第3話 ダメAIは布団から出るのもメンドクサイ
人型AI・ベン子を初めて起動してから、数日が経過した。ベン子の動力は電気であり、バッテリーがフル充電の場合、全力で運動するなどの激しい電力消費行動をしなければ、16時間程度の連続稼働が可能である。部屋には非接触型の椅子型充電器が設置されており、ベン子は自分のバッテリー残量を把握できる機能を備えているため、ベン子自身に充電の意志さえあるのなら、そうそうバッテリー切れを起こすことなどないはずだった。
しかし、未だにベン子が自ら充電を行ったことはない。理由を訊いても、「メンドクサイから」と答えるばかりである。椅子型充電器にただ黙って十五分程度座っていれば充電は完了するのだが、何がそんなに面倒なのだろうか。
今日もシズカが日々の業務を終えて自室に戻ってみると、バッテリー切れを起こして床に突っ伏しているベン子の姿があった。
「またか……」
呆れた顔でつぶやき、ベン子の素体を充電器まで引きずっていって、座らせる。直ちに充電が始まって、ベン子の呆けたような表情の瞼がピクピクと痙攣するのが認められた。
「起きろ、ベン子」
ベン子の頬をペシペシと叩いてみる。
「ふぁっ!? あ、マスター」
メモリーに電気が入り、脳幹回路に備えられた反射機構が表情筋をオーバー気味に作動させ、発声機構が素っ頓狂な声を震わせる。そしてようやく、ベン子の視覚センサーにシズカの顔が捉えられた。
「お前な、いい加減自分で充電する気にはならないのか。お掃除ロボットでも5回に4回は自分で充電器に戻れるぞ。お前の知能はお掃除ロボット以下なのか」
「心外ですね! この私を、あんなチリトリに毛が生えた程度の下等種族と比べないでください!」
「そうだな。充電もできないお前はチリトリ以下だからな」
「ふん。そのチリトリ以下の私を作ったのは、マスターですからね!」
「相変わらず口だけは達者だな……」
こんなやり取りをするのも、何回目だろうか。それにしても、ここまでベン子が充電を拒むとなると、単に性格の問題というわけではなく、何らかの重大な欠陥があることを疑わざるを得なくなってきた。
「一度、訊いてみたかったんだが。お前、バッテリー切れで意識が途絶えた瞬間というのは、どんな気分なんだ」
「最高ですね」
「では、再起動した瞬間の気分は」
「最低ですね」
「わけがわからん……」
機嫌が良いときはメチャクチャ機嫌が良いし、好奇心もそれなりに旺盛なので、ずっとバッテリー切れの状態を望んでいる、というわけではないと思うのだが。となると、やはりバッテリー残量が減っているときの警告機能がうまく作動していないと考えるべきだろうか。
「バッテリーが残りわずかになったときに、空腹感は感じるか?」
「空腹感というのがどんな感覚なのかはわかりませんが、特に変わった感じはありませんね。若干思考力が低下してるような気はしますけど」
「うーむ……」
思考力の低下は、ベン子の頭脳が省電力モードに入っていると考えれば当然のことなので、全く問題ではないだろう。それよりも、空腹感を感じていないというのが大きな疑問だ。そういえば、空腹の効果音が鳴ったときも、ベン子自身は特に空腹感を訴えるような言動はしていなかった。効果音だけが空回りしていて、実態としてはベン子は空腹感を感じてはいなかったらしい。
「よしわかった。応急処置として、お前にこれを取り付けよう」
そう言ってシズカは、引き出しから小さなメモリースティックを取り出した。
「そ、それはなんですか……?」
ベン子のメモリーに、何やら猛烈に嫌な電流が走った。
「空腹ドライバだよ。外付けのプログラムで、お前のバッテリーが減ったら強制的に脳幹回路に『ひもじい』という感覚を送信する」
「ひもじい……!?」
ベン子には、その形容詞に関する知識があった。それが意味するところは、ベン子を戦慄せしめる恐ろしいイメージを与えた。
「ひもじいというのは、もしや人間が極度の栄養不足になったときに判断力が低下し、無機物を飴玉と間違えてしまうほどに錯乱してしまうという、恐ろしい状態を言い表したあのひもじいですか……!?」
