第十四話:命の対価


 無駄に欲を出すとろくな事にならない。

 それが骨身に染みる事件だった。


 いや、まさか崖下まで一直線に落ちるとは思わなかった。

 たまたま下に居た敵に剣が刺さって落下の勢いがマシになったから助かったけど。

 でもその後にルビーフルーツが大量に降ってきた時はマジで死ぬかと思った。

 自分の運の無さに思わず笑っちまったけど、本当に死ななくて良かったわ。


 敵軍の生き残りが居たから笑ってごまかそうとしたら、全力で逃げられたのはちょっとショックだったけどな。

 そんなに顔が怖いか、俺。


 それはさておき。

 話は変わるが、現在半裸状態で美少女に体を拭かれている件。


 ネフィーが濡れた布で俺の背中を一生懸命拭ってくれている訳だが、これがかなり心地良い。

 狭いテントに二人きりだからネフィーの呼吸や匂いを感じるし、なんだか安心するのにドキドキする。


「貴様殿、痛くはないか?」

「あぁ、大丈夫だ」

「すまぬな。このようなことは慣れておらぬ故……これで良し。後ろは綺麗になったぞ」

「助かる」


 全身血塗れだったからなぁ。

 かなり気持ち悪かったし、自分じゃ届かない背中を拭ってくれたのは凄くありがたい。

 後は自分で出来るがズボンを脱がなきゃならないし、ちょっとネフィーには席を外してもらって――


「次は前だな。動くでないぞ?」


 え、ちょ、ネフィーさん?

 この体制から前を拭くってまさか。


「よっと……うむ、貴様殿の背中は広いな」


 あああああ! いま俺、半裸でネフィーに抱き着かれてる!?

 背中が暖かいし柔らかい! あと首筋に息が当たってる!

 何これすげぇご褒美タイム来たんじゃね!?

 でもこれ死ぬほど恥ずかしいんだけど!?


「んっ……これ、動くでない。上手く拭けぬではないか」

「いや、ネフィー。嬉しいんだが、その……前は自分で拭けるから」

「そう言うな、我がしてやりたいのだ。貴様殿には助けられてばかりだしな」


 言いながらも俺を拭く手は止まらない。

 優しく、なめらかで、まるで産毛を撫でられるような感触。

 ネフィーが動くたびに背中に当たる水風船のような感触が形を変え、少し乱れた熱い吐息が首筋に触れる。

 至近距離で香る仄かな甘い匂いに脳がおかしくなりそうだ。


 何これヤバイ、身体がゾクゾクする。

 ていうか理性がどうこう以前にうちの息子さんの主張がヤバい。

 ちょっとこれ、ズボン越しでも見せられる状態じゃないんだが。

 一旦手を止めて貰わないと何とは言わないが暴発するかもしれん。


「ネフィー。その辺りで……」

「なぁ貴様殿。一つ、言いたいことがあるのだ」


 え、何だいきなり。この状況でなんでそんなシリアスな声出してんのこの子。


「あの日、我を助けてくれたことに感謝している。言葉では表せぬほどに」


 消えてしまいそうなほどにか弱い力で、俺の身体をぎゅっと抱きしめてくる。


「あの時出会ったのが貴様殿で良かったと、そう思っているのだ」

「……そうか」


 言えない。あまりにも見苦しいもの見せられたから勢いでやっちゃったなんて絶対言えない。

 いやまぁ助けたいって気持ちがあったのは事実だけど、何か後ろめたいんだが。


「しかし我には返せるものが無い。命の対価など、我には分からぬのだ」


 とくん、とくんと。背中から伝わるネフィーの鼓動が次第に速まっていく。

 俺を抱きしめる手に力が込められていく。


「なぁ貴様殿。我が持っているものはあまりに少ないのだ。だから、その、な」


 そして、俺の背中にぽてりと額をくっつけてきた。

 熱い。まるで熱病に侵されているかのように。


「……我が差し出せるのは、我そのものくらいでな?」


 ぎゅっと、ひと際強く抱きしめられる。

 言葉に込められた想いを表すかのように、強く。


「貴様殿が良ければ、なのだが。もし、こんな我でも良ければ」


 とくんとくんと鼓動が聞こえる。

 これは果たして、どちらの心音なんだろうか。

 混ざりあってしまったかのように区別がつかない。

 ただ、身体が熱い。違いの体温が心地よい。


「……その。もらってくれない、だろうか」


 破裂しそうなほどに、心臓がうるさい。

 頭が蒸発してしまいそうになりながらもゆっくりと、胸元に回されたネフィーの手に自分の手を重ねる。

 ネフィーがビクリと跳ね、背中に当たる双丘が潰れる。

 走った後のように荒い吐息を感じながら、決意を固めて返事を口にする。

 


「ネフィーさん、まだっすかー!」



 その寸前、テントの入り口がバサリと大きく開かれた。

 きょとんとしたミレイの顔を見て、二人揃って硬直する。


「あれ? どうしたんすか?」


 ボン、と。背後でネフィーが爆発する音を聞いた気がした。


「な、なななな!? なんでもないぞ!?」

「え、でもネフィーさん、顔真っ赤っすよ?」

「ええい! なんでもないのだ! いいから行くぞ!」

「え、ちょ、どこに連れて行くんすか―!?」


 戸惑うミレイを引きずって早歩きで去って行くネフィーの背中を見送り、濡れた布で顔を拭う。

 ぬるくなっているはずなのに、やけに冷たく感じた。


 やばい。これはもう、やばい。

 完全にやられてしまった。致命傷だ。

 頭の中がぐちゃぐちゃで整理が追いつかない。

 落ち着けよ俺。そんなんだから童貞なんだよ。


 うわぁ……ちょっと頭を冷ましてから行くか。

 息子さんにも静まってもらわないと困るし。

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