毛沢東で良いのか? 社会科の教科書
名前を間違える。間違え続ける。いうまでもなく失礼だ。
もちろん気にしないという人や笑って流す人もいるだろう。だが、そもそも彼らが名前を間違えているところを見たことがあるだろうか。
認識をすり替えてはいけない。
あくまで、『名前を間違える=失礼』という等式と『気にしない人=おおらか』という等式の二つを連立方程式として解くと、『名前を間違えても気にしない人』という解が導かれるに過ぎない。
いまだに日本社会は『名前を間違える=失礼』という社会通念を包含している。
これを踏まえて考えると、社会科の教科書は失礼だなと感じる。
実際、皆さんは『毛沢東』をなんと読むだろうか。『もうたくとう』か『マオ・ツォードン』か。
『曹操』はどうだろうか。『そうそう』か、『ツァオツァオ』か。
どちらも後者が中国語読みだ。
私は教科書に書かれる言語が中国語や英語などの原語で書けということを言いたいわけではない。あくまで、読みはどうにかならないのか、という話だ。日本語にはせっかくカタカナという外国語を表現しやすい言語表記方法があるにもかかわらず、それを使わないのは宝の持ち腐れだ。
日々雑感 長居佑介 @cameliajaponica
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。日々雑感の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます