14・油断

 午後一〇時過ぎ。自由を手にした歩実が、危険な仲間やコネクションを利用して自分を陥れた犯人を探している頃。その犯人である修助は入浴後の楽しみとして牛乳を飲みながらぼんやりとテレビを眺めていた。


 彼の前世では、笑いを取る為に他人を見下すようなバラエティ番組や、グルメロケと称し一般のお客さんを追い出して、顔が良いぐらいしか取り柄のないタレントが店を食べ歩く番組しかやっていないテレビを忌避していた。だが深夜アニメは例外で、それこそアニメ化された兄の代表作を鑑賞するのが、彼にとってのテレビの存在意義であった。


 時に遼平の作家仲間の作品に触れたり、関連したグッズを買ったりと、現代社会の癌である違法企業のせいで壊れてしまった心と引き替えに手に入れた金で、その心を修繕するよう努力する。


 そして、これは前日の丑三つ時に遼平から聞いた話であるが、自分達を殺した人物が飲酒運転を行った理由は、単純に酒を買い足しに行きたかったが、歩いて行くには距離があって面倒だからと、これまた酷い理由で死んでしまった事を振り返っていると、彼がこの世界に入って熱中しているアニメの放映が始まる。


 著者、本橋 茜のコミックから始まった、壮大なスケールで描かれるアクションコメディ。”ならず者のシルバーバレット”というタイトルの劇中劇は、言葉ではなく二丁拳銃で会話をする短気な主人公が、偶然拾った少女と共に、社会の闇に抵抗する内容だ。


 一向に無くならない犯罪の陰には、警察官が敢えて野放しにしてその事実を隠蔽している組織の存在がある。そして拾った少女は組織にとって非常に重要なキーパーソンであり、渡さなければ軍隊を送りつけるぞと脅されてしまう。


 しかし、短気な上、口よりも先に引き金を引いてしまうほど指が軽い主人公は、少女を渡すどころか、たった二丁の拳銃で軍隊相手に戦争まがいな喧嘩を始めてしまったのだ。


「随分賑やかなアニメを見るんだな。これも遼平が書いたのか?」


 声優の名演技よりも目立つ銃声が鳴り響くアニメに夢中な修助の隣に座り、圭一郎はステンレスコップに注がれた牛乳を一気に飲み干す。


「厳密には違うよ。兄貴の作品に出てくる、本橋 茜先生っていう漫画家が、一と関わるんだ。あの先生の異能は、本人が適当に書いた紙でも何でも良いから、その書かれた物に触れると、離れた位置からはその触れた人物の記憶が。近くにいれば紙を渡す前に命令や願望を書いて触らせる事でそいつを言いなりにする事が出来る。すごいだろ」


「それは恐ろしいな。なるほど。このアニメ、一見荒唐無稽に見えるが、あらゆる人物の描写が細かい。よほど沢山の人の情報が、その漫画家に記憶されているのだろう」


「実は印刷物にもこの異能は有効でな。先生の連載が載ったマンガ雑誌を手に取った人達の記憶や経緯を資料にしてマンガを書いている。と言っても、マンガって工程が多くて複雑だから、いくら人物設定がしっかりしていても、きちんとそれを描写する為の時間なんていくらあっても足りないから、アシスタントを雇ってどうにかしている状態だ」


 修助がテレビから一ミリも視線を逸らさず、本橋 茜という人物について、父親である圭一郎に力説する。その多忙を極める生活を聞いて、圭一郎は懸念を抱く。


「それだけすごい人物なのだから、やはりかつては執行者に狙われていたのだろう?」


 圭一郎も修助が見ているアニメの面白さに気づいたのか、食い入るようにテレビを見つつも、遼平が書き上げたこの世界に住んでいる人物について知ろうとする。


「ああ。今は揺りかごのセーフティーマンションに住んでいる。以前の住居は、ある事情で住めなくなった」


「事情?」


 圭一郎はもったいぶるような話し方をする修助に首を傾げながら続きを促す。


「普段飲み仲間の担当編集が、執行者に殺されて、それになりすまして誘拐を働こうと試みたんだ。計画は一と和奈を始めとした主人公達が止めに入ったお陰で防げたんだけど、担当編集の遺体は既に灰になっていた。灰に、元の姿に戻って生き返るよう命令を書き込んだが、無駄だった。連載が始まってからの付き合いで、その人以外に自分の原稿を任せたくないと断言するほど信頼を寄せていた編集者だったんだ。彼女が執行者に憎悪の感情を抱いて、揺りかごに荷担するのも。無理はない」


「自分の力や揺りかごの力をもってしても、どうにもならないか……歳を取ると、色々嫌な考えが巡って気分が悪くなるな」


「大丈夫か? 父さん」


「何、昔真琴と結婚する前にヤクザに焼き殺されそうになった事を思い出しただけさ。燃やした後は山に埋めて、人知れず自然の養分にされるかもしれなかった。今でも偶に夢に出てくる」


