齟齬(二)
意表を突かれぎょっとして振り返り、そこで目に入った姿にロスは一瞬、息を止めた。声を掛けた相手は中途半端な姿勢で固まっている従者を見て、瞬きをしながら小首を傾げる。
「シルヴァ様……いま、気配、消して……ませんでしたか」
「あら、消せていたかしら。ロスが気がつかなかったならきちんと出来ていたのね」
嬉しそうに言う様はまるで子供のようである。
「そんな必要が何だって貴女に……」
「巫女の立場も色々あるものよ。そう思って教えて貰ったの。何かあった時に便利でしょう?」
まだ心臓が不快に打つのを感じつつ、誰に、と訊ねてもシルヴァは袖口を口に当ててくすくす笑うだけである。これ以上聞いても恐らく答える気など無いのだろう。そう判断して意識的に呼吸を長めにとり、鼓動を落ち着かせる方に注力する。
やっと驚きが収まってきたところで、ロスは巫女が何故ここにいるのかと質問を変えた。
「何故も何も、精霊殿の巫女と言っても四六時中、霊廟にいるわけではないのです。薬草園におつかいに行っていたの」
精霊殿の巫女は薬学に秀でた医療従事者だ。霊廟だからといって年がら年中祭祀に関連する業務ばかりに忙殺されているわけではない。他の時間は司祭領一帯をはじめとした医療関係の仕事をこなす傍ら、古くより伝わる知識をもとに、シレア国で用いられる病薬の調合や研究を行っていた。
「何も巫女様自らが使いっ走りになることもないのでは」
「あら、何を言うの。わたくしたちくらいでないと分からない薬草って結構あるのよ。特にこの季節だと、月蜜花科は厄介ね。素人なら薬に使える月蜜花と薬効のない月水花とは見分けられないでしょうね」
「どうやって見分けるんですかそれ」
「ふふ、精霊殿で厳しい研鑽を積めば分かるかもね。貴女も巫女になってみる?」
なってどうするんだよ、と突っ込みたかったが、そう言う方が自分の不利に運ぶ予感がした。対してロスの心境などお構いなしに、シルヴァは答えを尋ねるようにロスの瞳を覗き込む。その美女が湛える微笑みは恐らく他の者からしたら実に魅力的ではあるのだが、ロスにはその笑顔こそ得体が知れなくて怖い。さっさと逃げたい、と別の話題を探した。
「用事が済んだなら早くお遣いとやらの品を持ってお帰りになった方が。たったいま殿下が」
「あらそう? でもいまはわたくしが臨席しなくても良いような口ぶりだったじゃない?」
「聞いていたんですか」
一体、いつから自分たちの側にいたのかと正直なところ背筋が寒い。しかしシルヴァはロスの質問など耳に入っていないかのように、カエルムたちが行った精霊殿の方に視線をやって、独り言めいた言葉を漏らす。
「殿下も御苦労が多いこと。前国王陛下の崩御が早かったせいかしら。振る舞いといい自分でやる仕事の量といい、歳相応とは思われないわ」
いきなり何の話だとロスはシルヴァの横顔をまじまじと見るが、シルヴァの方は前をひたと見つめたままである。
「あの方も、統治者になどならない方が良いのではないかしら」
その方がよほど自由になれるのではないこと? と、何の疑問もなく話される言葉に、ロスは咄嗟に割り込んでいた。
「シレアを統べる王はカエルム殿下とアウロラ様だけです」
シルヴァがこちらを向いたのと同時に重ねて言い放つ。
「他の誰にもシレアの王には成り得ませんし、御二方以外に務まる人間はいない」
客観的に見れば従者身分で不敬と言われるかもしれないが、こればかりは相手が高位の巫女だろうとなんだろうと関係ない。
麗人は威圧的なロスの眼差しを真正面から受け止め、しばし口を閉ざした。ちょうどその時、領政庁の扉が開き、両人の間の張り詰めた空気を崩す。
「プラエフェット殿、やはり中にお入りいただけますか? 司祭領衛士官から御目にかかりたいと申し出がありまして」
「ああ、分かりました。すぐに参りますとお伝えください」
短く答えると、顔を出した役人は「馬はこちらで連れて行きますからそこへ」と述べて再び建物内に引っ込んだ。ロスは改めてシルヴァに向き直り、反省の色も見えぬ貴人を真っ向から
「シルヴァ殿。霊廟を司るのは確かに貴女がた巫女であり、ここ司祭領の長は司祭長でしょう。だが司祭領を含めシレアの統治者は、カエルム殿下とアウロラ様のご兄妹であることをお忘れなく」
きっぱりと宣言し、ロスは相手の反応も見ずに戸口へ続く段を昇って行った。その後ろ姿が扉の向こうに消えるのを見送ってから、薄く朱を差した貴人の形の良い唇が小さく動く。
「ふふ……本当にこの上ないほど仲が良いこと。シレアの後継者がいなくなったら、どれくらい
美しき巫女は、口元に手を当てて愉快そうに微笑した。
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