第8話 攻撃力が高くて防御力が低い女子はドキッとする。攻撃力2300守備力0だともっとドキッとする

 いつもの通り僕は授業とアルバイトを終えて家に向かっていた。


 途中で立ち寄ったコンビニでアイスを買って、風呂上がりに真琴と一緒に食べようかなとそんなことを考えていると、あっという間に家に着いてしまう。最近ずっとこんな感じ。真琴のこととなると時間があっという間に過ぎてしまうようなそんな気さえする。


 とは言っても、改めて交際を始める前から真琴とはこんな感じなので、特別何かが変わったということはない。むしろ波風など立つことなく、こんな平凡で幸せなが続いてくれればそれでいいかなと僕は思っている。


「ただいま、真琴。…………真琴?」


 家の中に入ると、中がバカに静かであることに僕は気がついた。玄関には真琴の普段使いのスニーカーが綺麗に置かれているので、彼女は帰って来てはいるはずなのだけれどもその気配が無い。


 不思議に思った僕は恐る恐るリビングへと向かう。するとリビングにある二人がけのソファーに、まるで領地を占領するかのように真琴が寝息を立てて転がっていた。


「なんだ、疲れて寝落ちていたのか」


 真琴は朝早く起きては朝食を作って演劇の稽古へ出かける。そしてみんなと同じように授業を受けてまた稽古をして帰ってくるというハードな毎日を送っているのだ。疲れていない訳がない。


 ……しかしなんだ、真琴のやつちょっと無防備過ぎやしないか?一応、男と一緒に住んでいるはずなんだけど。


 彼女が身につけている服装はいわゆるトレーニングウェア。スポーツジムなんかで女性の人がよく着ているような上下スポーツブラとレギンスの動きやすそうなものだ。最近少し気温が上がってきたせいか、家でトレーニングをするときの真琴は決まってこれを着ている。

 それ自体はなんの変哲もない普通のトレーニングウェアである。しかし案外肌の露出が多かったり、真琴の綺麗な身体のラインがハッキリと出ていたり、男子目線では結構目のやり場に困るものでもある。


「ま、真琴、こんな所で寝ていたら風邪引くよ?」

「う〜ん……、あと五分……」


 起きているような寝ているような、そんな感じの寝ぼけた声が返ってきた。


「……まさか早寝早起きの真琴からそんな寝言を聞くとは思わなかったよ」


 真琴は余程疲れているのだろう。僕以外に彼女を起こしに来る人がいたら、『彼女を起こさないでくれ、死ぬほど疲れている』と言って人払いをするレベルだ。

 そうなるととりあえずここは寝かせておいてあげることにする。ただこのままでは風邪を引いてしまうこと間違いなしなので、掛け布団ぐらいは用意してやるのが優しさというものだろう。


 運良く鍵が開いていた真琴の部屋のベッドから掛け布団を持ち出して、そのままソファに寝ている真琴へ優しくかけてあげた。しばらくしたら起きるはず。



 ………しかし、一向に真琴は起きない。


 僕は彼女が寝ている間に夕飯と風呂を済ませたので、あれから結構な時間が経っている。それにも関わらず、真琴は変わらずソファーの上で寝転がったままだ。

 さすがにこのままソファーで寝続けてしまうと取れるはずだった疲れも取れなくなってしまう。そうなればいつもエネルギッシュな真琴の活動にも支障が出てくるだろう。


「真琴、まーこーとっ! そろそろ起きてよ、ソファーで寝たら熟睡出来ないだろう?」

「ん〜、もう食べられない……」

「そんな漫画でしか見たことないような寝言をこの令和の時代に聞くとは思わなかったよ」


 やれやれと肩をすくめる僕。

 仕方がないのでなんとかして真琴を自室の寝床まで連れていかなければならない。そうなれば彼女の身体を担ぐ必要がある。


 いや、ちょっと待て、どうやって運んだらいいんだ?


 いわゆる『おんぶ』というのは背負われる側が無意識状態だと上手く担ぐことが出来ない。下手をしたら真琴も僕も怪我をする可能性だってある。

 かといって『抱っこ』するのも難易度が高い。真琴は女性にしては身長が高くて、一七三センチの僕とだいたい同じか少し低いくらいだ。このほとんど身長差のない状態で眠っている真琴を無理矢理抱っこしようとすると、相撲の決まり手で言う『吊り出し』のようになる。

 これでは間違いなく真琴を吊るつもりだったのに僕の脚が攣ってしまうという、駄洒落のくせにシャレにならない結末を迎えてしまうだろう。


 ならばどうするべきか。

 結論はひとつ、『お姫様抱っこ』をするしかない。これならば真琴が眠っていてもいいし、身長を気にする必要もない。持ち上げるときに腰を痛めないように気をつけさえすれば、これ以上に素晴らしい方法はないはずだ。


 僕は両腕をソファーで眠っている真琴の身体の下に潜り込ませる。

 毎日トレーニングをして鍛えている彼女の身体は引き締まってはいるものの、いざ触れるとやっぱり女性特有の身体の柔らかさというのを感じざるを得ない。


 ゆっくりと真琴を持ち上げて体勢を整える。


 女子校出身だと言っていた真琴は、そのイケメンっぷりから学校の中で王子様扱いされていただろう。それでも今この瞬間は完全に『お姫様』だ。しかも真琴は僕と付き合っている。これは僕だけのお姫様と言っても過言ではない。

 皆の知らない『高津真琴』を独占しているような気がして、僕はちょっとした背徳感を感じてしまう。


 真琴を抱えて目的の寝床へ彼女を寝かせるという大切な任務を完了した僕は、慣れないお姫様抱っこのおかげで疲れてしまい、その場に座り込んだ。


「真琴……、綺麗な顔しているな」


 黄金比率とはこの事を言うのだろうと断言出来るぐらい整った真琴の顔は、もはや芸術品の域と言ってもいい。美しくて、ついつい僕は真琴の頭を撫でてしまう。


 すると男の身体というのはしょうもないもので、もっと真琴を求めたい衝動に駆られてしまった。

 彼女はまだ眠ったまま。もうお互い付き合っている身なのだから、少々強引に行っても真琴は許してくれるだろうとか、こんなに無防備な真琴が悪いんだからなとか、そんな自分に都合のいいことばかり考えていた。


「駄目だ駄目だ、さすがにこの状況で真琴を抱くのは卑怯すぎる。仮に真琴が良いと言っても僕が許せない」


 僕はハッとした。そして一度深呼吸をして心を落ち着かせる。その間、真琴の匂いなのか部屋の匂いなのかよくわからない匂いが鼻腔をくすぐるのだけれども、それもなんとかスルーする。


 お互い気が合うとは思っているけれども、まだまだ真琴については知らない事が多すぎる。だから焦ることはない。正解はないのだから、もうちょっと落ち着いてから仲を深めたって良いはずだ。


「うぅ〜ん、祐太郎……、どこ……?」


 真琴は寝言で僕の名前を呼ぶ。彼女の夢の中にも僕が現れているのだろうか。そうだったらちょっと嬉しい。


「大丈夫、ここにいる。どこにも行かないよ」


 そう一言告げて、僕はもう一度真琴の頭を撫でた。

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