第9話【Y&S】隠し事は罪である

 人間、歳を取れば誰だって身体にガタが来る。

 そう思っているオレにも、等しく。

 だが、これはちょいとばかり想定外だった。


「お前さんのお陰で若い奴らも育った。何より身体が最優先だ。後のことは気にするなよ」

 店長の有り難い言葉に涙がちょちょ切れる。


「思ってもいないことを口にする余裕が有るなら、心配は要らないな」

 笑い飛ばしてくれると安心するし、心強い。


「愛しき〈ヨシりん〉もついてるんだろ?」

「あー……」

 痛いところを突かれて思わず口ごもる。


「まさか、まだ伝えてないのか?」

 笑って誤魔化すと、店長から深い溜息が洩れた。


 帰宅直後に話すか?

 せわしくて、それどこじゃねぇな。

 夕食時?

 食とは、好きに楽しみながら且つ美味しくいただく、がモットーだ。そぐわぬ内容は控えたい。

 片付けをしながら?

 泡とともにサラッと流せりゃ、苦労はしねぇ。

 残るは食後のコーヒータイム?

 しかねぇよなぁ……。

 絶対に怒るよなぁ、アイツ……。

 チクチクと文句を垂れるんだろうなぁ……。


『弱虫なくせに一人で結果を聞きに行くとは、さぞかしそのノミの心臓が潰れた事でしょう』

 とか。


『長い歳月を重ねた他に何を示せば、信頼に値する存在に成り得るのですか?』

 とか。


 長身を活かす、まさに上から目線をこれでもかと浴びせながら、な。

 隠し事をしたオレが全面的に悪い。

 だから、どんな説教も甘んじて受ける。

 あぁ、本当にすまない。

 オレは、『ど』が付く以上のアホだったよ。


 ◆ ◆ ◆


 淹れたコーヒーにいつまでも息を吹きかけて冷ます猫舌のアイツが、ダイニングテーブルの向こうで小さく緊張する。


「え……ガンが、見つかった?」


「人間ドックで引っ掛かっちまって、再検査したら、そうらしい。でも早期発見だから心配すんな。ただ、ここより大きな街の病院で診たほうが間違いねぇって医師が言うんで、ちと面倒臭くせぇなぁと思ってて―――」


「俺が見つけます」


「へ?」


「今すぐ、治療先を探しましょう。全国、津々浦々の病院を当たって。何なら、神の手を持つ医師へ直接掛け合えばいい。何処までも、あなたについていきます。こういう時の貯金です。積むだけ積んで、あなたを必ず救ってみせます」


 早口で捲し立てると椅子を倒しかねない勢いで立ち上がり、リビングのソファでSEご自慢の目にも止まらぬ指ワザ(?)を駆使しながらタカタカと検索を始める。


「おーい、ヨシくんよ。話はまだ終わっちゃいねぇんだ。最後まで聞いてくんねぇか―――」


 二つのマグカップを持ち、後に続いてチラリと覗くパソコン画面には矢継ぎ早に検索結果の小窓が増えていく。

 眼前に在るのは、遠慮がちに声を掛けるオレの言葉も隣に寄り添う姿をも一切を排除する、研ぎ澄まされた集中力を見せる、男の姿のみ。


 ここまできて、己のやらかしに漸く気付く。

 心配を掛けたくない、不安にさせたくない、なんて優しさは間違いで、思い上がりの自己満足でしかなかったのだ。


「ここは手術数が多い。こっちは数多くの臨床例がある。術後の生活も治療には欠かせない要素。となると、総合的に見るべきか……」


 悔やむ間にも集中力は一層増していき、納期限ギリギリのゾーン状態よろしく爪を噛みブツブツと低音の独り言が読経のように室内に響き始める。

 マズイ、これ以上はさすがにヤバい。


「ヨシ、話を聞いてくれ」


「るーさん、少し待ってください。早急にリストアップしますから」


「頼むから、一旦手を止めてくれ」


「そういう訳にはいきません。時間との勝負ですから、モタついてる暇なんて―――」


「ヨシタカ!」


 略称が日常と化して十数年。

 甘い囁きに乗せる以外では余程のことが無い限り使わぬその名で呼ぶ。

 ヨシは己の狂気さに気付いたのか、画面に食い入るように向けた視線を自らの手で遮断する。そしてゆっくりと眼鏡を外し、項垂れて、忘れた呼吸を思い出すかのように深く息を吐いた。

