第6話 推しと推しが付き合うことを、『尊い』と書いて『てぇてぇ』と読むらしい

 自室のドアの隙間から真琴とユイカのやり取りを覗き込んでいたら、どうにもならなくなった真琴からヘルプのサインが飛んできた。


 ユイカのストーキングを止めさせるためにもここは僕がなんとかしなければいけないだろう。しかしながらここでノコノコと出てきたところで勝算は全くない。それでも何もしないよりはマシだろう。同じ釜の飯を食う仲なのだから、こんな時ぐらい助太刀してやりたい。


「ちょっとキミ、もういい加減にしないか。真琴が嫌がっているだろ?」


 ドアを勢いよく開いて真琴とユイカがいる玄関へ向かう。僕の姿を見るなり真琴はホッとした表情を見せ、一方のユイカといえば怪訝な顔で僕の事を睨みつけた。



 しかしそのユイカのキツい眼差しは一瞬で驚きの表情へと変わる。


「あ……、あなたは……!」


 丸眼鏡の奥にあるユイカの瞳は丸眼鏡よりも丸くなっている。まるで数年来の探し人を見つけた瞬間のような衝撃を受けているようにも見えた。


「も、もしかして、五十嵐祐太郎さんですかっ!?」


 名前を呼ばれて僕はユイカ以上に目を丸くした。


「えっ?そ、そうだけど……。どうして僕の事を?」

「そりゃもちろん知ってますとも!だって、私が憧れたあの『天才子役の五十嵐祐太郎』さんなんですから!」

「なっ……!」


 まさかこんなところで僕の過去を知る人間に出くわすなんて夢にも思わなかった。


 そりゃそうだ、もう子役を辞めてからは5年以上も経つし、贔屓目に見てもそれほど有名とは言えなかったからだ。


「祐太郎……?子役ってどういうこと?」

「あ、ああ、昔ちょっとそんなことをやってたんだよ……」


 真琴のさっきまでの困った顔はどこかに行ってしまい、『豆鉄砲を食らう』という表現がぴったりなほど彼女はキョトンとしている。


「祐太郎さんは凄いんですよ!大人顔負けの演技力で映画とかドラマに引っ張りだこだったんですから!」

「引っ張りだこは言い過ぎだ、両手で数えられるくらいしか出たことがないよ」

「私、偶然テレビで見た祐太郎さんに一目惚れしてお芝居をたくさん観るようになったんです!子供とは思えない演技力、これが天才じゃなくて何なんだって」


 ユイカにけちょんけちょんにされる覚悟で部屋から飛び出してきたにも関わらず、予想外のべた褒めにあってしまいなんだか心がむず痒い。

 あまりにもバツが悪いので二人から僕は視線をそらし、ポリポリと頭を軽く掻いた。


「そんな祐太郎さんがなんでここにいるんですか!?――もしかして、真琴先輩と一緒に住んでいるのって祐太郎さんなんですか?」

「ま、まあ、そんな感じだ」

「それってつまりどどどど同棲っ……!?私の推しと推しが付き合ってひとつ屋根の下に住んでいるとか尊いにも程がありますよ!!」

「と、尊い……?」


 業界用語なのかなんなのかよく分からないが、とにかくユイカは僕と真琴が一緒に住んでいることを『尊い』と感じているらしい。

 後で調べて意味がわかったのだけれども、『存在が貴重過ぎて神聖に感じる』くらいのニュアンスらしい。


 ユイカは目の前にご馳走が並べられて尻尾を振る飼い犬のように興奮している。憧れの人と憧れの人のコラボレーションと言われれば、確かにテンションが上がってしまうのもわからなくはない。


「ああもうこんなに素晴らしいことがこの世界に起こり得るなんて……。推しと推しが付き合ってて良かった……」

「あの、別に僕らはそういう感じじゃ……」

「えっ……、まさか付き合っていないのですか……?そんなことないですよね?いい歳した男女がひとつ屋根の下で暮らしているのになんにも無いなんて」


 それがなんにも無いんだよな。とは言えない状況である。

 ここで僕が真琴とは付き合っていないと言ってしまえば、このユイカという女の子はまたひと騒ぎしてしまうだろう。そうなれば僕も困るし真琴はもっと困るに違いない。


 ここはひとつ嘘をつくことにしよう。そうすればとりあえずこの場は上手く収まるはず。その後で真琴に謝ればこのぐらいのことは許してくれるだろう。


「い、いや、さすがに付き合っているよ。……なあ真琴」


 そう言って真琴にちらっと視線を送る。打ち合わせ無しのぶっつけ本番だけれども、ここはひとつ僕の意図を汲み取ってくれ。


「……そうだよ!ボクらは付き合っているんだ!」


 真琴は一瞬ハッとした顔を見せたけれども、すぐにハッキリと大きな声で交際宣言をした。

 よし、とりあえず僕の意図は真琴に伝わったようなので一安心だ。


 それにしても真琴のヤツ、演劇をやっているくせに大根役者と言われても仕方がないレベルの棒読みだったのは気になる。まあでもこんな状況で突然のフリだったわけだから、真琴が棒読みしてしまうほど動揺していたとしてもおかしくはない。多分僕が真琴の立場だったとしてもそうなるだろう。


