たくよし
一本杉省吾
第1話 家族
ー名古屋ー
私は、この街が嫌いだ!
連結式天守閣のお城を見ながら、そんな言葉を思い浮かべ、言い切った。目の前には、この街自慢の百メートル道路なのか、それにしては、幅が狭い様な気がする。とにかく、私は、煙草を吹かしている。この街のど真ん中に位置する、一等地に立ち並ぶ、公営の建物群。高層と呼べる建物はない。高くても、五、六階ぐらいである。無駄に、だっだ広い青空が中途半端な雰囲気を醸し出していた。
私は、弟夫婦が住んでいる、この五階建の公営の住宅の踊り場で、無駄に広い青空を眺めながら、煙草に吸っている。なぜ、この街が嫌いなのか、細かい理由はいくつもあるのであるが、一番の理由は、私の少年時代に遡る。数十年前、私が、九歳からの二年間、この街の北側に位置する、尾張旭市と云う町に、住んでいた事がある。【白鳳小学校】に在籍していた。大阪から、転校してきた小学生。言葉の障害と云っていいのか、(どもり)今は、吃音症と云うらしい。言葉を発しようとすると、つまずく様に、一つの文字を何度も繰り返してしまう。周りの子供達が、当たり前のように喋る事が出来る。スムーズな言葉遣いが出来なかった。そして、住んでいる家はプレハブで、貧乏というプラスアルファがついてしまえば、【いじめ】の恰好の餌食になってしまう。いじめをしている当人達は、ちょっとしたカラかい半分のつもりなのであろうが、いじめに合っていた私、当人からすれば、一生忘れられない、思い出したくもない出来事である。だから、あの時の空気感が残る、この街が嫌いなのだ。不思議なもので、嫌いなものが一つあれば、全てにおいて嫌いになってしまう。現に、この街に来たのは、数十年振りであった。
「おォッ、宗司、わしにも、煙草、くれへんか。」
不意に、父親の声が後方から聞こえてきた。父親の気配も感じていなかった私は、驚き肩をピクリと動かせてしまう。
<何だ、親父か…>父親と認識しながらも、照れ隠しのように、そんな言葉を発してしまう。照れ隠しのように、表情を真顔に戻し、ショートポープを取り出し、父親に渡した。
「相変わらず、重いやつ、吸ってんやな。」
「嫌なら、やめとき。」
可愛げのない口調で、言葉を返すと、視線を名古屋城に戻す。隣に来て、煙草に火をつけた気配を感じながらも、父親とは言葉を交わさない。考えてみれば、父親が運転する車に乗ったのは、何年振りになるだろう。思い出せないほどの昔である。今朝早く、そんな父親が運転する車に乗って、母親を含め、親子三人で、弟夫婦が住む、この街にやってきた。
「宗司ぉ、元気そうやったな、拓善…」
何も言おうとしない息子に、痺れを切らしたのか、父親の方から、そんな言葉を掛けてくる。
「そうやな。あれだけ、元気やったら、大丈夫やろ。」
何の根拠もない事を言葉にする。
「そうやな。昨日、颯太から電話で話し聞いた時は、どないしよと、思ったけどな。」
「あぁぁ、想像していたよりも、元気やったな。」
会話になっている。いつもは、父親と、言葉を交わしても、一言二言で終わってしまう。なのに、言葉を交わそうとする自分がいる。それだけ、言葉を発していないと、気分が沈んでしまい、どうしようもなくなってくる。
「親父、尾張旭市って、どっちや。」
「えっ…、あぁッ、あっちの方か。」
宗司は、不意に、そんな言葉を発していた。思い出したくない、あの時の記憶が、蘇ってきたせいだろうか、父親も、突然の息子の言葉に、驚きながらも、言葉を返す。
「こっから、そんなに遠くないやんな。」
「隣町やからな、今は、高速も通っているみたいやし…」
別に、尾張旭市が遠いのか、近いのかなんて、思い出したくない記憶の事なんて、どうでもいいのである。只、言葉を交わしていないと、涙が出てきそうなるから、一生懸命、言葉を探していた。
ー昨日ー
昨日の夕刻、突然、家の電話が鳴る。その電話を掛けてきたのが、弟の颯太であった。妻から、受話器を手渡された時、正直、戸惑っていた。弟の颯太から、電話が来たなんて事、今まであったのだろうか。そんな事を一瞬思うが、答えなど出てこない。来たなんて事は、一度もないのだ。父親が、言っていた言葉を思い出していた。
