13・証拠

 それは放課後の出来事。修助はずっと待ち望んでいた弁護士からの連絡を受けて、事務所へと向かう。


 ここ一週間、世界は平和そのもので、丑三つ時での過ごし方も、生前にもっと話したかった事が中心で、復活したと思われる黒幕のオズワルド・ウェルクの存在もしばし忘れる始末だ。


 そんな時に、弁護士が探偵を使って歩実のしっぽを掴んだのだ。邪魔な奴が消えるとなれば、より和奈と一が安心して暮らせる社会になる。そう修助は確信を持っていた。


「こんにちは。連絡を受けた、棗 修助です」


「はい、棗様ですね。ただ今お呼びしますので、此方におかけになってお待ちください」


 事務作業をしていた受付の女性に声をかけられ、修助は案内されるままに待合室の椅子に腰を降ろす。


 それから五分と経たずして、彼と話し合った弁護士が顔を出してきた。


「こんにちは。本日はよろしくお願いします」


「はい、よろしくお願いします」


 二人は席を立ち、相談スペースへと向かう為に待合室を後にする。


 スペースに入り、改めて椅子に腰を降ろすと、弁護士は深いため息を吐きたそうなのをぐっとこらえた様子で、修助にタブレットで動画を見せる。


「此方が、素行調査業者に依頼した、取引現場の映像です。潮賀さんは相当用心深い性格で、業者も手をこまねいていたようです」


「でしょうね。扱っているモノがモノですから。それに、今度は加工映像だと駄々をこねる事もないでしょう。目撃者が居るのですから」


「そうですね。私が依頼した素行調査業者も警察に同行していただいて、この映像を見ていただきましょう。言い逃れのない証拠になります」


 法律の専門家からのお墨付き。修助はほっと胸をなで下ろす。


(探偵の事についてはまぁ知る事は出来ないし、知る必要もないだろう。向こうはプロだから、潮賀みたいなアマチュアに口封じされる事も無いし、ようやく一件落着ってところだな)


 前世で兄が執筆した世界での歩実は、ただ一の邪魔をするだけで、結局最後まで生き残って、その後の詳細は解らず終い。


 だが今は違う。こうして修助は一の力を借りながら、平和を脅かす気に入らない奴の排除に成功したのだ。後は歩実の覚せい剤取引に執行者とのつながりが有るかどうか、それを確かめるだけだ。


 これが公になれば、執行者の資金源は致命的とまでは行かないが、かなりの打撃を受けるだろう。ただでさえ誘拐もままならない状態で、その上活動資金まで取り上げられたのであれば、後は壊滅を待つだけ。


 出来れば執行者のアジトなり、ウェルクの潜伏先を調べたかったが、それは別の登場人物との接触が必要だと修助は感じ、機会を改める事にした。


 その登場人物は、自身がペンや鉛筆等で書いた紙や、それらを印刷された雑誌等に触れた人物の記憶を手に入れる事が出来、またその記憶を改竄や追加する事が出来る、出鱈目な異能を持つ社会人の女性だ。現在は漫画家として締め切りと戦っており、気軽に声をかける事が出来ないのが悔やまれる。


 本橋もとはし あかねと呼ばれるその女性作家は、現在揺りかごに軟禁状態にある。理由はシンプルで、作中彼女の担当編集者は執行者によって殺害され、その姿になりすまして茜を誘拐する計画を立てていたが、殺害された担当編集とは腐れ縁とも言えるほどお互いの事を理解していた為、その違和感にすぐ気づき、事なきを得た。といった経緯だ。


 茜が仕事場に使っているマンションの一室は、執行者にマークされている為、茜本人の合意の上で、事実上の軟禁生活を受け入れている。


 軟禁生活と言うと聞こえは悪いが、ようは彼女を保護する為であってその自由を完全に奪うわけではない。マンガは締め切りを守り連載を続け、原稿が仕上がれば揺りかごのメンバーと飲み明かす程度には自由に暮らしている。


(次は取り調べ室で往生際の悪い態度を晒す潮賀に、本橋先生が書いた紙を触らせれば完璧だな。あり得ないが、仮に逃げられそうになったら、その記憶を利用して警察に動いて貰う。それぐらいかな?)


 修助は次の段取りを考えつつ、弁護士と共に席を立ち、既に警察署で待ち合わせているという探偵と顔を合わせる為に弁護士事務所を後にする。


 因みに歩実はというと、こうして修助達が動いているにも関わらず、学校では優等生として振る舞い、放課後になるとバイトと称して覚せい剤を始めとした違法薬物の売買に精を出していた。


 もはや小遣い稼ぎの域をとっくに越えており、遊ぶ金を手に入れつつ将来に備えて蓄えている。覚せい剤で得た資金だというのがバレないよう、成人している引きこもりの兄に無理矢理証券取引口座を作らせて、マネーロンダリングにも手を出しているに違いない。