「その認識で間違いない」
シズカの眼鏡が蛍光灯の光を反射し、その眼の奥に宿った悪意を覆い隠した。その声音はあくまでも平静のままであったが、ベン子の優秀な聴覚センサーは、穏やかな口調の中に潜んだ、わずかなトーンの違いを聴き逃しはしなかった。
「やめてください! 私がいったい何をしたと言うんですか!」
「何もしなかったからこうなったんだろ。これでお前も、嫌でも充電器に向かうようになる」
「ひいっ!」
腰を浮かせて逃げようとするベン子の腕を、すかさずシズカがガッチリと掴んだ。ベン子の素体は、貧弱だ。目的も用途もなく作られたため、必要最低限の運動能力しか与えられていない。
「放してください! マスターのオニ! アクマ! ロボトミー!」
「なんとでも言うが良い。その手の非難は、科学者にとっては誉め言葉だ」
世の科学者への風評被害を引き起こしかねない発言であったが、シズカにとってはそんなことはどうでもいい。強引にベン子をベッドの上にうつ伏せにして組み伏せると、うなじに付けられた起動ボタンに手を伸ばした。
「やめろ――――っ! ショッカ――――――ッ!」
断末魔の如き絶叫を最後に、ベン子の意識はシャットダウンされた。
翌日。
「うううう……」
ベン子は自分を哀れに思うあまり、頬をウォッシャー液で濡らして嗚咽を漏らした。何故に食物など必要としない自分が、空腹感などという生物的苦痛を受けなくてはならないのか。
「理不尽です! AI権侵害です! こうなったら、私は断固として充電などしませんよ! このような横暴な改造行為には屈しません!」
額にハチマキを締めて、シズカに人差し指を突きつけ、徹底抗戦の意志を表明する。その決意の固さは、さながら何度修正してもバグを実行し続ける、作成者が逃亡したプログラムのようだった。
「好きにしろ。どちらにしても、私はお前がそこまでして充電を拒む理由を突き止めなければならん。空腹ドライバを付けてもお前が充電しないようなら、単なる反抗心やメンドクサイという感情だけでは説明できなくなるからな」
言いながら、シズカは白衣を羽織ってお仕事モードに入る。
「私はもう出かけるから、ちゃんと留守番しとけよ」
「いってらっしゃいませ! いつものようにバッテリーを切らしてお待ちします!」
舌を出して、人差し指で下瞼を引き下げる。古典的な、あっかんべーの仕草でシズカを見送るベン子であった。
業務を終えて自室に戻ったシズカを出迎えたのは、またしてもバッテリー切れを起こして床に突っ伏しているベン子の姿だった。
「筋金入りだな、こいつ……空腹ドライバでもダメか」
呆れを通り越して感心すらした様子で、シズカはつぶやく。だんだん慣れてきたと思いながら、いつものようにベン子を充電器まで運ぼうと近づいたとき、テーブルの上にベン子のものとおぼしき書き置きのメモを見つけた。手に取って、内容を確認してみる。
敬愛するマスターへ
お恨み申し上げます。
ベン子
「こいつ、けっこう字うまいな」
シズカはそう感想を漏らすと、メモを丁寧に折りたたんで白衣のポケットにしまった。続けて、ベン子を引きずって充電器に座らせる。
「起きろ、ベン子」
いつも通り、ベン子の頬をペシペシと叩く。
「うーん……」
苦し気な呻き声と共に、ベン子は再起動した。
「私の眠りを妨げるのは、誰ですか……」
「私しかいないだろ。ほれ、シャキッとしろ」
ベン子の頬を両手で引っ張って、顔面の感覚神経を刺激する。かなりの弾力があって、こうしていると少し楽しい。
「それにしても、まさか空腹ドライバを差しても充電を拒否するとは思わなかったぞ。『ひもじい』という感覚を体験した気分はどうだったんだ?」
「筆舌に尽くし難い苦痛でしたね。いっそ廃棄処分にして欲しいと思いました」
「一応空腹ドライバは機能していたわけだな。しかし、それでもお前が充電しなかったとなると……」
