凶報(二)
扉を開けて叫んだアウロラは、息も絶え絶えになりながら続けて何か言おうとしたが、その場で胸を押さえて俯いてしまった。途端に執務室の奥でガタン、と大仰な音が立つ。
走り寄ったカエルムはアウロラの肩を支えると、「椅子を」と首だけ振り返る。ロスが即座に反応し、卓の後ろで倒れた椅子を運んで来た。
椅子に座らせられたアウロラは、胸に拳を当てて苦しそうに目を瞑っていた。膝を折ったカエルムは妹の顔をじっと見つめたまま震える背を軽く支えてやっている。アウロラは吸った息を止めては吐き出すというのを何回か繰り返し、しばらくそうしているうちに段々と呼吸も落ち着いてきたようだ。ようやく胸に押し当てた手を離すと、瞼を開けながらカエルムを見上げる。
「お帰りになっていたのが分かったものだから、つい慌てすぎたみたい……ごめんなさい」
「それはいい。それより何があった」
カエルムの顔から常の柔らかさは消えていた。アウロラも真剣な眼差しを真正面から受け止める。
「神域内部の神木が、切られていました」
「神域の⁉︎」
間髪入れずに驚嘆の声を上げたのはロスである。逆にカエルムの方は驚愕も狼狽も見せない。アウロラの瞳から視点をずらさぬまま、話の先を促した。
「切られているのはほんの数本です。神域の入り口で確かめられた限りのことでしかないけれど」
「神域の奥は」
「清めも然るべき礼もしていなかったから域内には踏み入れてはいません。禁忌だもの。でも、林の先は特に切られているようには見えなかったわ。人が奥に入ったような跡も見つかりませんでした。材木屋のご主人も、入り口から見た限りでは奥は普通の林の様子だと」
「そうか……」
話がそこで切れたのを確認すると、ロスは机に戻って羽ペンを取り上げた。ペンが記録を書きつける音が室内に流れ始める。
「だがなぜ、アウロラは神域に?」
「城下の材木屋のご主人からおかしい話を聞いたものだから、案内してもらって林の方まで行ってみたの」
林で見た光景の衝撃はまだ収まらず、少し力を抜けば体が傾ぎそうになる。自分の背を支えていた兄の手が離れると、アウロラはその手を取って膝の上で握り締めた。それを握り返し、カエルムはアウロラの動揺を相殺するように揺らぎない口調で語りかける。
「急いで話さなくていい。材木屋が何を?」
大きく一呼吸してから、アウロラは今朝からの一部始終を説明し始めた。朝の市場で案内を頼んだ主人以外の材木商にも聞き回って得た情報を話し、続けて林の中で材木屋の主人がしてくれた説明を元に、ここ最近に伐採された箇所と樹木の種類について報告する——神域周辺の伐採状況には違法と思える点は皆無だった——時折りロスの方を窺い記述についてきているか合図を貰いながら、さらに神域に関してはどのくらい前に木が切られたのか、材木屋が残された切り株や地面の状態から推察してくれた日数も述べた。
「昨日今日の話ではないということか」
「ええ、少なくとも数日。落ち葉とかの重なり具合からするとお天気の悪い日が間に入ってるって。そうなるとお兄様とロスが出発なさって割とすぐの頃に——」
そこまで言いかけて、アウロラはふと言葉を切った。険しく一点を見つめていた目がはたと見開き、瞬きを繰り返す。
「そう言えばお兄様、お帰りがもともとの予定より遅かったけれど何か……」
これまで誰も何も言わなかった時点で兄王子への配慮を欠いた自分や城の混乱状態が反省されるが、出発前にカエルムとロスは司祭領からとんぼ返りすると言っていたはずだ。旅程はあくまで暫定で、数日伸びる可能性は当初から考慮されていたとはいえ、言ってみればこの二人が行って最短で帰着しないということはまず無い。
アウロラだけでなく、シードゥスもそういえば奇妙だと首を傾げる。双方から疑問の目を向けられ、カエルムは口を開きかけた。だが先に別のところから返答があった。
「自分が休ませたんですよ」
非難がましくも耳に聞こえる大きな溜息を吐いてみせると、ロスは書いたものをぱさりと卓上に落とし、カツカツと足音すら立ててアウロラとカエルムに近寄る。
「例の音が聞こえるとお聞きしましたけれど、そのせいで全く眠れていらっしゃらないみたいで。寝不足が祟ったんでしょうね。この人疲労露わでして」
「いや、全くというわけでなく睡眠も数時間は……」
「屁理屈は要りません」
カエルムを見もせずに言うと、ロスはここぞとばかりにアウロラに向かって続ける。
「それで休めばどうかと言ってもいつものごとく無理なさろうとするので、日中に問答無用で休憩を入れました。その結果ですが、独断で投宿を当初の予定より増やしたというわけです——すみません」
途端にアウロラが気遣わしげに顔を歪ませたが、カエルムはにこりと微笑んでみせた。
「大丈夫だよ。おかげでもう回復しているから」
「そう仰ってますけれどね。殿下は隠すのが上手いからあの状態を見ると余計不安になります。今すぐにでも数日分寝ていただきたいくらいですよ」
「また過保護な……」
「かほっ……逆の立場だったらどうだって言うんですまたあんたは!」
「薬まで飲まされてるのだから平気だと何度言わせる」
「次は睡眠薬を水に混ぜますよ」
言い合う二人の様子は本当にいつも通りであり、確かに兄も常と変わらぬ優しい笑みを端正な顔に浮かべている。だがロスの意見は正しく、大丈夫と言われたところでアウロラの不安は消えなかった。
「ロスが謝ることないわ。私でも絶対に同じことをしたと思うもの——それよりもしかしてお兄様も……」
ほれ見ろとロスが半眼になって睨むが、カエルムはそれには応じずアウロラの最後の言葉に瞳を光らせる。
「ああ。先ほどテハイザから貰っている時刻とアウロラが音を聞いた時刻についてはシードゥスから聞いた。私が音を感じているのも同じ時刻だが、音の質感というのか、なんと形容したらいいのか」
「やっぱり……音の鳴り方が微妙に変化してきている気がするのよ」
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