奸計(三)
冷ややかな発言にシードゥスが咄嗟に顔を上げ、ロスは剣の柄にこそ触れないが瞬時に刀身を抜ける構えを取った。一瞬にして極限まで高まった緊張の中、カエルムだけは微動だにせず、何の感情も感じさせることなく佇んだままだ。ただ、その蘇芳の瞳はえも言われぬ圧をもって静かにテハイザ王を見据え続けている。
誰もが息を止め、僅かたりとも動かぬまま、どのくらいの時が経っただろうか。
張り詰めた空気を壊したのはテハイザ王本人だった。
「……とはいえ、今回そんなことをする気はない。もしあったとしても、そこのお二人を相手にしたら先に首を落とされるのは私の方だ」
ため息混じりに述べると、テハイザ王は剣呑な眼差しに宿っていた力を緩めた。
「安心しろシードゥス。クルックスも、いま君が親友の盾になる必要はない。楽になさい」
皆から数歩離れ、王からは見えない位置にいたクルックスは自分の名前が呼ばれてびくりと反応した。初めて我に返り、いつの間にか飛び出そうと踏み出していた足を引く。同時にロスも王から死角の位置で剣の柄に伸ばしていた右手を戻し、近衛師団長と視線を交わす。
テハイザ王はシードゥスに立つよう命じると、泰然と見守るカエルムに向き直った。
「貴君も私が呼んでいないなどとはお聞きでないでしょうに。それなのに相も変わらず落ち着いていらっしゃることだ」
皮肉混じりに国王がこぼせば、カエルムは先ほどから全く表情を変えなかった顔に微笑を浮かべて返した。
「彼に邪な考えはないと先の発言からも明らかですし、ここで斬られる謂れも私たちにはありません。そしてテハイザ国王陛下であれば、この状況下で将来のある有能な腹心を排し、対外的にも理を問われるような愚行はなさらないと」
口調は決して高圧的ではないにもかかわらず、柔らかな笑顔には向き合った相手を黙らせるそら恐ろしさがある。
「さすが、というべきですかね。軍を持たずとも他国列強から畏れられるシレアの後継者なだけある」
「必要なのは国を守ることだけです。他国が何もなさらないと言うのなら、シレア国防団も解散するかもしれませんね」
「なるほど。あくまで他が手を出せば、と。国際会談の場で老獪も黙るわけだ」
静かに交わされた応答ののち、両者は再び口を閉ざした。潮騒と鴎の音がいやに耳にうるさい。二人はしばらく無言で対峙していたが、テハイザ王が先にカエルムから天球儀の方へ目を逸らし、苦笑混じりに切り出した。
「なに、無駄な牽制をしてすまない。テハイザがシレアとやりあおうなんて気はありません。厄介なところへ御足労頂き、この臣下に代わって謝罪致します——いや、御礼を申し上げるべきかな」
部屋に現れてから初めて作られた笑みの中には、遠慮と自戒がない混ぜになったような複雑な感情が読み取れる。
「お二人ともご存知なくイクトゥへいらしたようですが、お聞きになった通り、私が彼に命じたのは至急こちらに戻ることだけです。だが我が国の大使が下した今回の判断に私も何というべきか……部分的には正解だったと認めざるを得ません」
「正解、と仰るのは、やはりシードゥスを介して我々シレア側が動くべき何かをお伝えしようとしていたと?」
もう自立しているのが辛くなってきたのだろう。テハイザ王は天球儀の台座に手を突いた。
「正直なところを言えば、そこの若い大使と違って私の方はシレアに助力を請うか否か、決断はまだでしたよ」
王が言う「部分的」とはそういう意味か、とロスは納得する。確かに主君が判断する前に勝手な行動を取るのは、よほどのことでない限り臣下の行動としてあるべきではない。
「しかし彼の言う通り、シレアが関係している以上はテハイザだけで解決はできないのは確かに事実です。しかも私の体がこの状態だ」
ようようといった風に王は上体を動かし、自嘲気味に自分を指し示す。口こそ皮肉を言う余裕があるが、体の状態が極限のところで保たれているのは目に明らかだ。
「こちらからお聞きするのをお許しいただければ、陛下の御身には何が? そしてその仰りようや先のお二人のやりとりからすると、これまで交わした情報以上のことがあったのではないですか」
天球儀の上で二つの星が放つ白と青の光は、ごくごく小さな距離ではあるが球面上を移動している。天の星は、人間の意に関わらず刻々と動き続けてしまう。
「そうですね……もはや言い渋る理由も益するところもない、か。しかし、ここではどうも話がしにくい」
いまは天球儀のほかに座卓の一つも無い部屋を見回し、テハイザ王は球体から体を離した。
「お二方ともこちらへいらしてください。シードゥスとクルックスも共に。もう一度説明しよう」
テハイザ王は手を上げて近衛師団長を側へ呼ぶと、この謁見の間に現れた時と同じように近衛師団長の腕を借りながら部屋の入り口へ進み、一同を廊下へと促した。
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