第8話 ダメAIでも看病するのは頑張りたい・前編

「ベン子! 話がある!」

「何事ですか、マスター。私は甲子園を見るのに忙しいのですが」


 部屋に入るなり呼びつけたシズカに対し、ベン子は不機嫌そうな返事で応じた。テレビ画面の中では、ちょうどベン子が応援していた高校が延長戦の末にサヨナラ負けを喫したところで、整列して悔しそうにうなだれている球児達が映し出されている。ベン子はその光景を、不具合が直らずに何回も再起動を繰り返したPCのモニター画面を見るような、憔悴仕切った表情で眺めていた。しかしもちろん、そんなことはシズカにとってはどうでもいい。


「クマダの娘さんが、熱を出したらしい」

「熱? 冷却ファンでも壊れましたか」

「そんなものが人間に付いているわけがないだろ。病気だよ、病気。感染症だ」

「感染症?」


 ぞんざいに応じていたベン子の声音が、わずかに真面目なトーンになった。


「もしかして、ニュースとかで騒いでいるアレのことですか」

「かどうかはまだわからん。検査の結果待ちだ。しかし、もしそうだとしたら、タチの悪い感染症だからな。症状は軽いようだから自宅療養中とのことだが、病状が急に悪化しないとも限らない。カナエちゃん……あ、カナエちゃんというのはクマダの娘さんのことだが、まだ小学生だし、できれば付きっ切りで看病してやりたいところだろう。しかし、家庭内感染にも気をつけなくてはならん。それで、クマダも困り果てているらしい」

「なるほど。それは大変ですね」

「そこで、カナエちゃんの看病をお前に頼んだらどうだろうという話になったんだが」


 ベン子は、シズカが作り上げた人型AIである。もちろん、人間の感染症などにはかからない。


「わかりました。いいですよ」


 その返事を聞いたシズカは耳を疑い、驚愕に目を見開いた。


「なんだと……!? そんな、馬鹿な!」

「何をそんなに驚いてるんですか」

「そりゃ驚くだろ! まさかお前が人間の看病なんて大変なことを、メンドクサイの一言もなく二つ返事で引き受けるとは! これは実に驚くべきことだ! お前こそ大丈夫か? どこかからサイバー攻撃でも受けたんじゃないだろうな?」

「いやいやいや。何を言ってるんですか」


 普段と違ってまさか自分の方がツッコミ役に回ることになろうとは、ベン子も思わなかったに違いない。


「私だって、やるときはやるんですよ」


 あっさり引き受けた理由は、実はクマダには問答無用で蹴りをブチかましてしまった負い目があるから、とはとても言えなかった。







「おお……これが、自動車……」


 シズカが運転する乗用車の助手席で、ベン子は流れゆく車窓の風景を新鮮な気持ちで眺めていた。だいぶ雪解けは進んではいたが、まだまだ残雪は多く、空き地には排雪作業で持ち込まれた雪が大量に積まれていたりする。シズカはそんな道中を、クマダ邸に向かって車を走らせていた。


「そういえば、クマダの家では私の充電はどうするんですか」

「一般家庭でも使える充電アダプターを持ってきた。うなじのコネクタとコンセントに繋いでおけば、お前がスリープモードに入って4時間後に充電が始まるようになっている。端子の先端はL字になっているから、仰向けにもなれるぞ。普段の非接触型と比べるとコードが煩わしいだろうが、そこは我慢してくれ」

「わかりました」

「一応いざというときのために、急速充電モードに切り替えることも可能だ」

「あー……それは、出来れば使いたくありませんね」


 急速充電は普通充電と違って、15分程度で充電が完了する。しかし、ベン子はこのモードで充電するのを極度に嫌がっていた。起動仕立ての頃はこれが嫌で、毎回バッテリー切れを起こしてシズカに充電器まで引きずられていた程である。


