11・エレナ、遼平との対面

「ただいま」


「修助。お帰りなさい」


 修助の帰宅に最初に気づいたのは、真琴だった。彼女は部屋着にエプロンをつけているのを見ると、今は夕食を作っている最中なのだろう。リビングへと繋がる半開きのドアからは、食欲をそそるスパイスの香りが流れ込んでくる。


「あら、なんだか憑き物が落ちたみたいな顔しちゃって、良い事でもあったの?」


「まあ。帰りにゲーセン寄ったら、前世で遊んだゲームばかり並んでて、これよく兄貴と遊んだっけって感慨に浸ってただけだ」


「そうなの。案外、この世界には丑三つ時のパソコン以外にも、遼平を感じられる場所が在るかもしれないわね」


「そうかもな。落ち着いたら父さんも誘ってそれらしい場所に行ってみるか?」


「ええ、いつまでも遼平とあの時間につながれるとは限らないし。覚悟を決めても辛い時に、心を守ってくれる場所を探すのも悪くないわね。今晩はカレーよ。よく手を洗ってうがいして、着替えてから来なさい」


「解ったよ、母さん」


 今この場には修助と真琴しかいない。すると、ごく自然に二人は親子の会話になる。


 妹という立場で転生した真琴に、兄という立場で転生した修助だが、母と子という絆は死を経ても変わらない。それを示すのが今の会話のやりとりだ。


 修助は真琴の言われた通りに、入念に手洗いとうがいを行い、部屋着へ着替えると、ちょうど夕飯のカレーが出来上がっていたのか、彼がいつも座っている席にはカレーライスが盛りつけられた皿とスプーンが置かれていた。


(思えば、母さんのカレーを食べるの、転生して以来かも。今はエレナと一緒に台所に立っているから、厳密には母さん一人で作ったモノじゃないんだけどね。多分)


 カレーを作る大変さは、手伝った経験のある修助自身良く理解していた。材料を切ったり焼いたり、あく取りの後にルーを入れるのも真琴がやってしまうが、その後鍋が焦げ付かないように混ぜ続ける作業は前世でよく手伝っていた。


 今日はその役割をエレナが担ったのだろう。彼女はカレーを混ぜるのに使った右腕を労るようにマッサージをしている。


「その……エレナ母さん。そんなに腕、辛かった?」


 修助はまだエレナの事を母として見る事が出来ずにいたが、それはそれで全てを失い、やっとの思いで手に入れた幸せに縋るエレナを傷つけるのも罪悪感を感じる。そう思った彼は紛らわしい事態にならないように、敢えて名前呼びした上で母さんと呼んだ。


「ええ。鍋を焦がしてしまうところだった。真琴にすごい剣幕で怒られて……」


「それは……なんて言うか……」


 容易に想像できる、料理に不慣れなエレナに怒鳴る真琴の姿。


 人を切った事はあっても、食材を切った事の無いエレナは包丁の扱いも覚束ないと真琴がため息をついていた。鍋を焦がしそうになったのも、恐らく彼女の戦闘経験上、強火の方が早く終わると考える、典型的な失敗例からくるものだろう。鍋を焦がすと綺麗にするのが大変なので、真琴が怒るのも無理は無い。


 だから修助は返答に窮していた。下手な励ましや慰みは、彼女の心にナイフを突き立てるようなものだ。


 それでも、何か声をかけなければ。そう思った修助はありったけの言葉をかき集めて、何とか支えようとする。


「母さんが怒鳴るのは、こういう言い方あまりしたくないけど、それだけ期待している事なんじゃないかな? 今は確かに上手くいかないかもしれないけど、母さんアレでも教えるの上手いから」