「軽く言っているけど、十分ヤバいからなそれ」


 修助は自分の父親の恐怖体験を震えながら聞きつつ、アニメ鑑賞を続ける。


 ソファで親子二人、兄の残した作品の劇中劇であるマンガ原作のアニメを鑑賞する。そんなまったりとした平和な時間は、番組が終了した直後に修羅場と化す。彼のスマートフォンが着信を知らせる為に震え、その画面には”四塚 双葉”の文字が映し出されていた。


「もしもし?」


 修助はかかってきた電話に出て、一体こんな夜中に何があったのかと思いながら、スマートフォンのスピーカーに耳を当てる。


『大変よ。潮賀 歩実が警察署から脱走した。修助が苦労して集めた大量の証拠が揃っている上に彼女の自宅を調べたら、鍵の掛かった金庫から大量の覚せい剤と現金が保管されていた。ここまで露骨な証拠が出ているのに、彼女を捕まえた警官は何も知らないし覚えてないというの。茜の異能を使ってみたけど、警官の言っている事は本当で、何も記憶になかった』


 声の主は、一の妹であり、揺りかごクルーでもかなり強い立場に立っている司令官でもあり、そして中学生に転生した実母である真琴の親友である双葉のものだった。


 その声音は、普段冷静に状況を見極めて部下に指示を出す凛々しいものとは少し違い、焦りの色が浮かんでいる。


「ちょっと待て、いくら覚せい剤が関わっているとはいえ、簡単にアイツの家へガサ入れなんて出来るわけ……」


 修助の言うとおり、いくら罪人だからといって、何の許可も無しに他人の家へ土足へ入り込んで部屋を物色するのは警察でも出来る事ではない。きちんとした手続きを踏まえてから捜査を始めるのだ。


『ウチは揺りかご。優秀な人材に掛かれば、大抵の家や証拠品を抑える事が出来る。そして捜査令状を発行させて、鍵職人に金庫を開けて貰ったの』


「そうだったな。揺りかごはその気になれば何でも出来るんだった。でも警察に記憶がないって言うのは気がかりだな……」


『そうなのよ。潮賀の記憶だけ都合よくごっそり抜けてて……茜に潮賀の事を調べて貰ったら、ここ最近、触れている間、触れている相手の記憶を操作する異能に目覚めていた』


 最悪の事実に気づいた双葉の表情を、修助は想像する。アニメでも良くやっていた口元を抑えて動揺する表情を。


 それよりも重要な事が彼女の口からこぼれたのを、修助は聞き逃さなかった。


「何? 潮賀の奴が異能に目覚めただぁ!?」


『だってそうでしょう? 絶対牢屋に入れられるような罪を犯しておきながら、無罪放免でほっつき歩いている。異能に目覚めた以外に考えられない。そして彼女を捕まえた警察官に記憶が無いとなれば、それ以外の考えは浮かんでこないでしょう』


「まぁ、言われてみるとそうだけど。どうするつもりだ?」


『揺りかごでは保護しない方針で話を進めている。これも茜の情報なんだけど。マンガ嫌いな潮賀 歩実の奴、引きこもりの兄の部屋を定期的に掃除の名目で物色して、フィギュアや漫画本なんかをリサイクルショップに売り飛ばして自分の小遣いにしていたの。その中に”ならず者のシルバーバレット”が含まれていた』


「だから茜先生の能力が使えたのか。保護しない判断は正しい。寧ろこの際殺した方が良い」


『それはやりすぎよ! 私達揺りかごの理念を知らないの?』


「勿論知っている。全ての異能持ちが安心して暮らせる社会の実現だろ? でも潮賀はどうだ? 異能を悪用している以上に、優等生の面かぶって学校の監視を逃れながら、他人を犯罪に巻き込んで金を荒稼ぎしている。犯罪だって知った上で、時に揺りかごを危険に晒す真似までした奴を生かす意味が見いだせない。キツい言い方をするが、異能持ちの子が皆、綺麗事で済むような性格をしていないんだ」


『そ、そうよね。私も今回の件ではっきり解ったわ。恩を仇で返す奴だって言うのも、解った事だし。何より茜の新しい情報にとんでもない事も含まれていたから尚更ね』


 全ての異能持ちを、差別や人体実験、そして死の恐怖から救う目的で活動している揺りかごだが、時にそれが通じない事もある。修助が知っている小説の内容では、歩実はここまでクズなキャラクターではない。終わった後の世界で好き勝手にやっている極悪人へと成り下がったのだ。


「そのとんでもない事ってまさか……」


 修助は生唾を飲み込み、一番当たって欲しくない予感が脳を支配する。


 結果として、双葉の口から出てきた言葉は、彼が一番当たって欲しくない予感そのままだった。


『そのまさか。以前誘拐されて私達揺りかごに救助されたのを切っ掛けに、執行者の存在を知った。執行者は今新たに動く為の資金を求めている。所属している兵隊を動かすには多額の資金が必要で、今まではそれが出来なかったからその辺のチンピラに誘拐やその他の犯罪をやらせ、本命である異能を持った少女の兵器開発を秘密裏に進めていた。潮賀 歩実はその手助けをする事で、将来自分を好待遇で受け入れて貰おうと計画しているわ。腐っても大企業、一度経営が傾いても、潮賀 歩実のように金を短期間で大量に集められる人材は重宝される。しかも凶悪な異能持ち。執行者としてはこれ以上ない人材だと思うの』


