9・丑三つ時、エレナ乱入

 真琴の入浴はいつも最後になる。夕食を食べ、後片づけをして、修助や圭一郎、そしてエレナが入浴した後、ようやく彼女は湯船に浸かるのだ。


 その理由は単純。前世でも習慣化していた、精神統一と心の整理の為の瞑想を行っているからだ。自室ではなく、敢えて騒がしくなりがちなリビングで行う事によって、余計な音が入っても集中を途切れさせないようにする、彼女なりの統一法だ。


 特に今日は修助が心療内科からの帰り道。不良に襲われ、カツアゲされている場面を目の当たりにした怒りや動揺を沈める為に、より深く暗い瞑想の世界へと潜り込んでいく。


「真琴、皆お風呂から出たわよ」


「解った。すぐ入る」


 エレナは瞑想の世界へ入り込んでいる真琴に声をかけ、入浴を促す。彼女は一時間ほどの瞑想を打ち切ると、大人しくバスタオルと下着、そして可愛らしくデフォルメされた熊柄のパジャマを取り出し、それまで身につけていたラフな部屋着や下着を洗濯かごへ入れていく。


 いつも彼女はこうして丑三つ時を待ち、遼平に会える喜びによる逸る気持ちを抑え、前世とは勝手が違うこの世界を知ろうと努力する。


 それが、息子を一人置いて死んでしまった、情けない母親が出来るせめてもの償いだと、常に思っているからだ。



・・・


「今日は瞳ちゃんの悩みを解決しようとして潮賀に絡まれて、原付にはねられた。でも身体は無傷で、ボロボロだったのは服だけ。これについて聞いてみたい」


 修助は今日、身に起こった事を手短に話す。よくよく考えると、締め切りという制限時間の中で、いかに要点をわかりやすく、それらを長くなりすぎないよう短く纏めて一つの物語を書き終えた兄の事を、彼は改めて尊敬していた。


『それに関しては極めて単純だ。修助。お前、主人公の親友が死ぬ作品を見た事あるか? 親友が死ぬ事によって物語の隠された事実や伏線が回収され、読者に”そうだったのか”と理解できた喜びを与える重要な役割を担わされた場合だ。だが今のお前にそんな要素は一つもない』


 まるで生きていても死んでいても、どっちでも構わないとでも言わんばかりの態度で、遼平は続ける。


『俺が書いた作品のタイプ的に、死なれるとかえって他のキャラクターの扱いが難しくなってしまうからだ。それは初めてこうして繋がれた夜の俺を思い出せばイヤでも解るだろう? 死なれるっていうのはそれほど重い事だと俺は思っている。転生した修助は物語に居ても居なくても劇的な変化を伴わない、賑やかしタイプの親友だ。更に男ともなれば、あまり魅力的に書きすぎるとヒロインの存在意義が無くなる。だから扱いがぞんざいになったり、存在を忘れられたりするんだ。かと言って、身近に居る人間が死んだら、作品全体が暗い雰囲気になるだろう? だから俺はなるだけそうならないように気を使っている』


 初めて遼平と繋がれた夜と聞いて、その時に見た兄の荒んだ姿を思い出す。


 テーブルやソファーには酒の缶や瓶が転がっており、つまみにしていたであろうスナック菓子や軽食の袋を始めとしたゴミが散乱していた。誰がどう見ても、ヤケ酒を起こしているようにしか見えなかった。どんなに温厚な人間でも、身近で大切な人の理不尽な死は、人格そのものを変えてしまうのだ。


 それを改めて痛感した修助だが、知る為にも引くわけにはいかない。父の言っていた”知る事は時に傷つく事もある”という言葉を胸に、作家のタイプについて尋ねる。


「ちなみに、話の展開で全く関係ないのに、そう言った登場人物を殺す作家は居るのか?」


『無いワケでは無いが、やろうとして担当に止められた奴なら知っている。結局そいつは友人を殺すのではなく生かす事によって物語を丸く収めた。冷静に考えてみれば解る事だが、バカスカ登場人物作って、バカスカ殺しまくってる作品が面白いのは、アメリカの映画ぐらいだろ? よほど技量のある作家でなければ、何人か殺した段階で読者はすぐにその手法を多用するんだと察して読まなくなる。肝心なシーンで、肝心な台詞を言わせてから死なせるから盛り上がるわけで、今回修助が転生した”宗佐”にはそういった要素は一切無い。だから殺す理由も無い。つまり無敵の人って訳だ』


 そう言いながら、遼平は乾いた喉を潤す為に麦茶を一気飲みする。コップが置かれる音が響くと同時に、遼平は更に続ける。


『にしても変だな。潮賀は自分が助かる為に余計な事をして、結果一達主人公一味は大変な苦労をする訳だ。助けられるのを当たり前だと思って何の恩も感じてないし、寧ろ何でもっと早く助けないんだって一達を怒鳴りつけた。大学だって良い所も推薦で受かって、後は自分より成績が低い奴をからかって遊んでるだけで卒業できる。修助を原付ではねた事も、きっと下っ端にやらせて高見の見物と洒落込んでいただろう。あくまで下っ端がやった事で、自分は何もしていないと逃げ道を作るんだ』


