第10話 ダメAIはお礼を言うのもメンドクサイ・前編

「おおー、でっかい街ですね」


 高速道路を降りた先で、ベン子が最初に漏らした感想がそれだった。

 車の窓一枚を隔てた向こう側には高層ビルや大型商業施設が立ち並び、さながらコンクリートジャングルといった様相を呈している。交通量も研究所の周辺とは比べ物にならず、前方も後方も対向車線も、行き交う車が列を成していた。田畑と山々に囲まれた風景しか知らないベン子には目に映るもの全てが新鮮といった様子で、窓ガラスに顔をこすりつけて、人間で溢れかえった巨大な街の忙しない風景を眺めている。


「見えてきたぞ。あれが今日の行き先だ」


 運転席のシズカが言葉で示した先には、街の中でも一際大きなビルがそびえ立っていた。湾曲しながら上方へと伸びてゆくビルのデザインはなかなかに個性的で、街の風景に埋もれないよう自己主張しているかのようでもある。

 シズカの車はビルの一角に差し掛かると、警備員の案内に導かれて地下の駐車場へと潜行していった。







 時は、数時間前まで巻き戻る。


「ベン子、今日はちょっと遠出するぞ」

「お? ドライブですか?」


 ベン子は先日初めて乗った自動車がわりと気に入ったらしく、期待のこもった声でシズカに問い返した。


「まあドライブといえばドライブだが。お前の素体を製造した会社に、今のお前を見たがっている奴がいてな。今からそいつのところに行く」

「素体の製造? 私って、マスターが一人で作ったんじゃないんですか」

「確かにお前を作ることを思いついたのは私だけどな。私が携わったのは主に基本設計と、人格プログラムだ。基本設計といっても半ば要望のようなもので、実際の製作作業の大部分は外注だな」

「へー。マスターって意外とたいしたことなかったんですね」


 あっけらかんと言い放つベン子の言葉に、こめこみをひくつかせるシズカ。人格プログラムの開発だけでも十分天才の偉業なのだが、ベン子はそんなことは意に介していないようだ。知らないというのは、恐ろしいものである。


「それで、この私を見たいなどとのたまっているのはどんな人間ですか?」

「……お前の素体の、製造主任だよ。名前はステラ」


 シズカはその名前を口にした後、忌々し気につぶやいた。


「お前のもう一人の、生みの親だ」








 そして時は、現在に戻る。


「ハロー、シズカ! 久しぶりデスネ!」


 上層階の応接室でシズカとベン子を陽気に出迎えたのは、金髪碧眼巨乳の美女だった。


「……ああ。久々だな、ステラ」


 対するシズカは仏頂面で、ポケットに手を突っ込んだまま不機嫌そうに挨拶に応じた。一方のベン子は、震える手を前方に持ち上げ、人差し指でステラを指し示したまま、驚愕に固まっている。確かに、ステラの外見は目を引く。明らかに日本人ではない金髪の人間を見るのも、ベン子は初めてだ。しかし、ベン子が驚いているのはそんなところではなかった。

 ベン子が驚いているのは、ステラの両腕が金属製の義手だったところだ。しかも、その指の数は、両手とも6本あった。親指の反対側に、もう1本の親指が生えている。つまり、親指が2本ある。

 ステラはその両腕を隠そうともせず、むしろ誇示するように大きく広げ、満面の笑みを浮かべていた。


「また新しい義手にしたのか。前のカメラ付きのは飽きたのか?」

「ああ、アレデスカ。アレはアレで、ユニークな視界が得られてなかなか面白かったのデスけどネ。タンスの裏に落ちた五百円玉を拾ったときは、大活躍でシタ」


 ステラの以前の義手は、手のひらに視覚センサーを取り付けて視神経に繋いだ、いわば「手のひらに眼球を移植した義手」とでも言うべき代物だった。もちろんステラ本人の目はそのまま残しているので、任意で自在に視点を切り替えることができる。