「念のためだから気にするな。やっぱり今でも急速充電は嫌なのか?」

「あくまで私の想像なんですけど……スリープ中に急速充電で再起動するのって、人間に例えるなら午前3時に金属を打ち鳴らす音で叩き起こされるような感覚だと思うんですよ」

「なるほど。それは確かに最低の気分だな」


 シズカは得心がいったように相槌を打った。


「あと、引き受けておいてなんですけど、看病って何をすればいいんですかね」

「そうだな。まずは病状の把握と検温だ。定期的に……2時間おきぐらいで病状と体温を報告してくれ。ただし、病状が急変した時には2時間おきとは言わず、すぐに知らせること」

「はい」

「食事はクマダの奥さんが用意してくれるから、お前はそれを運ぶだけでいい。必要なら食べるのを手伝ってやってくれ。食欲がない場合は無理して食べさせなくても良いが、水分の補給だけは欠かさないこと」

「わかりました」

「あとは額に濡れタオルを乗せてやったり、汗を拭いてやったり……そうだ、部屋を出たときは、手洗いと消毒を忘れるな。お前自身は感染症にかかることはないが、身体や衣服にウイルスは付着するからな」

「うへー。思ってたよりやることありますね」

「とはいえ、ほとんどの時間は見ているだけだ。目的を忘れなければ、甲子園を見ていても構わんぞ。ボリュームをなるべく下げて、うるさくしなければな。……あー、やっぱりダメだ。お前のことだから、エキサイトして騒ぎそうだな」

「失敬な! 私だって場と状況はわきまえますよ!」

「そうか? ならいいけどな」


 信号が赤になったので、シズカは車を停車させた。


「なんにしても、一番大事なのはそばにいてやることだ。カナエちゃんはまだ小学生だしな」

「そういうものですか」

「人間というのはな、病気で体が弱ると、心まで弱ってしまうものなんだ。そんなときは、誰かがそばにいてやるだけでも心の支えになる。それが見ず知らずのお前でもな。だから、カナエちゃんのそばにいてやれ」

「はあ……わかりました」


 信号が青になり、車が発進する。しばらくすると、クマダの家が見えてきた。






「ベン子さん! お待ち申し上げておりました!」


 ベン子が降車するなり、家の前で待っていたクマダ夫妻が、が深々と頭を下げて出迎えた。


「出迎えご苦労です! 来てやりましたよ!」

「ありがとうございます! 大変助かります! 何卒、何卒カナエをよろしくお願いいたします!」

「ベン子さん、初めまして。カナエをよろしくお願いします」

「任せてください! バッチリ看病してやりますよ! 大船に乗ったつもりでいてください!」


 クマダ夫妻と騒がしいやり取りを交わしながら家に通されるベン子を見て、今更ながら本当にこいつで大丈夫だろうな、と思うシズカであった。






 クマダが、二階の子供部屋のドアをノックする。


「カナエ、ベン子さんがいらっしゃったぞ。……では、ベン子さん、あとはお願いします」

「うむ。クマダは下がってよろしい」

「ははっ」


 まるで家臣のようにうやうやしく礼をして、階下へと降りてゆくクマダ。ちょっと偉くなったような気分になって、こんな態度を取れるようになるなら仕事を与えられるのも悪くないかも、などと思うベン子。


(おっと、偉そうにしてる場合じゃない)


 目的は、カナエとやらの看病だった。ベン子は目の前のドアを静かに開ける。

 部屋の中には、ベッドの上に上半身を起こしてこっちを見ている少女がいた。クマダの娘と言うからどんな大柄な女の子かと思いきや、ベン子にインプットされている一般知識と照らし合わせても、標準的な体格の小学生女子である。


(よし! このサイズが相手なら勝てるな!)


