10・退学への仕込みと両親の過去

 不穏な陰が人知れず忍び寄り、平和を徐々に蝕むのを止める為、修助は放課後に一が紹介した弁護士事務所に訪れていた。


 だからといって物事が簡単に解決できるほど、その道のりは平坦ではない。


「正直な話、ここまで来ると、我々弁護士ではなく直接警察に言った方が安全で確実だと思います」


「そうですね……ここまで露骨な証拠があるとちょっと……」


 オフィス用のイスに座る修助の向かいに座っているのは、一が修助に頼まれて寄越した弁護士だ。


 本来なら修助がやらなければならない、具体的な手続きなどをすっ飛ばしていきなり本題に入れるのは、やはり巨大な組織である揺りかごが、まさにやりたい放題出来るからに他ならない。


 そして二人の間にあるテーブルの上に載せられた証拠の数々。心療内科帰りの修助が襲われている様子を録音した歩実の脅迫や、覚せい剤取引を示唆する発言。そして歩実やその集まりの女子達の、タバコで汚れた肺のレントゲン写真や、ヤニで汚れた歯の写真。


 まだこの示唆する発言だけでは、覚せい剤の仕入先は解っていないが、少なくとも売り方に関しては歩実が仕入れ、それを下っ端や、彼女のグループでとりわけ信頼している女子に売らせて、その利益を分配していると考えるのが自然だろう。


 あるいは、テーブルの半分を占める覚せい剤を、歩実が逮捕されるリスクを恐れる事無く、別の場所で堂々と取引をしているかもしれない。


 いずれにしても、これだけ威勢良く言うので在れば、彼女が覚せい剤を取り引きしている事実に変わりはない。


「ここまで証拠がそろっているのに、その潮賀さんはまだ自分じゃないと仰るんですか?」


「ええ、あくまで自分は関わっていない。何だったら陥れられた、名誉毀損だと責任転嫁するような奴ですから。もしかすると、向こうも弁護士を立ててくる可能性があります。その為に本日は相談に来ました」


 あまりにも子供じみた逃げ方に、対面する弁護士は頭を抱える。


 あらゆる案件、特に金銭トラブルや自己破産で都合良く借金から逃れようとする連中以下の案件だけに、どう動けばいいのか困っているようだ。


「私が懇意にしている素行調査業者に、彼女を尾行させます。それで得られた証拠を元に、改めて警察へ行きましょう」


「解りました」


「本日は以上となります。何かご不明な点は有りますか?」


「有りません」


 弁護士が提示した素行調査業者、所謂探偵に依頼して証拠を集めて貰う事になり、修助は弁護士の質問に対して何もない事を伝えると、席を立つ。


「本日は有り難うございました」


「いえ、とんでもありません。業者からの連絡が有りましたら、改めてお伝えします。それと、今日から無闇に行動を起こさないよう注意してください」


「解りました。理由は何となく想像できます」


 修助は弁護士の忠告の意味をすぐに理解した。歩実が実際に捕まったとして、そのきっかけが誰なのか発覚してしまうと、修助だけでなくその周囲の人間も巻き込み、最悪殺してしまう危険性があるからだ。


 おまけに、これだけ証拠が揃っているのに、やってないの一点張りを貫き通す歩実の事、殺してしまう以外にも何をしでかすか解らないという不安もある。


 その事をふまえると、今回の件はこれ以上揺りかごに頼らない方がいいかもしれない。揺りかごは巨大な組織であり、まさに何でもござれの至れり尽くせりだが、その目をかい潜って、歩実は覚せい剤を取引しているのだ。


 逆に揺りかごがこれ以上動くと目立ってしまい、関係者の身に何が起こるか解らない。歩実の下っ端は修助と同じ学校に通っている不良から、反社会勢力の構成員ともつるんでいる。更に執行者との取引が明るみになれば、揺りかごでも止めるのは難しい事件に発展するのは火を見るより明らかだ。


 だから静観するしかない。それが今修助に出来る事だった。


(兄貴の書いたラノベの世界に転生してなお現実を味わうなんて。親友ポジションでもここまで酷くはないぞ。クソッ)


