6・何事もなく登校

 丑三つ時を過ぎてベッドへと潜り、短い睡眠時間を経て起床する。こんな生活を続けていれば、当然十分な休養を取れていない心は病み、現在一に勧められた心療内科で治療を行っている。


 そもそも前世では大学卒業後、三年間務めていた企業で、所謂新人クラッシャーとして名を馳せていた自称デキる上司に心をグチャグチャにされた彼は、その修助の変化をいち早く察知した遼平のアドバイスでボイスレコーダーを使い、証拠を集めるだけ集めた後、退職代行サービスを利用し退職。


 更にキレた真琴によって労働基準監督署に殴り込み、弁護士まで介入させ、どんどん火種を大きくした結果、その上司が企業の金を横領した事実が発覚。結果その上司は業務上横領で逮捕され、なぜ自分がこんな目にと叫ぶ中、納得のいかない様子で警察官に手厚く歓迎される事になった。


 結果、退職金に加え、賠償金も貰え、懐は非常に暖かかったが、壊された心は、糸の切れた振り子のように、元の元気な心には戻らなかった。


 回復には時間がかかる。そう判断した家族は修助を引き続き心療内科へ連れて行き、療養生活を送っていた。


 そんな中で飲酒運転の車に、潰される形で殺された修助は、その病んだ心を抱えたまま転生し、学校へと向かっていた。転生直後は真琴も圭一郎も止める中、どうしても行きたい理由が彼の中であったからだ。


(兄貴が描いたヒロイン達に会えるんだ。転生して数週間、それがどれだけ嬉しいか。普通は妄想こそすれど、どこかで諦めてる事が現実になっているんだ。医者にも止められていないし、誰も俺を止められない)


 表情こそ動かないが、少しだけ上向いた心。そんな彼を心配そうに見つめる真琴と別れた彼は、学校を目指し、ひたすら歩く。


「おはよう! 修助!」


 学校に通う全ての女子・女性から嫌われている修助の肩を叩き、元気に挨拶をする唯一の女子。その溌剌として爽やかな挨拶は和奈のものだ。


「おはよう、夜宮さん。夜宮さんだけだよ、俺に挨拶してくれる女子は」


「全くだ。何故皆修助を煙たがるのか、理解に苦しむぞ……」


 純粋無垢で裏表のない、いかにもメインヒロインに相応しい性格の和奈の存在は、病んでしまった心を癒す天使そのものである。


「和奈! やっと追いついた……朝から走らせるなよ」


 その後を追いかけるように、恋人であり、この舞台の主人公でもある一が走ってくる。


「おはよう修助。和奈に叩かれた背中、痛くないか?」


「嫌われ者の俺にはご褒美だよ」


「変わった趣味だな。叩かれて喜ぶなんて」


「む? 二人して何を話しているんだ?」


 男同士のちょっとマニアックな会話に、純粋な和奈はついてこれず、その傾げた首と共にクエスチョンマークを浮かべる。


「知らない方がいい。その方が幸せな事もある」


「釈然としないが……」


 詮索するのも野暮か。と勝手に一人で溜飲を下げてくれた和奈は、改めて修助から離れると、今度は一の腕に抱きつく。


 二人は終盤から完結まで、結ばれてずっとこのようにイチャイチャしているのだ。見る者から見れば嫌味に見えるが、今はこの幸せな二人を眺める事が、修助の心に癒しをもたらしていた。


 更にすぐその後ろ、別方向からも女子生徒が一におはようと声をかけてくる。皆作中に登場し、様々な場面、時に命を失いかける場面を一年間駆け抜けてきた。


 そう考えると、著者である兄の遼平はたった一年を七年かけて描写し、完結までこぎ着けると考えると、一は随分と濃密な一年を過ごしている事になる。それはむせるほど濃密だ。


「うわ、棗 修助じゃん! 和奈ちゃん、もっと離れないと、何されるか分からないよ!」


 そんな激動の一年間を過ごした内の一人、関根せきね 結花ゆかが、修助を見た瞬間露骨に嫌そうな顔をする。修助は無理もないと心の中で悟りながら、挨拶代わりにセクハラをしようと思いつく。


(彼女は関根 結花。風をいろんなアイデアで使える異能持ちで、和奈とウマが合うのか仲が良いんだよな。執行者相手にも物怖じしなくて、一と共に執行者潰しに貢献した功労者ヒロインだ。尤も恋は実らなかったようだが)


 修助は登場人物が出る度に、その人物についての振り返りを心の中で行い、事実と照らし合わせながら再確認していた。


 元々宗佐という親友は、学校に居る全ての女性のスリーサイズを知り尽くしている女性の敵、そう振る舞うのも乙だろうと考えての行動だった。


「お、良いのか? そんな事言って。何だったら今この場で関根の体重とウエストバラしてもいいんだぞ!」


「殺す! 風の剣ウィンド・ソード!」


「来いよ!」


 怒らせるツボをしっかり抑えた煽りを真に受けた結花は、自身の異能である風を操り、その勢いで顔面めがけて切りかかろうとする。異能を操る少女達は、涼鳴のように涼歌の名前を呼ぶ特殊なケースもあるが、基本的には自身の持つ異能の名前を叫ぶ事でそれを使役する事が出来る。


