横からアクアリウム

陽澄すずめ

第1話 この時の私、きっとチベットスナギツネみたいな顔してた。

 2020年7月。コロナ禍でロクな外出もできない生活が続いたある日、夫が突然こんなことを言い出した。


「熱帯魚を飼いたいんだけど。同僚から水槽譲ってもらえるし」


 魚とはいえペットである。旦那は激務で家にいないことが多い。嫌な予感しかしない。


「いや、誰がエサとかあげるの。水替えとかあるんじゃないの?」

「そういうのは俺がやるから!」

「あんた当直の日もあるでしょ。出張で何日も帰ってこん時とかも」

「エ、エサやりくらいなら、そんなに難しくないから」


 この時の私、きっとチベットスナギツネみたいな顔してた。


「一生のお願い! すずめには極力面倒かけんし、部屋の片隅に水槽置くだけだから! ねっ!」


 何度目の一生のお願いなのか。もはや心臓を捧げよ。


 ともあれ、一度言い出すと聞かない夫である。放っておくと無限に熱帯魚の話をしてくるので、だんだん私も面倒くさくなってきた。


「まぁ、いいよ。その代わり全部自分でやってよ」


 そのような経緯があり、我が家で熱帯魚を飼うことになった。



 同僚から水槽を引き取ってきた夫は、さっそく準備を始めた。こういうのをアクアリウムと言うらしい。

 『アクアリウムとは、水生生物の飼育設備を指す。水族館のような大型施設から個人宅に設置するような小規模のものにまたがる概念である』と、ウィキペディア先生は仰っている。


 正直、私はアクアリウムのことを甘く見ていた。水槽の中にブクブクの出るやつを入れるくらいかと思っていたのだ。


 しかし。

 次から次へと自宅に届く何かの装置。

 どうやら水生生物を飼育するためには、ブクブク(エアレーション)のみならず、フィルター(濾過器)、水草が光合成するためのCO2ポンプとLED照明、そしてそれらを設置するためのラック等が必要であるようだ。


 リビングの貴重なコンセントの一つを占拠し、大量のコードが複雑怪奇に接続された。

 もうこの時点で既に何が何だか訳が分からず、私の理解の範疇をあっさり超えた。


 水槽内のレイアウトも見栄えの美しさに関わるらしく、何種類かの水草の他、変わった形の流木、よく分からない謎の岩などが配置された。

 底に敷くソイル(砂? 土?)も白っぽいものと黒っぽいものがあり、成分によって水質に影響を及ぼすらしい。

 そう、水の中で生物が健やかに生きるためには、水質が何より重要であるそうだ。

 酸度(pH)や亜硝酸塩濃度を適切に保つため、サンゴ石(アルカリ性らしい)を入れたりCO2量を調節したりプランクトンを投入したりしなければならないようだ。

 また水温を適切に保つため、冬場はヒーター、夏場はファンなどの装置が追加で必要とのこと。


 いきなり情報量が多い。


 夫は何やら熱心に説明してきたが、私には夕飯の献立と子供らの明日の準備の方が優先すべき事項だった。役立てそうになくて誠に残念である。


 いろいろなものを買ったが、犬や猫を飼うのと比べるとコスト的にはずいぶん安い。コロナ禍でおでかけも旅行も外食すらも控えていたので、予算が浮いていたこともあるが。

 問題は、これが「ペットを飼う」というよりも、むしろ「水槽という設備を自宅に導入した」感覚だということだ。実際、ここまでガワのコストだけだし。


 何はともあれ、こうして熱帯魚を迎え入れる準備が整ったのである。私は横から見てただけだけど。

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