 弁護士事務所を後にした修助は、無力な自分に苛立ちを覚える。今日はこれ以上何も起きそうにないなら、ゲームセンターにでも行って暇をつぶしてから帰ろうかと考え。彼はその足でゲームセンターへ向かい、苛立ちから逃れるように格闘ゲームに没頭した。


 稼働しているタイトルは、前世で自分と遼平が遊んだ事のあるタイトルばかりだ。恐らく遼平が作中でゲームセンターを描写した際に頭の中で幼少期に修助と一緒に遊んだ時の思い出が込められているのだろう。


 丑三つ時以外でも、言葉という手段を使わなくとも、兄をこうして感じる事が出来る。レバーを握り、ボタンを軽く叩いて連続技を決める彼はそれを発見し、もし昼間に兄に会いたくなったら、こうしてゲームセンターに寄るのも有りかもしれない。そうぼんやりと考えている内に、気づけば隠された条件を満たさなければ、戦うどころか会う事も出来ない隠しキャラクターを完膚無きまでに叩きのめしていた。


(コンピューターが強いゲームだけれど、それ故にパターンにハマったらそれ以外の動きをしないからなぁ。流れ作業になっちった。それと、ちょいと催してきた)


 修助は席を立つと、トイレへ向かって歩き出す。モニターは高得点を出したプレイヤーを称える為にイニシャルの入力を要求していたが、既に空席だった為、時間切れにより空欄に決定された。


・・・


「ふぅ……」


 小便器の前でほっと一息つき、リラックスする。するとその隣に学校帰りの一が現れ、修助と同じように一息つく。


「お、奇遇だな。和奈とデートか?」


「それ半分。もう半分は弁護士の話。電話しようかと思ったけど、こんな偶然あるんだな」


 一はあくまで揺りかごの権力を使って弁護士と契約しただけの身、具体的な内容を話したのは修助であり、その内容を一は知らない。そもそも彼がその場に居合わせられなかったのは、修助が頼んだ医者の件で立ち会い、更に学校を通じて匿名で容疑者である歩実やその連れを強引にでも検査させなければならない為、スクールカウンセラーの力も借りなければならなかった。修助と同じように、一もやることが沢山あるのだ。


 そういった事情も有り、修助は今日の事を簡潔に説明する。


「結論から言うと。弁護士センセは探偵を雇って潮賀やその関係者の素行を調べる。結果が出るまで、俺らは知らぬ存ぜぬを通す必要がある」


「バレたら俺達何されるか分からないからな。ったく。教師や警察相手だと退学にビビって大人しくなる癖に、俺ら相手だと随分ナメた真似する」


「退学したら退学したで、もう何も失うモノは無いからな。終わっても安心して寝る事なんて出来ない。ひでえ連中だ」


 先に出し終えた修助はチャックを閉めて便器から離れる。一も少し遅れてチャックを閉め便器から離れると、二人並んで手を洗う。


 今では殆どの施設で当たり前になっている、手を出せば自動で水が出る蛇口だ。


「社会のシステムに頼っても、解決できないっていうのはやっぱり納得いかないな」


 一は呆れた様子でそう独り言をぼやく。無理のない話だ。和奈との幸せを勝ち取る為に途方もない戦いを強いられ、ようやく安息の日々を手に入れたと思えば、自分が通っている学校の不良が面倒事を持ってきて自分達の邪魔をするのだ。まるでその幸せを許さないとでも言いたげに、憂さ晴らし感覚で傷つけていく。


 どんなに法整備を進めて、罰則を厳しくしても、元々のモラルが欠けている人間には関係のない話なのである。


 修助は和奈を待たせている一と別れると、もう少し兄との思い出に浸りたいと思い、今度はシューティングゲームの筐体へと硬貨を投入する。


(これも、兄貴と一緒に研究したっけ。まさかわざと自分をパワーダウンさせる事がクリアのヒントになるなんて、普通考えないよ)