「やっぱり付き合っているんですね!それなのに私ったら、推しと推しが付き合っているこんな尊い(てぇてぇ)状態にズカズカと入り込んでしまって。……本当に申し訳ありませんでした!!」


 ユイカが深々と僕ら二人に頭を下げ自分の非礼を侘びた。先程まで真琴が僕に弱みを握られていると妄信するストーカーだったのに、今となっては素直に謝罪する普通の女の子である。ギャップがすごい。


「い、いや、いいんだよ、わかってくれれば。……なあ真琴?」

「う、うん。……ねえ祐太郎」


 ぎこちない笑顔で僕は真琴と顔を合わせる。


 ……なんだか真琴のやつ、ちょっと顔を赤らめていないか?どうしたんだ?


「それでは、私はこの空間には邪魔であることがわかりましたので退散致します!お二人が未来永劫尊い(てぇてぇ)存在でありますように陰ながら応援させていただきます!お邪魔しました!!!」


 興奮冷めやらぬといった感じのユイカは退却宣言をするとすぐさま部屋から出ていってしまった。

 その様子を確認した僕は、まるでスコールのような女の子だったなと小学生みたいな感想を思い浮かべていた。


「ふぅ……、とりあえず一件落着かな。よく分からないけれど、これでストーキングはやめてくれそうだから良かったじゃないか真琴」


 そう言って僕が安堵のため息をついていると、何故か真琴はぼけーっとして遠くを見ている。今まで苦しめられてきた事から一気に解放されたこともあって、もしかするとまだ現状が理解できていないのかもしれない。


「………真琴?大丈夫?」

「だ、大丈夫だよ!そ、それよりも祐太郎、さっきの事なんだけど……」

「さっきの事?」

「その……、ボクらが付き合っているって言ったことなんだけど……」

「ああ、そのことか。突然話を振って驚かせてしまってごめんよ」


 とっさの判断で上手いことピンチを乗り切ったとはいえ、真琴をびっくりさせてしまったことは事実。ここはしっかり謝っておかないと後々の彼女との関係にヒビが入りかねない。

 僕は丁寧に言葉を選んで真琴への謝罪を述べようと少し間を取ろうとすると、逆にその隙間に入り込むかのように彼女は言葉を挟んできた。


「あのっ!! ふ、ふつつか者ですがよろしくお願いします!!!」

「えっ?」


 彼女はまるで茶道のように礼儀正しく膝をついて、僕に向かってお辞儀をしてきた。

 そんな状況に僕の脳は一瞬固まってしまった。膨大な量の計算処理をしなければいけないパソコンっていうのはこういう気分なんだろう。


 ややこしくなりそうなので一旦状況を整理する必要がある。


 さっき僕はユイカへ『僕らは付き合っているんだ』ととっさに嘘をついた。それに対して真琴は『そうだよ!僕らは付き合っているんだ』と続ける。そうしてひと悶着あったあと、極めつけの『ふつつか者ですがよろしくお願いします』という言葉。


 これはつまりもしかしなくとも、真琴は僕が告白したのだと思い込んでしまっている。

 僕としてはその場しのぎの嘘でしかなかったわけなのだけれども、彼女には本気の言葉として捉えられてしまったらしい。


 仮にここで誤解を解いたらどうなるだろうか。それは間違いなく二人の関係がこじれてしまう。穏便に済ませたい僕としてはそれは望ましいことではない。


 それならばいっそ成り行きに任せてしまえ。真琴とはなんだかんだウマが合うし、ルックスだって美人の類だろう。男として断る理由がない。ここはとりあえず付き合ってしまうというのも手だ。


「ぼ、僕の方こそよろしくお願いします……(?)」


 どう返して良いか分からなかったので、なんとなく真琴のマネをして膝をついてお辞儀をした。

 傍から見たら玄関ホールで男女二人が膝をついてお辞儀を交わしているというなんとも滑稽な状況である。


『雨が降って地固まる』ではないが、藤井ユイカというスコールみたいな女の子がやってきた事がきっかけとなり、僕と真琴は付き合うことになった。



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