(颯太から、電話があると、ドキッとするわぁ。)
そんな言葉が頭を過ぎった時、嫌な予感がした。
受話器を耳に当てて、颯太の話しを聞いていると、宗司の顔色が、徐々に青ざめていく。
「颯太、お前、そんな、大変な事を、淡々とよう言えるな。」
宗司は、思わず、そんな言葉を叫んでしまっていた。
<もう、二人で話し合って、決めたから、延命処置はしないって…>
颯太の口から、話された言葉が、この時点でも、理解できないでいた。今年の三月に生まれた、弟颯太の子供、宗司の甥にあたる拓善が、なんて云うのか知らんけど、筋肉が発達しない病気にかかったと云う事。この病気は、不治の病で、今の医学では、助からないと云う事。病気の重度が、レベルの三段階あって、最悪のレベル3であり、このレベル3であると、一年以上生きる可能性は、とても、とても低い事。そして、生きながらえる処置、延命処置はしないと云う事。(あっ、思い出した、筋萎縮性側索硬化症/ALSが、拓善の病名だ)宗司の頭がパニくっている中、颯太の淡々とした口調に、腹をたてていた。
「助かるかも…」
<いや、それはないんよ。兄ちゃん、分かってよ。もう、拓善は、助からないんよ>
宗司は、冷静でいられなくなっていた。弟の妻は、つまり義妹は、看護師を職業にしている。冷静に考えれば、我が子を死なせようと思う親などいない。医療の現場で働いている義妹と相談して、延命処置をしないと云う結果になったのであれば、賢明な判断である。
<…>それ以上の事は、言えなかった。いや、何も考えられなかったのである。そして、電話を切ると、慌てて、いつもは、寄りつかない実家に向かう。沈み切った両親の姿に、宗司は何も言えなかった。何も言葉を交わさない中、父親の言葉が沈黙を破った。
<明日、日帰りで、行ってみるわ>
すぐさま、そんな言葉に飛びついた宗司。そんな事あり、両親と一緒に、この嫌いな街に来る事になったのである。
「そうや、後で、奈々子も、顔を出すらしいぞ。」
父親のそんな言葉に、宗司は渋い顔をした。(奈々子)とは、宗司の二つ年上の姉である。巫女が舞う姉の結婚式以来、十年以上も顔を合わせていない。正直に云うと、姉とはうまくいっていない。お互いに、高校を中退して、早い時期に家を出て、自立したせいもあるのだろう。それぞれに、生き方、拘り、ポリシーを持っている。宗司の生き方、姉の奈々子の生き方が…生き抜く上での考え方が、全く正反対の価値観を持っているからであった。
<ほぉ…!>踊り場の手すりに、身体を預けて、煙草を吹かしている。父親の視線を感じる。多分、心配しているのだろうと思う。宗司と奈々子がうまくいっていないのを、知らないわけがない。姉の奈々子が顔を出せば、親子五人揃うわけである。巫女が舞った結婚式以来だから、十四年振りに、親子が顔を合わせる。
「父さん、心配せんでもええよ。今日は、もめんよ。」
「別に、そんな事心配してへん。」
宗司の言葉に、顔を伏せながら、父親が発していた。
「そうか…そろそろ、戻るか。」
<そうやな>手すりで、煙草を揉み消し、吸いカスを手の中で握っている。知らない土地、このまま、吸い殻の投げ捨てるのに、躊躇してしまう。澄み切った青い空、宗司の心の中は、どんよりと曇っているのに、思わず、夏の香りが残る青い空を見上げてしまう宗司がいた。
ー姉貴ー
“ワイワイ・ガヤガヤ”
宗司は、小さい小さい鼻に管を通している拓善の横で、寝そべって、小さな小さな手の平に、人差し指を一本立てて、握らせている。さっきまで、満面の笑みを浮かべて、キャッキャッと笑っていた我が甥の拓善は、宗司の人差し指を握りながら、スヤスヤと寝息をたてていた。そんな宗司と、少し距離を置いて、弟夫婦、我が両親、そして、十四年振りに顔を合わせた姉奈々子が、この街まで来た道がどうの、かかった時間がこうのと云う話題で盛り上がっている。宗司にとって、どうでもいい話題。よく、こんな話題で盛り上がれるものだと、呆れながらも、かわいい甥の寝顔を眺めていた。一瞬、姉の奈々子の声が、耳につく。
(うるさい、拓善が寝ているだろうが!)
