毛沢東で良いのか? 社会科の教科書

 名前を間違える。間違え続ける。いうまでもなく失礼だ。

 もちろん気にしないという人や笑って流す人もいるだろう。だが、そもそも彼らが名前を間違えているところを見たことがあるだろうか。

 認識をすり替えてはいけない。

 あくまで、『名前を間違える=失礼』という等式と『気にしない人=おおらか』という等式の二つを連立方程式として解くと、『名前を間違えても気にしない人』という解が導かれるに過ぎない。

 いまだに日本社会は『名前を間違える=失礼』という社会通念を包含している。

 これを踏まえて考えると、社会科の教科書は失礼だなと感じる。

 実際、皆さんは『毛沢東』をなんと読むだろうか。『もうたくとう』か『マオ・ツォードン』か。

 『曹操』はどうだろうか。『そうそう』か、『ツァオツァオ』か。

 どちらも後者が中国語読みだ。

 私は教科書に書かれる言語が中国語や英語などの原語で書けということを言いたいわけではない。あくまで、読みはどうにかならないのか、という話だ。日本語にはせっかくカタカナという外国語を表現しやすい言語表記方法があるにもかかわらず、それを使わないのは宝の持ち腐れだ。

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日々雑感 長居佑介 @cameliajaponica

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