第5話【O&M】目的達成のためならば!

(恋愛感情学習中の眼鏡男子)

      ✕

(一途に目覚めたチャラ男子)


 ◆ ◆ ◆


 最寄り駅から徒歩十五分。

 ふたりの男子高校生が、閑静な住宅地をコンビニ袋をぶら下げて歩く。

「何か、今日ってばぬくくねー?」

 緩くうねる前髪を僅かに上げてピン留めした一人が、着崩した制服のワイシャツボタンを更に一つ外して首周りを擦る。

「暦の上でも春だし、気配は着々と近付いてるって事じゃないか?」

 対照的なサラサラ前髪を鬱陶し気に下ろしたもう一人が、野暮ったい眼鏡をツンと定位置に戻す。

「にしてもぬく過ぎ。花粉症には苦行……へ、ヘックション! うへぇ、マスクの中がびしょびしょ」

「プッ! 三軒先だけど急ぐか?」

「頼む〜、気持ち悪ぃ〜」

 顔周りの不快さに気分がダダ落ちのテレテレした走りと、面白がりながらも早く解決してやろうとする軽快な足音だけが、昼下がりの住宅地に響く。


「お邪魔しやーす」

 家人不在の友人宅と言えども常に挨拶をするその心遣い。ネクタイもブレザーも緩い着こなしの、所謂チャラ男子の外見を見事に裏切るその行動に眼鏡男子は感心する。

「相変わらず、ちゃんとしてるな」

「挨拶は基本、当たり前。てか、ティッシュ使うわ、お先ー」

 ご丁寧に振り返り、靴を揃えて玄関を上がる―――までは良かったが、幾度か訪問歴のある勝手知ったる居間へドカドカ向かうと、ずびーっと豪快に鼻をかみ始めた。

「うーん……いま一歩、詰めが甘いんだよな」

「何か言ったー? それより、ビニール袋くれぃ」

「何に使うんだ?」

「俺の鼻孔に不法侵入した不届き者を、この家に残していくわけにはいかねーじゃん?」

 自らが出した汚物は持ち帰るつもりらしい。

 その姿勢にも驚くばかりだが、それよりも彼の表現力に眼鏡男子はツボったようで。

「ぷっ、あはは! やけに遠回りな言い方するな、三尾」

 笑いが止まらなくなる。

 名を呼ばれたチャラ男子は、ちーん、と鼻をかみ続けてスッキリしたのか、フフン、とご機嫌で眼鏡男子に近付き、視線をバチッと決めて言い返す。

「これこそ、当バンドで作詞を極めし者の実力よ。我が語彙力を舐めるでないぞ、奥塚くん」

 その謎の言葉遣いに眼鏡男子・奥塚は一瞬笑いを止めるが更に吹き出し、遂には眼鏡を外して涙を拭うまでに。

「いやいや、嘘だろ。笑いの沸点が低すぎだわ」

「し、仕方ないだろう……これまで聞いたのは『アレが憎い・コレが許せない・壊してしまえ』な語彙力皆無の歌詞なのに、良くそんな事……ぷっ、くふふ!」

「何だよ、社会風刺は若者の特権だろうがよ。文句を付けるなら、テメェで書いてみろっつーの」


 やや不貞腐れながらも、腹を抱える奥塚の様子を楽しそうに、嬉しそうに見つめては、三尾は心の中でそっと思う。

(久しぶりに見たなー、こんなバカ笑い。教室じゃ目立たないよう、いつも静かに澄ましてるからな……ていうか、今、眼鏡を外すなっ! 元来の可愛いお顔が丸裸で別の意味で集中しちゃうだろうがよっ! あ〜、今すぐ盗撮したい、この破顔!)


 そしてこの時、奥塚は、残る笑いをかみ殺しながら心の中で密かに自我と問答していた。

(何だよ、あのドヤ顔……急接近するし、心臓が飛び出そうだし、顔が熱くなる。学校だと気怠げにとぼけるばかりで、あまり見かけない表情だからか? そう言えば、最近、三尾の顔つきが柔らかくなったな……)


 さて、互いに落ち着いたところで本題に。

「今回、特に励むべきは理数、でいいか?」

「良いと思いまーす。寧ろ、お願いしまーす。これ以上の赤点は、マジで詰む……」

 そう、本日の奥塚家訪問の目的は試験勉強なのだ。特に三尾は、この学年末考査で努力の成果を示さねば進級すら危うい状況にある。

 そうなる前に気付け、と奥塚は口を酸っぱくして苦言を呈してきたが、三尾はバンド活動一択の姿勢を崩す気が無く、今に至るわけだ。

「では、買った飲み物を持って二階へ上がってくれ」

 思わぬ台詞に三尾は首を傾げる。

 これまでお邪魔した際は常にリビングで作業していたのに、何事だ、と。

「……ここで、やるんじゃねーの?」

 すると奥塚は僅かに視線を外して三尾に告げる。

「親が帰ると、必然的に二階に移動しないといけないだろ? それは……集中力が切れるから嫌だな、と。ここが良ければ、このまま始めるが……」

 どうするか? と奥塚に訊かれたら、三尾の答えは一択に決まっている。

「よし、行こう。今すぐ行こう、奥塚の部屋!!」

 前のめる三尾は急いで荷物をまとめた。


 ◆ ◆ ◆


 階段を上がってすぐの部屋が奥塚の城らしい。

 ドアを開ければ、八畳ほどの広めの空間に家具が並ぶ。こげ茶色のスチールラック、幅広の学習机、アウターや制服用と思しきハンガーラック。天井まで届くほどの本棚には、マンガだけでなく小難しそうな書籍や小説も数多く納まっている。