 言って修助は席に着く。それをキッチンから見た真琴は、エレナと交代する形で台所仕事を行っていた圭一郎を連れて、各の席に着く。


「それじゃ、みんな揃った事だし。戴きましょうか」


 そんな真琴の一言で、四人は手を合わせて、いただきますと挨拶を交わした。


・・・


 食後、エレナは丑三つ時まで活動出来るように、装備している生命維持装置の調整を圭一郎と行っている間、修助は真琴と一緒に後片づけを行っていた。


 食器に付いたルーを流水で流し、その後それを食洗機の中へ入れて洗浄する。偶然なのか、それとも修助がゲームセンターで遊んだ時のように、遼平の記憶が作中に反映されている影響なのか、その食洗機は修助が生前に良く真琴の手伝いで使っていた物と同じ物であり、慣れた手つきで操作する。


「圭君、エレナの使っている機械の事を知りたいみたいで、まだテーブルに居る。まぁ、あの女に何かあったら困るから、別に良いけど」


 独り言のようにも聞こえるが、本音は寂しいのだろう。その声音は少し弱く、儚ささえ漂っていた。


 そんな強がりでヤキモチ焼きな母の真琴の相手をするのも、息子である修助の立派な役目。グチの三つや四つぐらいは慣れっこだ。


「何かあっても揺りかごが何とかしてくれるよ。ほら、この家あちこちにボタンが在るだろ? これ、万が一エレナに何かあったらこれで揺りかごと連絡が取れる。頭が真っ白になっても、とりあえず押しておけば大丈夫だ」


「本当かしら? 試しに押してみても?」


「向こうから父さんの悲鳴が聞こえたらな」


 そう言うと、修助は台所からリビングの方へ顔を向ける。そこには今日の料理の反省会という名前の懺悔が行われていた。


 椅子に座るエレナの隣に圭一郎は座り、エレナがいつも肌身放さず持っている手のひらより少し小さい生命維持装置の点検を行う。


「私は危うく真琴の大事な調理器具である鍋を焦がして使い物にならないかもしれない事をしました……」


「でも今はああして二人で綺麗にしているじゃないか。もしダメになっても買い直せばいいだけの事。えーと整備マニュアルによると……」


 元々車を初めとした機械いじりが趣味であり、その手先の器用さは一般人から見たら趣味の領域を越えている。整備マニュアルを一冊手渡せば、どんな物もレストア出来てしまうのだから驚きだ。


「目視出来る範囲では異常は無いな。次はプログラムの方かな。エレナさん、このマニュアルに書かれているテストモードに入るよ」


「わかったわ」


 本来なら揺りかごお抱えの整備士がこのような事をするのだが、大事な長男が残した作品のメカを触ってみたいという好奇心から、圭一郎は双葉に直談判し、その腕を見込まれて家庭内での整備を許可されていた。実は有給を使って休暇を取得したのは、何も前世ののろけ話をエレナに聞かせるだけではないのだ。


 双葉との取引と、その技術を実演する現場を目撃したエレナは思わず開いた口が塞がらなかった。専門家になるには何年も費やさなければならない、生命維持装置やその根本にあたる武装の点検修理。それを半日もしない内に双葉に認められ、正式な許可証を発行されるまでに至った。


 許可証自体は電子書類として発行されるのだが、手続きに時間がかかるのでまだデータは届いていない。まぁ資格取得はそんなものだろうと圭一郎は慣れた様子でその通知を受け取り、現在に至っている。ちなみにこの一件は揺りかご内で大きな騒ぎになっているが、彼はそんな事に欠片も関心を示さず、目の前の仕事に取り組む。


 昼間は自動車保険のセールスマン。夜や非常時は遼平の世界で作られた生命維持装置を初めとする魔術関係の機械整備としての地位を確実の物にしていた。


「プログラムの方にも異常は無い。とりわけ騒ぐ故障も無いみたいだし、君は揺りかごという組織に丁重に可愛がられているようだね」


 茶化すような言い方で装置の状態を説明しながら、整備道具の後片づけをする圭一郎。


「この処理装置バイブルのメンテナンス。本来なら一筋縄には行かないはず。あなたは一体……」


 自分が一目惚れし、結婚して初めて恐怖を覚える。そんなエレナを余所に、道具を片づけ終えた圭一郎は元の場所に戻す為に席を立つ。


「説明書を読んだ、としか言えないなぁ。これじゃあ説明書を読めば誰でも出来るのかって怒られてしまうが……少し申し訳ない気分になるよ」


「圭君は車の整備から改造まで何でも出来るのよ。それに趣味で物を作ったりして、色々やってた。遼平がラジコンの大会で優勝したときもすごかったわねぇ。効率の突き詰め方を叩き込んでたっけ」