「その潮賀って奴? 修助の財布から金を抜き取ろうとして、転売目的のシャブを買う金にしようとしていたわよ。潮賀って女の経済状況って、そんなリスクを背負わないといけないの?」


 修助は黙って遼平の話を聞いていると、今度は真琴が歩実の言った言葉を思い出して質問する。


『そんな事は無い。あるとすれば単に小遣いが欲しいだけだろう。だが彼女は物語の後編から避難している事を名目にさっぱり作品には関わってこない。こういうクズも少なからず居て、執行者の兵隊にされる可能性を読者に示唆する存在にすぎない。何より推薦が取り消されるリスクを自分から背負っているのがそもそも変なんだ。ここまで来ると、俺が作中で書いた潮賀とはかけ離れた存在になりつつある』


「ちょっと待ってよ。それじゃ……確証は持てないけど、シャブの仕入先、ひょっとして執行者って連中じゃない? じゃなきゃ、短期間で金を集めて、ゴロツキを雇って女の子を誘拐するなんて、到底出来っこないわよ。潮賀って女も、一度潰れたとはいえ、執行者ほどの大きな組織ならバレずに取引が出来るからそうしているに違いないわ」


 突拍子もない事を言い出す真琴に、少し驚く様子の遼平。確かに不快なキャラクターとしてデザインされた歩実だが、まさか一度自分を誘拐した執行者相手に、臆する事無く覚せい剤の仕入れを行って、それを他人に売りさばいて小遣い稼ぎをしているとなると、いよいよ著者としてキャラクターを動かしてきた遼平は頭を抱え始める。


『これは……もう一つ可能性を考えた方がいい』


「具体的には?」


 もう一つの可能性。その言葉に今一ピンと来なかった修助達はその答えを遼平に求める。


『俺じゃない誰かが、母さんたちの居る終わった後の世界を執筆している。そしてその世界では登場人物達がまるで現世に生きる俺のように自ら意志を持って行動している可能性がある。あの作品の幕を降ろしたのは俺だが、その幕をまた開けて好き勝手に続きを書いている奴が居る可能性がある。力にはなれないかもしれないが、俺の方でも調べてみるけど、そっちで何か情報が有れば連絡してくれ』


「解った……」


 作品を生み出す作家の気持ちを考えた事など一度も無い真琴と圭一郎も、遼平の提案に対して首を縦に振る他無かった。


「ならお父さんは職場を当たろう。自動車保険の会社だ、色んな人間が来るし、それに比例して情報も得られる」


「ならお母さんは通っている中学ね。っても、シャブ売ってそうな奴はあらかた病院に送っちゃったから、あまり期待しないで欲しいな」


「俺はまず歩実を退学させて檻にぶち込む。あの終わった後の綺麗な世界を、覚せい剤で汚されたらたまったものじゃないからな」


 三人それぞれに自分の役割が解ったのか、遼平に伝えると、物騒なワードが多すぎて頭に血が上っているのを抑える為に家族としての会話を始めようとした時の事だった。


「三人とも、こんな時間に何をやっているの?」


 丑三つ時になると、いつも修助の部屋で三人がこそこそ集まってノートパソコンの前で誰かと喋っているのだ。同居人であるエレナがそれを不審に思うのも別に不思議な話ではない。


 彼女は眠い目を擦りながら、三人の許へゆっくり近づいていく。ここは修助の部屋であり、デリケートな年頃のプライベート空間。親が入ってくるとなると、敏感に反応するのが反抗期の子供というものだ。


 だが修助はどちらかというと、遼平と会話している事がエレナにバレてしまった焦りで固まってしまった側面が強い。真琴や圭一郎まで一緒になってノートパソコンを見ているのだから、何もないはずがない。


「お願い。私を仲間外れにしないで……」


 しかしエレナの口から出た言葉は、打算や思惑等何もない、純粋な寂しさを言葉にしたものだった。


 どうやら三人で仲良くパソコンを使っているのを見て、エレナは疎外感を感じていたようだ。ウェルク亡き後、彼に関する記憶を失い、一人呆然とし、どう生きていけば良いのか、不安だらけの暗闇から差し伸べられた一つの手。


 その圭一郎の手が、彼女の生きる希望になっている。それが今振り払われてしまうのではないかという恐怖感から、突然エレナは腰まで流しているプラチナブロンドを揺らしながら駆け出し、圭一郎を抱きしめ始めた。


「お願いだから……一人にしないで」


 その碧眼から、大粒の涙がこぼれ出す。やっとの思いで手に入れた幸せが、あっけなく終わってしまうのではないかという不安と恐怖に、弱っている彼女の心が耐えられないのだ。