 動揺を物語る、小刻みに震える肩をそっと抱く。

 顔を覆った片腕がオレの腰にしがみついた。 


「黙っていて悪かった、本当にすまねぇ」


「あなたが居ない世界なんて、生きる意味が無いんですよ……」


「それはオレも同じ――ていうか、早々に殺すんじゃねぇよ。早期発見だと言っただろ?」 


「だから早期治療を、と急いでいるのに……」


「その話なんだけどよ、一つアテが有るんだ」


「まさか……」


 沈黙の中に『理解』という答えを含ませながら眼鏡を放って『悔しさ』を顕わにし、溜め息とともに『不安』を絞り出しながらオレの身体に縋り付く。


「救うのは、俺で在りたかった……」

 必死になるのも仕方がない。

 これからオレは、そういう事をするのだ。


「さすがに、医師でもねぇ管理栄養士を相手に遠回りする気はねぇ。だから、実家の方に直談判する。最早LINEYだけの繋がりだが、申し分のねぇ名うての病院だし幾らかは汲んでくれる筈だ。連絡……してもいいか?」


 目元の水分を拭うようにヨシはオレの肩口へと顔を押し当てると、ガッツリと掴んできた手を緩めて顰めっ面を見せ、重たげに口を開く。


「元カレへの接触も視野に入れてのこのタイミングでの告白ならば、許したくても許せない」


「おいおい、『誤診を狙った結果が、今』だと信じらんねぇとは、とんだ困ったちゃんだな。宇宙規模のこの愛を小指の爪程も感じてねぇとは、実に嘆かわしい」


「つまらない嫉妬心が渦巻くと知らしめねば苛立ちで遣り切れないので、素直に口にしただけですよ。それより、早急に連絡を入れてください。あなたを救うためならば、どんな手も厭わない」


 やや充血した瞳が縋るように見つめる。

 このままでは悪魔にでも魂を売りそうな勢いだ。

 人生を共にすると誓ったじゃねぇか。

 簡単に契約なんぞしないでくれよ。


「お許しが出たところで、早速、掛けるとするか」


 テーブル上のスマホを膝に置き、連絡帳からその名を探す。老眼が始まった上に片腕はもたれ掛かるヨシの頭を撫でているため、やり難いったらない。

 まぁ、何よりオレがこうしたいだけなので、別段何の問題もないのだが、コイツには色々と思うところがあるようだ。


「ちょっと、待ってください。今、ここで通話するんですか?」


「他に何処でしろって言うんだよ?」


「いや……でも……俺は外したほうが……」


「同意人が一緒に聞かねぇとか、あり得ねぇだろ」


「通話相手が元カレでも、同じ事をしますか?」


「当たり前じゃねぇか。愛想も尽きず生涯寄り添うと誓い合ったヨシタカを外して、何の意味があるんだよ」


「むぅ……巧くおだてたつもりでしょうが、隠し事をした罪は消えませんから覚悟してくださいね。はい、ポチッと通話開始」


「こら待て、勝手に押すんじゃねぇよ。一応、心の準備ってモンが必要……ぎゃーっ! ちょっ……服の中へ手を突っ込んでの、むぐっ……ベロチューとか、ダメだっ……つーの……」


 思い出したかのような怒りの矛先が突如として向けられ、プルルルと続く呼出音が止んで着信されるまで残忍酷薄なお触り&口封じの刑に処されてしまうのだった。


「……バカァ♡」


 

 

 

 

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【BL】勇者も使わない湯沸かしポットのやけどにご用心 Shino★eno @SHINOENO

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