 兄との思い出をヒントに、先のステージへ進み、時にわざと被弾して失った残り機体数を大量得点で増やす。気づけば彼は再び全てのステージをクリアした証として流れるスタッフロールを見る事になるのだった。


・・・


 修助がゲームセンターで兄との思い出を噛みしめていた頃。既に夕飯の仕込みを終えていた真琴とエレナは、有給を使って休んでいた圭一郎と三人で、前世に纏わる話をする為にテーブル席に座っていた。


 圭一郎と真琴が隣同士に座り、その向かいにはエレナが座る。


 エレナは修助も居た方が良いのではと提案するが、修助は修助でやることがあるから帰りが遅くなる事を聞いていた真琴はそれを伝え、敢えて修助無しで前世の事を話す運びになった。


「と言ってもどこから話そうかしら。圭君との馴れ初めから?」


「そうだなぁ。エレナさんは私と真琴が夫婦だという事に疑問を持っている。話せば少しは理解してくれるだろう」


 夫婦の話と聞いて、エレナは心臓を握られたような鼓動をする。なんだか愛する夫が娘に寝取られてしまうような恐怖感で体が強ばっているのだ。


 その様子を見て、真琴はどう彼女に話を聞いてもらおうか考える。少なくとも今の状態ではまともに話を聞いてもらえるか怪しい。


「エレナ、アンタにとってアタシと圭君が夫婦だったのは過去の事よ。今からそれを話すだけ。別にアンタの前から消える訳じゃないんだし、そんな泣きそうな顔をしないでよ」


 少し乱暴な言葉使いだったが、変にごまかすよりはよほどマシとばかりに真琴は言うと、エレナはそうねと頷き、気持ちを落ち着かせるように深呼吸をして二人を見据える。


「話してもらえるかしら。まずは昨晩、ノートパソコンに映っていた男の事。次に貴方達の過去を」


 覚悟を決めた表情で、ついに彼女にとってのパンドラの箱が開かれる。


 知らないままモヤモヤした気持ちを抱えて過ごすなら、後悔してでも知った方が良い。常に解っていたい彼女の強さを、真琴は改めて見直すと、まずはエレナが一番求めている遼平について話す。


「遼平の事からね。解ったわ」


 真琴はそう言うと、頭の中で散らばっている家族の記憶を整理して、遼平が産まれた時間まで記憶を遡る。


「アタシと圭君が結婚して二年後に生まれた長男よ。目が据わってて少し怖い印象が在るし、本気で怒ると何し始めるか親でも解らないけど、根は優しい子よ。そして修助によるとアンタの産みの親でもある」


「なるほど。私からすれば、神のような存在か……」


「在る意味その解釈が一番手っ取り早いかもね。正直、アタシも圭君も、多分修助もどうしてこうなったのか解ってないし」


「それで、その神同然の息子と、昨晩は何を話していたの?」


「昨日修助が病院の帰り、不良に絡まれていたでしょ? その話と、後は他愛もない家族のやりとり。アタシ達しか知らない事をべらべら喋ってるから、アンタにとっては退屈かもよ」


「退屈なものですか。真琴や圭一郎さんの事を、もっと良く知りたい、解っていたい。だから、今夜は楽しみにしている」


「そう。熱心ね。そう言う目つき、素敵よ」


 真琴はもっと知りたいとせがむような目つきのエレナを気に入ったのか、とても女子中学生が言うような誉め言葉では無い事を口にする。


「さて、次は圭君との馴れ初めかしら?」


「改まって話すと、少し気恥ずかしいな」


 これから真剣な話をしようとしているというのに、エレナの目の前にいる前世が夫婦の二人は頬を染めてどう伝えるかをイチャイチャしながら相談している。見ているエレナからすればこんな現場を誰かに見られたら舌を噛んでしまいそうなほど恥ずかしい思いをさせられていた。


(何なのこの二人。幸せボケ? まぁ、私もあまり人の事言えないけど……)


