ帰る前に必ず家族の眠る墓地のある寺へ行き、墓掃除をしてから帰る。花は数ヶ月に一度入れ替える程度だが、家族が殺されてからは、正気を保つ為に毎日のように、ここ二年間欠かさず墓掃除を行ってきた。
お寺のお坊さんにもすっかり顔を覚えられ、すれ違いざまに会釈すると、いつものように手桶と柄杓を持ち、手桶の中を水道水で満たす。
墓の隣には、石を重り代わりにして保管している掃除用の雑巾があり、まずは墓石に水をかけた後、残った手桶の水で雑巾を濡らし、丁寧に墓石を磨いていく。
いつも綺麗にしているので、そんなに時間をかけなくとも新品のような輝きが戻る。だがそこに達成感のような感情は沸いてこない。
これは自分の心を守る為の行為なのだ。ようやく気持ちの整理が付きそうな時に、丑三つ時のやり取りが出来るようになると、彼の心は再びぐちゃぐちゃにかき乱される。自分がかつて手がけた作品とは言え、その作品の中で自分の家族が生きていて、交流は出来るが、その手に、肌に触れる事が出来ないもどかしさが、彼をおかしくしてしまうのだ。
だから、これ以上おかしくならないように、毎日、どんなに疲れていても、周りが暗くとも、関係なく墓を磨く。そうして一日の外出を締めくくってきた。
今日もそうやって一日が終わろうとしていた時、不意に後ろから女性の声が聞こえてくる。
「あの、こんにちは。それと、お久しぶりです。棗さん」
声をかけられた遼平は振り向くと、一人の女性が立っていた。
少しやつれた表情、艶を失いつつある短い黒髪、喪服ほどでは無いが地味な服装。特徴らしい特徴は無い、何処にでも居そうな中年の女性だ。
しかし、遼平はその顔に見覚えがあった。彼は片づけ作業の手を止めて、挨拶する。
「お久しぶりです、北沢さん。雪江先生の墓参りですか?」
「それもありますが、三周忌なので、娘に顔を出そうと思いまして」
北沢さんと呼ばれた女性の声は落ち着いており、何か悟っているような雰囲気さえ感じる。遼平はこの女性に降りかかった不幸を目の当たりにした経験があり、特別親しいわけではないが、顔を会わせれば挨拶する程度の関係にあった。
「三周忌……もうそんなに経つんですね。差し出がましいようですが、私も雪江先生のお参りへ行っても良いですか?」
「はい。娘も喜ぶでしょう。あの子は、棗さんのファンでしたから」
「そう言っていただけると、嬉しいです」
そう口では言うが、彼の心は複雑だった。短い間に二人もファンを失っている。自分の世界を理解してくれている人間の死は、簡単に受け入れられるものではない。
片づけをすぐに終わらせると、今度は北沢家の墓へ向かう。修助よりもだいぶ年下のファンであり、複雑な経緯で作家デビューした直後に死んでしまった少女が眠る墓の前で、遼平は線香を供えて、手を合わせる。
「世の中おかしいですよね。生きていて欲しい人が死んでいき、死んだ方が良い奴がのうのうと生きている。かく言う自分もこんな事言っちゃってますが、言わなきゃやってられませんよ」
遼平はやり場のない怒りを少しだけ込めて、そう漏らす。本来なら死んで欲しいだなんて、他人の、それも知り合いの前では言ってはならない筈だが、それでも言わずには居られなかった。
それだけ、遼平が奪われてしまったものが大きかった。そんな不平や不満をぶつけるような言葉を、側に居た女性は肯定する。
「良いんです。暴力とパチンコしか能の無い夫と別れ、作家として羽ばたこうとした娘も奪われた。実家にも勘当された私には沢山の時間があります、後で棗さんのご家族にご挨拶させてください」
泣くでもなく、嘆くでもない女性は、遼平の方へ向き、彼がどんな気持ちを抱いているのかを察したのか、そう返した。
・・・
――墓参りから帰ってきて仮眠を取ると、時々こんな夢を見る。家族を失う二年前の更に一年前の出来事。つまり三年前の出来事。
