第5話 玄関ドアを開けるのはいいけれど、軽率に家の敷居を跨がせてはいけない

 とある日曜日の昼下り。僕も真琴もお休みということで自宅でのんびり過ごしていた。


 そんな平凡な休日の静かな我が家に飛び込んできたのは、滅多に鳴ることのないこの部屋の呼び鈴だった。


「誰だろう?真琴、通販か何か頼んだ?」

「いや、頼んでないよ。最近よくある光回線のセールスか何かじゃないかい?」


 僕はまたセールスかよと思いながらインターホンのモニタを覗き込む。するとそこには意外な人物の姿があった。


「ん?女の子?――あれ、この子って……?」

「どうしたんだい祐太郎?何か変な人でも来――、ええええ!!!???」


 真琴が僕の後ろからモニタを覗き込んでその女の子の姿を確認すると、目を大きく見開いて驚きをあらわにする。


 モニタに映っている女の子には僕にも見覚えがある。


 その女の子は真琴が僕とルームシェアせざるを得なくなった原因の張本人。いわゆる真琴の『追っかけ』というやつだ。彼女のその行為は『ストーカー』と呼んでも差し支えがないレベルだと真琴は証言している。


「ど、どうしてこの家にボクが住んでいるって分かったんだろう……?」

「多分帰り道であとをつけられたりしたんだろう。それよりもどうする?この子のこと無視するか?」


 あーでもないこーでもないと僕ら二人は悩む。すると、画面越しの女の子は何か深刻そうな口調でインターホンに話しかけて来た。


『ま、真琴先輩……、助けてください……』


 困った顔に救いを求める言葉、真琴の事をストーキングしてここにやって来たにしては、少し様子がおかしいようにも思える。


「……なあ真琴、この子なんか困ってる感じじゃないか?」

「確かにそうだね。もしかしたら、ボクに助けを求めに来たのかもしれない。とりあえず話を聞こうと思う。ただ、念の為祐太郎は自分の部屋で待機してもらえないかな?」

「それはいいけど……、大丈夫なのか?」

「大丈夫大丈夫。もともとこれはボクの問題だし、祐太郎に迷惑かけたくないんだ」


 そう真琴に言われたので、僕は自室に入って待機することにした。

 彼女は意志が強いというか、一度決めたらとにかくやり通すタイプ。ここで僕が水を差したらそれはそれでまた揉めてしまうだろうから、大人しくすることにしよう。ただやっぱり真琴のことが心配なので、ドアをチョイ開けにしてまるで某家政婦のごとくその一部始終を見守ることにする。


 ◇


 真琴が玄関のドアを恐る恐る開けると、玄関先には先日彼女から見せてもらった写真の女の子が立っていた。背丈は小柄でレンズの大きい丸眼鏡をかけ、暗めの茶色に染まったさらさらの長い髪が印象的なサブカルチックな女の子だ。

 真琴のことを『先輩』と呼ぶあたりおそらく年下で、全くの赤の他人というわけではなく何かしらの繫がりがあるのであろう。


 先程モニタ越しに見たとき彼女は助けを求めているような困った顔をしていた。しかし真琴がドアを開けるやいなや、その表情は演技であったかのように豹変する。


「せんぱーい、やっと見つけましたよ。ここに引っ越したんですねー」


 まったりとした独特の口調とは裏腹に、その言葉は獲物を狩るハンターのような鋭さがある。

 真琴がドアを開けた一瞬の隙に、彼女はススっと中に入り込んでしまった。


 その瞬間、真琴は『しまった』と思い、ドアを開けたことを後悔した。


「や、やあ藤井ふじいさん……。どうしたんだい……?何か困っているような感じだったけど……?」

「『藤井さん』って呼ばないでって言いましたよね。私のことは『ユイカ』って呼んでもらわないと困りますぅ」


 ユイカと名乗る女の子がなんの躊躇いもなく真琴に擦り寄る。すると、真琴は逃げることもままならず強張ってしまった。

 よっぽど怖さを感じるような経験をしたのだろう。蛇に睨まれたカエルとはまさにこのことで、ユイカが真琴の天敵であることが見ればすぐにわかる。


「んもー、先輩が突然引っ越しちゃったものだから探すの大変だったんですよー?どうして私に何も言ってくれなかったんですかー」

「そ、それは……、ほら、忙しくてさ……」

「忙しいなら私が先輩の身の回りのお世話とか炊事とか家事とか洗濯とかなんでもやってあげますっていつも言ってるじゃないですかー。んもー先輩ったら水くさいんだから」

「そうだったっけ……、ははは、忘れていたよ……」


 真琴は完全にペースを握られている。彼女は誰にでも優しくて紳士的であるがゆえ、こんな風にユイカに押されても断ることが出来ないのだろう。


「それにしても先輩、広い部屋に住んでますねー。賃貸マンションの検索サイトでこの部屋の情報を調べたんですけどー、一人暮らしに2LDKは広くないですかー?」

「そ、そうかもしれないね、ちょっと持て余してるよ……」


 真琴は苦し紛れの嘘をつく。ここで自分が実は男と一緒にルームシェアをしているなんて言ってしまえば、ユイカが何をしでかすかわからない。


 しかしそんなわかりきった嘘はユイカにはお見通しのようで、さっきまでデレデレだった彼女の表情が一変する。


「――やっぱりそうなんですね!先輩ったら私に黙って男の人と暮らしているんでしょ!そんなの許せない!」

「な、なんの話かな?ボクにはさっぱり……」

「しらばっくれるのはやめてください!その証拠に、この玄関には先輩のものではない靴がいくつかあります。――このえんじ色のスエードとか、赤色のクロックスとか、暖色系の靴なんて先輩は持っていないし、ましてやこんなに革の育った革靴なんて絶対に男の人のものに決まっているじゃないですか!」


 ユイカは動かぬ証拠を真琴へ突きつけた。

 確かに真琴の服装や靴には暖色系の物が少ない。それに加えて彼女は舞台の衣装以外で革靴を履くこともないので、オイルが染み込んだ革靴など持っていない。

 その不自然さにすぐユイカも気がついたのだろう。しかしながら、真琴の私物まで把握しているというその執着心には恐怖を感じ得ない。


「さあ先輩、こんな部屋なんて早く出て私と一緒に暮らしましょう!ここにいたら先輩が駄目になってしまいます!」

「そ、それはちょっと困るよ……」

「どうしてなんですか!私は先輩のためを思って言っているのに!……もしかして、同居人に弱みを握られているのですか!?」


 ユイカは真琴をなんとしてもここから連れ出そうと躍起になる。

 もう自分自身ではユイカのことをどうにもできなくなってしまった真琴は、後ろをチラチラと振り向いて助けを求め始めた。


「………助けてよ祐太郎」


 やはり見守るだけでは駄目だったようだ。ここは真琴のため、ひと肌脱がねばならない。

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