風凪(四)

「ねえー、料理長さん」

 厨房の続き間に作られた休憩室である。スピカは自分の腰の位置にもなる木の椅子によじ登ると、卓に肘をついて厨房にいる料理長の背中に話しかけた。城中を歩き回って足が重い。王宮の各所から下げてきた茶器を片付け終わり、やっと夕飯前まで休憩できる。

「どうした嬢。今日のおやつなら桃の涼菓子、蜜煮じゃ」

「ううん、そうじゃなくて」

 洗い物や下拵えを終えた料理番たちが、「スピカ嬢お疲れ」「今日はヘマしなかったか」「焼き菓子あるぞ」と口々に声をかけてくる。城で女官見習いをする中で各所を走り回っているのも確かだが、木造部分の多いシレア城は石壁が中心のテハイザ城と全然造りが違って面白く、暇さえ出来れば城の中を探検していたらすっかり皆と顔馴染みになってしまった。休憩を取りに廊下へ出ていく料理番一人一人に手を振りながら料理長が来るのを待つと、スピカは菓子の碗を受け取りながら切り出した。

「あのね、シレアはいまは王子さまとおうじょさ……アウロラ様の共同統治でしょ」

「うむ。殿下も姫様もこの秋には同時に即位なさるよ」

 料理長は自分も涼菓子を手に腰を下ろし、匙を碗に添える。

「でも王子さまと王女さまの前には王さまがいて、王さまが亡くなったあとはお妃さまが王さまの代わりをしていたのでしょ」

 料理長の呼び方も自分と大差ないと思い、スピカは気を回すのを放棄して続ける。

「そうさな。お妃様が政務をとっていらした時にはもう、カエルム殿下が補佐を務めていらしたから、実質的にはかなりの部分が殿下の采配によっていたわけじゃが」

 母后が逝去したのももう二年も前のことになる。長いようで短かった。生前の両陛下とまだあどけない頃のカエルムやアウロラ、そして先王が逝去し、献身的に母を支えていた二人の兄妹を思い出し、料理長はしみじみと言った。

 それに対して、スピカはなおも何か納得できないようで、疑問を畳み掛ける。

「前の王さまには兄弟はいなかったの?」

「いらっしゃらなかったのう。お一人の御子でいらした」

「じゃあお世継ぎはお一人よね。ずっと王家のお子様が国を継いできたって授業で習ったの。それはテハイザと同じなのだけど」

 冷やし固めた蜜に天井の照明が映り、艶やかな面が光を宿す。スピカは白い半月切りの桃に匙を入れ、くっきり描かれた光の像を崩した。桃ごと掬って口に運ぶ。柔く崩れた甘い汁が喉を潤すと、こん、と匙を卓の上に立てた。

「もし今の王子さまと王女さま両方にお子様が生まれたら、どうするの?」

 テハイザも王位は世襲制だが、王権は基本的に第一子が優先的に継ぐことになっている。現テハイザ王に兄弟姉妹はいないため、先王崩御の際も王位継承者は自動的に決定した。子女が複数いる場合、第二子以下は領主として国の中でも重要な地方領に配せられるか、王女の場合には他国へ嫁ぐ例もあったはずだ。いずれにせよ、子女の間で異論が起こらなければ問題ないが、必ずしも穏便にことが運ぶわけではない。歴史上は王位継承権を巡って王の子女の間で闘争が起きた代もあった。

 だがシレアは王に男女一人ずつが生まれたら次代は共同統治となるという。それではその次の代は誰が王位継承権を得るのか。

 そうやって、スピカがテハイザ王城の書物から知り得た自国の制度を説明し、今日の授業で学んだシレアの制度から湧き出た疑問を語ると、料理長は白い口髭を撫でながら考えを巡らすように「そうじゃなぁ」と天井を仰ぎ見る。

「そもそも不思議とシレアの王族には子女がお一人であることが多いみたいじゃのう」

「じゃあ初めてなの? お二人ともにお子様が生まれても、どうするのかは決まってないの?」

「いいや。随分と昔には例もあったと聞いたことがある。共同統治の次のお世継ぎは、お二人の陛下と御子様がよくよく話し合われて決められたそうじゃ」

 その辺りはテハイザと似ていると思う反面、スピカはまだ納得がいかなかった。テハイザで子女が複数いても毎回は闘争が起こらなかったのは、第一子が優先されるという決まりがあるからだ。

「決める時に喧嘩とか起こったりしなかったのかしら」

 スピカが不安気に眉間に皺を寄せると、料理長は天井から顔を戻して微笑した。

「今の殿下と姫様と同じように実に仲がよろしかったのじゃろうな。そもそも今のお二人以前に御子が複数いらしたことなど、わしが知る限りほぼなくてのう。今はもう伝説みたいな昔にあったきり、その時も男女一人ずつだという」

「それなら聞いたわ。すごい珍しいから共同統治にあたる王子さまと王女さまのお二人は『生まれ出づる光と還る光』と呼ばれるんでしょ」

 教師に聞いた文言を繰り返すと、スピカは釈然としない様子で頬杖をついた。まだ答えまで行き着いていない。

「そこは聞いたんだけど。わかんないのは、次のお世継ぎのうち、王様にならなかったもうお一人はどうするの?」

 すると、料理長は膝に手をついて背筋を伸ばした。

「司祭領の司祭長になられる」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る