そんな言葉が、喉まで出てきているが、飲み込む。踊り場で、父親と約束をした事を思い出していた。今日は、もめない。今日は、拓善の顔を見に来たのである。こんなに穏やかに寝ている拓善の傍で、姉奈々子と、喧嘩なんてできない。いや、してはいけないのである。姉のいい所でもあるのだろうが、奈々子がいると周りが、騒がしくなる。周りの人間を巻き込み、賑やかにしてしまう。周りを見ていないと云うか、マイペースと云うか、陽気と云うか。とにかく、宗司は、そんな姉と気が合わない。生き方が全く違う姉と、うまくいっていない。
<煙草…あっ、そうか。空き缶ある。外で、吸うわ>
賑わう輪の中から、そんな言葉が聞こえてくる。小さな小さな手の平で、人差し指を握られている宗司は、不意に、視線を上げてしまう。空き缶を持って、ベランダに出ていこうとする奈々子の後ろ身を目で追ってしまう。奈々子が、この部屋に現れてから、何も言葉を交わそうしない宗司は、もめたくなかった。今日は、拓善の手前、喧嘩をするわけにいかない。まァ、十数年、顔を合していないのだから、交わす言葉などないのであるが…
ハッと思う、なんで、奈々子の後ろ身など目で追っているのだろう。無意識であった。そんな事を思うが、視線を外そうとしない宗司。哀愁を漂わせている奈々子の後ろ身を見つめていたら、幼き頃の映像が、頭を過ぎった。宗司が、幼稚園ぐらいの頃の映像だろうと思う。姉の奈々子に手を引かれている映像。その頃の宗司は、姉に手を繋がれる事で、安心をしていた。自分の笑みが映像になり、浮かび上がってきた。
お互いに、同級生よりも、早く社会に出ていった二人。親元を離れた二人が、それぞれの道に歩んでいた。宗司、一人で生き抜く辛さを知っている。自分に喝を入れて、自分の信念を持って生きていかなければ、自分が崩れ落ちるのを知っていた。姉、奈々子も、自分に信念を持って生きていた筈、全く違う生き方をしてきた二人が、ぶつかり合うのも、当然の事なのだろう。
ふと、そんな事を考えが、想いが、奈々子の後ろ身を見つめながら、頭の中に浮かんでいた。宗司は、そんな事を考えている自分を掻き消す様に、視線を逸らす。すると、宗司を見つめる拓善の顔が瞳に映る。さっきまで、スヤスヤと、寝息をたてていたのに、今まで、姉に対して、こんな想いを抱いた事のない。そんな宗司を見つめながら、拓善は笑みを浮かべていた。鼻に管を通した我が、甥っ子拓善が、何かを問いかける様に、笑みを浮かべかけてくる。宗司は、不思議と、気が紛れてくる。奈々子に対する想いを、掻き消そうとする自分が、間違いを犯しているように思えてくる。そして、宗司も笑みを浮かべた。自然と、笑みを浮かべていた。
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