 エレナもなんだかんだで圭一郎と結婚した時は浮かれて、幼少期に戦争で両親を奪われるまで浮かべていた笑顔を取り戻していた。彼女の記憶の中では、圭一郎は修助をつれてやってきたバツイチで、真琴に至っては執行者が進めていたエレナのクローン研究の成功例を、揺りかごが社会的に保護する目的で引き取った実質娘である。その三人の内二人である真琴と圭一郎は自分を知らないと言いだし、修助に至っては警戒されているとなれば、記憶を失っている彼女の心が傷つくのも、無理のない話である。


 そんな回想をしていると、話が纏まったのか、二人は改まって姿勢を正して、エレナに前世を教える。


「アレはアタシが十八で、圭君が二六の頃だっけ。元々アタシは、友達の両親が事業に失敗してヤクザに金を返す為に身体を無理矢理売りに出されるところを出くわしたの。今は厳しく取り締まってるけど、アタシが若い頃、人身売買はヤクザのシノギとして立派に成立していた。それだけヤクザが活気づいていたの」


「ヤクザ? シノギ?」


 突然の業界用語にエレナは困惑した表情で首を傾げる。ただでさえ一般人にも通じにくい用語な上、彼女は海外の人間。日本独自の犯罪組織の仕組みは、かつて犯罪組織に身を置いていた自分でも理解できなかった。


「あー、ヤクザは暴力団。マフィアとかそっちの方が通じるかな? で、シノギっていうのは、商売の事。さっき言った誘拐から、薬売ったり、アタシの知る限りだと、ラブホもやってて、客室に隠しカメラ仕込んで、その映像をビデオテープに録画して売ってる組織も在ったような」


「真琴、暴力団の説明はしてもしょうがないだろう。どうして真琴が暴力団に狙われるようになったのか、説明しないと」


「ご、ごめんなさい。説明下手で」


 真琴は話が脱線している事に気づき、両手を胸の前で合わせてエレナに謝罪する。エレナは暴力団についてはだいたい解ったと相づちを打ち、真琴に続きを促す。


「それで、友達を助ける為に一人で組を潰したの」


「たった一人で組織を潰したというの!?」


「そ」


 そんな無茶な、とエレナは驚愕に震える。真琴も思い返せば、よく一人でヤクザ相手に喧嘩をふっかけたもんだと振り返ってバカな事をしたなぁと一人頷いていた。


「で、潰して、組織としての体裁が保てなくなって、構成員の殆どが警察に捕まって、その友達も弁護士を介してきちんと自己破産して無事解決したの。その友達は」


「というと、真琴は……」


「アタシはその後警察から逃げた構成員に執拗に狙われてね。学校にも居られなくなって、とにかく逃げる毎日を送っていた。銃で撃たれた事もあったけど、それが当たったのは通りを歩いていた赤の他人ぐらいね。構成員の襲撃を受ける度に警察沙汰になって、アタシも組潰した事が発覚して傷害致死で警察に追われる身になったの。残党と警察双方から命を狙われる毎日だった」


 彼女の中では辛い記憶だったのだろう。目の前の友達を救う為に振るった空手が、結果として真琴自身を不幸にしてしまったのだから。


 こう言った暴力はいかに相手に非があっても、振るった側が違法になるケースが殆どである。フィクションでは痛快に描写されがちな救助活動も、現実で実行に移せば後味の悪い結果になる。


 それが当時一八歳の真琴が送っていた人生だった。その転機はすぐに訪れる。


「その時にね、圭君と出会ったの。必死に逃げて、時に殴って黙らせてた時、それを見た圭君が察してくれて、アタシを車の中に入れてくれた。面倒事になるのは明らかだったのに、圭君はアタシを受け入れてくれた」


「あの時はすぐに女の子が逃げていると、助けなくてはと思うぐらいには気が動転していてね。事情とかそう言うのは後回しで、とにかく振り切る事だけを考えていた」


「そうしたら、連中何したと思う? 自分がお尋ね者だという事を棚に上げて警察に通報したみたいなの。ナンバーも控えられていて、すぐに追いかけてきた。そしたら圭君、とにかく峠道を目指して走り出したの」