 突然の突風と共に現れたその刃は顔にめり込まず、修助の右手であっさりといなされてしまった。


「え? 嘘!?」


「ダメだなぁ、せっかくの風の力を殺している。今度妹に稽古付けてもらうか? 肌は荒れるが、瓦ぐらいなら二〇枚割れるようになるぞ」


「ぐぬぬぬぬ。なんかムカつく!」


 結花は怒りの表情を滲ませながら、再び風の刃を構えた時の事だった。


「関根さん、朝から何を騒いでいるのですか?」


 辺りが少し冷えるのを感じる中で響く、上品で力強い声。雪原を思わせる真っ白なロングヘアを靡かせながら、優雅に周囲の気温を下げていく。


「ソフィ! おはよう!」


 それまで修助に対して殺意を抱いたような声から一変。まるで慕うような声でニックネームを呼ぶ。


(確か彼女は、ソフィヤ・イリイーニシュナ・アグーチナ。氷の異能を持ち、表向きは留学生で通っているが、ウェルクが一度目の死を迎える前、執行者のロシア支部に命を狙われていて、どこに逃げても一緒なのだからっていう理由で日本に亡命した生粋のロシア人だ。日本語が流暢なのは、まぁ努力の賜物って奴だな。あと日本が好きってのもある)


 風の刃を納めた結花は、ソフィヤに挨拶を行う。その表情に先ほどの殺意は感じられない。


 そうして集まった五人で再び通学路を談笑しながら歩く。今この場に居ない人物も居るが、一が助けた少女の人数は一〇人。他校の生徒や社会人も混じっているので、その人数の多さに修助も時々忘れてしまうヒロインが居たりするのはご愛敬。


 そうして女性比率の高い集まりが出来上がる頃には、通っている学校の門を潜り、下駄箱でスニーカーから上履きへと履き替える。


 その一連の行動に、高校生だった頃を思い出す修助。懐かしさに浸りながら、なるだけ一とは距離を取るように歩きながら教室へと目指す。


 それは、一から離れたがらないほど彼の事が好きな和奈を気遣っての行動だからだ。


・・・


 教室へ辿り着くと、昨日助けた涼歌と涼鳴の双子が仲良く談笑していた。


「おはよう、二人とも」


 修助は自分の席へ向かいがてら、談笑する双子に挨拶をする。作品内での修助の立ち位置での扱いだと、このまま無視されてしまうのだが、昨日は彼や彼の父親が助けてくれた手前、邪険に扱えないと心得ているぐらいの良心は培っているようだ。


「あ、おはよう。その……昨日はありがとう」


 本当に涼歌と離れるのが辛かったのだろう、逃げる事しか出来なかった自分を責めているような表情を浮かべながら話す涼鳴の後に、涼歌が続ける。


「あのまま誰も助けてくれなかったらって考えると、今でも震えが止まらなくて……こうして生きていられるのも、修助君やそのお父さんのお陰。本当にありがとう」


「あの場では俺は居るだけだったぞ。父さんが助けたのは事実だけど。それよりも、後から来る二人にもちゃんと礼を言っておくんだぞ」


「……うん」


 双子は頷くと、修助の後に入ってきた一と和奈に改めて礼を言う。


 その様子を後目に、修助は自分の席に座ろうと思い、ふとそれがどこにあるのか気になったが、その疑問はすぐに解決できた。


(あぁそういや宗佐の扱いはギャグを通り越して過剰だなんて評価だったな。菊の花がいけてある。間違いなく俺の席だ)


 一つの机にぽつんとある、菊の花がいけてある花瓶。それは一部の女子生徒があまりにも宗佐の事が嫌いすぎてその手の質の悪いいたずらを良くする描写があったからだ。


 作中では”俺の扱いひどくないか?”とつっこみを入れるが。修助はその菊の花の香りを楽しむように席へ着き、だんだん花瓶が邪魔に思えてきたのでそれを地面へ置く。


 こういう行為は、ターゲットにした人物の反応を笑うのが犯人の動機だ。品のないお笑い番組でよく見かけるやり口だが、今の修助にはそれに反応する義理はない。そしてこんな事をする犯人も知っている。


(この花瓶を置くほど経済的に余裕のある奴は潮賀しおが 歩実あゆみだな。兄が引きこもりで、それがコンプレックスの異能無しで馬鹿な女だが、まぁ世渡り上手で三年生の今はもう進学する大学が推薦で内定する程成績優秀だ。性格は最悪だけどな。自分の手を汚す事を嫌う。たぶんこの花瓶も下っ端にカネ握らせてホームセンターで買わせた上で置かせたんだろう。まぁお陰で俺の席の位置がすぐに分かったから良いけどさ)


 少し視線をその歩実という少女に向けると、視線に気付いた歩実は露骨に不機嫌な顔をする。そういう反応は要らないんだと言わんばかりの雰囲気だ。


(良いさ、殺生与奪は俺が握っている。テメーの大学進学を白紙撤回にして、兄と同じ引きこもりの道を歩ませる事が出来るってのを、いつか教えてやらないとな)


 言いながら彼は胸ポケットに挿している、今は電源の入っていないボールペン型のボイスレコーダーをそっと撫でる。作中ではあまりおおっぴらに描写されていないが、修助以外の生徒にもいじめを働く外道でありながら、いい子面している為、教師は誰も彼女を疑わないのだ。代わりに下っ端がとばっちりを受けるだけで、肝心の被害者は泣き寝入り。執行者に口封じで襲われた際も、一に助けられたがお礼の一言も言わず、それが当たり前だと思うような奴だ。


 だが今はそんなクズにかまけている暇は無い。まだ転生してから会っていない他のヒロイン達との出会いを心待ちにしつつ、修助は朝のホームルームを迎えるのであった。

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