#3「挨拶あるいは遠い談合」

「やあ。ただいま、メタ。熱烈な出迎えをありがとう、残念だけどお土産は買えなくてね。差し出せるものが何もないんだ」

ひと月振りに帰ってきたアズールは、顔を見るなりそう言った。出鼻をくじかれたメタが変な顔をしていると、椅子を引いてきたアズールは置いた鞄から紙とペンを引っ張り出して、着替えもせずにその場で書類を書き始める。ペン先が質の悪い紙を引っ掻いてガリガリと耳障りな音を立てた。呆然としていれば、言葉は続く。

「……メタ、話、聞いてた? 待っていてもなんにも渡せないんだってば」

「土産がほしくて来たわけじゃない……あなたが戻ってくるのを待っていた。少し、話がしたい……」

「うん? なに、会いたかったってこと? 光栄だね。きみがそんなこと言うなんて珍しいな」

言いながらこちらへ顔を向けるような素振りこそ見せたが、アズールの視線は紙の上を一定間隔でなぞっている。メタは話を続けることに僅かな躊躇いを感じたが、言いかけた手前引くのも悪いような気がして唇を舐める。だが、そうして無理に開いた口も、何から言うのか迷うようで肝心の言葉が出てこない。モルフォからの急なプロポーズのこと、自分がそれを断りたいと思っていること。どうにかして伝えなければと思っているのに口が回らない。

「……ああ、いや、出張先ではどういう感じなんだ。仕事の方は順調か?」

メタは目を伏せた。言わなくてはと思うほど舌はもつれた。後ろめたさがそうさせるのだと頭ではわかっていたが、対処のしようもなかった。

「うーん、目が回りそうなほど忙しいけど、まあ順調って言って良いんじゃないかな。けして楽しい環境ではないけどね。それにしてもメタが僕の仕事について聞いてくるなんて明日は槍が降るな。向こうじゃ悪いことはしていないつもりだけど、僕がいないあいだに何かあった? もっと他に、したい話があったんじゃない?」

「……話」

沈黙の中でも、ガリガリと紙を引っ掻く音が途切れない。口を閉ざしていることを咎められているようだ、とメタは思う。あるいは事実、疎ましく思われているのかもしれなかった。メタが黙っている間に余白はどんどん埋まり、また一枚紙が追加される。

「気のせいならそれでもいいんだけど」

その言葉でようやくメタは、会話を切り出した自分が中身のあるような話へ一言も触れず、あまつさえ黙りこんでいることの不自然さに気がついた。

「……いや、指摘の通りだ。三日前、モルフォに……求婚されたんだ。俺はどうしたらいい。アズール。あなたの……助けが必要だ」

言いながら声が震えそうになるのを感じてメタはおののく。だが、一歩は踏み出した。どうしたらいい、と再度口にし、メタは答えを待った。


かつて目の前の男が行動で示したように、どんなことでも根回しは効く。アズールは過去、様々なやり方で関係者を抱き込んでは軽重あらゆる罪過を踏み倒してきた。殆どはメタにとって忘れたい記憶だが、今回ばかりは問題を調停するのがうまいこの男に頭を下げて教えを乞おうというのだった。あるいはどうにか言いくるめて穏便に断ってもらえたらそれ以上のことはない。そう考えていたメタの目論見は紙束を見つめていたアズールの一言で覆る。

「んん? ああ、モルフォと結婚? 独り立ちした子供に親が口を出すものでもなし、いいんじゃない。きみが相手なら安心だ」

「……待て、今なんて言った?」

「聞こえなかった? したいなら止めないよって言ったんだ。仲良くおやりよ。ああそうだ、届けを出すのが面倒なら代わりに書こうか? これだけ書くなら一枚くらい増えたところで手間は同じだし、どうせ書いたら書いたで全部窓口に持ってかなくちゃならないしさ」

黙ってしまったメタを不審に思ったのか、書き物の手を止めたアズールが顔を上げて不可解そうな表情を作る。

「聞いてる? 困っているなら推薦状でもなんでも書くって言ったんだ。返事くらい……」

「いや、あなたは何をいっているんだ。止めてくれよ。何を考えているんだ? どう考えたっておかしいだろ、あなたはモルフォが大事じゃないのか? まずは反対するものだって聞いてるぞ、こういうのは!」

震える手を握り込み、違うのか、と低く問う。あなたの役目はここで机をひっくり返して、箒なり火箸なりを持って俺を追いまわすことだろう、とメタは呟いた。だが、激情に身を震わせるメタを前にアズールは全くもって平然としていた。そんなのはたいした事でもないというように、書き物の手が止まったのも一時のことだ。

「メタが何を言いたいのかわからないな。大切な娘だからこそ、いい人を見つけなくちゃと思っていた。渡りに船なら止める道理はないだろ」

「俺が、モルフォにとって『丁度良かった』と? あなたはそう思うのか」

メタの発した静かな声は隠しようもない怒気を孕んでいた。アズールは眉を上げてメタを見る。仕事熱心な手はペンを握ったまま、メモ紙の端で先を研いでいた。

「……不服そうだね? 端から見ている分には不足のない相手だと思うけどな。なにより身内なんだ、互いをよく知っていることは共同生活において重要な意味を持つ。そうだろ?」

確かに、メタはモルフォのことをよく知っている。『だからこそ』嫌なんだと言ったところでこの男は理解さえしないのだろう。メタは小さく悪態をついたが、アズールは意に介さない。それどころか、話は終わりだとばかりに顔を伏せた男は更に期待を裏切るようなことまで言う。

「実をいうとね、モルフォにもきみを説得するよう頼まれていたんだよ。きみは自分で何でも決めるたちだし、僕は協力できないってモルフォには言ったけど。どうする? そっちの側にどんなわだかまりがあるかはわかんないけどさ」

「どうするも何もないだろうが。俺は断らせてもらう」

「そんなにはっきり言い切られてもなあ。理由を聞かせてよ、実の娘に詰られるのは結構キツいんだぞ」


実の娘じゃないだろ、と叫びそうになって、メタはぐっと唇を噛んだ。どこで誰が聞いているかわからない以上、ここで下手なことを言うべきではない。代わりに頭を巡らせて、理性的な言葉をゆっくりと口に出していく。

「それだけ、彼女を大事だと思うなら、相応の、態度で、示してくれ。……話を聞くのも片手間で、心から思っているなんて言われたって信じようという気にならない」

「うーん、悪いとは思ってるけど超特急の仕事なんだ。冗談じゃなく時間がないからお断りのわけだけ聞かせてくれる? モルフォはずっと前から手を回していたけど、メタは現時点で突っぱねているだけだ。こう言っちゃなんだけど分が悪いよ。もし、そっちにのっぴきならない事情があるなら、先約を蹴ってきみの側についたって良い。そこまで長い話は聞けないけど」

あんまりな言い様に怒りを通り越して呆れ果てたメタは、口を開きしばし考えた。自分と彼女が由来を同じくすることが一番の懸念だった。だが、それを伝えれば人間として暮らす彼女の存在そのものを否定することになる。メタはもっともらしい理由を考え続ける。なるだけ心情が絡まず、外的な要因に近いものを。

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