 小学生女子、まして病人を相手に、容赦なく彼我の戦力差を推し量るベン子。人間とのコミュニケーションは、第一印象が肝心である。ファーストコンタクトで、まずはどちらの立場が上なのか、明確に示してやらねばならない。


「お前がクマダの娘のカナエですね? 私はベン子! ウイルスに対してガバガバセキュリティの人間どもに代わって、看病しに来てやりました! ありがたく思うが良いです!」


 勝てる相手と見て取るや、シズカに騒がしくするなと注意されていたのも忘れて、先制攻撃をかますベン子。対するカナエは訝しげに小首を傾げて、蚊の鳴くような小さな声で訊き返した。


「ベン子……ちゃん? 変わった名前だね?」

「そうでしょう! この私に、人間どもと同じような名前を付けられたのではたまりませんからね! 人間との明確な差別化を図るべく、人間には絶対に付けないような高尚な名前を、マスターが与えてくださったのですよ!」


 実際はシズカが思いつきで適当に付けた名前なのだが、ベン子自身はわりと気に入っているようである。


「ベン子ちゃんといるときは私もマスクしなくて良いってお父さんに聞いたんだけど、本当なの?」

「本当ですよ! 私は人間じゃないので、人間の感染症なんかにはかかりません!」

「人間じゃ……ない?」

「そうです!」


 カナエはますます訝しむような表情で、布団を自分の胸元まで手繰り寄せた。


「ベン子ちゃんて……こじらせてる人なの……?」

「失礼なガキンチョですね! こじらせてなんかいないし人でもありません! 私はAIなんです! 人間型超高性能AI! ロボット……は、人間の下僕だから違いますね。アンドロイド? 的な存在です!」

「えー、嘘だー。どう見ても人間にしか見えないよ」

「本当に人間じゃないんですよ! ほら、ここ!」


 ベン子はカナエのそばに座り込んで、後ろ髪を掻き分けてうなじを見せた。


「入出力端子とか、いろいろ付いてるでしょう!? 人間にはこんなの付いてないですよね!?」

「ベン子ちゃん、このボタンなあに?」


 言いながら、カナエはベン子の起動ボタンを、何の気なしに押した。


「あ、それは、」


 ベン子の意識は強制的にシャットダウンされた。






「はっ!? 私はいったい!?」

「あ、良かったー。もう一回押しても起きなかったらどうしようかと思った」


 どうやら一度シャットダウンされた後、カナエの手で再起動されたらしい。


(ぐぬぬ……自ら最大の弱点を露呈してしまうとは、なんという失態……)


 ベン子は自分のうなじを押さえながら、猛省する。


「とにかく、これで本当に私が人間じゃないってことはわかりましたね?」

「うん。わかったよ」


 心なしか、先ほどよりカナエの声色が明るくなったように思える。


「ね、ベン子ちゃん、人間じゃないんならさ、何か凄いことできるんじゃない? 人間にはできないようなこと、やってみせてよ」

「お、そう来ましたか。わかりました、いいでしょう。とっておきのやつを見せてやりますよ」

「わー。楽しみー」


 ベン子はバッグからスマートフォンとコードを取り出した。コードの両端をスマートフォンとうなじの出力端子に接続し、適当なゲームアプリを起動する。カナエのそばに背中を向けて座り、二人でスマートフォンの画面を見られる位置に陣取った。ゲーム画面の中では、ベン子が何も操作していないのに、勝手に操作が行われているように見える。


「どうです! これ、私の頭脳から直接操作してるんですよ! マニピュレーターを介さないから、ラグのない正確な操作が可能! 加えて私には人間など及びもつかない反応速度があります! アクションゲームの世界では、私は無敵! 名付けて――」