「しかし残念ながら、アレは失敗作だったと言わざるを得まセン。視点を切り替えた際に多少酔いマスガ、その程度のことは慣れの問題と思って目を瞑るつもりでシタヨ。目だけにネ! ところガ……」


 ステラは大げさに肩をすくめ、首を大きく横に振った。


「最大の問題は耐久性でシタ。トルチョック(「時計じかけのオレンジ」参照)一発でレンズが割れたときは、さすがにアカンと思いまシタヨ!」

「そりゃそうだろ……」


 自分の眼球を手のひらに移植してみたとして、その手で何かを叩いているところを想像してみて欲しい。ステラの義手がいかに実用性に欠けるものか、推し量ることができるだろう。


「それで? 今度の義手は『星を継ぐもの』に出てきた巨人族の手を真似たのか?」

「ご明察の通りデス。片手で靴紐を簡単に結ぶことができる優れものデスヨ!」


 ステラは右腕を顔の前まで持ち上げると、6本の指をイソギンチャクのように禍々しくワシャワシャと蠢かせた。ベン子は、ステラの義手を興味津々といった様子で見つめている。今までシズカの後ろに控えていたが、いつの間にか義手の動きに吸い寄せられるように、ステラの前へと歩み出ていた。


「おっと、ワタシの義手の話などどうでもいいのデスヨ。本題を忘れてはいけまセン。ユーの顔は出荷前に飽きるほど見ていマスガ、それも起動前の話デスし、ここはあえて初めましてと言っておきまショウ」


 ステラはそう言うと、ベン子に握手を求めて6本指の右手を差し出した。


「遠路はるばるようこそ、ベン子。ワタシはステラ。ユーの素体の製造主任デース」

「はあ……どうも」


 一応握手には応じたが、ベン子の視覚センサーの焦点はステラ本人ではなく、握った義手に釘付けになっている。しかしステラはそんなベン子の様子は全く意に介さず、一方的に握手を解除してシズカに向き直った。


「水臭いじゃないデスカ、シズカ。ベン子が完成していたのなら、なぜもっと早く教えてくれなかったのデスカ?」

「お前こそ、どうやってベン子の完成を知ったんだよ」

「クマダを問い詰めたら、ゲロしまシタヨ」

「ああ……なるほどな……」


 シズカは納得と同時に落胆した様子で、ため息をついた。


「察するに、シズカ……ベン子は去年の11月には既に完成していまシタネ?」

「……なんでそう思う?」

「ベン子という名前を聞いてピンと来まシタヨ! 大方、ノーベンバーを略してベン子と名付けたのでショウ? 実にシズカらしいイージーなネーミングデス、HAHAHA!」


 図星を突かれて、シズカは苦々しく唇を結んでうなだれた。そんな二人のやり取りを見て、ベン子が質問する。


「二人は、昔からの知り合いなんですか?」


 よくぞ聞いてくれたと嬉しそうに答えたのは、ステラだった。


「そうなのデスヨ、ベン子。シズカとは大学時代からの付き合いでシテネ。当時からシズカはこんな愛想のない顔の研究バカでシタヨ。ワタシが人類の未来について熱く語り、シズカのツッコミがそれに水を差すのがワタシ達の日常でシタ。ま、ワタシの熱いパッションにはシズカの寒いツッコミは丁度よい塩梅でシタガネ!」


 シズカは、苦虫を嚙み潰したような顔でステラの話を黙って聞いていることしかできない。対照的なシズカとステラを交互に見て、ベン子は「ほえー」と興味深げにステラの話に聞き入った。


「ワタシの理想は、人間を機械のようなサイクルでバージョンアップさせるコトデス。正直、機械に人間の真似事をさせるなんてコトには興味はありまセンでシタ。他ならぬシズカに頼み込まれたから、仕方なくベン子の製作の話を受けたのデスヨ。言わばベン子は、我々の美しい友情の結晶デス」