「あのレースは他の参加者が可哀想に思えるほど圧倒的だった。もっとも、あんなピーキーなラジコンを動かせる兄貴のテクもなかなかのモノだったけど。今思うとあのテクは父さん譲りだったりするのかな?」


 三人の思い出話に付いていけず、少し表情を曇らせるエレナ。だがそれも無理はないかと諦め、むしろこれからを作っていくのだと気を強く持ち、整備された生命維持装置を交換するため、こっそりと服をはだけさせる。


 取り付ける位置は胸。同じベッドで眠っているが、素肌を見せるのはまだ恥ずかしいのだ。それまでつけていた別の生命維持装置を外し、整備したばかりの生命維持装置を取り付ける。先ほどまで気怠かった身体が、かつてウェルクによって注入されたナノマシンの活性化によって身軽になる。装置自体は外しても一時間は生きられるが、それ以降はナノマシンが活動しなくなり、最終的に死亡する。指先を動かすのが脳であるように、体内のナノマシンをコントロールするのが、今交換された生命維持装置なのだ。


 こうして準備が整った一家は、いつものように団らんの一時を過ごし、丑三つ時を待つ事になる。



・・・


『改めてよろしく。エレナ・メイナス』


 自分でデザインしたキャラの名前を呼ぶのが気恥ずかしいのか、少し俯きながら遼平は挨拶をする。丑三つ時の時間を迎えたのだ。


「遼平がこの女を考えたんでしょう? シャキッとしなさいな!」


 制作者なら堂々としろと、真琴なりの激励を飛ばすが、遼平からしてみれば、家族に自分の悪趣味な性癖の詰め合わせを見られているのだ。性癖は秘すべきモノであるが恥ずべきモノではない。が、どう頑張っても無理な場合がある。


 この両親は容赦という言葉が頭から抜け落ちてしまっていた。


「今日はエレナに、アタシと圭君の馴れ初めを話したの。で、今はエレナの過去を聞きたいのだけれど、どうも忘れてるみたいで……」


『それは意図的に忘れられているものだ。オズワルド・ウェルクは、歪んではいるものの、幼馴染であるエレナの事を家族同然に思っていた。戦争で家族を奪われ、一人でも人類に対して復讐を誓った際に、エレナは寄り添った。最終的に自分が死んだらその責任をエレナに押しつけたくないという思いから、彼女が知らない所で忘却の魔術を用いて、自分の死をスイッチに自分の記憶や過去の記憶を消し、何も知らないで幸せになって欲しいと願ったんだ』


「見方を変えれば、捨てたも同然のやり方ね」


 真琴は怒りを通り越して呆れたため息を吐きながらエレナを見る。その表情は複雑で、幸せにする為に過去を忘れさせるという行動に疑問を感じている様子だ。


「解らない……ウェルクという名前も何もかも。私が覚えているのは一人呆然と立っていて、戦場から逃げ遅れた圭一郎さんが私を庇って、揺りかごの隊員達に説得していた事ぐらい。それ以前の記憶が無いの。それに、その記憶は掘り起こさない方が良い気がする。もし思い出して、この生活を壊すような事になってしまったらって考えると……」


 恐怖を覚えたのか、エレナは両肩を抱いてうずくまる。遼平と修助は本編でそれ以上の事をこれでもかとやってきた癖に何を今更、と喉まで出掛かった言葉を飲み込むと、この話はエレナを苦しめるだけだと言い、すっぱりと切り上げる。


 次に議題にあがったのは、修助は外傷によっては絶対に死なない事を発見するきっかけになった歩実の進捗報告だ。


「歩実の事なんだけど、揺りかごお抱えの弁護士が探偵を雇って、その結果待ちだ。寧ろ今下手に動くとここに居る皆に危害が加わる可能性がある。だから、探偵が証拠を掴み、警察がしっかりと奴を逮捕するまで何もしない事になった」


