「転売ヤーは悪」という主張の悪質性

 転売ヤーは悪いとか、うざいとかの話はよく聞く。もともとあった価格を恣意的に上昇させて、差益で儲けることが気に食わないらしい。まあ、自分が損をして、他人が得をするので彼らが言っていることもわからないではない。

 とはいえ、だ。本当に彼らは悪いのだろか。確かに古物商許可を取らずに転売を行うことは法的に違法性を持つ。だが、古物商許可はあくまで潤滑な証取を行うための規制であって転売を禁じる規制ではない。

 私はむしろ転売を悪と論ずる主張の方が悪質だと思う。この主張の悪質なところは一見すると正しいように思えるところだ。転売ヤーは違法行為者というイメージが先行したせいで、転売行為にも違法性を持つというイメージを包含してしまった。

 しかし、転売は違法でもなんでもない。むしろ、価格差益で利確をする手法は遥か昔から確立されている。例えば、中世の商人は麦を固定価格で購入した。この制度自体はさまざまな理由があったが、理由の一つに豊作時の価格差益を狙ったことも確かだ。あるいは、先物取引も同様だ。結局、モノを移動させるだけで価格差益を確保するという手法は歴史的に確立されたものだから違法でもなんでもない。

 その上、転売は商品の市場価格を安定させるという役割も持つ。当たり前の話だが、価格が高ければそれだけ求める人が減る。価格が下がればそれの逆だ。むしろ、独占や寡占が起きて市場価格が狂うより、転売人がたくさん参入することで自然と市場価格と商品価値のつり合いが取れていた方が自然だ。

 この前提の上に立って、私が転売を悪と論ずる主張が悪質だと考える理由は商品価値と市場価値の均等性が保たれないからだ。私には場当たり的な正義感を振り回して、大局を悪くしているようにしか思えない。

 商品が欲しい物に届かなくなるという主張は転売ヤーではなく、むしろ企業に求めるべきである。現在、商品は常に等価で販売されている。しかし、販売当初くらい著しく高価でも良くないだろうか。自分の趣味で考えると反感を抱くかもしれないが、ニュースで見る列に並びたいだろうか。正直iPhoneが11だろうが、12だろうが、13だろうがどうでも良くないか。自分が機種を変更する時に変えればよい。つまるところ、ライトユーザーにとって販売当初に買うということにインセンティブは発生しないのだ。そこにインセンティブを感じる人は商品のコアなファンなのだから多少高くても購入する。つまり、発売当初は著しく高価にし、徐々に価格を減少させていくという手法を私は支持する。

 話を戻すが、転売ヤーは悪という主張は企業の商品価格などの大局的な問題を隠すので私は悪質だと考える。

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