12・遼平の一日

 パソコンのディスプレイだけが辺りを照らす暗闇の中。遼平は先ほどまで修助達と通話に使っていたチャットソフトを閉じると、今度は新作の企画書を纏めたテキストファイルを開く。


 昼間はサラリーマンとして書類仕事をこなし、休憩時間に担当と専用のチャットアプリで打ち合わせを行う。いくら彼の作品が世界で読まれるようになったとはいえ、それだけで食っていけるほど世の中は上手く出来ていない。


 専業作家として飯を食っているのは恐らく一〇万人に一人居れば良い方ではないかと、以前遼平はそんな話を小耳に挟んだ事がある。実際に印税を貰ってみると、無いよりマシとは言え、これで食っていくと言うよりは、労働で得た金を中心にして、暮らしの質を上げるぐらいの事しか出来ないのだ。


 しかも遼平ほど印税を稼いでいる作家になれば、面倒を通り越して制度として欠陥があると感じさせる確定申告を行わなければならないし、極めつけは所得税。働いたら罰金だなんて誰かが冗談で言っていた気がするが、まさにその通りだと感心してしまう。


 もっと言ってしまえば、小説を買って読む。それが出来る人間があまり多くないのも、その状況に拍車をかけていると言っても良い。いくら作家がしっかりとした世界観を描写しても、読む側の人間の受け取り方によってその世界観は歪められ、様々な解釈違いが起きる。それほどまで小説を読むというのは難しい事なのだ。


 だが、それは悪い事ではない。実際遼平はそうした解釈違いによって助けられ、スランプから抜け出す切っ掛けを掴んだ経験もある。だから自分がこうと書いた作品が、他人には別の形に受け止められても、根本的に内容からズレていなければそれで構わないと考えていた。同じ美少女でも遼平が考える美少女と、世間一般が考える美少女が乖離している事に気づき、それを否定せず、しかし万人受けにすり寄ったデザインにしない。そうしてキャラクター達を活躍させてきた。


 今回の企画書も、そのような内容で行こうと考えている。有る程度纏まった所でその企画書を担当へ送信すると、いつの間にか日が昇っていた。


 遼平は眠る事無くパソコンを閉じて出勤し、時々トイレに隠れて居眠りを交えつつ労働に励み、昼休みにコンビニで買ったおにぎり二個を数秒で胃の中へ送り込むと、担当の返信をチェックし、評価点、改善点を洗い出しつつ、遼平の心にある世界をその作品に構築していく。


 この新作も、きっと面白くなる。こんな時に弟である修助が居てくれれば、どれだけ励みになっただろうか?


 献本で送られてくる本で済ませればいいモノを、修助は一生懸命働き、その給料で遼平や他の作家の作品を買っては読み更けていた。その真剣な眼差しをもう見る事は、無い。


(いかんいかん、担当とのすり合わせに集中しなくちゃ)


 大好きだった弟、自分の作品を誰よりも愛して、理解してくれる弟。失った者が如何に大きかったか、二年経てなおその喪失感を埋める事が出来ずにいた。


・・・


「今日も今日とて定時退社。ウチの会社はケチだから、残業しても意味ないし」


 遼平は小声でぼやくと、いつもならまっすぐ家へ帰っていたが、家族を失ってからは、毎日とまでは行かないが、家族が眠る墓地へ寄り道してから帰る事が多くなってきた。


 三人の眠る墓前に腰を下ろし、手を合わせた後、少し汚れている墓を掃除し、花を供える。


 それからしばらくぼんやり墓を眺めてた後、コンビニで夕飯を買って家へ帰る。


 元々家族四人で暮らしていた一軒家。一人で生活するには広すぎるが、それを理由に引っ越すのも、家族が居た事を否定するようで嫌だった遼平は、それがとても苦労を伴う事と知りつつ、現在も幼少期から過ごしてきた一軒家で暮らしている。


 周囲は表向きこそ家族を失った哀れみを向けてくれたが、遼平は作品の為に、人間観察をするようになり、次第に自分を見る周囲の目が悪意と嘲笑だった事が解ってきた。


 でっかい一軒家で優雅に一人暮らし。彼の苦労を知らない近所のおばさま方はそう言って遼平を笑い物にした。


 だがそんなものはどうでも良い。今は丑三つ時に会える、その現実だけで心は持ちこたえてくれる。


 コンビニで買ってきた弁当で夕食を済ませると、彼は担当に指摘された修正案を元に更に物語を書き進め、二時間ほど作業を行うと、入浴し、丑三つ時の三〇分前にアラームをセットして仮眠を取る。こうでもしないと、日中の労働に身体が耐えられないからだ。


 そして訪れる丑三つ時、その三〇分前にスマートフォンのアラームが鳴り響く。その音で起きた遼平は、麦茶を飲みながらノートパソコンを開き、物語を書く作業を進めながら、その時を待っていた。


 丑三つ時。昼間からアルコールをひっかけて車を運転していたその辺のクズに殺された家族と再会出来る、奇跡のような時間。


 それが毎日起きている。夢でも見ているのではないか? もしかすると自分は自覚できないほど心身にダメージを負っており、自殺に踏み切ったのか? そんな錯覚を起こすほど、遼平はその奇跡に戸惑いを感じると同時に神に感謝していた。


 そしてついに訪れた丑三つ時。嬉々としてオンラインになった修助に通話を発信する。秒で通話に応じた修助が挨拶をすると、遼平も修助に自分の新作を見せたいという逸る気持ちを抑えながら、その返事をする。


「ただいま。修助、父さん、母さん」

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