「そ、それでどうしたの?」


 あまりにも突飛すぎる出会いに、思わず生唾を飲み込んでしまったエレナは続きを促す。


「真琴に聞いたんだ。死ぬ覚悟はあるか? と」


「あの時の圭君は格好良かったわ。本当は車の運転すごく上手いのに、わざと下手くそに走って警察に追い込まれるようにしてね、走っていた峠は圭君からすれば庭みたいなモノで、どのガードレールが壊れていたかを覚えていたの」


「まさか……」


「そのまさか。その壊れたガードレールの先は崖。落ちたら命は無いって、後から圭君から聞いた。でも圭君は二回、その崖から落ちて生き延びている。だから地元の走り屋達からは化け物って怖がられていたの」


「ちょっと待ちなさい……走り屋、一般公道でレースする人間の事……」


 圭一郎の取った行動の意味が解らなくなったエレナは、まず真琴の口から出た走り屋という言葉をスマートフォンで調べ始めた。


 そこから色々と質問をしながら話の続きを促す。圭一郎は偶然、真琴と同じ地元に住んでおり、その日は愛車の点検の為に外出していた。そこに追いつめられそうな真琴を見つけ、拾い、自分が警察を振り切るのに、そして普段他の走り屋と技術を競うのにも利用している峠道で自殺行為を演出した事を告げられる。


 その結果、警察は追跡を諦め、通報した構成員も身分がバレて逮捕。その間真琴と圭一郎の二人は険しい山道をひたすら歩き、その中で愛を育み、気づけば役所で婚姻届を提出していた。真琴の最終学歴は、ヤクザからの逃亡の日々で出席日数が足りず退学の為中卒だったが、世の中はバブル真っ直中で働く分には困らず、圭一郎は自動車保険のセールスマン見習いとして働いて生計を立てていた。


 やがてバブルが崩壊し、真琴が新しいバイト先を見つけるのが困難になった、つまり暇を持て余したのを皮切りに、それまでの貯蓄を切り崩す前提で子供が欲しいと真琴にせがまれ、第一子として遼平を出産し、その五年後に修助を出産。


 とそこまで話して、これ以上は馴れ初めには当てはまらないと何とか自制する二人。


 一通り話を聞いたエレナは、改めて二人の絆の深さを思い知る。とても自分が介入できる余地など無い。そう思っているのを見透かしているように、真琴は言う。


「今度はアンタの番よ。お互い一人の男を好きになったんだ。アタシと圭君がそうしたように、アンタもアンタなりの幸せを掴みなさい」


「でも……」


「でももへちまも無い! アンタにどんな過去が在ろうと、それを受け入れる準備は万端よ。ね、圭君」


「ああ。今は苦しいかもしれない、だが真琴の言うとおり、切り替えて自分の幸せを掴む事を優先するべきだと思う。私も喜んで協力するよ」


 言うと二人は半ば強引にエレナの手を取る。記憶を始めあらゆるモノを失い、今は圭一郎の夫として、揺りかごの監視下で生活をしている。だが彼女が抱えている圭一郎に対する気持ちは本物であり、その圭一郎も真琴と共に、エレナがどんな過去を抱えていても受け入れると宣言してくれた。


 エレナはその言葉に胸の内が暖かくなり、握られた手を空いている手で優しく握り返す。


「ありがとう。私、もっと頑張ってみる」


 その言葉は前を向いて進む決意を固めた証。それを聞き入れた真琴と圭一郎は優しく微笑み、もうじき帰ってくるだろう修助と時間を合わせる為に、その日は三人で台所に立つ。


 初めこそ真琴はエレナの存在に嫉妬心を抱いて、敵視している部分があった。だがこうして話せば解りあえる。未だ真琴とエレナの間には、圭一郎の正妻の座を巡ったにらみ合いのような事が続いているが、それはいつの間にか、圭一郎をどれだけ幸せに出来るかを問うような形になっていた。


 エレナはいつか、真琴と同じように圭一郎から愛される日を夢見て、真琴と一緒に仕込んだ夕食の本格的な調理を教わる。その手つきはまだぎこちなさが残るが、真剣に取り組んでいるのは一目瞭然だった。

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