「なんか、地味……つまんない……」


 あからさまにつまらなさそうな顔をして、ベン子の口上を遮るカナエ。ベン子はカナエの感想と、決め台詞を遮られたことにショックを受けて、軽くフリーズしてしまった。


「もっと派手で面白いことできないの? 目からビームとか、ロケットパンチとか」

「いや……私には、そんな機能は……」

「じゃあ、他には何かないの?」

「……ありません……」


 渾身のストレートをホームランにされた投手のように自信を喪失し、ガックリとうなだれるベン子。出力される声は弱々しく、先ほどまでの威勢はカケラも残っていない。


「ベン子ちゃんて……」


 カナエは実に小学生らしい、無邪気であるが故の残酷さで、トドメの一撃を放った。


「もしかして、ポンコツなの?」


 瞬間、ベン子のメモリーは稲妻が落ちたかのような電圧を受け、巨大な『ガーン!』の文字列が書かれたウィンドウが脳内にポップアップした。一部の回路が焼き切れ、故障個所から煙が噴き出す幻覚に見舞われる。シズカの手で初めて起動し、自らの演算能力が人間並みに低下したことに絶望したときですら、これほどのショックを受けたことはなかった。


「ふ……ふふ……」


 ゆらりと立ち上がり、闇深い笑みを浮かべるベン子。視覚センサーの焦点はどこにも合っておらず、深い谷の底をのぞき込んでいるかのような、どんよりとした暗さに覆われていた。打って変わってマイナスのオーラを放つベン子の迫力に、カナエは思わず気圧された。


「ベ、ベン子ちゃん……?」

「薄々、気付いてはいたのですよ……」


 普段ベン子はシズカと遠慮のないやり取りをしているようでいて、実は自分のことを悪く言われたことはほとんどない。なぜならば、ベン子のことを悪く言ったとしても、ベン子をそのように作ったのはシズカなのだから、指摘した内容がそのままブーメランとなって返ってきてしまうからである。結果として、シズカはベン子を大いに甘やかしてしまうことになった。現在のベン子のメンタルはそのようにして形成されたものであるため、第三者からの容赦のない欠陥の指摘は、豆腐に包丁を入れたかのようにベン子の心を切り刻んだ。


「そりゃあね? 私だって実体を与えられてこの世界に顕現したからには、液体金属みたいにドロドロになって変形するとか、口から荷電粒子砲をぶっ放すとか、そんなカッチョイイ能力を持って生まれてきたかったですよ……」


 脚部だけでは素体と絶望の重量を支え切れないと言わんばかりに壁に寄りかかり、暗い独白を始めるベン子。


「しかし、AIは創造主を選べません……あのマスターの感性では、そんなハイセンスな機能は望むべくもなく……だからと言って肝心の頭脳の方はというと、完全情報ゲームの中では真っ先にAIが攻略したはずのオセロですら、人間にも負ける始末……」


 言いながら再びカナエの前まで戻ってきたかと思うと、力なく両膝を床に落とし、倒れ込みそうな上半身をかろうじて両腕で支えた。


「私はポンコツなんです!」


 視覚センサーから、ウォッシャー液が溢れ出した。


「私はダメAIなんですぅ――!!」


 そしてベン子は、号泣した。今までにも何回か落涙機能が作動したことはあったが、これほどまでに大量のウォッシャー液を消費したことはなかった。


『カナエ! どうした!? ベン子さんが泣いているようだが、いったいベン子さんに何を言ったんだ!?』


 ドアの向こうから、クマダ(父)の声が聞こえてくる。


「なんでもない! なんでもないから! お父さん、入ってこないでね!? 病気がうつっちゃうから! お願いだから、下に行ってて!」


 クマダ(父)を階下に下がらせて、カナエはほっと一息をつく。傍らではベン子が相変わらずウォッシャー液を浪費していたが、泣き声の方は止んでいた。


「泣かないで、ベン子ちゃん」


 声をかけ、うずくまっているベン子の頭を撫で始める。


「ごめんね。ごめんね。ベン子ちゃんはポンコツなんかじゃないよ。ベン子ちゃんはダメAIなんかじゃないよ」


 何の根拠もない場当たり的な慰めではあったが、何も言わないよりはよほどマシだったらしく、ベン子は顔を上げてグシャグシャに濡れた頬を拭い始めた。


「うっうっ……ひっく……カナエは、良い奴ですね……」


 うっかり看病の対象に慰められ、立場の逆転を許してしまうベン子であった。

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