遼平は職業柄、余所のレーベルの新人賞にも注目し、今後どんな才能が芽吹くかを注意深く観察していた。そして、滅多に出ない最優秀賞が決まったというニュースが入ると、彼は修助よりも先にその一冊を手に取り、執筆作業そっちのけで読み更けていった。
ペンネームは
とてもライトノベルとは思えない、ひたすら重く暗い雰囲気に加え、報われない恋に必死にしがみつき、生きる意味を見いだそうとする主人公とヒロインが織りなす純愛モノだ。
その独特な世界観や、他に類を見ない上品で丁寧な言葉遣い。年齢層はどちらかというと三〇代以降の世代に受けそうな内容だ。
早く続きが読みたい。読み終えた遼平は久しぶりに心が落ち着かない感情に振り回された状態で締切と戦う事になった。仕事の為に作品に触れる事はあるが、ここまで個人的に深入りするとは思わなかった。
しかし、そんな楽しみもあっけなく終わりを迎えてしまう。SNSで広がった”散華”の盗作疑惑だ。
しかも盗作先は遼平の代表作である”アビリティー・ガールズ”だと言うのだから、でたらめも大概にしてほしいものだと思った。
だが、悪い噂は嘘か本当か曖昧な状態でも簡単に広がっていく。盗作疑惑はどんどん広がっていき、ついには出版レーベルが炎上する騒ぎにまで発展した。
ベッドから飛び起きた遼平は、それこそ、本に穴が空くぐらい何度も読み返した。けれど、自分が執筆した作品とはこれっぽっちも類似点が無い。
業界でよくある他人を引きずり降ろして自分がその座に着こうと考える愚かなやり方。そこに座れる保証もなく、今後作家としてもやっていけなくなるリスクに見合わない馬鹿げた行為だと、遼平は最初そう思っていた。
後日、担当編集に呼び出された遼平は、件の”散華”著者である雪歌 都子こと
目的は”散華”と”アビリティー・ガールズ”の酷似点を洗い出す事だ。雪江は勿論、遼平も盗作はあり得ないと言うが、出版社のお偉いさんがどうしても落とし所をつけなければ話にならないというのだ。
洗い出しは一〇時間にわたって行われた。今振り返ってみると、これほど無駄な一〇時間は無いと思うほど何も見つからなかった。
それでもSNSは燃え続ける。出版社の評判も下がり続ける。そこで出版社が取った行動は、現在書店で販売されている”散華”の回収とお詫びとして最優秀賞の取り消しだった。ネットの住民達もそれで納得したのか、まだぽつぽつと作者に対する誹謗中傷が投稿される中で騒動は終わったかのように思えた。
「盗作だなんて全くのデタラメ。人間皆心の中にガソリンとライターを常に持ち歩き、ネット社会に放火してストレスを発散させて生きているに違いない。雪江先生には申し訳ありませんが、ペンネームを変えてもらって、一から新作を書いていただく契約をしていただきたい。この才能をここで終わらせるわけにはいかない」
それは異例中の異例な決定だった。本来なら一度炎上した作家は後々面倒になるのでさっさと切り離してしまうのだが、雪江は大人しい性格で、SNSも使った事が無いなど、どこか浮き世離れした中学生だったからかもしれない。
それに、雪江の才能にある種の執念を抱いていた彼女の担当の後押しもあった。もしかしたらロリコンなのかと最初は思った遼平だったが、どうやら本気で彼女が今後ライトノベル部署の稼ぎ頭になってくれると信じているようだ。
実際、遼平も彼女の可能性は将来、自分を越えて新しい時代を牽引する存在になるだろうと見ていたのだ。こんなところでくすぶっている時間が勿体ない。
そこで、諸々の手続きを終え、時々遼平が規約書を覗き見し、雪江が不利益を被るような項目が無いかをチェックした後、全ての作業が終わった帰り道。
「あのっ!」