『そうか……確かに修助のスマホにあったボイスレコーダーアプリからは、覚せい剤取引をほのめかす発言があるが、まぁ奴の事だから知らぬ存ぜぬで逃げるだろう。なら、修助達も知らぬ存ぜぬで通すのが安全だ』


 我ながら最低なキャラを書いてしまった。遼平は首を横に振りながら、次の新作ではもう少しマシなキャラを考えようと心に誓うのだった。


・・・


 それからは心が一番落ち着く時間。他愛も中身も無い家族の時間を過ごし、丑三つ時は過ぎていく。


 パソコンの電源をシャットダウンし、両親が自身の部屋へ戻っていく中、エレナだけ残り、まだ話足りない様子で修助の目を見つめていた。


「これ以上は兄貴と話せない。何かあるなら明日の丑三つ時を待つしかない」


「違う。修助と少し話してから、寝たいと思って」


 そう言ってエレナは修助がいつも眠っているベッドへと腰掛ける。


 自分の息子なのに、真琴や圭一郎の時と同じようにその前世を知らない。その上彼は自分が過去に何をしたのか、遼平との対面を経て何か知っていると踏んで修助と話す事を望む。


「真琴と圭一郎さんの前世を聞いて、修助の前世も気になったの。図々しい話なのは承知だし、話したくなければ、断ってもかまわない」


「話すよ。エレナ母さんが忘れている事を俺は知っているのに、俺の事を母親が何も知らないなんてフェアじゃない」


 修助はそう言って、過去を話す為に記憶の整理をする。と言っても、二〇と数年しか生きていない手前、あの両親に比べたら大した話題にはならないと感じながらも、ゆっくり話し始めた。


 幼少期は喧嘩や生傷が多かった兄との関係は、中学生を期に改善。兄はこの頃から新人賞を目指して努力を重ねてきた。


 兄は無事、小説家としてデビューし、兼業作家として忙しい毎日を送る一方で、自分は大学を出て就職。ところがその職場は人を使い潰す事で生きながらえていた所謂ブラック企業だった。だが当時の彼はそこが初めての勤め先。社会に出て働くとはこう言う事と言い聞かせ、趣味である読書に没頭する事で仕事のストレスを減らそうとしていた。


 結果、彼は心を壊し、社会復帰も困難。更に追い打ちをかけ、彼の一度目の人生を終わらせた交通事故も、心療内科の通院の帰り道に夕食の買い物を真琴と圭一郎の三人で済ませた直後の出来事だった。


 そのあまりにも報われない生き様を聞いて、エレナは何故、彼はこの現状に不満を漏らさないのか不思議でならなかった。それを訊ねると、不満は勿論有る事を伝えた上で続ける。


「限られた中で最大限の事をする。それは簡単じゃない。けどこうしてもう一度人として生きる事が許されているのなら、やっぱり与えられた中で努力するしか無いだろう。俺はゼロからイチを起こす事は出来ないが、父さんや母さんの教育の賜物なのか、イチをニに改良する事が出来る。そうして少しずつ周りを変えていく。それしか出来ないんだ」


「すごいのね。依存する事しか出来ない私とは大違い」


「そんな事は無い。さっきはああ言ったけど、実際はそこまで行動に移せてないからな。潮賀の件についても、後手後手でやる事やったし」


 謙遜のつもりで言いながら、彼は水の入ったタンブラーを持つ。これから眠剤を服用して眠りにつくのだ。学校があるので、陽が昇らない内に眠りたいと告げると、エレナは大人しく修助の部屋を後にする。


「一度、二人でじっくり話す機会を設けよう。今みたいのじゃ、なんか釈然としないだろ?」


 部屋のドアを開けるエレナの後ろ姿に、修助はそう声をかける。それを聞いて、エレナは少なくとも拒絶されていないという安心を再確認した事による安堵の表情を浮かべ、修助におやすみと挨拶をした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る