 そして、セミダブルらしきベッドにはふかふかの羽毛布団。

「ふばぁーーっ! 奥塚の匂いがするーーっ!」

「布団に顔を埋めて嗅ぐな、変質者! それと、ジロジロ見るなよ。何か……恥ずかしい」

 奥塚は、照れながらブレザーをラックに掛けてネクタイをシュルッと外すと余ったハンガーを三尾に渡し、壁際に収納した折り畳みテーブルを出して勉強会の準備を始める。


 初のお部屋潜入に盛り上がりっぱなしの三尾は一つ咳払いをして我に返ると、奥塚のブレザーの前隣りに寄り添うように上着を掛け、テーブルの脚をガチャガチャと立てるのを手伝う。

 ―――フリをして顔が近付いた拍子に唇を奪うのが目的、だったが。

「痛え! 何で、グーパンチ食らわするんだよ!」

「蚊が飛んでて……ほら」

 奥塚が握りこぶしを開けば、指の隙間に果てた輩が一匹。ベッドのそばに置かれたティッシュ箱に手を伸ばすと三尾がすかさず間に入り、またもや顔を近付けてくる、が。

けんじゃねーよ。そういうつもりで部屋に入れたんじゃないのかよ」

「……」

 無言で見つめる奥塚に、三尾がハッとする。

「……そうか、奥塚ってんだった。悪い、先走ったわ」

 気まずい雰囲気を作ってしまった詫びを入れ、

「先ずは、試験勉強だな」

 ニコッと笑って気を取り直し、出来上がったテーブルをひっくり返してリュックの中をガサゴソと漁ると、三尾は何事も無かったかのように勉強道具を出していく。

 すると、

「全く無い……わけでは、ない」

 奥塚から予想だにしない細い声が届く。


 今……今、何と仰った?

 空耳か?

 いや、三尾が奥塚の声を聞き漏らす筈がない。

 出来ることなら二度聞きしたい。

 何なら、五度も十度も百度までも聞く所存だ。

 なぜなら奥塚は、三尾と出逢うまでは恋愛感情に気付かず生きてきた男なのだから。

 紆余曲折あって想いが通じ合い、だが何事もなく三ヶ月目に突入してのこの急成長。

 対して、重複は無いと頑なに主張しながらも数多くの女子遍歴を持つ三尾にしてみれば、漸く次へのステップへと進みそうなこの機会を逃すことなくその先までも一気に押し切りたい、ところだが。

 決死の思いで自ら勉強ルートへ持ち込んだ手前、執拗く尋ねるわけにはいかず。


「あー……あれだ、前に俺の部屋に入れたから“おあいこ”ってヤツだろ? 分かってるって。それより、ここの問三なんだけどさ……」

 何とか自分を誤魔化すことに成功するが、奥塚から返るのはまたもや決意をグラつかせる言葉。

「それもあるが、違うんだ。集中力はもとより、邪魔されたくないから。その……ふたりの時間を?」

 視線も合わせず、正座で顔をほんのりと赤らめて呟くその様に、三尾は天井を見上げて深い溜め息を吐いて大いに嘆く。

「あのさー、頼むからスルーしてくれよ〜。しかもそれ、今バラしたらダメだろ。せめて、頑張ったご褒美って名目で後にしてくれよ〜」

「すまん! ただ、三尾は悪くないから、きちんと伝えておかねば、と―――」


 奥塚の言葉を遮るように三尾が近付き、その美しいご尊顔を誤魔化すための野暮ったい黒縁伊達眼鏡をそっと外す。そして、奥塚の首に腕をまわし、とろんとした目で見つめると熱っぽく、甘ったるい声で意地悪く囁く。

「だから、ダメだって。折角、ヤラシイ想いを抑えたのに……何が何でも、奥塚に襲われたくなっちゃうだろ。どうしてくれんの、これ?」

 うーん、と困った奥塚は、真面目な顔で妥協案を提示する。

「やる気を出したご褒美の前払い、という事で手を打つのはどうだろうか?」

「……はぁ? いや、えーっと……それは何処まで戴ける代物ですか、先生?」

「何処まで、とは?」

「ぷっ! まぁ、奥塚にしたら及第点か。ならば、これからの頑張りも含めて、先ずは質も量も濃ゆいキスをくださいな」

「それは一体、どんな―――むむっ、むぐぐ!」

 奥塚が無防備に口を開いた隙に三尾の唇がむきゅっと押し付けられ、捩じ込むように舌先が伸びてくる。突然の事態に動揺しつつも、ゆるりと絡み合う艶めかしい感覚と時が止まるような恍惚とした瞬間に奥塚は身を委ねる。

「こんなヤツだよ。覚えといてくれよ、彼ピッピ」

「承知……し兼ねるかも、知れない」

「何でだよ!」


 だって。

 三尾の思い通りに襲うのは癪に障る。

 濃ゆいキスはエロ過ぎて理性が保てない。

 とは、死んでも言えない〈攻め初心者〉。

 ともかく、試験勉強、頑張り給えよ、高校生。


 ◆ ◆ ◆


 ちかづくおもいをみつけてよ

 ちか みつる

 奥塚 三尾

 ここで一つ作りたい

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