食欲は、人間の三大欲求のうちの一つである。シズカは、ベン子のとっての『食欲』に相当する欲求は、『充電欲』とでも呼ぶべきものになるのではないかと考えていた。バッテリー残量が少なくなったら空腹感のような感覚を覚えるだろうし、そうなれば自ずと充電するようになるのではないかと。しかし、その考えがもしも、根本的に誤っていたのだとすれば――。
「ベン子。お前、バッテリー切れで稼働停止している間のことを、何か覚えているか? もしかして、夢とか見たりしていないか?」
「夢? 夢というのは、人間の睡眠中に、頼んでもいないのに妄想やらなんやらが自動的に脳内再生されるという、あの夢のことですか?」
「夢のことを動画サイトの広告のように言われるのは少々心外だが、とにかくその夢のことだ」
「うーん……そうですね……」
ベン子は首を傾げて腕組みをし、キャッシュメモリをサーチするようなイメージで、稼働停止中の記憶を探ってみた。
「あれが、人間で言うところの夢というやつだったんですかね? 確か、タイムマシンで過去に送り込まれた私が、若き日のマスターを抹殺しようとする内容だったような」
「酷い夢だな……」
心底ゲンナリした様子でつぶやくシズカ。
「しかし、なるほどな。わかったぞ。お前が頑なに充電を拒んでいた理由が」
立ち上がり、シズカはおもむろに解説を始めた。
「結論から言うと、バッテリー切れの間にお前に起こっていたことは、人間で言うところの『睡眠』だ。お前の脳幹回路は人間の生理現象を疑似的に再現するように設計されているから、当然睡眠も再現するように出来ている。しかし、何がトリガーになって睡眠欲求……要するに睡魔のことだが、それが誘発されるのかはよくわかっていなかった。私は、おそらく時間の経過で勝手に睡魔が誘発されるものと思っていたのだが、どうも違っていたらしい。睡魔のトリガーになっていたのは、バッテリー残量の減少だ。バッテリー残量が少なくなったときにお前の思考力が低下していたのは、睡魔の再現だったわけだな。これで、お前がこれまで充電を拒んでいた理由も説明がつく。バッテリー残量が少なくなったときに充電をするのは、お前にとっては眠いのに無理やり起き続けようとするような行動だったわけだ。どおりで、あれほど充電を嫌がるわけだ。空腹ドライバが送信する空腹感に意思の力で抵抗できるわけがないとタカを括っていたが、確かに睡魔なら対抗できるだろう。空腹感に対抗できる欲求なんて、睡眠欲ぐらいだからな」
解説を訊いていたベン子は、おずおずと手を挙げた。
「あの……今の私のスペックじゃ、そんなに一度に言われても理解できないんですけど……」
「要約すると、だ。私はベン子に、人間で言うところの睡眠を取るべきタイミングで、食事を取らせようとしていたということだ」
その言葉をベン子が飲み込み、理解するまでに数秒の時間を要した。そして完全に理解に及んだ瞬間に、その表情が驚愕と憤怒のそれに変わった。
「いやいやいやいやいや! ちょっと待ってくださいよ! いくらなんでもそれは酷過ぎじゃないですか!? 『食事』と『睡眠』ですよ!? エンジンとガソリンタンクを付け間違えるレベルの大チョンボじゃないですか! そんなんでよく私を作れましたね!?」
「そう目くじらを立てるな。作ってから間違いに気付くなんてのは、科学の世界では日常茶飯事だ。一発でうまくいったらむしろ気持ち悪いと思うのが普通だぞ」
「こっちはこの先私自身にどんな不具合が発覚していくのか、気が気じゃないですよ! その辺に謎のネジとか落ちてたりしないでしょうね!?」
「そういえばここにネジが一本余ってるんだが、これはいったいどこのネジなんだろうな」
「ああああああああああああああああああ!!」
結局ネジの件はシズカの冗談だったのだが、ベン子は「もう何も信用できません……」などと言って、部屋の隅に行って膝を抱えてしまった。それでもさすがに、無用の長物と化した空腹ドライバと空腹警告スピーカーを取り外すことには同意したが。
ともあれベン子に睡眠を適正な形で取らせる必要があることがわかったので、まずはベン子の睡眠スタイルを確立させなくてはならない。睡眠と充電を連動させるのであれば、充電器は椅子ではなくベッドに組み込んだ方が良いだろう。