精一杯の勇気を振り絞った声。その第一印象は純粋に綺麗な声だと感じた。
「サイン、貰えませんか……?」
「勿論。でも内緒な。本来は抽選のサイン会とかやってる身でね、こうホイホイやっちゃうと面倒くさいオタクがギャーギャー騒ぐんだ」
遼平は緊張する雪江をリラックスさせる為に、砕けた言葉遣いで彼女から受け取った”アビリティー・ガールズ”の表紙裏に自分のサインをしたためる。
「ありがとうございます」
「こっちこそ、君の作品はお世辞抜きで面白かったよ。散華の件は残念だったけど、次の作品は期待しているから。これ、俺の連絡先」
言って遼平は自分の連絡先がまとめられたQRコードをスマートフォンの画面の表示させる。雪江はあわててそのQRコードを読みとると、まるで夢でも見ているかのような恍惚とした表情で遼平の連絡先を眺めていた。
「すごい……まるで夢みたいです」
「作家協会に加入すれば、もっとすごいことになる。そして君はその資格がある。正式に出版までこぎ着けたら、俺が作家協会へ掛け合ってみるよ」
「な、何から何までありがとうございます」
「俺も最初は何も分からなかった。ましてや君は未成年だ。道を誤らないようにするのも、年長者の務めだ」
遼平は一度で良いから言ってみたかった言葉を、雪江へ投げつける。その言葉に心を打たれたのか、突然彼女は涙を流し始める。
「ごめんなさい、私、お母さん以外の人に、ここまで優しくしてもらった事が無くて……」
「そうか……困った事があれば、遠慮なく連絡してくれ。俺が出来る範囲で乗ってやる」
「はい……」
涙をハンカチで拭いながらも、微笑んで頷く雪江の事が、遼平は未だに忘れられなかった。あの笑顔をもう一度見たいと思ったが、彼女にも仕事が入ってしまった以上、それを邪魔する訳にもいかない。
そう思い、別れてから翌日の朝。事態は一変する。
早朝の通学路で、地元に通う女子中学生が、通学中に突然、男に五〇カ所も刺され殺さたニュースがテレビで流れる。その映像は見覚えのある場所が放映されており、遼平は心臓を突然冷たい手で捕まれたような感覚に陥る。
何かの間違いだと雪江の連絡先に電話するも、その電話に出たのは、雪江の母である恵津子だった。
『娘が……殺されました。隣人に……ううっ』
あの時の泣き崩れる恵津子の声が、未だ脳裏に焼き付いて離れない。
逮捕されたのは四〇代、自称作家の男性だった。偶然SNSで盗作騒動を知り、隣人である北沢家の会話から推理した彼は、盗作は許されない行為だと言い聞かせ、近所のスーパーで包丁を購入。犯行を計画した。
この男性は北沢親子が住む公営アパートの隣人であり、度々騒いでは他の住民や大家とトラブルを起こしたり、壁に穴を空けるなど、情緒不安定な一面を持っていた。
裁判所で被告人席に着いた彼は、自分が雪江を殺した事を自慢げに語り、盗作作家をやっつけた正義の味方だと、子供のような事を言い出した。
中学生の少女全身を五〇カ所も刺した挙げ句、この体たらくでは更生の余地は無いと、無期懲役が言い渡され、男は何でだと叫びながら警官に引きずられ退廷していく。その一部始終を傍聴していた遼平は、裁判所を出た後、誰も居ない場所へふらつく足で向かうと、大声で泣き叫びながら、何度も地面を拳で叩き、己の無力さを呪った。
何が”困ったことがあれば何でも”だ、何も出来ないじゃないかと、傍から見てもどうしようもない事を、全て自分の責任であるかのように抱え込む。それはただの傲慢だが、言った事に対して責任が取れなかった事が悔しくて仕方なかった。
それは三年前の出来事。そして今も彼を苦しめるもう一つの地獄。家族を失った上で更に彼の心を蝕む悲しい過去だった。
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