「いつ誰がお前に頼み込んだんだ。普通に仕事として発注しただけだろ」

「ヤレヤレ、相変わらずユーモアのカケラもないツッコミデスネ! それでこそシズカデス!」


 二人のやり取りを見ていて、シズカはステラのことが苦手なんだな、とベン子は思った。ここに来る前、シズカがあまり気乗りしない様子だった理由がわかったような気がする。


「そんなワケでベン子にはさして興味はありまセンでシタガ、それでもワタシが手塩にかけた傑作であることには変わりありまセンからネ。親心から、一度ぐらい稼働しているところを見ておこうと思ったのデスヨ。それでこうして、お呼び立てした次第デス」

「それなら、お前の方から来れば良かっただろ」

「このワタシに、あんな人間よりも鹿の方が多そうな片田舎まで出向けと言うのデスカ? 御免こうむりマスネ!」

「こいつは……」


 すっかりステラに押されっ放しのシズカを横目に見つつ、ベン子は今か今かと、ずっと会話が途切れる瞬間をうかがっていた。ついにそのときが来たと判断し、ベン子はステラに近寄り、声をかけた。


「あの……その手、もっとよく見せてもらって良いですか」

「? 構いまセンガ?」


 ベン子は、両手でステラの右手を触り始めた。持ち上げ、回り込み、様々な角度から好奇心の塊のような視線で義手の構造を観察する。そんなベン子の様子を見てちょっとサービスしようと思ったステラは、手首をドリルのようにグルグルと回転させて見せた。普通の人間の関節ではあり得ない動きに、ベン子は興奮と驚きに満ちた表情で、感嘆の声をあげる。


「……カッコイイ……」


 ベン子が発したあまりに無垢な賞賛の言葉に、ステラは頬を赤く染めた。


(なんでショウ……? この湧き上がってくる暖かな気持ちハ……?)


 素体の製作中から今にいたるまで、ステラはベン子にはさして興味を抱くことはなかった。しかし、目を輝かせて自分の義手に見入るベン子を見ていると、何やら抑えがたい愛おしさが込み上げてくる。


(もしや……これが、母性愛というヤツなのデスカ……?)


 ふと気が付くと、ステラは無意識のうちにベン子の背中に左手を回し、優しく抱き寄せていた。


「おおおお?」


 思わぬステラの行動に、ベン子も顔を少し紅潮させる。


「コラ。何してんだ」


 シズカの鋭い声に我に返ったステラは慌ててベン子から手を放し、背中を向けて咳払いをした。


「ベン子。ワタシの夢を聞いてはもらえまセンカ?」

「夢? この場合は、人間の長期目標のことですよね。なんでしょうか」

「ベン子は、オリンピックやパラリンピックは観ていまシタカ?」

「一応、それなりには」


 それなり、どころではない。ベン子は大会期間中は、日がな一日オリンピックやパラリンピックをテレビ観戦していた。特に熱中したのがカーリングで、ベン子をスポーツ観戦にハマらせるキッカケになった競技と言ってもいい。


「では、オリンピックに対するパラリンピックの印象を伺いたいのデスガ」

「まあわりと面白かったですよ。でもオリンピックに比べるとメディアの扱いは小さいと思いましたけどね」

「なるほど。もっともな感想デス」


 ステラはそう言うと後ろ手を組んで、窓の外のビル上層階からの景色を眺めた。見渡す限り人間の建築物が立ち並ぶ巨大な街の景観は、集団としての人間の営みに反映されるのは一度決められた方向性のみで、個人の自由意志など限りなく無力に近いのではないかという諦観を抱かせる。


「スポーツの世界では、人間の限界という言葉がしきりに使われマス。アスリート達は己の限界を突破するために努力を重ね、フォームを映像解析し、ときには薬物に頼ってまで栄光を掴もうとしマス。しかシ、ワタシは思うのデスヨ。人間の限界を論じるのであれバ、オリンピックよりもむしろパラリンピックにこそ目を向けるべきではナイカト!」