「悪かった。思えば、この話し合いはエレナさんを仲間外れにして行っている節があった。真琴、修助、そして遼平、これからは彼女もこの話し合いの仲間に入れられないか?」


『それは問題ないだろう。あまりエレナの前で言うべきではないが、彼女は執行者にまつわる記憶を殆ど失い、生きる為の魔術を使役する方法しか残されていない。もし不安なら、読心術が得意な子が修助のクラスメートに居るはずだが?』


「誘拐に巻き込まれた涼歌の事か。ちょっと難しいけど、揺りかごを通じて相談してみるよ。なんかエレナさんを放っておくと、イヤな予感がするんだよな」


「そうよ。アンタ何時まで圭君にくっついているつもり!」


 圭一郎を離すまいと、力強く抱きしめるエレナを見てヤキモチを焼いてしまった真琴は、たまらず二人を引き剥がす。


「エレナ、今までアンタの事をぞんざいに扱っていた事については悪く思っているわよ。でもね、圭君はアタシの夫なの」


『母さんは相変わらずだな……。たまには譲ってやりなよ。俺はギクシャクした皆を見たくないんだ。こうして家族そろって、馬鹿みたいにくだらない事を話して笑って、その輪にエレナを入れてやったって良いじゃないか』


「むーっ。遼平がそこまで言うなら……」


 どこか不満そうではあるが、大粒の涙と独りぼっちの恐怖に怯えている事に気付いた真琴は、それまで引き剥がすように二人の間に突っ込んでいた腕を戻す。すると再びエレナは磁石のように圭一郎を抱きしめ始めた。よほど独りぼっちになるのが怖かったようだ。


「ごめんなさい、真琴。あなたにとっても、圭一郎さんはかけがえのない大切な人なのよね。ビール瓶を魔術を使わず素手で切った時から、その想いの強さを感じ取っていた」


 記憶を失っているとはいえ、女幹部として最強を自負し、何度も一達に立ちはだかってきた。そんな彼女が娘である真琴のファザコンを見守り、受け入れるのは、以前の自分なら許せなかったが、今は違う。


 記憶を失って初めて気付く、人本来の強さと温かさ。いくら強くても、その心は孤独で、常に愛する人の温もりを求めているのを武力という仮面で隠してきた。その仮面が外れ、甘える事を覚えると、エレナは妻として夫である圭一郎を支えたいと同時に、その温かさに甘えたいと常々思っていた。


「真琴、あなたの行動や圭一郎さんとのやり取りを見て、あなたが圭一郎さんの事を想っているのが解った。それと、一つ聞きたいのだけど、このパソコンの画面に映っている男について話してもらえないかしら」


「別にそれは構わないけど。今の眠そうなアンタじゃ、話半分も聞けないだろうし、明日の夕飯に全てを話すわ。それで手を打ってもらえる?」


「ええ。ありがとう。真琴」


 エレナは真琴の懐の広さに感謝するように、圭一郎から離れ、今度は真琴の華奢な身体を優しく包むように抱きしめる。ここまでベタベタと抱きつく母親が居るのか少し疑問だが、家庭が崩壊しているよりはずっとマシだった。


「そう言うわけで、兄貴。明日は特に大きな動きが無ければエレナさんについて報告をするよ。もう時間も三分切ってるし」


『そうだな。明日の報告、なるだけエレナには幸せになってもらえるような知らせを期待している』


「何でだ? 悪役として一達に何度も、それこそ殺されそうになったのも一度や二度じゃないはずだ。俺達は何とも思わないが、一達がどう思うか……」


『アイツ等は筋金入りのお人好しだ。涼歌の心のガサ入れで潔白が証明できれば、受け入れてもらえるだろう。もう三〇秒しかない。おやすみ、修助』


「ああ、おやすみ、兄貴」


 修助は親達が互いを慰め合っているのを後目に、遼平へ就寝の挨拶をすると同時に、丑三つ時を過ぎて通話が途切れる。


 中途半端な挨拶になってしまったが、こればかりはどうしようもない。問題はそれとは別の場所にある。


(明日の放課後は、大変な事になりそうだ)


 彼はノートパソコンを閉じて、後ろを振り向く。そこには何とか和解した両親とエレナが、三人で川の字で寝ないかと話し合っていた。


 その光景を見て、修助はため息を吐く。


(まさか父さんがラノベみたいなハーレムを築くなんてな。おったまげた。この状況を一達にきちんと説明できるのも俺だけみたいだし、改めて見ると損な役割だな。ラノベの親友ポジションって)


 心ではそう思いつつも、その頬が少し緩んでいるのは、この状況も満更悪くはないと感じている節があるから自然とそうなってしまったのだろう。


 こうして丑三つ時を過ぎた一家は、改めてエレナを本当の家族として受け入れ、新しいスタートを切った。その為の報告をどう話すか纏める必要があるが、脳が睡眠を求めている以上、明日でいいやと投げやりになる。


 明日出来る事は今日やらない。そんな兄の口癖を修助は思い出しながら、ベッドへと向かう三人の親を見送る修助だった。

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