第1章 ~少年の目覚め~

教室の幽霊

第一章 ~少年の目覚め~


〝カリカリ、シュー、ダンダン、カリ〟

 国語の授業中、担任の浅妻先生が黒板に文字を書いている。 


「はい、じゃあこの場所を…山口さん読んでみて」


 スーツをピシッと着こなし、片手にチョークを持った姿は、やり手のキャリアウーマンを思わせる。


 俺の名前は、葦原唯人あしはらゆいと。この鶴巻高等学校に入学して、もう二週間が経とうとしていた。先生やクラスのみんなとも打ち解け始めている。


 山口が起立して言われた部分を読み始めた。浅妻先生は乱れた髪をかき上げながら、彼女の読む文章を目で追っている。 


 先生のいる教壇の横には、もう一人、人間が立っている。よれよれのワイシャツにネクタイもなしで、彼女の方をジッと見ている中年の男だ。

 それは授業か始まってからずっと、先生と同じ壇上にいた。右手には小さめのサバイバルナイフを持っている。


 体全体の色が、若干モザイク調だ…、シチュエーションに存在が合っていない…、教室のみんながザワつかない…。つまりあいつは幽霊なのだ。


 小さい時からそういう〝この世ならざるモノ〟を何度も見てきた。周りに話しても頭がおかしいと思われる。こいつらは関わるだけ損な存在なのだ。

 いつの日からか、そういうモノを無視し始めた。無視をすると、それほど害のない奴らだということがわかってきた。

 それに、多少見えるというだけで、俺に霊能力なんてものは無い。テレビや動画で見るような、除霊、浄霊、お祓いみたいなことは、一切出来ないのだ。

  

――――  


 国語の授業も、もうすぐ終わろうかというところで、壇上の中年ナイフ男の表情が変わる。何かに怒っている様子で、急に肩で呼吸をし始めた。そしてズカズカと浅妻先生の正面に移動し、サバイバルナイフを構える。

 次の瞬間、男は躊躇ちゅうちょなく、先生の腹部を目掛けて、その刃先を突き立てた。


 刺された傷口からは、大量の血が流れ出す。壇上はみるみる朱に染まった……。しかし、それは現実のものでは無い、血の色がモザイク調であった。


 先生は一瞬、顔を歪めたが、何事も無いように授業を続けている。中年ナイフ男は、何度も何度も、サバイバルナイフで腹部を刺し続けた。

 多分痛みがあるに違いなかった。先生はそれを隠すようにうつむいたり、黒板の方を向いたりしている。


 俺は眉間みけんしわを寄せ、両手の拳を固く握りしめた。


「見えてんだぞ、この野郎!」


 すぐさま壇上に駆けていき、そう言ってやりたかった。


 浅妻先生が脂汗をかき始めたところで、男は気が済んだのか、高らかに笑いながらスッーと姿を消す。それと同時に流れ出た血も消えていった。


 クラスの生徒たちが、先生の異変に気付いて「先生大丈夫ですか?」と声をかけた。浅妻先生は


「あはは、大丈夫だよ、軽い立ち眩みだから」と虚勢を張り、授業を続けた。


 胸糞わるいものを見せつけられた。あのナイフ男は、陰湿で卑劣な悪霊だったのだ。しかし、それを見ているだけで、止めもしなかった自分にも、無性に腹が立った。



 休憩時間になり、手洗い場で顔を洗い、気持ちを落ち着かせる。


 あの男は入学式のオリエンテーションの時から、たまに先生のところに現われていた。行動を起こしたのは今日が初めてだ。

 しかし、この高校にいる幽霊は、あいつだけじゃない。


 毎日、毎日、定期的に屋上から飛び降りる男子生徒がいる。

 教室や廊下を彷徨っている浮遊霊の数も多い。得体のしれない形をした、はっきりしない人影のようなものも、よく見かける。


 普通はこんな風に、頻繁ひんぱんに見えるものじゃない。俺の霊感はそれほど多くのモノをひろえない。


 土地柄なのか、高校という場所がもともとそういうものなのか、その原因は全く分からない……。そして、分からなくてもいいと思っている。 


 これからも同じなんだ。俺が騒いだところで、あの中年ナイフ男をどうすることも出来なかっただろう。

 何とかした方が良いとは思うが、そのうち、浅妻先生から、自然に離れていくことだってある。

 所詮、幽霊の出来ることなんてたかが知れているんだ。実際にお腹が切れて血が噴き出したわけじゃない。そっとしておけば、全ては丸く収まるんだ。これまでだってそうだった……。


 だから俺は、この見えるだけで何事もさない力を、この先も秘密にする。

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