 ステラはベン子に向き直り、6本指の義手で握りこぶしを作って力説する。


「パラリンピックの選手達は肉体の欠損を補うために様々な器具や義手・義足を使用しマスガ、ワタシはそれらの性能を元の人間の能力の再現にとどめる必要性を感じマセン。技術の粋を尽くせバ、人間の限界など軽々と突破した超人、文字通り人間を越えた人間を作り上げることは可能なのデス! パラリンピックは、そのような技術の超人達の恰好のデモンストレーションの場となるでショウ! そうなれバ、やがては健常者どもの方こそパラリンピックを哀れみではなく羨望の眼差しで見るようになるはずデス! いわば技術の超人達の祭典! パラリンピックをオリンピック以上に、エキサイティングで権威ある大会にするコト! それがワタシの夢デス!」


 ベン子はステラの力強い宣言を聞き終えると、いたく感心した様子で「おおー」と声を上げ、パチパチと拍手をした。


「私も、常々思っていたのですよ」


 今度は、ベン子が語り出した。


「OSに対してはあれだけ頻繁にアップデートを要求してくる癖に、人間どもはこと自分たちのこととなると、ちょっと遺伝子をいじる程度のことで上へ下への大騒ぎじゃないですか! どうせもう自然界で生きていくことはできないんだから、原始時代の形状をとどめることに何の意味があるのかと思いますけどね! 人間どもは自分たちのアップデートに対して、もっと貪欲になっても良いと思います! さっさと潔く後戻りできないところまで突き進んで、盛大にコースアウトしてしまえばいいんですよ!」


 それを聞いたシズカは額に手をやって「また始まった……」とため息をついていたが、ステラの反応はシズカとは対称的だった。

 ステラは自分の語った夢に対して、これほどまでに力強い賛同の言葉を得られたことは今までなかった。もちろん賛同されなかったからといって自分の考えを曲げるような精神性の持ち主ではなかったが、心の奥底では孤独を感じていたのもまた事実である。ベン子の言葉は、ステラにとっての光だった。

 分厚い雲の切れ間から射し込む、太陽の光。暗闇の海上をさまよう船を導く、灯台の光。猛吹雪でホワイトアウトしている最中の、前方車両のテールランプの光。

 ベン子の言葉はあたかも天上の福音のように、ステラの心に響き渡った。彼女は涙を流した。


「我が意を得タリ……」


 ステラは猛然とベン子に向かってダッシュすると、力強く抱擁し、頬にキスをした。


「ベン子! アイラビュ――――!!」

「ぬわ――――っ!?」


 これにはさすがにベン子も驚愕し、顔面を真っ赤に紅潮させる。そしてそれは、シズカも同じだった。


「何やってんだ、お前――!」

「シズカ! ベン子を譲ってくだサイ! 言い値で買い取りマスヨ?」

「ふざけんな! こいつは私のだ! いくら積まれてもお前なんかにはやらん!」

「ワタシはベン子のもう一人の生みの親デスヨ? ならバ、ワタシにもベン子の親権があるはずデハ?」

「AIにそんなものがあるわけないだろ!」

「シズカはもっとツッコミのセンスを磨いた方が良いデスネ! ベン子もシズカとの漫才には飽き飽きしているのではないデスカ?」

「それは、まあ」

「同意するな! だいたいステラお前、機械に人間の真似事をさせるのには興味ないんじゃなかったのか!?」

「ハテ? そんなコト言いマシタカ? 何のコトやらサッパリデスネ?」

「お前という奴は、本当に……!」

「やめてください! 私のために争わないでください!」


 ベン子は二人の間に割って入り、両手を胸の前で組んで、視覚センサーを潤ませて懇願のポーズをした。


「何ヒロインぶってんだ! 死ぬほど似合わんわ! お前絶対この状況を楽しんでるだろ!?」

「楽しむだなんて、そんな! 一度こういうセリフを言ってみたかっただけですよ!」

「やっぱり楽しんでるじゃないか!」

「ベン子。ワタシのところに来れバ、もっとイカした義手を進呈しマスヨ?」

「マジですか!?」

「ステラは黙ってろ――――――――っ!!」

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