「それに潮賀の奴も金をもっと稼ぎたいみたいだしな。WINWINの関係って奴だ」


 修助は執行者が再び世界的な驚異となる所まで来ているのではないかと考えるようになる。例え自分の手が血で汚れる結果になってでも、歩実を止めなければ、再び世界は異能を持つ少女を満足に守れないという過ちを犯してしまう。


 そうなる前に行動を起こさなければ。そう思っていた時の事だった。


「修助! あなた! 伏せて!」


 それまで食事に使っているテーブルで読書をしていたエレナは、突然感じ取った危険を知らせる為に二人に伏せるよう叫ぶ。


 その後彼女は伏せた二人を抱えて、生命維持装置のリミッターを解除し、窓ガラスを割って芝生の庭へ飛び込んだ直後の出来事だった。


 外で下品な笑い声と共に放たれた二発のロケット弾がリビングで爆発したのだ。潮賀は自ら手を汚してまで誰かを殺すのを避けるので、恐らく彼女の仲間のうちの誰かが現金に目がくらんで喜んで引き受けたのだろう。


 その爆風で着地するはずだった芝生の地面から離れ、少し勢いのついた状態で鉢植えなどが沢山置かれた花壇にぶつかり、土や鉢植えが修助達の頭や服を汚していく。


「痛たたっ。腰がっ」


「あなた、少しうつ伏せになって」


 圭一郎はぶつかった衝撃で腰を打ってしまい、立てなくなってしまっていた。それを目の当たりにしたエレナは、得意な魔術を用いて治療を試みる。


 その一方で修助は頭が真っ白になりながらも、残された理性で消防に通報、燃え上がる炎を消し止めて貰う為に住所を伝えていく。


 その間、ロケット弾を打ち込まれた家屋は、周囲をどんどん燃やしていき、未だ入浴中の真琴は中に取り残されたまま。


「父さん。エレナ母さん。ちょっと母さんを助けてくる。俺はいくら燃やされても平気だが、母さんはそうも行かないだろう」


「修助! 待つんだ修助!」


 修助は自分が一切怪我をしないし、死なない存在という自覚から、入浴中の真琴を救う為に圭一郎の制止を振り切って再び家の中へと入っていく。


 火の手はどんどん広がり、上からは燃えさかる木材が降ってくる始末。だがその全てに触れても、今の彼からすれば、ただただ邪魔なオブジェに過ぎない。


「母さん! 母さん!」


 本来なら自殺行為に等しい、火災現場での深呼吸からの叫び。肺すら強靱になっている今の彼には関係なく、どちらかというと彼の進行を邪魔しているのは、焼けて崩れ落ちる瓦礫だ。


「修助!」


 バスタオル一枚で身動きが取れなくなっていた真琴が、煙を吸わないよう地面へ伏せて息子に助けを呼ぶ。


「待ってろ! 今向かうから!」


 母親を救う為に、衣類に火が付いてもお構いなしに進む修助。真琴の許までたどり着くと、まだ燃えていない衣類を着せて、バスタオルをその幼い顔に押しつけた。


「少し息を止めてて。すぐに出るから!」


 真琴は息子の頼もしい一言に頷く。


 それを確認した修助は、この大火災の中を素足で歩かせる訳にはいかない真琴を抱えて、行きよりも酷くなった瓦礫まみれの廊下を進もうとする。


 運が良い事に、消防隊員が到着し、高圧力の放水で消火活動を始めていた。


(これは利用しない手はない!)


 修助は放水が進路を切り開いているのを見つけ、火災の勢いが弱まっている所を探して歩いていく。何とか圭一郎とエレナの居る所まで戻ってくると、既に消防隊員と救急隊員が彼らを保護して治療を行っていた。


「なんてタフな奴だ! 急いでこの二人にも治療を!」


 ベテラン消防隊員の目には、少女を抱えて誰も助からない規模の大火災の中から堂々と歩いて生きたように見えていた。


 実際には瓦礫が邪魔で走りたかったが走れなかったというのが修助の本音だが、傍から見ればその堂々とした足取りは、痛覚が麻痺し、頭のネジが全部飛んでいるようにしか映らなかった。


 こうして四人の一家は誰一人欠ける事無く、生き延びる事が出来たのだが、住む家が焼失してしまい途方に暮れていた。


(潮賀、お前覚えてろよ。先にやったのはそっちだろなんて言わせねぇ。二度と社会に出れない身体にしてやる)


 真琴をゆっくり降ろして、消防隊員の誘導によって安全な場所まで避難する。


 避難所に到着した直後。今まで住んでいた家が消火に間に合わず崩落。その瞬間を目に焼き付けた修助は歩実を徹底的に叩く意志を胸に秘めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る