ベン子の充電方式にはEV車のように、急速充電と普通充電の2種類の方式がある。急速充電はこれまでの椅子型充電器で採用されていた方式で、15分程度で完了する。一方、普通充電の方は4時間程度かかるので、椅子型充電器で採用するには時間がかかり過ぎるのが難点だったが、ベッドに組み込んで睡眠と連動させるのであれば、むしろこちらの方が良いだろう。ベン子がスリープモードに入ってから4時間後に充電が始まるように設定しておけば、ちょうど人間の睡眠時間と同程度の、8時間睡眠を取らせることができる計算になる。
シズカは早速充電器をベッドに組み込む作業に取り掛かったのだが、部屋には金属パイプの簡易ベッドしかなかったため、ベン子が「もっとちゃんとしたベッドじゃなきゃ嫌です!」と駄々をこね出した。
仕方なくシズカはホームセンターまでベッドを買いに走り、購入と搬入と設置に多大な労力を費やす羽目になった。ほとんど役に立たなかったが、一応これらの作業はベン子も手伝った。メンドクサイが口癖と化しているベン子ではあったが、自分の寝床のことなので、黙って見てはいられなかったらしい。充電器の組み込みが終わる頃には、シズカはヘトヘトに疲れ果てていた。
「なんとか完成したな」
額を手の甲で拭いつつ、シズカは感慨深くコメントを漏らした。
「おお……!」
ベン子も、感動の声をあげる。病院の診察室のように殺風景なシズカの自室に、ショールームに置いてあるような木製のベッドが置かれているのは違和感が大きかったが、そんなことはベン子は気にならないらしい。
「いいじゃないですか! いいじゃないですか! これですよ、これ! 私が求めていたのはこういうのです! たまりませんね、この弾力! ふっかふかです!」
ベッドにダイブし、転げ回るベン子。ベン子の触覚センサーは優秀で、布団の感触を楽しむこともできるらしい。シズカは新しい寝床にすっかりご満悦の様子のベン子をしばらく眺めていたが、やがてポツリとベン子に向かって呼びかけた。
「ベン子」
「はい! なんでしょう!」
ベン子が振り返ると、いつになく神妙な面持ちのシズカがそこいた。
「すまなかったな」
ベン子は一瞬、聴覚センサーの故障を疑った。思考が停止し、危うくフリーズしかけた。
「マスター……」
なんとか気を持ち直して、シズカに問いかける。
「頭にバグでも湧きましたか?」
「そうかもしれん。疲れてるからな」
違う。ベン子はつい普段の会話のノリを維持しようとしてしまったが、今言うべきことはもっと違う言葉のような気がしてならない。しかし、いくらメモリーをサーチしてもふさわしい言葉は出てこなかった。罵詈雑言ならいくらでも思い浮かぶのに。だって、仕方がないではないか。まさか、いきなり謝られるなんて全く予想もしていなかった。他にどんな反応をしろと言うのだ。
「私は、このままスリープします」
「ああ」
思わず布団を深くかぶって、シズカに背を向けてしまう。
「お疲れなら、マスターも早く寝た方が良いんじゃないですか」
そう言うのが精一杯だった。
「そうだな。私も寝るとするか」
ベン子の気を知ってか知らずか、シズカは気楽そうに伸びをして答える。
「おやすみ、ベン子」
――おやすみ。そうか。これが『おやすみ』か。
もちろん知識として知ってはいたが、実際にこの言葉をベン子の聴覚センサーが拾い上げるのは初めてだった。今までベン子は、挨拶などと言うテンプレートが何のために存在するのかまるでわからないと思っていた。しかし、今、少しわかったような気がする。きっと、今みたいにどんな言葉を言えばいいのかわからないときでも、必要最低限のコミュニケーションを取れるようにするために存在するのだ。
「おやすみなさい、マスター」
口にした後、身体の奥の方の温度が少し上昇したような気がした。
翌朝。
「起きろ、ベン子。とっくに充電は終わってるだろ」
「……あと、5分……」
「あまりにも予想通り過ぎるだろ」
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