 覚せい剤で得た収入はそうやって行方をくらませる必要があるからだ。


 修助は笑うのを必死にこらえていた。頑張って稼いだ金が全てパーになり、動物園のチンパンジーが威嚇するように叫ぶ歩実の姿が頭に浮かんでいたからだ。


・・・


「だから、やってないし、売ってないって言ってんでしょ! その映像だって、誰かが私を陥れる為に作ったフェイクに決まってるわ!」


「じゃあ何で成績優秀な上、品行方正で通っている貴女が、覚せい剤取引を疑われるのか、考えた事あります?」


「んなもん、知るわけ無いでしょ! 何度でも言うわよ! 覚せい剤なんて知らないし、その映像もフェイク。棗のボイスレコーダーだって誰かが声真似させたのよ!」


「第三者がそんな事するメリット有りますかね?」


「しつこいわね! 学校で良い成績取ってると、変なやっかみを受けるのよ! こんな事、今に始まった事じゃないわ!」


 取調室の様子を、揺りかごの権力を行使して特別に見せて貰うと、これ以上無いほどの証拠品が揃っているにも関わらず、やってないの一点張りで逃れられると考えている歩実の姿が醜く映っていた。


「そうですか。解りました。午後二〇時五分、潮賀 歩実を覚せい剤取締法違反、並び犯罪収益等隠匿罪の容疑で逮捕する。その様子じゃ余罪もたっぷりありそうだな」


 そう言って屈強な警察官は歩実の腕を掴み、嫌がる彼女の腕に手錠をかける。


「ちょっと! 離しないさいよ!」


「無理だ。もうお前は黒だってはっきりしているんだ。そんなに無実を証明したいなら、弁護士でも引っ張って、少しでも判決を軽くする努力をするんだな」


「ハナからやってないって言ってるでしょ!」


「だから何度も言わせるな。やったって証拠がもうこっちに在るんだよ。お前の友達は皆口をそろえてお前から仕入れたって言ってたし、それにお前の取引を知ってしまった男性を口封じの為に殺させたそうだな。仮にそいつが生きていても、お前の罪は軽くならない事を頭に入れておくんだな」


「畜生! どいつもこいつも出鱈目言って! やめろって! 離せって言ってるでしょ!」


 どこまでも往生際の悪い歩実に呆れつつ、修助は彼女が警察によって手錠をかけられ、暴れるのを押さえられた状態で留置所へ向けて歩き出す無様な姿を眺めていた。


「どんな敏腕弁護士でも、潮賀の罪はどうにも出来ないだろう」


 こっそり取り調べ室の様子を覗いていた修助は、そう独り言を話すと、その場からゆっくりと歩いて離れていった。


 もうこれで彼女は終わり。そう修助は思っていたが、事態は彼の想像を裏切る方向へと進み始める。終わった後の世界で、原作者という拘束者から解放された登場人物達が、新しく何かを得て、考えを巡らせた上でそれを悪用するという可能性を、彼は全く考えていなかった。


・・・


(ここら辺りが良いかな?)


 それまで観念していたように歩いていた歩実は、周囲を用心深く見回す。


 監視カメラに加え、他の警官の姿が居ない事。そして自分に手錠をかけて連行している警察官が自分に触れているという事。


(四塚の奴らに助けられた後、不気味な力が手に入った。今までまともに牢屋へ入れられなかったのも、この力のおかげだ)


 歩実は自身の身体の異変に、最初こそ不気味さを感じていたが、やがてその使い勝手の良さに味を占め、乱用するようになっていく。


 学校でも優等生で通り続け、いじめを越えた暴力行為もお咎め無しに出来るほどの異能、その力を彼女は使う。


「……記憶喪失ロスト・メモリー


 ぼそっと、恥ずかしそうに自身の異能をつぶやくと、それまで彼女が逃げないよう腕を組んでいた警察官が、まるで見覚えのない少女を目の当たりにしたような戸惑いを見せる。


「誤認逮捕。あの証拠も全部ねつ造。お前等、この不祥事をバラされて無能警察の烙印を押されたくなければ、さっさとこの手錠をはずしなさい」


 歩実は発現した異能で自分を連行していた警察官二人の記憶の中で、自分に一番都合の悪い記憶だけを消去して、手錠を外させるようにし向けさせる。


 非常にシンプルで、非常に危険な異能。ウェルクが殺されてしばらくした後、つまり遼平の物語が完結した頃、異能が突然発現したが、あまりの胡散臭さに使うのを躊躇っていた。


 その能力こそ、触れた相手の中にある記憶の中で、自分に都合の悪い記憶を消す事が出来る異能だった。


 つまり、修助は彼女が異能に目覚めている事を知らない。それが発覚すれば彼にとって想定外の事態になる。


 誤認逮捕という事で、手続きを済ませて再び自由の身となった歩実は、早速自分を陥れたであろう人物が誰なのかを探る為に、彼女の友人達を利用し、報復する為の準備を行う。


「どこの誰だか知らないけど。このツケは高く付くわよ」


 そう独り言をぼやく彼女の表情は、久しぶりに集団リンチを高見の見物としゃれ込む切っ掛けを手に入れた事により、無垢な少女が浮かべるような笑顔を浮かべていた。

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